第22回(1971年)NHK紅白歌合戦~その1~

 表記は歌手名に、楽曲の発表年・作詞者・作曲者も併記しています。なお個人的に紅白歌合戦歌唱曲(昭和)と題してSpotifyでプレイリストも作成してますので、興味があればこちらも御覧ください。

 基本的に本編レビューは1971年当時の感覚、解説は現在から見た後日談という設定で書いています。これは第14回・第25回をレビューした時と同様です。

オープニング

 東京宝塚劇場入口からの中継で始まるオープニングショット、直後に客席の様子が映ります。幅広い年代が揃うオーディエンス、おそらく倍率はかなりのものだったでしょう。入場行進を待つ紅組歌手の様子もあり、これは以前の紅白で見られなかったショットのような気がします。

 「第22回、NHK紅白歌合戦!」。進行を担当する鈴木文弥アナウンサーが高らかに開会宣言してファンファーレ演奏開始。その後に両軍司会がそれぞれの舞台袖から登場、紅組は水前寺清子、白組は宮田輝アナが担当します。

 「紅白歌合戦、紅組の司会は、チータという美少年、水前寺清子さん!」「そして白組の司会を受け持ってくださいますのは、私とふた周りも違います、宮田お父さまでございます」。やや舌戦モードでありつつもお互い紹介して握手、「選手入場」のテロップに合わせてまずは紅組から出場歌手の入場行進が始まります。画面上のテロップはまず両司会、その後に歌手名が下から上にスクロールされていますが画面下部のみで切れている様子。鈴木アナも歌手名を次々と実況形式で読み上げてます。あいうえお順ですが、前回司会の美空ひばりが先頭のようです。一通り紅組が揃ったところで次は白組、日本レコード大賞受賞の尾崎紀世彦はその衣装のまま合流。人数が多い分紅組と比べてやや渋滞模様。こちらも鈴木文弥アナが実況モード、何度も出場している歌手は回数がやけに強調されております。スタインソングに乗せて多くの歌手が登場する入場行進、ただカメラはラスト10秒ずっと美空ひばりのソロショットでした。

 優勝旗返還、前回勝者の紅組司会・美空ひばり加藤稔NHK芸能局長に渡します。今回紅組が勝てば3連勝ですが、果たしてどうなるでしょうか。

 そして選手代表、今回も両司会による選手宣誓。

宣誓
私たちはアーティスト精神にのっとり、
正々堂々、敵をノックアウトするまで戦うことを誓います
昭和四十六年十二月三十一日
第22回NHK紅白歌合戦白組代表・宮田輝!
紅組代表・水前寺清子!

 出場歌手や観客の拍手とともに、舞台袖からスクール・メイツが多数登場。赤いユニフォームに白いミニスカート、小道具として赤い旗と白い旗を使用しています。掛け声も爽やかで賑やか、場を盛り上げます。

解説

・オープニングが屋外からの中継で始まる紅白は聖火ランナー演出の第14回が有名ですが、実のところ第21回に続く試みのようです。この時はなんとスクールメイツが劇場前の道路で踊っていたようですが、それと比べて規模は若干縮小気味。以降昭和の紅白で外の様子が映るオープニングは第24回と第27回のみ。再び増えるのは平成後期になってからです。

・入場行進を待つ様子が映る紅白は、確認できる限り昭和ではこの回のみ。非常に貴重なショットです。平成以降は第67回など、オープニング待機する出場歌手が見られるケースも何度かありますが…。

・なお開会宣言より前の部分はNHK公開ライブラリにも見られない、大変貴重なシーンです。その証拠にリマスター後もノイズなど画像がかなり乱れ気味、おそらく元の映像は見れた物でなかったと思われます。

・第20回~第24回は、入場行進の際に出演者他のテロップがスクロールで流れました。これについてはすぐ下の見出しで別掲します。

・日本レコード大賞から紅白歌合戦への会場移動は昭和歌謡界の風物詩ですが、当時の帝国劇場~東京宝塚劇場は丸の内~有楽町なので徒歩5分の距離。したがってレコ大受賞でも入場行進に間に合うくらいの状況ですが、紅白の会場が渋谷のNHKホールに変更された第24回(1973年)以降オープニングに間に合わない歌手が続出するようになります。

・スクールメイツのオープニングダンスは第19回(1968年)から恒例になりました。これは、舞台装置が大掛かりになって常設の歌手席が廃止される第32回の前、第31回(1980年)まで続きます。なおSNSではキャンディーズのメンバーや太田裕美がいたとの報告もありました。

テロップ

水前寺清子→宮田 輝
出演者(50音順)→[紅組]→青江三奈→朝丘雪路→いしだあゆみ→伊東ゆかり→加藤登紀子→岸 洋子→小柳ルミ子→佐良直美→ザ・ピーナッツ→島倉千代子→水前寺清子→ちあきなおみ→トワ・エ・モワ→渚ゆう子→弘田三枝子→ピンキーとキラーズ→藤 圭子→本田路津子→真帆志ぶき→南 沙織→美空ひばり→都はるみ→由紀さおり→雪村いづみ→和田アキ子
[白組]→アイ・ジョージ→五木ひろし→尾崎紀世彦→北島三郎→西郷輝彦→堺 正章→坂本 九→菅原洋一→千 昌夫→鶴岡雅義と東京ロマンチカ→デューク・エイセス→にしきのあきら→橋 幸夫→はしだのりひことクライマックス→ヒデとロザンナ→フォーリーブス→布施 明→舟木一夫→フランク永井→美川憲一→水原 弘→三波春夫→村田英雄→森 進一
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踊り ワールド・ダンサーズ ポピーズ 宝塚歌劇団 雪組 スクール・メイツ 高山愛子バトン・チーム
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振付 山田 卓 浦辺日佐夫 西條 満 早川和江
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殺陣 菊地剣友会
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コーラス ザ・ヴァイオレッツ ザ・ベアーズ 東京放送合唱団
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ギター 小鈴二郎 野口義明
三味線 豊文 豊寿
津軽三味線 木本伸十郎 木田林松栄 社中
大正琴 吉岡錦正
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宮川 泰 半間巌一 服部克久 森岡賢一郎 高見 弘 小山田たけとも
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演奏 原信夫とシャープス・アンド・フラッツ 小野満とスイング・ビーバーズ 薗田憲一とテキシー・キングス 東京放送管弦楽団
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鈴木文弥アナウンサー
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美術 高橋秀雄
技術 堂迫 勇
制作 児玉康弘
演出 矢島敦美

指揮 藤山一郎(固定テロップ)

白1(全体1):尾崎紀世彦(初出場)

・1967年ザ・ワンダースのメンバーとしてデビュー
・1970年ソロデビュー
・1943年1月1日生 神奈川県茅ヶ崎市出身
・楽曲:「また逢う日まで」(1971/3/5 シングル)
・詞:阿久 悠 曲:筒美京平
・演奏時間:2分17秒

 「全国の皆さま、そして会場のお客さま。まあお聴き頂きたいと思います。1971年は白組・男性チームにダイナミックな歌い手が登場致します。まず新人、大型、尾崎紀世彦さんです!」。

 両腕を掲げた後、階段を降りながら歌う尾崎さん。つい数十分前に日本レコード大賞を受賞したばかりで、衣装だけでなく左胸の花もそのまま。まるで大賞の喜びをそのまま紅白の舞台でも表現したように見えます。明朗なメロディーに伸びやかな歌声、絶好調です。1971年12月31日、尾崎さんにとってはこれまでで一番思い出に残る最高の一日だったのではないでしょうか。

解説

・日本レコード大賞受賞してすぐのステージですが、レコ大受賞曲の紅白トップバッターはこれが唯一です。ただ後攻も含めると、第39回(1988年)の光GENJIも該当します。

・この当時はまだ大晦日のレコ大放送は3年目、30%台の視聴率は既に記録していますが紅白まで反映はされていない様子です。紅白の舞台でレコ大受賞がアナウンスされるのは、翌年1972年・第23回のちあきなおみ「喝采」が初となります。

・「さよならをもう一度」「愛する人はひとり」など、尾崎さんはこの年は他にも大ヒットを飛ばしています。ただ高セールスを記録した期間は意外なほど短く、紅白出場も翌年までの2年連続でストップします。「また逢う日まで」はその後平成になり、第41回(1990年)で19年ぶりに再歌唱されました。

・とは言え高い歌唱力の評価は非常に高く、1990年代では『THE夜もヒッパレ』などでの活躍も印象的でした。2012年5月に逝去、69歳というのはやや早い旅立ちのように感じます。

 

紅1(全体2):南 沙織(初出場)

・1971年デビュー
・1954年7月2日生 沖縄・宜野湾市出身
・楽曲:「17才」(1971/6/1 シングル)
・詞:有馬三恵子 曲:筒美京平
・演奏時間:1分54秒

 「さて、紅組のトップバッターも初出場の方でございます。ティーンのアイドル、もうお分かりですね南沙織さん、沖縄代表どうぞ「17才」!」

 チータが曲紹介する間に演奏開始、こちらも階段を降りての登場です。白に緑をあしらったようなワンピースの衣装。原曲よりもかなり速いテンポで、カメラがアップになるBメロでは演奏に遅れるような場面もありましたが、それも17才ならではの初々しさでしょうか。歌い終わり、駆け足で舞台袖に戻る姿まで美しい彼女。そこには新しい時代が到来する予感を強く感じさせます。来年は沖縄返還、彼女に続いて沖縄から紅白に出場する歌手もいずれ出てくるような気がします。

解説

・第14回(1963年)では奄美地方の歌が多く歌われましたが、沖縄から紅白歌合戦に出場した歌手は彼女が初めてでした。ただ沖縄にルーツを持つ出場歌手は、両親が東京に疎開した後に生まれた仲宗根美樹も該当します。

・歌謡界で”アイドル”という言葉が本格的に使用されたのは、この時期からと言われています。紅白歌合戦の曲紹介でアイドルという言葉が使われたのも、これが最初ではないかと思われます(要検証)。ちなみに第14回(1963年)時点では、吉永小百合の曲紹介時に「ティーンネイジャーのプリンセス」という表現を使用していました。

・「17才」の紅白歌唱はこの時のみですが、第42回(1991年)で14年ぶり復帰出場の際に登場前のナレーションBGMとして流れる場面がありました。また第56回(2005年)のショーコーナー・「昭和・平成ALWAYS」で島谷ひとみ水森かおりが1コーラス歌っています。

・数多くの歌手に後年カバーされていますが、もっとも有名なのは1989年・ユーロビート調のアレンジを施した森高千里バージョンでしょうか。平成初期に1960年代~1970年代ヒット曲のリバイバルブームが巻き起こりましたが、その火付け役と言っても良い存在でもありました。

 

白2(全体3):にしきのあきら(2年連続2回目)

・1970年デビュー、第21回(1970年)初出場
・1948年12月14日生 大分県大分市出身
・楽曲:「空に太陽がある限り」(1971/2/10 シングル)
・詞曲:浜口庫之助
・演奏時間:2分21秒

 「沖縄の宜野湾でご両親が聴いていらっしゃるという沙織ちゃん、良かったですよね。あなたも去年は初出場の感激を味わったと思います。堂々続いて駒を進めてまいりました、にしきのあきらさんです。ラッパでいこう!」、目の前に本人はいますが、全くトークする間もなく演奏に入ります。

 宮田アナの進行通り、オープニングは自身によるラッパのソロから始まりました。これまでの紅白では見かけた記憶のない始まりです。おそらく白組の中でもトップクラスの長身、自らマイクの高さを調節する場面もありました。

 2番以降はフォーリーブスが踊り&コーラスで参加。速いテンポですが、短い曲なのでフルコーラス歌唱。白組は爽やかかつ完成度の高いステージが最初から続いています。

解説

・デビュー曲「もう恋なのか」の大ヒットで紅白初出場を果たしましたが、同じ浜口庫之助提供の「空に太陽がある限り」はそれ以上にヒットしました。オリコン最高位は前者が最高24位なのに対しこちらは3位で差は歴然。当然最大ヒット曲で、本来ブレイク曲の「もう恋なのか」が霞むほどの結果になっています。

・ラッパを吹く紅白出場歌手はおそらくこの時が初でないかと思われます。元々学生時代からトランペット演奏の経験があるため、それが活かされた形のようです。

・紅白歌合戦は1975年まで6年連続出場、レコードセールスと合わせて考えるとやや多い回数でした。それだけ当時からタレント性もあったということでしょうか。類稀な運動神経は芸能人オールスター運動会でも有名ですが、意外にも紅白のステージや応援でそれがおおいに発揮される場面はありませんでした。

 

紅2(全体4):ピンキーとキラーズ(4年連続4回目)

・1968年結成・デビュー 第19回(1968年)初出場
・20~30歳・5人組
・楽曲:「何かいいことありそうな」(1971/4/20シングル)
・詞:山上路夫 曲:いずみたく
・演奏時間:2分13秒

 「にしきの君格好良かったー!でも紅組だってカッコいいよ!ピンキーとキラーズの皆さんでございます、「何かいいことありそうな」!」

 真っ赤な衣装に黒い帽子姿の今陽子、一緒に登場するのは朝丘雪路南沙織弘田三枝子いしだあゆみザ・ピーナッツ。ノリノリで踊る先輩方と比べると、シンシアの動きはやや控えめというより振付を憶えていなさそうな雰囲気です。従来ならキラーズのメンバーはバンド演奏といったところですが、今回はなんとコーラスのみの参加。一緒に体を動かしてノリノリではありますが、内心複雑な面もあったかもしれません。最後はピンキーではなく、なぜか朝丘さんの投げキッスで締めるカメラワークでした。

解説

・ピンキラは1968年7月に「恋の季節」でデビュー、ラストシングルは1971年11月の「ロマンス」。今陽子のソロ転向で解散したのは1972年2月、つまり活動期間の全てにおいて紅白出場を果たした稀有なグループです。

・今さんソロなどで平成期の懐メロ番組に出演する機会もありましたが、2008年に一度再結成もされています。現在はドラムスのパンチョ加賀美が2018年に、ギターのエンディ山口が2021年に逝去。オリジナルメンバーの再現は不可能となっています。

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