さあ、今年は皆さんだんご、だんごって口ずさみましたよね!NHKのおかあさんといっしょから生まれた「だんご3兄弟」です。茂森あゆみさん、速水けんたろうさん、そしてアコーディオンはcobaさんです。(第50回・久保純子)
— 平成の紅白名言集 (@kouhakumeigen2) June 24, 2021
1990年代はCDシングルが最も売れていた時代で、ミリオンセラーが毎年20作前後生まれていました。B’z、Mr.Children、DREAMS COME TRUE、GLAYに安室奈美恵にCHAGE&ASKAなど複数枚ミリオンを売り上げたアーティストも多数いますが、一番ヒットしたのは彼らではなく1999年3月3日発売の「だんご3兄弟」。これはオリコンの歴代記録でも5位に入っています。
『おかあさんといっしょ』発の子ども向けヒットということもあって、民放歌番組でのパフォーマンスはありませんでした。ですが流石にNHK、紅白でもこの曲を無視するわけにはいきません。既に3月でうたのおにいさん・おねえさんは卒業していましたが、大晦日は紅白(と同日のレコ大)のためにパフォーマンスを行いました。
・突如巻き起こった「だんご3兄弟」ブーム
この曲が最初に放送されたのは、『おかあさんといっしょ』1999年1月の「今月の歌」として。これがオンエアされると、まず子どもたちにウケて更に歌詞を投影させた大人たちにもウケて…という具合に大反響。それにワイドショーをはじめとするマスコミが食いつき、気がつけばCDをはじめとした各種グッズが大ヒットして便乗商法も多数出てくるという具合でした。全国の団子屋がブームに乗じて、4個刺しから3個刺しにして更に売れたというエピソードまで生まれています。今考えれば、と言うより当時もそう考えていましたが、なぜここまで過剰なブームになったのかと思える位の社会現象でした。
楽曲制作陣は少し前に『バザールでござーる』のCMを手掛けていて、後に『ピタゴラスイッチ』にも関わります。したがって出来上がった作品に反響が生まれるのも結果として不思議はありませんが、それでも当時のブームは本人たちにも戸惑いはあったようです。当時のオリコンチャートで、初登場から4週連続で1位獲得。この4週で売上200万枚を超えていたと記憶しています。
1999年の春は、シングルが「だんご3兄弟」、アルバムは宇多田ヒカル『First Love』の記録に話題が集中していました。夏になるとCMから坂本龍一の「energy flow」が収録されているシングル『ウラBTTB』がオリコン年間4位のヒットで癒しブーム到来、浜崎あゆみと鈴木あみが大ヒットして、秋以降はモーニング娘。が「LOVEマシーン」で大フィーバー。秋にはSPEEDの解散発表もあって本当に目まぐるしい1年でした。当時ヒットチャートを追う中高生時代の自分としては、特に「だんご」と「癒し」に関しては、慣れていたJ-POPとかけ離れた音楽のヒットに相当な戸惑いがあったというのが正直なところです。実際激動の音楽シーンだった1年であることは間違いなく、宇多田さん以降R&B色の強いヒットが増え、またDragon Ashのブレイクでロックミュージックにラップが入るのも少しずつ一般化され始めました(当時はまだミクスチャーでなく、ヒップホップと呼称されていましたが)。
・当日の紅白歌合戦のステージ
前半紅白各2組・計4組のパフォーマンスにゲスト審査員紹介があった後に、満を持す形で「だんご3兄弟」のパフォーマンスが始まります。紅組歌手として発表されたので、当日の名義は「茂森あゆみ・速水けんたろう」でした。CD他では速水さんの方が先に名前が来てるので、本来とは逆の形です。
ステージにはNHKの子ども向けキャラクターが総出演しています。『スプーとガタラット』のスプー、『ドレミファどーなっつ』のみど・ふぁど・れっしー・空男、『にこにこぷん』のじゃじゃまる・ぴっころ・ぽろり。その後ろには、50名ほどの子どもたちが一緒に歌います。今だったらバックに大きなアニメーション映像も入る所ですが、当時はLEDの映像がようやくセットに初めて組み込まれたという段階なのでそれは存在していません。
おそらくファミリーコンサートなどで歌ってはいたと思いますが、メディアで流れる「だんご3兄弟」は大多数が団子に顔が描かれたアニメーション映像。紅白で初めて、実際のパフォーマンスを見るという人も多くいたと思われます。少なくとも私はそうでした(当時4, 5歳の子どもを持つ親世代はそうでない人の方が多いかもしれません)。体全体を大きく使う踊りは歌詞とリンクしていて、良く言えばユニークそうでないとしたらシュール。J-POPとも演歌とも違う、独特の空間です。
ステージでは間奏に、cobaさんのアコーディオン演奏が加わります。その間2人は社交ダンス的な振付で、おそらくはこの紅白の為に準備された踊りを披露。もしかすると、この紅白以外ではパフォーマンスしていないかもしれません。したがって原曲2分5秒に対して、当日のパフォーマンスは2分41秒。ほとんどの場合紅白では演奏時間が原曲を下回りますが、このステージはその逆をいく極めて珍しい事例でした。
当然1999年紅白の前半の目玉となるべきステージでしたが、この回はSPEED紅白ラストステージというトピックが入ったのでそれにかき消されます。本番では更に全く余韻なしで次のステージ紹介に移ったとともに、対戦相手の白組はこれまたジャンルが全く異なる鳥羽一郎「足摺岬」。力を入れたステージ内容はともかく、全体の演出としては1999年空前のブームの割に随分扱いが軽いと感じたものです。この年の紅白の演出は、20年以上経った今でも納得いかない部分が他にもありましたが、それはまた別の機会で適当に触れることにします。
ちなみに『おかあさんといっしょ』絡みの曲が紅白で歌われるのはこれが初めて。『みんなのうた』を含めた子ども番組絡みの企画コーナーは近年の紅白でもよく登場しますが、意外にもこれ以前にはほとんどありませんでした。キャラクターがステージに登場した、という程度はありましたが…。
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