紅白歌合戦・西城秀樹の軌跡~ステージ編(1983~2001)~

第34回(1983年)「ギャランドゥ」

ステージ

作詞・作曲:もんたよしのり
前歌手:(オープニング)、岩崎宏美
後歌手:
柏原芳恵、野口五郎
曲紹介:鈴木健二(白組司会)
演奏:MARTY BAND

 初出場の時以来9年ぶりの白組トップバッター、当時は先攻でしたがこの時は岩崎宏美の後に歌う後攻でした。紅組全員の応援をバックに歌う岩崎さんと入れ替えで、こちらも白組歌手全員が後ろで応援します。

 当時は歌詞テロップ導入2年目、他の音楽番組でもまだこの文化は定着していません。誤記やミスも多く、「ギャランドゥ」のステージでは歌い出しが表記されずなぜか”その熟れた肌…”から始まる形になっています。

 銀色の衣装は肩にヒラヒラの飾りがつき、髪にも銀色のラメを入れています。前年からのショートヘアもこの頃には板についてきた様子。間奏ではテレビ実況が審査方法の紹介、演奏を担当するバンドのテロップも表示されました(ただバンドセットのステージ登場ではなく、おそらくセット裏だったと推測)。

 白組歌手は体を動かしながら手拍子の応援ですが、ラストサビのギャランドゥは全員で両手を動かしています。真後ろでは近藤真彦梅沢富美男が目立っています。白組司会の鈴木教授も一緒に参加、一体感のあるステージでした。なお後年発売のDVDには前年の「聖・少女」同様未収録となっています。

応援など

 冒頭は両軍司会が1人ずつそれぞれの出場歌手を紹介する形式ですが、タモリの開会宣言直後の引きの絵で遅れて雛壇に走る姿が確認できます。「不可能に挑戦することが私の青春でした」と鈴木健二アナがヒデキを紹介。

 紅白歌手全員が参加する「ビギン・ザ・ビギン」でもダンディーな歌声を聴かせています。小林幸子とペアになって踊る場面もありました。当然衣装は変わっていますが、髪に入れたラメの飾りはそのままです。

 「紅白俵つみ合戦」では赤いハッピで踊っているメンバーの1人だと思われますが、ほとんど顔が映っていなかったので違うかもしれません。童謡メドレーものぼりを持つシーンでちょっと出てくるだけで、3つある企画コーナーのうち2つはほぼ見せ場のない状況でした。

第35回(1984年)「抱きしめてジルバ」

ステージ

作詞・作曲:George Michael, Andrew Ridgeley
日本語詞:森田由美
前歌手:千 昌夫、河合奈保子
後歌手:研ナオコ、山本譲二
曲紹介:鈴木健二(白組司会)
演奏:MARTY-BAND

 Wham!の大ヒット曲「Careless Whisper」のカバー、異なる日本語詞で郷ひろみとの競作になりました。この時期は競作のヒットが多く、紅白でも2人の歌手による対決となった「浪花節だよ人生は」、また前年には「氷雨」「矢切の渡し」も各レーベルから多くの歌手によるレコードが発売されました。

 白いコートに黒いシャツ、マイクを持つ左手に手袋。そのマイクにも黒いバラの飾りをつけています。この年はMARTY-BANDもステージに登場、2人の女性コーラスも従えています。

 紅白で歌うバラードは4年ぶりですが、激情型だった当時とは曲調が大きく異なります。大人の色気で聴かせる歌声は、1970年代とは違う新しい魅力に満ち溢れていました。全体的に渋い内容ですが、Cメロの熱唱には以前のような雰囲気もしっかり残っています。

 「ギャランドゥ」以降シングルの売上が低下傾向に入り、この年は出場歌手の選出も最後の2組で滑り込みという形でした。ただこの曲は話題性も楽曲の内容も抜群で、しっかりロングセラーを記録しています。もっとも翌年も似たような状況で安全地帯山本譲二新沼謙治と「ご意見を伺う会」(当落線上のメンバーは当時各界の識者と言われた彼らの意見を参考にしていました)で討議した結果、次点2番手で落選という形になっています。

応援など

 オープニングは曲順通り・対戦カードごとに1組ずつ入場。「爽やかさのぶつかり合い」と紹介された対戦相手は河合奈保子「目いっぱい燃えます!」とピンクのスーツ姿でメッセージ。なお河合さんは「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」をきっかけに芸能界入り。事務所の後輩であると同時に、パフォーマンスに秀でた実力派アイドルという面でも共通しています。

 前半の企画コーナー「紅白こいこい節」では、太鼓を叩きながらダンスするパフォーマンスを見せています。他の企画コーナー出演は、ねぶたが登場する場面で少し手伝った程度でした。確かに1970年代と比べると、歌以外で目立つ場面は減っているような気はします。

第45回(1994年)「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」

ステージ

作詞:V. Willis – H. Belolo
訳詞:あまがいりゅうじ
 作曲:J. Morali
前歌手:郷ひろみ、森高千里
後歌手:細川たかし、坂本冬美

曲紹介:古舘伊知郎(白組司会)
踊り:B.M.C.ダンサーズ、シェイプUPガールズ 振付:山田 卓

 時を経て10年ぶりの紅白歌合戦復帰。この年は出場歌手の入れ替えが多く、特にポップス系のベテラン再出場が目立ちました。郷ひろみ松田聖子沢田研二が同様に久々の出場となっています。

 紅白に出場しなかった期間も音楽活動は精力的で、特にアジアでの活動が話題になりました。また1991年には『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ「走れ正直者」が大きな話題になっています。一度でいいからリンリンランランソーセージと紅白で歌う姿も見てみたかった、と個人的には思っています。

 さてこのステージは藤谷美和子・大内義昭郷ひろみ森高千里と4曲ぶっ続けの演出のラストを飾る形になりました。森高さんが巨大なウエディングケーキのセットの上で「素敵な誕生日」を歌う非常に凝った舞台でしたが、その下段からダンサーが登場。繋ぎの音楽として「ちぎれた愛」のイントロが流れます。舞台上でダンスを披露、その間に古舘さんが曲紹介。「さあ、ヤングマンが10年の時を経て、アダルトにリニューアル!パワーアップしたヒデキの登場、ヤングマン!」

 ダンサーの視線は上を向きます。カメラがそこに向けると、なんとワイヤーを持ちながら天井から降りてくるヒデキの姿。第33回の郷ひろみや第34回の松田聖子、聖子さんはこの年も天井から降りてくる水晶玉の中から登場するステージでしたが、ワイヤーに捕まりながら降りる登場はこの時のヒデキが初めてです。運動神経抜群の彼だからこそ出来る演出で、高所恐怖症ならば絶対に実現不可能なオープニングです。

 白いコートを着ての登場ですが、すぐに脱いでスーツ姿に切り替わります。当時のヒデキは西友のCMでお馴染み、スーツ姿だと一瞬西友の店長が歌っているように見えます。それくらい当時のCMがハマっていた、ということで…。コミカルな部分は『寺内貫太郎一家』『8時だョ!全員集合』などで1970年代から多々見せていますが、紅白歌合戦でもステージ以外では平成以降そういった側面が少し強くなります。

 ダンサーの1人がマイクスタンドを用意してヤングマン、宝塚風のダンサーが会場を盛り上げます。ウエディングケーキのセットはそのままで、15年前と比べると華麗さが確実に増しています。当然あの時のような超高速テンポではなく、歌唱も当時と違って落ち着いた物です。あとは観客席でもかなりの人数が一緒にYMCAと手を動かしていました。

 白いへそ出し衣装のシェイプUPガールズの4人も一緒に踊っています。ここで出演させた意図はよく分かりませんが、当時バラエティ番組などで見る機会は非常に多かったです。

応援など

 この年は余興が少ない回だったので、歌以外で目立つ場面は多くありません。オープニングはヒデキやジュリーのいた白組端の部分がほとんど映らず、彼らのファンにとっては若干不満の残るカメラワークだったような気がします。

 エンディングも端の方でしたが、「蛍の光」の指揮を担当する宮川泰の近くという立ち位置。こちらではチェック柄のスーツを着こなすヒデキの姿をバッチリ確認できます。

第46回(1995年)「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」

ステージ

作詞:V. Willis – H. Belolo
訳詞:あまがいりゅうじ
 作曲:J. Morali
前歌手:吉 幾三、大月みやこ
後歌手:中村美律子、鳥羽一郎

曲紹介:古舘伊知郎(白組司会)
踊り:B.M.C.ダンサーズ 振付:山田 卓

 2年連続ヤングマンという、当時では異例の選曲になりました。ロングセラーだと「柔」「北の宿から」「風雪ながれ旅」など演歌中心にいくつか例はありますが、ポップスの過去曲では非常に珍しい選曲です。演歌を含めても第32回・第33回の加山雄三「君といつまでも」以来2度目で、メドレー抜きの単曲では史上初となります。もっとも後年は「兄弟船」「河内おとこ節」「さそり座の女」「君は薔薇より美しい」など、演歌中心にそこまで珍しい選曲でも無くなりましたが…。

 この年の曲前は、当時古舘さんが司会を担当した『クイズ日本人の質問』スタイルの台本。東京都の山崎・チャールズ・明さんからの「西城さんは「Y.M.C.A.」にどんな思いを込めてるの?」という質問に4人のものしり博士(高橋英樹・大桃美代子・矢崎滋・桂文珍)が答える形式になっています(ただし高橋さんはハワイにいるので欠席)。「いや、まーいっかー(矢崎)」「やっぱり負ける今年は紅!(文珍)」という案も出る中で、正解は「ヤング・メンズ・クリエイティヴ・アクションと捉えてみんなで元気になろうという思いを込めて歌っているんですよね」と話した大桃博士が正解でした。

 というわけでステージ開始、この年は前年とは違う真っ赤な服装で決めています。ヤングマンと歌ってはいますが、雰囲気はまさしくアダルトでした。ただダンサーは本当に若々しい女の子がメインになっています。振付・踊りの名義は前回と同様ですが、衣装や振付はかなり変えています。

 1番ラストでコートを脱ぎ、間奏では今回の紅白のみで見せる形となったダンスも披露。メロディーも独自に新しい物になっています。2番直前で帽子を投げ捨てると、さすがに前半と比べて若々しい姿になります。ちなみにステージ構成は第30回当時1番+3番+ラストでしたが、前年とこの年は3番ではなく2番の歌唱でした。

 ダンサーはメインのステージだけでなく3段式のセット、さらに客席通路にも配置されています。前回は多くの観客も一緒に踊るYMCAですが、この回はスタッフの指示がなかったのが単純にノリが悪いのか、一緒に手を動かしていた観客はほとんどいませんでした。

 最後は男性ダンサーに掲げられて決めポーズ。鮮やかに決まっています。1980年代中盤の小柳ルミ子のステージでよく見られた振付ですが、振付担当の山田卓は当時のルミ子さんと同様でした。

応援など

 オープニングは白スーツ、その後は黒っぽい衣装にマフラー。小沢健二「ラブリー」では他の白組歌手同様ノリノリで応援している姿が見られます。エンディングは前方の目立つ位置、盟友の郷ひろみとツーショットで審査結果を見守る様子が確認できます。

第48回(1997年)「moment」

ステージ

作詞:Goro Matsui 作曲:YOSHIKI
前歌手:Le Couple、(ショーコーナー)、DREAMS COME TRUE
後歌手:天童よしみ、美川憲一

曲紹介:中居正広(白組司会)、木村拓哉

 前年は落選でしたが、この年2年ぶりに復帰。YOSHIKIが他歌手に初めて提供した「moment」が話題になりました。東京ドームのラストライヴ後、X JAPANの紅白ステージも6組後に控えている状況でしたが、キーボードの演奏で参加しています。歌前トークあり、デビュー25周年のヒデキは中居正広木村拓哉が生まれた年でもあります。「僕たちのカッコいい兄貴」と紹介する中居さん、ヒデキ本人は「まだ歌ってますからね、通過点ですね僕には」とコメントしています。

 真っ白なコートのような衣装で、落ち着きのあるバラードをじっくり熱唱します。ラストサビで右手を動かすと、照明が星空のバックに切り替わるという演出でした。

応援など

 この年のトップバッターは両組とも出場歌手全員が後ろで応援する演出でした。「WHITE BREATH」で初出場のT.M.Revolutionは、3年前のヒデキ同様ワイヤーで天井から降りるオープニングになっています。これが3年前の紅白からインスパイアされた発想なのかどうかは不明ですが、西川さんは歌番組でたびたび西城さんの曲をカバーしていて共演歴もあり。少なくとも彼が影響を受けたアーティストであることは間違いありません。

 当のヒデキは超ノリノリの木村拓哉とクールなキャラを頑なに守る反町隆史に挟まれるという、なかなか難しい立ち位置でした。その近くには河村隆一もいて、当時の芸能界トップクラスのイケメンが並び立つ空間になっています。

 データ&エピソード編でも紹介しましたが、この年のヒデキは楽器を演奏するシーンが目立っています。まずは前半ラスト、南こうせつ「うちのお父さん」のステージ。白組歌手全員が何かしらの楽器を演奏するステージで、河村隆一と一緒にギターを弾いています。河村さんはこの年に紅白初出場、右も左も分からない中で最初に話しかけて頂いたのが西城さんだったと後年話しています。お互い親交を深めたきっかけが、まさにこの時の紅白歌合戦でした。

 後半では加山雄三の還暦を祝うステージで、なんとドラムの演奏を披露。シャ乱Qまこととダブルドラム形式ですが、ソロの出場歌手がドラムを叩くシーンは紅白史上この時くらいしか見られません。1980年代の企画コーナーでは三味線や太鼓の演奏はあってもドラムは無く、そもそも歌手全員がバンド演奏するという演出自体がレアではあるのですが…。本職のドラマー以外が紅白でドラムを演奏している場面は、それこそ第70回(2019年)のチコちゃんくらいしか存在しません。

第49回(1998年)「傷だらけのローラ」

ステージ

作詞:さいとう大三 作曲:馬飼野康二
前歌手:山本譲二、(ショーコーナー)、Every Little Thing
後歌手:香西かおり、吉 幾三

曲紹介:中居正広(白組司会)、T.M.Revolution

 T.M.Revolutionの西川さんが曲紹介に参加。この後に歌う「♪ローラ~」を一節披露しています。「永遠のヒット曲でございます」という曲紹介が入りました。なおこの年以降曲順は後半ではなく当時第1部と呼ばれた前半、「傷だらけのローラ」は21時またぎの時間帯で歌唱する形になりました。

 エレキギターとキーボードが響き渡るアレンジ、心なしか会場にいる女性ファンと思われるコーラスも大きめです。本人が歌った後に”ローラ~”と一緒に歌う声も放送に乗りました。

 Aメロを歌い終わった後、紅白歌合戦では珍しい爆破演出が入ります。第28回の「ボタンを外せ」で初めて導入されたこの演出は、平成も2桁の年代に入ると爆音も入って大きく進化しました。ちなみにMステスーパーライブでB’zがさらに凄い形で取り入れるようになったのは2001年です。当時とは違うロックアレンジで長い間奏、しばし直立不動で佇んだ後に体全体を使うアクションは神々しいまでのオーラがありました。衣装から発せられる音がマイクにも入っています。

 24年ぶりに披露された「傷だらけのローラ」は、間違いなく当時と比べても格段に進化を遂げたステージでした。セット以外に何も余計な物が存在しない舞台演出も、ヒデキの凄さを際立たせています。この年の紅白歌合戦は平成の中でも特に優れた内容で視聴率も高かったですが、谷村新司「チャンピオン」や郷ひろみ「セクシー・ユー」など過去曲のアレンジも突出して素晴らしい年でもありました。唯一もうひとつだったのは台本(これはこの時期ほぼ共通ですが)で、演奏終わってすぐに「はい、いとしのダーリン、西城秀樹さんでしたー」と独自の口調で山田花子が喋って今いくよ・くるよ師匠と騒ぐ展開は、余韻台無しと感じた人もいたかもしれません。

応援など

 オープニング、かなり細かいシーンですが司会者が喋っている後ろで、身長が低いT.M.Revolutionの西川さんをおんぶしているシーンが映っています。その後ろにはLUNA SEAのメンバー、当時ややアウェイ気味だったJ-POP勢にとって西城さんが心強い存在であることを象徴している場面のように見えます。

 後半では忠臣蔵のショーに参加。紅組側へ討ち入りしようとする展開で、忍者に扮した山田花子「ヒデキ、わたしと結婚してー!」と抱きつく猛アプローチ。今いくよ・くるよ師匠が止めに入る展開に、ヒデキもタジタジになっていました。タスキは岡島八十右衛門の名前、その後は紅組側の菊地剣友会を相手に見事な殺陣を披露しています。

 細かい場面をもう一つ。この年はさだまさしが「北の国から ’98」を歌唱しますが、その際に中居さんが「歌詞のない歌」と紹介します。真後ろにいた西城さん、中居さんが喋る後ろで「歌詞のない歌って…」と思わず呟いている場面がしっかり映っていました。

第50回(1999年)「バイラモス」

ステージ

日本語詞:根津洋子 作曲:PAUL BARRY & MARK TAYLOR
前歌手:山川 豊、香西かおり
後歌手:中村美律子Kiroro

曲紹介:中村勘九郎(白組司会)、草彅 剛
踊り:宝塚歌劇団月組 振付:山田 卓

 曲前に草彅剛がアメリカでも大人気のポケットモンスターを紹介。ピカチュウ・ヒトカゲ・エレキッドが舞台袖に登場します。例のごとく「ピカ、ピカチュウ!」という声を発していますが、草彅さんの訳によると「今日は白組が大勝利だ」ということです。「ポケモンは若い方にも大人気。この方は若い若い。私と同い年44歳なのに。西城秀樹さん、曲は「バイラモス」!」。かなり無理のある曲紹介ですが、同い年の勘九郎さんはヒデキさんより若い57歳で亡くなっているので、いまあらためて見直すと悲しい気分にもなる内容です。

 リッキー・マーティンのカバーである「GOLDFINGER ’99」が郷ひろみの歌唱で大ヒットしましたが、「バイラモス」もエンリケ・イグレシアスのヒット曲のカバーで話題になりました。この年は『∀ガンダム』の「ターンAターン」も発売、1990年代の中では特に新しい曲が話題になった年でした。

 スペインで大ヒットした楽曲は日本語カバーですが、オープニングのセリフはスペイン語です。1回転してマイクスタンドに向かう姿が絵になっています。あくまで個人的な見解ですが、パフォーマンスのカッコ良さは「GOLDFINGER ’99」よりこちらの方が明らかに上です。

 紅白のステージでは宝塚歌劇団月組のダンスも加わりました。大人の雰囲気が、宝塚のダンスによってさらに増幅されています。ただ途中縦一列の「Choo Choo TRAIN」方式の振付になっていたのはちょっとツッコミを入れたくなりました。直後間髪入れずに演奏される曲が全く逆の楽曲である中村美律子「河内酒」だったので、ラストに準備で入場した和服の花柳糸之社中が入らざるを得なかったのも惜しい部分だったでしょうか。

応援など

 この年前半ラストは「21世紀の君たちへ~A Song for Children~」の全員合唱でした。Every Little Thing持田香織と2人だけで歌う場面が前半にあります。

 後半は歌舞伎をテーマにした企画コーナーに出演。DA PUMPの4人が歌舞伎メイクで演技を披露後、「今の4人は確かにDA PUMP。それじゃヒデキも急ごうか」と藁のような物を身に着けて登場。その後傘をさした1人と合流して早替え披露、見事な見栄を切りながら「ヒデキ、カンゲキ!」。拍手と笑いが入り混じった観客の反応、本人は苦笑いの表情を浮かべていました。

第51回(2000年)「ブルースカイブルー」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:馬飼野康二
前歌手:さだまさし、長山洋子
後歌手:Every Little Thing、鳥羽一郎

曲紹介:和泉元彌(白組司会)、ポルノグラフィティ、19

 第29回以来22年ぶりに紅白で披露となった「ブルースカイブルー」ですが、当時は広島県出身の歌手が3人も初出場を果たしていました。偶然でしょうかこの年もポルノグラフィティが「サウダージ」で初登場、19も2年連続出場で広島出身の歌手が揃っています。そんな5人が曲紹介。「僕らポルノグラフィティと19の育った、広島出身の先輩」「西城秀樹さんです」。自身のステージは既に終えていますが、喋りを担当するアキヒトさんはかなり緊張気味です。

 パイプオルガンの演奏から始まるオープニング、「傷だらけのローラ」と同様こちらも演奏がアップデートされています。オーケストラに近いアレンジは大人の雰囲気。22年前ほど多くはありませんが、白いドライアイスがステージ上に広がる演出は当時と同様です。

 熱唱ですが歌い上げる場面やアクションはヒット当時より少なく、一つ一つの言葉を大切に噛みしめながら歌う姿が印象的でした。ステージの歌詞構成は当時と同じですがテンポは原曲と同様で、途中から速くなることは決して無く、ラストはフィナーレにふさわしい紅白オリジナルのアレンジも入りました。どちらかというと、番組前半ではなく後半のトリ少し前くらいで見せるべき内容でもあります。

 前々回の「傷だらけのローラ」は余韻全く無しという状況ですが、この時は一拍間を置いて紅組司会の久保純子が次の進行。その声で応援の藤井隆(この年白組歌手として初出場)が加わって喋り始めるという段取りでした。これも細かい部分ですが、2年前の反省がしっかり活かされている名場面となっています。

応援など

 この年はJ-POP歌手より演歌歌手との共演がやや目立っています。前半のディズニーをテーマにしたショーコーナーで「SING SING SING」を一緒に歌った歌手は、前川清細川たかしでした。前半もう一つ組まれた『ライオンキング』のコーナーでは、ステージのエキストラの一員として参加している姿が見られます。全員合唱「上を向いて歩こう」でマイクを共用した相手は、初出場の小柳ゆきでした。

 後半は民謡歌合戦に参加している姿が見られます。もっとも白組J-POP勢でこのコーナー参加したのは、西城さんとDA PUMP野猿のスタッフメンバーくらいでした。

第52回(2001年)「Jasmine」

ステージ

作詞:Michiko Yoshida 作曲:Я・K
前歌手:吉 幾三、長山洋子
後歌手:伍代夏子、布施 明

曲紹介:阿部 渉(白組司会)

 デビュー30周年、結婚と翌年の新しい家族の誕生を阿部アナにお祝いされます。この年の紅白で新たに設けられた出場歌手のメッセージは、「暗い事件とか色々ありましたけども、やはり我々中年が元気を出して頑張れば、来年はもっといい年になると思います」

 結婚を祝す内容の楽曲を提供した河村隆一がピアノ演奏を担当。LUNA SEAは前年に解散、この年ソロ活動再開で4年ぶりに白組歌手としての出場となっています。全体的にやや暗めの照明演出ですが、間奏では結婚を祝うかのような大量の花火放射演出が加わって一気に明るくなります。

 河村さんのバラードは自身の曲でも歌い上げるタイプのメロディーが多いですが、西城さんが歌う「Jasmine」も同様でした。観客の拍手も間奏・さらに歌い終わってすぐに入ります。それだけダイレクトに西城さんの歌声が、会場に響き渡ったということです。

 CD売上が下がっていた状況ではあるので、翌年の紅白で見られなくなると想像した人はいたと思います。ただこれが生涯最後の紅白になると考えた人は、おそらくいなかったのではないでしょうか。

応援など

 河村さんがピアノで西城さんを応援したように、西城さんも河村さんが歌う前に応援で登場。彼の熱いメッセージに、「そんなこと言われると、ヒデキ、カンゲキだな」とカメラに向かってピースする秀樹さんでした。そのまま「音楽・そしてルックス。天が二物を与えた男・河村隆一、「ジュリア」」と曲紹介も担当しています。この場面以外でも少年少女聖歌隊のコーナー、さらにエンディングでも当日は終始隣りにいる仲の良さでした。

 後半では翌年開催のFIFAワールドカップに因んだショーコーナーに登場。加山雄三やダンサーと一緒に、アフリカ音楽を奏でる姿が見られます。

 この年はザ・ドリフターズが歌手として出場。全員集合では常連中の常連だったので、彼らの曲紹介にも登場。「カトちゃんペ」を披露しています。少年少女聖歌隊のコーナーにももちろん参加。さらに美川憲一の紹介では加藤茶が「ちょっとだけよ、アンタも好きねぇ」にツッコミを入れたり、クシャミに合わせてズッコケを披露したりの大活躍でした。

おわりに

 脳梗塞が発症したのは2003年、それ以降の歌手活動はリハビリと並行するという形になりました。2011年にも再発がありましたが、双方とも不屈の精神でステージに再登場を果たす形となっています。

 沢田研二、あるいは吉田拓郎や南こうせつなども同様ですが、西城さんは日本のコンサート史においても非常に重要な存在です。大阪球場や後楽園球場といったスタジアムライブを単独で敢行したのは、日本のアーティストだと西城さんが初となっています。そのパフォーマンスは当然、紅白歌合戦のステージでもふんだんに活かされる結果となりました。

 21世紀以降はコンサートビジネスが20世紀と比べても大きく発展して、規模もどんどん拡大傾向にありました。あまりこういう形の仮定を述べるべきではないかもしれないですが、もし病気による体調不良が無ければ現在も第一線で毎年のように全国ツアーを開催していたことは間違いなく、ロックフェス等へのゲスト出演もあったのではないかと思われます。本文でもT.M.Revolutionとの関係を紹介しましたが、おそらく健在ならば一回は西川さんが主催するイナズマロックフェスに出ていたものと思われます。1990年代の紅白は河村隆一との関係が象徴していますが、若いJ-POP歌手との交流も活動において大きなハイライトになっていました。現在も大御所だと和田アキ子郷ひろみなどが盛んに若手と交流していますが、おそらく西城さんもそういった存在になっていたものと思われます。

 デビュー50周年、本人はいなくなりましたが熱狂的な人気はいまだに変わらず健在です。既にアップした記事には、他の歌手特集以上に大きなアクセスを頂いています。そういった方々が活動し続ける限り、西城秀樹のスピリットは後世にもしっかり伝わっていく…そんな予感がします。紅白歌合戦だけでなくJ-POPの歴史を築いた歌手の1人として、その偉業は永遠に語り継ぐ必要がありそうです。

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