紅白名言集解説・29~もはや放送事故~


 1990年紅白歌合戦、伝説のやり取り。ニュースが終わって21時、大画面のモニターに映っているのは芝浦の夜景。紅組司会の三田佳子さんが、これから歌う宮沢りえさんに向かって話していますが、声は聴こえるものの姿を全く見せません。会話さえも成立しているかどうか怪しい状況です。その後にも三田さんが「顔が見えないー」と呟くなど収拾がつかぬまま、「Game」のイントロが流れ始めます。アップで映るりえさんの顔、なんとバスタブの中で歌っています。これまでの紅白歌合戦では全く想像出来なかったステージ、驚きを通り越して唖然とした人が大多数だったのではないでしょうか。

 

1990年の紅白歌合戦の前例の無さ

 そもそもこの年の紅白歌合戦は異例なことだらけで、スタッフもかなり手探りな状況が多かったように見えました。

  1. そもそもその年の紅白歌合戦全体を2部制、7時台開始で作るのが初めて
  2. とにかく海外アーティストもこぞって出演させようとした
  3. その結果、数組は最初の歌手発表より追加される形となった
  4. アメリカ・ドイツ・韓国など各国からの中継をふんだんに取り入れる
  5. 中継は海外のみならず、国内からの物もあった
  6. 「21世紀に残したい名曲」と題して、アンケート上位の懐かしい曲・懐かしい歌手の復帰を積極的に行う
  7. 演奏時間も柔軟に決められる、最長は長渕剛の約15分
  8. 紅白29組ずつ選出は当時史上最多、ただ大半演歌系でまとめた10時40分以降は曲紹介カットが相次いだ
  9. そもそもこの年の紅白、島桂次会長の意向でラストになる可能性もあったらしい。地球規模の紅白を作れ、というのは会長の指示

 長渕さんが本番で思いっきりスタッフ批判する場面もありましたが(これはこれで後々記事にすることを考えています)、結局のところ報道出身の会長の高い志に現場が全くついていけなかった、というのが真相だと思われます。ちなみに島会長は翌年色々あって辞任。昭和の紅白に深く携わっていた後任の川口幹夫会長の下で、2部制という形をそのままに、平成の紅白を少しずつ作り上げていくことになります。

1990年の宮沢りえ

 当時の宮沢さんは超人気の若手女優で17歳。この年は主演したフジテレビのドラマ『いつも誰かに恋してるッ!』『いつか誰かと朝帰りッ』が大ヒット、セリフの「ぶっ飛び」は当時流行語になりました。また前年「ドリーム・ラッシュ」で歌手としてデビュー、この年も両ドラマの主題歌「NO TITLIST」「Game」がヒットして、結果後者の主題歌が選曲されたという形となります。

 そして、りえさんと共にもしくはそれ以上に当時話題になっていたのが「りえママ」。翌年のヘアヌード写真集『Santa Fe』に代表される奇抜な活動の裏には、常にマネージャーの母親の存在がありました。貴花田(当時・後の横綱貴乃花)との婚約騒動もありましたね。今は実力派女優として完全に定着していますが、当時は芸能マスコミの格好の的でした。

紅白本番のステージ

 歌手として選ばれたはいいのですが、演出は完全シークレット。前日のリハーサルにも姿を見せなかった、という当時の記事もあります。曲順は後半、当時でいう第2部。ニュース明け21時ジャストに始まる注目の時間帯。大晦日本番、映ったのは冒頭で紹介したやり取り。

 バスタブで歌うりえさん、泡風呂に入っている状況でセクシーショット。芝浦のビルから放たれる無数の光、そこから生中継されていることが分かります。歌はおそらく事前録りと思われますが…。外国人の生バンドもいますが、こちらもおそらくアテブリのように見えます。後半に入り、りえさんはバスタブから出てきます。当然全裸とか水着とかではなく、エメラルドグリーンのドレスを着ています。バスタオル姿をイメージしたような感じもあるでしょうか。その格好でカメラにキスしたりポラロイドカメラで撮影したりするなど、やりたい放題。紅白どころか音楽番組全体で考えても前代未聞のステージで、NHKには本番中からステージ後も様々な電話が殺到。その中には抗議の内容も多かったと言われています。このステージと長渕さんの例の件で懲りたのもあったでしょうか、その後紅白での中継ステージはより技術が進歩して段取りも安定した2002年まで待つ形になりました。

 貴花田関との婚約解消以降一気に人気を落とし、一時期活動休止状態にまで追い込まれますが、映画『たそがれ清兵衛』好演以降は人気実力ともに最高級の女優として現在まで活躍しています。本来ならどこかの年で紅白歌合戦のゲスト審査員出演もあり得る話ですが、良くも悪くもこの時のステージが話題になり過ぎた以上、今後も起用される可能性は極めて低そうな気がします…。

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