最近はおかげさまでトレンドに恵まれているので、あえて今回の紅白名言集は全くそれとは関係ない古い話。和田弘とマヒナスターズについて語ることにします。

 

和田弘とマヒナスターズについて~簡単な歴史

 1960年代にヒットしたムード歌謡グループ。紅白歌合戦には第10回(1959年)から第18回(1967年)まで9年連続出場。1953年に結成された「山口銀次とマヒナスターズ」が母体で、翌年山口さんが脱退して和田弘がリーダーになることで和田弘とマヒナスターズというグループ名になります。ムード歌謡の第一人者として、1960年代に一時代を築き上げました。グループだけでなく、女性ボーカルを迎えてのヒット曲が多いことも特徴です(これが当時の紅白歌合戦にとってなかなかの問題でした)。1967年にレコード会社移籍後ヒットが無くなって紅白落選、その一方で鶴岡雅義と東京ロマンチカ、内山田洋とクール・ファイブなど多くのムード歌謡グループがデビューして大ヒットを果たしました。それ以降については各自Wikipediaを見てもらえれば分かりますが、結構ややこしい歴史を辿っています。メンバーにスキャンダルがあった、とかいう話も聞いたことありますが、細かくは自分も分かりません。

 

和田弘とマヒナスターズについて~メンバー

1.和田弘

 リーダーです。スチールギター(水平に置いて弾くギター)演奏担当。コーラス担当はなく、基本的に固定マイクから離れた位置に立って演奏していました。

2.松平直樹

 メインボーカルです。笑顔と髪型が特徴的な人です。

3.三原さと志

 メインボーカルです。Cornelius・小山田圭吾さんの父親です。

4.佐々木敢一

 ウクレレ担当です。裏声を出せる高音コーラス、紅白では女性ボーカルの代わりになるような場面もしばしば。立ち位置は画面向かって一番左側。

5.山田競生

 ベース担当です。現在のロックバンドでいうベースではなく、コントラバスを使っていました。コーラスも担当。立ち位置は右から2番目。

6.日高利昭

 ギター担当です。立ち位置は一番右端、見切れることも多め。  その他脱退したり追加もあったりしますが、映像の残っている第14回~第18回は概ねこの6人が正式メンバーでした。なお彼らがヒットしていた当時は一人一人マイクなど用意されていない時代で、1本のスタンドマイクに5人が集まって歌うというのが定番のスタイルとなっています。

 

和田弘とマヒナスターズについて~ヒット曲

 さてそろそろ本題。和田弘とマヒナスターズ(以下マヒナと表記)の紅白の選曲は毎年なかなか大変でした。以下、紅白で歌われた楽曲とおおよそ考えられる選曲理由を併記します。

年度 該当回 歌唱曲 他のヒット曲 特記事項
1959年 第10回 夜霧の空の終着港 泣かないで、グッド・ナイト  
1960年 第11回 お百度こいさん 誰よりも君を愛す レコード大賞受賞の「誰よりも君を愛す」は、デュエット相手の松尾和子ソロで歌唱
1961年 第12回 惚れたって駄目よ 北上夜曲 多摩幸子とのデュエットで大ヒットの「北上夜曲」は、競作相手のダーク・ダックスが歌唱
1962年 第13回 泣かせるね 寒い朝 「寒い朝」は、デュエット相手の吉永小百合ソロで歌唱
1963年 第14回 男ならやってみな 島のブルース、泣きぼくろ 「島のブルース」は、デュエット相手の三沢あけみソロで歌唱
1964年 第15回 お座敷小唄 ウナ・セラ・ディ東京 「ウナ・セラ・ディ東京」は競作相手のザ・ピーナッツが歌唱、「お座敷小唄」は松尾和子とのデュエットだがマヒナのみ
1965年 第16回 愛して愛して愛しちゃったのよ ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー 田代美代子とのデュエットだがマヒナのみ、その結果紅組歌手に野次られる
1966年 第17回 銀座ブルース 涙くんさよなら、ここがいいのよ 松尾和子とのデュエットだがマヒナのみ、「ここがいいのよ」はデュエット相手の田代美代子ソロで歌唱
1967年 第18回 男の夜曲    

 複数曲目立つヒットがあった前半は、デュエット曲を紅組歌手に歌わせてマヒナは自分たちのみで歌う曲で対応出来ました。ただ「お座敷小唄」「愛して愛して愛しちゃったのよ」くらいになると国民的ヒットという状況だったので、紅白では欠かせないけどデュエットには出来ない、という結果がこの選曲でした。また松尾和子さんは第11回~第13回のみで第14回落選、その後ソロでのヒットがない状況。田代美代子さんはまだソロ曲ヒットが当時なかったこともあって紅組歌手として選ぶことが出来ずマヒナに歌ってもらった、というのが後年から見た見解です。

 

長くなりましたが、ツイートの解説

 というわけで、冒頭紹介したツイートは第17回、「銀座ブルース」を本来松尾和子さんと一緒にうたうはずが選ばれなかったことで、ウクレレ裏声担当・佐々木敢一さんが松尾さんのパートを女声で歌って、間奏でメインボーカル・松平直樹さんにちょっかいをかけられた時に出てきた名言となります。2番では佐々木さんが歌おうとすると横に追いやられたり口を押さえられたりする場面も発生しました。その様子はなかなかコミカルで、当時の状況を逆手に取った遊び心、と言っても良さそうです。

 

その後~紅白デュエットの歴史

 男女混合グループ・ピンキーとキラーズが歌う「恋の季節」が空前の大ヒットになると流石に紅白に選ばないという訳にもいかなかった状況で、今陽子メインボーカルだから紅組で初出場という形になりました。これが紅組初の男性メンバーとなります。1968年・第19回。  さらに翌年男女デュオのヒットが多く生まれはじめました。ひとまず1969年は無選出でしたが翌年もその勢いは増して無視できないものになり、結果トワ・エ・モアが紅組、ヒデとロザンナが白組から初出場しました。1970年・第21回。これが紅白デュエット初解禁です。  ゲストボーカルに関しては、「浪花恋しぐれ」がヒットした際に都はるみの相手として岡千秋が、菅原洋一「アマン」の相手としてシルヴィアが出演しています。1983年・第34回。これが紅白初のゲストボーカルです。  そして昭和を振り返る平成元年の紅白。29年ぶりに歌われた「誰よりも君を愛す」で、松尾和子と和田弘とマヒナスターズのデュエットがついに実現する形になりました。ちなみに枠としては紅組、したがってマヒナは紅白史上初めて白組紅組両方から出場した歌手となります。1989年・第40回。  紅白対等の立場で歌われた初のデュエットは堀内孝雄・桂銀淑「都会の天使たち」で1992年・第43回。なんだかんだでもう29年前です。

 近年紅白のボーダレス化が進んでいると言われていますが、振り返ると急な話ではなく長年にかけて少しずつ進んでいることがよく分かると思います。

 そんなわけで、一つのツイートの解説から派生して随分大きな話になってしまいました。直接マヒナスターズを知らない人にも、こういう歴史があったんだなぁと感じてもらえれば幸いです。