東日本大震災から10年・2011年3月の東北写真集

 今日は通常更新をお休みして、ちょっとしたコラムをお送りします。

 Twitterでも触れましたが、ちょうど東日本大震災が起きた時は1週間東北~北海道を鉄道旅で帰る途中。14時46分、地震が起きた時は飯田線の普通電車に乗っていて、場所は愛知県の湯谷温泉駅付近だったと思います。震度3くらいは観測されていたはずですが、特に何事もなく運行していました。地震が起きたのを知ったのは親からの電話で、震度7という言葉に大きく驚いた記憶があります。幸い自分はそのまま豊橋から在来線で関西に帰宅できましたが、豊橋より東の東海道線は津波が来る可能性もあったので新幹線も含めて運行ストップ。帰りの道中で気が気でなかったのは、言うまでもありません。

 今回はその2011年3月に訪れた旅の写真を公開したいと思います。行程では長野電鉄や北海道も回りましたが、記事の趣旨に基づいて今回は東北のみのアップにします。数が多いので写真は小さめにしてますが、クリックすれば別ウィンドウの大きい画面で見ることができます。

・3月5日の写真


 この日は新潟から米坂線を経由して東北地方に入りました。写真は今泉駅。


 山形駅は予想した以上に大きな駅舎でした。


 山形駅前のデパート・十字屋は2018年に閉店したとのことです。


 当時山形在住の友人に、日帰り温泉施設・百目鬼温泉に連れて行ってもらいました。山形駅からバスで15分ほどの距離です。


 この日の夜は山形屋台村・ほっとなる横丁で羽付き円盤餃子を頂きました。

・3月6日の写真


 山形で宿泊後、午前中は普通電車で移動。仙台へ向かう仙山線も、現在は車両が代わっています。


 一ノ関駅。ちなみに平泉はこの3ヶ月後に世界遺産へ登録されました。


 盛岡駅にて。もちろん当時はこれが連続テレビ小説の題材になるなど想像もせず…。


 この日の目的地は八戸駅。駅自体は中心地から外れています。


 中心街に当時新しく出来た八戸ポータルミュージアムはっちでは、ご当地グルメフェアをやっていました。八戸名物のせんべい汁や久慈名物のまめぶ汁を食べたのは、この時が初めてです。というよりまめぶ汁に関してはこの時に初めて知りました。


 八戸のみろく横丁も、大変インパクトの大きい場所でした。また足を運びたいです。


 この日は夜に青森まで移動して、そのまま寝台急行はまなす号で車中泊。北海道新幹線が開通する前、この列車に乗ったのも遠い昔のようです。

 

・3月9日の写真


 北海道から、再びはまなす号で青森駅に戻りました。写真は函館駅。


 奥羽本線・羽越本線・陸羽西線を経て新庄駅に到着。ここまでの行程は順調でした。


 そのまま陸羽東線に乗りますが、最上駅で20分近く待ちぼうけをくらいます。この日11時45分頃にM7.3の地震が発生していて、その影響が出た形でした。


 したがって、予定していた鳴子温泉駅での接続は無くなり、約1時間待ち。当日はいわきで宿泊、日が暮れて少し経つ頃に到着する予定でしたが、結果仙台駅以降の常磐線はほとんど車窓を見れない形になります。


 仙台駅の到着は17時30分過ぎ。大雪が舞っています。


 常磐線の原ノ町行きは亘理を過ぎた辺りでもう真っ暗。18時45分、新地駅に着いた時はこの状況でした。特急スーパーひたちの通過待ちで何となく偶然撮影しましたが、まさか2日後どうなるかなど全く想像せず…。


 いわき駅到着は21時半頃。予定よりも2時間以上遅れる形になりました。

・3月10日の写真


 当日宿泊したホテルが映っています。この日も前震と呼ばれた地震が朝にあって、それで目が覚める形になりました。震度3か4くらいは揺れていたように思います。


 帰宅予定は次の日なので、乗りつぶし目的で当時未乗だったひたちなか海浜鉄道に乗車しました。単純な1往復だけでなく、途中那珂湊駅にも降車しました。ここもまた、翌日の震災で大きな被害を受ける形になります。


 この日の午後は水戸線~両毛線~吾妻線と乗っています。見事に全部、車両が入れ替わってますね…。

・3月11日の写真


 八王子のネットカフェ宿泊後、上諏訪から飯田線の豊橋行きで移動。ちなみにこの桜の写真は、14時48分に撮影したものです。震災が起こったことを知ったのは、まさにこの直後だったように思います…。

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