先日かの有名なミソラ発言を取り上げた際、そこそこのミスはそれ以前にもいくつかあって、その度に話題に挙がっていたかと言われると全くそんなことはありませんと書きました。というわけで、今回はそこそこのミスについて書いてみます。

 

・昭和の紅白はテレビ実況というものがありました

 今はネットやマスコミなどの記事も充実、データ放送も番組公式SNSもあるので全く必要ありませんが、当時はステージの間奏などで視聴者にちょっとした情報を入れるテレビ実況が存在していました。現在も続くラジオ実況とはまた別物です。もちろん近年定着したウラトーク席とも違います。いつから設けられたのかは分かりませんが、少なくとも現存している一番古い第14回(1963年)には既にありました。第37回(1986年)を最後にこの演出は無くなります。

 確認できる限り、一番多く担当したのは金子辰雄アナウンサー。第24回(1973年)、第26回(1975年)~第31回(1980年)と第34回(1983年)、第37回(1986年)で聴くことが出来ます。参考までに、どういった曲中での実況があったかをツイートから紹介しましょう。なおこれらはまた別で、記事にする可能性もあるので深くは言及しません。

・さて、「凧が…」の出どころは?

 で、今回紹介した一言。紅白名言集も1000以上集めていますが、これを見て一発でピンと来た人はおそらく結構な紅白マニアと言っていいかもしれません。

 答えは、第26回(1975年)、白組歌手・三波春夫さんが歌った「おまんた囃子」のステージの間奏です。

 このステージ、舞台上は白組歌手がヤンヤヤンヤの大騒ぎといった状況でした。北島三郎さんがトリで歌った時の「まつり」をイメージしてもらえれば良いと思います。「おまんた」という単語はNHKとしてどうなの…と思った方もいるかもしれませんが、これは新潟県の方言で「おまえさん」というしっかりした意味を持つ言葉です。”みんな揃っておまんた囃子”という歌詞が示す通り、みんな揃って一緒に踊ろうというのがこの曲の大意です。ただこれだけ大勢で盛り上がるシーンは、それ以前の紅白ではあまり多くありません。第16回(1965年)の白組トリ・橋幸夫「あの娘と僕」くらいでしょうか。つまりは演出する側も伝える側も、あまり慣れていないステージです。ちなみにこの曲、1975年から現在まで毎年新潟県糸魚川市で行われている「糸魚川おまんた祭り」で使われている楽曲だそうで、おそらく糸魚川周辺で聞くと知らない人はいない曲ではないかと思います。

 実況する金子アナウンサー、イントロでまず「おまんた」の意味を説明します。”東京のみんなもソレソレソレソレ”と三波さんが最初少し歌った後再び歌無しのパート、ここで金子アナは2階席に揚がる凧に注目します。おそらく凧がNHKホールを飛び回る様子を伝えようとしたはずですが、あろうことかその凧はあっさり1階席の客席に力なく落ちてしまいます。出そうとした言葉と目の前の動きにズレが生じた結果、「凧が…」という一言のみ放送に乗ってしまうという珍妙な形になりました。その時実況に与えられた時間は速いテンポでおよそ5小節、立て直すにはさすがの金子アナでも難しかったようでした。

 というわけで、過去の紅白のちょっとしたミスを記事にして大きく取り上げる形となってしまいましたが、金子アナが紅白で起こした目立つミスはこの場面のみです。他の紅白を担当したアナウンサーと比べても抜群の安定感で、実況を多く任されたのもおおいに頷けます。

 

・おわりに

 与えられた原稿・情報は事前にあったと思いますが、紅白のステージ実況はさしずめ目の前のプレーに対して起きたことを伝えるスポーツ実況みたいなもの。紅白初代ディレクター・近藤積氏はスポーツ・セックス・スリルの「3S」を盛り込むことをまず思いつき、そこから剣道のアイデアも加えて「紅白歌合戦」というタイトルを作ったと言われています。番組全体が生で起こるスポーツという発想、ここ最近の紅白から見るとなかなか想像できない部分もありますが、1975年当時だと第1回紅白はまだ24年前のこと。その精神がまだまだ残っていた時代、と書くと懐古主義と言われてしまいそうですが、今の時代だと間奏に声が入ること自体苦情の要因にもなりますので、複雑な所ですね。どの時代でもどの時代ならではの良さがあって、他の時代に無理やり当てはめるものではありません。という一言で締めにします。ありがとうございました。