51記事目になる紅白名言集ですが、書いていない歌手はまだまだいっぱいいます。そして一度も取り上げられていない回もあります。というわけで今回は、まだ書いていなかった1986年のトシちゃんについて書くことにします。

 

・1980年代を駆け抜けた田原俊彦~当日のステージ

 トシちゃんのデビューはレコードが1980年「哀愁でいと」。芸能界入りは1970年代後半で、知名度を大きく上げたのはドラマ『3年B組金八先生』。近藤真彦・野村義男とのたのきんトリオで人気を博し、1980年の紅白歌合戦初出場でも応援で登場。他の番組でもあまりなかったであろう、3人揃っての「哀愁でいと」を披露しました。

 以降、紅白歌合戦では常連人気歌手として活躍。歌声はやや拙いものの、抜群のリズム感とダンスで年々ステージに華が加わりました。「さらば‥夏」を歌った1983年まではまだ少し幼さも見えましたが、「チャールストンにはまだ早い」を歌う1984年以降はダンスを主体とした演出も加わって大変鮮やか。”ステージ上の貴公子”、と当時呼ばれていたかどうかは不明ですが、そう称したくなるほどのステージを新曲リリースのたびに見せていました。

 1986年の紅白歌合戦で披露した「あッ」は、同じくダンスを売りにしていた頃の小柳ルミ子とダンス対決。当時の最新シングルで、作詞作曲は阿久悠・宇崎竜童の大物コンビ。サビを”アッアアッアッ…”だけで構成させる辺りが阿久さんらしいですが(これは山本リンダやピンク・レディーでも見られた傾向ですね)。仮名一文字+促音の例は他に西野カナさんの「パッ」しかありません。北島三郎さんの「歩」という例はありますが、いずれにしても非常に短いタイトル。”たった一言”という曲紹介が、そのインパクトをより際立たせています。

 ステージは20人ほどいるダンシング・スペシャルの女性ダンサーが、彩りを加える内容でした。振付担当は西条満さん、当時は紅白以上に『夜のヒットスタジオ』専属でお馴染みだった方。1980年代の夜ヒットはダンサーや舞台装飾等の演出が飛躍的に進化しましたが、その立役者の一人であったことは間違いありません。トシちゃんは言うまでもなく夜ヒットの常連、この番組の進化と比例してパフォーマンスも進化した部分も相当大きかったのではないかと推測します。

 

・衝撃的だった紅白落選~再選出~辞退

 ただパフォーマンスの進化とは対称的に、1984年をピークにシングルのレコード売上は下がっていきます。1986年に入ると、オリコンの年間TOP100にもランクインしなくなりました。とは言え歌番組の出演は相変わらず多く、ザ・ベストテンや歌のトップテンにもしっかり登場しています。結論を言うと1987年には紅白落選になるわけですが、おそらくそれを予想した人はほとんどいなかったはずです。出場歌手発表当日に起こったその出来事は、当時ニュースで読み上げた松平定知アナウンサーが「田原俊彦さんの名前はありません」と口に出したほどでした。

 1987年の紅白歌合戦は出場歌手の選考基準が大きく変わりました。キーワードは「歌唱力重視」「多ジャンル化」「アンケートは重視から参考程度」。長年選ばれなかったジャンルでこの年選ばれたのは、オペラ・シャンソン・童謡・民謡・ミュージカル。そのため、多ジャンル化と少しだけアンケートでの支持率が低下したトシちゃんを、ギリギリのラインで犠牲にした形でした。とは言えこの年のトシちゃんは舞台『夢泥棒』『ACB』主演、人気シリーズとなったドラマ『ラジオびんびん物語』主演など、確かに俳優の比率が少し高くなりましたが、個人として人気が落ちたとは言いがたい面もあります。むしろ活動としては多角化してより充実したと言ったところで、当時の雑誌記事を見る限りファンだけでなく本人や周囲も納得いかない様子でした。

 年が明けて1988年、ドラマ『教師びんびん物語』が大ヒット。その主題歌「抱きしめてTONIGHT」も久々に大ヒットして(オリコン年間18位、ザ・ベストテンに至っては年間1位)紅白にも2年ぶり復帰…となるはずだったのですがここでまた一つ事件が起きます。

 出場歌手発表後1週間経って突然の紅白卒業宣言、辞退表明。実際の所は、前回落選した時点でもし選ばれても本人は辞退する気だったようで、事務所などの説得にも応じず意地を通したという形でした。代役はこの年CDデビューして「DAYBREAK」が大ヒット、事務所の後輩である男闘呼組。終盤でうっかり歌詞を間違える場面もありましたが、それに気づいて笑顔の表情も見せる4人の姿が印象的でした。ただ「DAYBREAK」は年間TOP10入りクラスの大ヒット、そもそも最初から出場歌手として選ばれていないのが不思議な気がします。トシちゃんに限らず、この時期のアイドル歌手は紅白に関して言えば完全に多ジャンル化の犠牲になった形でした。南野陽子、浅香唯の2人は時期が3年くらい前でも後でもヒットの時期がズレていれば、間違いなく紅白に初出場していたものと思われます。曲順も1988年に関して言えば全て前半5組にまとめられていたので、個人的には当時のNHKスタッフと一定年齢以上の世論は必要以上にアイドル・ポップス系歌手を下に見ていたのではないか、という気がしてます。多ジャンル化というアイデアは良いのですが、視聴率は結果として当時の低下傾向に歯止めがかからない形になりました。

 

・平成以降のトシちゃんとNHK

 この件以降NHKとはほぼ決別状態になり、出演はほとんど無くなります。1994年の『ふたりのビッグショー』くらいでしょうか。それでも2005年の『思い出のメロディー』出演以降遺恨はおそらく無くなったようで、還暦を迎えた今年はBSプレミアムでスペシャルワンマンライブの放送もされました。1994年事務所独立後は不遇な時代もありましたが、パフォーマンスのレベルは未だに高い水準を保っていて、最近は再評価の流れも出来ています。さすがに白組歌手としては難しいとしても、特別出演でも35年ぶりの紅白出場となればかなり盛り上がるような気もしていますが、どうでしょうか。特に80年代アイドルは、70年代と比べても歌手で現役を続けているトップの人が相当少ないような気もするので…。