紅白名言集解説・67~おふくろの歌・ふるさとの歌~


 母親をテーマにした楽曲は、紅白でもよく歌われています。その代表が森進一の「おふくろさん」で、合計8回歌われていました。五木ひろしは2002年に「おふくろの子守歌」で大トリを飾っています。海援隊「母に捧げるバラード」に森昌子「おかあさん」、天童よしみの「花筏-Hanaikada-」もありました。「岸壁の母」は菊池章子二葉百合子の歌唱で、それぞれ1度ずつ歌われています。

 さて、「母」「おかあさん」「おふくろ」といったフレーズがタイトルに入らない母の歌はどれだけあるでしょうか。探せば色々あるかと思いますが、私はこの曲を置いて他にないと思っています。第31回(1980年)の紅白で歌われた千昌夫「味噌汁の詩」

楽曲解説

 この曲は1978年12月20日に、シングル「めざしのコンチェルト」のB面として発売されました。

 楽曲が発表された時は「北国の春」ロングセラーの真っ最中。テレビ番組でもほとんどでこの曲がリクエストされたため、新しい曲を歌う機会はかなり少なかったようです。例えば1979年2月26日、夜のヒットスタジオに出演した際の歌唱曲は「北国の春」でした。紅白歌合戦でも3年連続の歌唱、史上初の快挙と曲紹介されましたが、当人にとっては少し複雑な感情もあったと言われています。

 1980年11月5日に、A面とB面を入れ替えて再発売。結果、オリコン週間最高20位で翌年の年間ランキングで86位に入りました。さすがに「星影のワルツ」「北国の春」には及びませんが、十分なヒットを記録しています。

 楽曲の内容は上にも述べた通りの、母親をテーマにした楽曲。もっと正確に言うと、おふくろの作る味噌汁の味をあれやこれやと回想してそのまま曲にしたという内容です。この曲のポイントは何と言っても語り。「母に捧げるバラード」と似た構成と言われれば、分かりやすいかもしれません。田舎の故郷を回想する語りは泣ける内容ですが、所々おかしなことを色々言っているので結果的にはあまり泣けない楽曲です。

 作詞作曲は中山大三郎氏。シンガーソングライターとしては「無錫旅情」「珍島物語」を手掛けた人です。演歌では珍しく、作詞・作曲双方で名を残したクリエイターでした。

当日のステージ

 曲順はトリの3つ前、森昌子との対決です。今から41年前になるのですが、もうこの時点でおふくろの「お」が取れてふくろの味になってしまった、と紹介されています。なお、インスタント味噌汁が初めて発売されたのは1974年、生の味噌をパックに封入した製品が全国発売されたのは1981年からのようです。カップラーメンは1980年時点で、既に広く定着されています。カップヌードルが広く一般化したのは、あさま山荘事件が起きた1972年と言われています。

 話がそれました。ステージに立って歌う千昌夫、いや正確にはステージに設置された台の上で座りながら語る千さん。”凍(しば)れるねぇ…”と少し語ってからまずは1コーラス歌います。胡座をかいて歌った人は6年前にいますが、舞台で座りながら歌うのはあまり見られない光景です。

 やがて長い語りに入ります。カメラは歌手席にいる紅組歌手に向けられます。以下、語りの歌詞を抜粋。問題があるようでしたら削除します。

やめろ!あんなあまったるいもの好きな女なんか

何がポタージュだい 味噌汁の好きな女じゃなくちゃ

寝るのはふとん 下着はふんどし

ごはんのことをライスだなんて言うんじゃないよ

 一同聴き入ってはいますが、やっぱり内容はおかしいです。下着はふんどしのくだりで、紅組歌手席に座る金沢明子が笑いを堪えられない様子。その後カメラは審査員席に向けられます。

田園調布?家を建てるんなら岩手県 それも陸前高田

金髪? き…金髪だけはいいんじゃないしょうかねぇ

 当時の千さんは国際結婚、ジョーン・シェパードと夫婦関係にあったことは広く知られていました。CMで夫婦共演もあったようです。金髪ぅ?のくだりで会場も思わず笑いが漏れます。苦笑いした佐久間良子の姿がアップで映りました。なお佐久間さんは翌年、大河ドラマ『おんな太閤記』のねね役で主演を務めています。

 語りが終わり、あと1コーラス歌って、再び最後の語り。

思わず涙が出てくるんだなあ…

かあちゃーん!!

 森進一が紅白最後のステージで「かあさーん!」と大声で叫ぶシーンがありましたが、千さんはそれより35年前既に叫んでます。もっともこちらは元々の楽曲にもある内容ですが。叫びとともに大映しになるのは、妙齢の和服姿の女性が感動で泣きながら拍手している姿。風貌もリアクションも、まるでタレントの柴田理恵を見ているようでした。

その後

 リリース時点でどれくらい曲が浸透していたかは分かりませんが、この後の売れ行きから推測する限り、紅白きっかけにレコード売上が高くなった可能性はかなりありそうです。『ザ・ベストテン』にはランクインしなかったはずですが、『夜のヒットスタジオ』では1980年12月22日オンエアと、年が明けてからも1度歌われているようです。

 YouTubeで検索する限り、近年の歌謡番組でも時折歌われているようです。サブスクでも聴くことが出来ます。YouTubeはどうしても公式にならないので埋め込みで紹介はしませんが、すぐに検索は出来るはずなので、興味がある人は一度調べてみてください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました