第22回(1971年)NHK紅白歌合戦~その8~

白24(全体47):水原 弘(5年連続8回目)

・1959年デビュー 第10回(1959年)初出場
・1935年11月1日生 東京都江東区出身
・楽曲:「こんど生まれてくる時は」(1971/8/XX シングル)
・詞曲:浜口庫之助
・演奏:薗田憲一とデキシー・キングス
・演奏時間:2分8秒

 「さあ、明るい歌でまいりましょう。「こんど生まれてくる時は」、水原弘さんです」

 明るい曲で白組歌手全員が後ろで応援、女性代表として水原さんの横に侍るのは朝丘雪路弘田三枝子南沙織。ベテラン2名はともかく、シンシアはいかにも連れて来られた感満載で笑顔ながらも若干困惑気味な表情。レコードと異なるジャズアレンジの間奏は見事でしたが、オケが2番歌い出しとタイミングが全く合わず。歌う側の水原さんも探り探り、応援する歌手陣でさえも心配そうな表情を浮かべる珍しいハプニングになりました。最後は朝丘さんとのやり取りも加わりますが、完全に流れ気味。色々と惜しいステージです。

解説

・楽曲提供の浜口庫之助は「愛の渚」「へんな女」とこの曲で、水原さんに3曲紅白歌唱曲を提供しています。なおこの回は白組トリ前ですが、前回は白組2番手という曲順でした。

・ゲスト演奏者とメイン演奏の呼吸が合わない場面は、4年後の第26回・佐良直美のステージでも発生します。バグパイプ演奏者の音に本来の紅組演奏がかき消されて、冒頭が歌えなくなるというハプニングでした。

・テロップは「こんど生まれてくる時は」ですが、レコードジャケットでは「こんど生れてくる時は」と表記されています。現在配信中のサブスクは後者に合わせていますが、言うまでもなく国語の送り仮名としては前者の方が正確。

 

紅24(全体48):水前寺清子(7年連続7回目)

・1964年デビュー 第16回(1965年)初出場
・1945年10月9日生 京都府京都市出身
・楽曲:「ああ男なら男なら」(1971/7/25 シングル)
・詞:星野哲郎 曲:安藤実親
・演奏時間:2分0秒

 「さあそれでは紅組全員起立!」「それでは白組男性軍にこの歌をささげます。歌うは我らがチータ!」

 和田アキ子が音頭を取り佐良直美が曲紹介。2人とも紋付袴姿が非常に似合っています。紅組歌手が掲げる垂れ幕は「フレーフレー紅組」「頑張れ!チーター!」。歌は小唄も入る明るい応援歌で番組にピッタリの内容。小唄では「紅白勝とうぜステテコシャンシャン」「紅組勝とうよステテコシャンシャン」と歌いますが、コーラス隊には打ち合わせが無かったのでしょうか本来の歌詞を歌っていました。

解説

・前年の『ありがとう』で女優としても名を上げた彼女ですが、その一方でレコードセールスは前年11月の「大勝負」をピークに低下傾向に入ります。オリコン週間50位以内に入るシングルが全く出なくなる状況ですが、持ち前の歌唱力とキャラクターで最終的には第37回(1986年)まで連続出場を果たしました。

・和田アキ子は2回目の出場ながら早くも司会者の曲紹介に登場。2年後の第24回では23歳の若さで紅組応援団長に抜擢、大先輩の三波伸介相手に全く引けを取らないやり取りを展開しています。

・佐良直美は翌年に紅組司会を担当、その後1回チータに譲った後4年連続司会を務めています。それにしても歌い終わってから紋付袴で再登場するまで僅か2分、この短さは歴代の紅白でも屈指では無いかと思われます。

 

白25(全体49):森 進一(4年連続4回目)

・1966年デビュー 第19回(1968年)初出場
・1947年11月18日生 鹿児島県鹿児島市出身
・楽曲:「おふくろさん」(1971/3/10 アルバム『旅路』)
・詞:川内康範 曲:猪俣公章
・演奏時間:2分18秒

 和服姿の若い女性客にインタビュー後、客席からそのまま曲紹介。なぜかマイクにトラメガのような物を持参しています。「今度はおふくろさんの歌を歌っていただきましょう。白組男性軍1971年の歌い納め、作曲の猪俣公章さんの指揮で森進一さん「おふくろさん」です」

 母を招いての日本レコード大賞最優秀歌唱賞のステージはあまりにも鬼気迫るものがありました。紅白のトリはさすがにそこまでは及ばなかった印象ですが、それでも声だけでなく表情や体全体を憑依させたようなパフォーマンスはやはり過去に例のないもの。3年連続白組トリですが、過去2回と比べても間違いなく抜群の存在感。今後も白組トリで見る機会は多くなるはずで、ますます翌年以降も楽しみになるステージでした。

解説

・「おふくろさん」は紅白歌合戦で通算8回歌唱、紅白卒業を表明した第66回(2015年)もこの曲の歌唱でした。シングル曲ですが元は同年3月発売のアルバムからシングルカット、そのため知名度ほど売上は高くありません。この年は「望郷」がオリコン週間1位・年間9位の大ヒットですが、結果的には「おふくろさん」にかき消される形になりました。

・森さんは第41回(1990年)で初めて過去曲解禁になりますが、その時に選んだ曲もまた「おふくろさん」でした。当時通算9回目のトリでしたが、これが結果的に最後のトリになります。

・川内康範氏の晩年に「おふくろさん騒動」が巻き起こりますが、見返すとなんと曲名テロップに”川口康範”という誤植がありました。ただこれが当時話題になっていたかどうかは不明です。

・デビュー曲から携わっている猪俣公章は演歌を中心に、特にこの頃はヒット曲・紅白歌唱曲を量産していました。30曲の紅白歌唱は歴代12位、1993年に55歳の若さで逝去されていなければ更に数字を伸ばしていたことは間違いありません。

 

応援7:長谷川一夫「雪之丞変化」

 「おふくろさん」のステージ終了後に映るのは、女形の姿で踊る長谷川一夫。バックで流れる歌は美空ひばりが歌う「むらさき小唄」。佐藤惣之助 詞、阿部武雄 曲という具合に曲名テロップも入っています。歌い終わった後は長谷川先生による挨拶と宮田アナとのやり取り、そして最後の歌手の曲紹介も行います。

「長谷川さんどうもありがとうございます。皆さん、長谷川一夫さんは男性ですよ!白組のために応援に来てくださいました。まことにありがとうございました」
「どうも恐れ入ります。でも今日は、女形の役者で出てまいりましたから、(紅組歌手から大拍手)どうも女性の方に、ウーマンリブの世の中ですから。女性に憎まられると困るんでこちらの方へ応援をさせて頂きます」

「宮田さん。あたしに歌を歌わせてはくれないんですか?」
「いや、こちらへ来て頂ければどうぞお歌いいただき…白組ですよねえ?白組でしたら、どうぞお歌いいただきます」
「いいですか?」「…ではあたしが歌いたいんですけども、あたしの代わりに…。あたくしの妹のようです。美空ひばりでございます!」

解説

・長谷川一夫は日本の芸能史上に残る国民的俳優で、国民栄誉賞を初めて受賞した俳優でもあります。戦前戦後の長きにわたって映画・舞台に大活躍、女形の舞は1935年の主演映画『雪之丞変化』によるもの。なお当時の芸名は林長二郎でした。

・後ろで流れる「むらさき小唄」はその映画の主題歌、元々は東海林太郎の歌唱でした。美空ひばりも1957年に映画『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』を演じています。

紅25(全体50):美空ひばり(15年連続16回目)

・1949年デビュー 第5回(1954年)初出場
・1937年5月29日生 神奈川県横浜市出身
・楽曲:「この道を行く」(1972/1/10 シングル)
・詞:石本美由起 曲:市川昭介
・演奏時間:3分24秒

 「歌の道一筋に美しい年輪を刻んでここに25年。ますます円熟の境地を行く美空ひばりさん。「この道を行く」」

 長谷川一夫が曲紹介、イントロのアナウンスはおそらく事前録音と思われるアナウンサーによるもの。今回は出場歌手発表時点で大トリと宣言していましたが、白組トリと比べてもまさしく破格の扱い。曲は新曲どころか年が明けてからリリースの曲を先行歌唱、3コーラスで演奏時間も今回の紅白唯一の3分台。いくらなんでも厚遇が過ぎる印象もありますが、それでも涙を時折浮かべながら気のこもった歌声で歌うお嬢は確かに全歌手の中でも別格の存在感。これでは確かに、9年連続紅組トリ5年連続大トリの牙城は容易に崩せそうにないというのが実際の所なのだと思います。

解説

・紅組司会の水前寺清子が曲紹介していないと当時は雑誌で大騒ぎでしたが、この年は白組司会の宮田輝も曲紹介を担当せず。実況アナウンサーによる曲紹介は、おそらくこれ以前の紅白だとありえないことでした。なお3年前の水前寺清子司会時は、普通に彼女が大トリのひばりを紹介しています。

・「この道を行く」は翌年1月発売のシングル「ひばり仁義」のB面に収録。そもそも表題曲でもありませんでした。セールスは週間最高51位で5万枚ほど、大ヒットでは無いもののヒットはしています。

・翌年の「ある女の詩」まで10年連続紅組トリ・6年連続大トリは現在も破られていない大記録。ただマスコミによる風当たりは当時非常に強く、1973年の弟による不祥事をきっかけにそれはさらに強化。結果第24回はトリどころか出場さえも無しという形となっています。以降第30回に特別出演するものの、1989年に52歳の若さで逝去。当時健在かつ病気がちでなければもしかすると、平成初期の紅白史それ以前に日本歌謡界の歴史も大きく異なっていたのかもしれません。

 

エンディング

 鈴木文弥アナが白組側のマイクに立ち、運命の一瞬である結果発表。審査員に勝敗を判定したもらった後、加藤大会委員長に集計のボタンを押してもらいます。結果、紅組98点白組102点。紅組の点数が出た時点で、伊東ゆかり島倉千代子といった紅組歌手陣は残念な表情を浮かべていました。白組優勝のテロップが今回やや過剰で、4種類もの書体が用意されています。

 優勝旗返還後、すぐに「蛍の光」演奏に入ります。「ゆく年・昭和46年を惜しんで、全国の皆様そして会場の皆様とご一緒に「蛍の光」を歌いたいと思います。岩城宏之さんにお願いします」

 マイクオンになっているのは三波春夫の目の前でしょうか、歌声はほぼ先生のワンマンショー状態でした。前回の紅組敗戦もチータが司会だった時、紅組歌手から何度も慰められています。1コーラス歌唱後そのまま終了、やはり最後も残っている時間は少なめ。なお以下のアナウンスをバックにしての「蛍の光」でした。

 「楽しい思い出も悲しい記憶も、喜びも悲しみも音もなく過ぎ去っていく昭和46年のベールに包まれて消え去ろうとしています。激動する70年代の数々の出来事は小さな活字となって歴史の1ページに刻み込まれてまいります。新しい年、昭和47年はもう目の前です。耳を澄ませば、新年の鼓動が聞こえます。新しい年の足音さえ聞こえてまいります。1972年が皆さまにとって幸多い、実り多い都市であることを期待しながら東京宝塚劇場からお別れします。皆さまさようなら、そして昭和46年よさようなら!」

解説

・4回あった中間審査を含めた推移は紅組が18→41→62→79→98、白組が22→39→58→81→102。それぞれの得点は紅18・23・21・17・19、白22・17・19・23・21。白組にベテラン過去曲の多い第4ブロックが、もっとも紅組に差をつける形でした。

・水前寺清子は第19回に続き、この回も司会としては涙を飲む形になりました。その後第24回(1973年)は同じ宮田輝とのコンビで紅組勝利、第30回(1979年)は歴史に残る名司会かつ大逆転で紅組を勝利に導いています。

・例年「蛍の光」は藤山一郎の指揮ですが、この年に限って岩城宏之が担当しています。1969年からNHK交響楽団の正指揮者、主にクラシックで数多くの功績を残しています。

 

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