紅白名言集解説・77~空前のトラフィーバー~


 今年は阪神タイガースが絶好調です。6月22日終了現在で2位に6ゲーム差をつけて首位、貯金は20に達しました。2014年にクライマックスシリーズを勝ち抜く形で日本シリーズ進出はありましたが、もし優勝すると2005年以来16年ぶり。1985年や2003年ほどでは無いとは言え、結構なブランクがあります。

 さて、1985年と言えば阪神ファンにとって絶対に忘れられない年。そうです、球団史上唯一の日本一を獲得した年です。1978年のヤクルトや1979年の広島は、当時の主力選手が登場して紅組もしくは白組を応援していましたが、1985年は阪神ファンの出場歌手が日本一をお祝いしてサインボールを投げる企画が設けられました。

・タイガース応援企画の内容

 「六甲おろし」のBGMをバックに、まずは両軍のチームリーダー・水前寺清子北島三郎がタイガースのユニフォーム姿で登場。1985年のタイガースフィーバーを軽く説明した後、阪神ファンと公言する出場歌手がユニフォームを身に着けて出てきます。審査員席にいる吉田義男監督と、阪神ファンの作家・山口洋子氏にもご挨拶。

 両軍キャプテンがそれぞれの組の歌手名を呼び上げる形で、最初に登場したのは村田英雄。村田さんが阪神ファンという分かりやすいエピソードはありませんが、「王将」を筆頭に大阪を舞台にした歌謡曲を数多く歌っています。

 次に登場したのは島倉千代子。ファンというより元身内(離婚した夫が1960年代に4番で活躍した藤本勝巳選手でした)、その結婚生活は決して幸せではなかったはずですが、タイガースファンであることだけは変わらなかったようです(おそらく)。それぞれ日本一に際する喜びの声もしくは来年への期待をメッセージに込めて、サインボールを客席に向かって投げます。

 その次が本題の沢田研二。ジュリーがボーカルを務めたザ・タイガースの由来はメンバーが阪神ファンだったから…というわけではありませんが、最初の活動拠点は関西でした。ジュリー自身は本当に阪神ファンで、ライブのMCでも話題にしているそうです。「来年も全員一丸となってチャレンジ野球を」と棒読みにしたのは、咄嗟に反応したコメディアン魂なのでしょうか。

 次は川中美幸。こちらは大阪府出身なのでタイガースファンであることはとても自然。ちなみに18年後には、「浪花節だよ人生は」のステージで登場する阪神ファンの一人としても登場しています。

 初出場を飾ったC-C-B渡辺英樹もここで登場。やはりジュリーは事前と全く違うことを言っていたようで、ツッコミを入れます。完全なる東京育ちですが、当時「ザ・ベストテン」でもアピールしていたくらいの阪神ファンらしいです。

 紅組3人目の柏原芳恵は大阪出身。野球ファンというエピソードは調べる限り全くありませんが、地元的に順当といったところでしょうか。

 ラストは三波春夫。タイガースファンかと思いきや、「来年は巨人ですよ!」とオチをつける内容でした。

 会場の反応は、正直申し上げるとやや微妙だったでしょうか。当時は読売ジャイアンツの試合が毎日地上波で当然のように放送されていた時代です。それでもコーナー終了後にコメントを求められた吉田義男さんは、「グフフフ…」と上機嫌そうでした。さらに企画終了後、両軍司会の鈴木健二アナと森昌子は両方とも巨人ファンだという話に。タイガースファン的にはなんだか、かえって盛り下がる企画になってしまったような…。なお翌1986年セリーグの順位は阪神が3位、巨人が2位、優勝は広島でした。

 出場歌手が着ていたユニフォームには背番号もありまして、以下の通りに割り振られました。背中には当時の選手ではなく、出場歌手の苗字が入れられる特注です。バース選手はこの年三冠王で今なおタイガースファンから神様扱いされる助っ人外国人なので、最後に裏切る三波先生に着せるのはちょっと…という気が個人的にしないでもありません。

出場歌手背番号当時の現役選手
北島三郎北村照文(主に2番センターか外野の守備固め)
水前寺清子長崎啓二(主に6番レフトか代打)
村田英雄30平田勝男(主に7番ショート・内野の守備の要)
島倉千代子81吉田義男(監督)
沢田研二31掛布雅之(主に4番サード)
川中美幸真弓明信(主に1番ライト)
渡辺英樹佐野仙好(主に6番レフトか代打)
柏原芳恵16岡田彰布(主に5番セカンド)
三波春夫44ランディ・バース(主に3番ファースト)

・紅白に出場した阪神タイガース関係者

 終わりに付録として、紅白に出場した阪神タイガースの関係者を表にまとめました。意外と少ないです。今年は矢野監督辺りが出てくるでしょうか、もしくは選手の可能性もあるでしょうか…。

選手・監督出場回内容業績
江夏 豊第19回(1968年)特別審査員シーズン401奪三振の世界記録
掛布雅之第30回(1979年)白組応援ゲスト、ホームラン競争セリーグ本塁打王
吉田義男第36回(1985年)特別審査員球団史上初の日本一監督
星野仙一第54回(2003年)特別審査員18年ぶりのセリーグ優勝監督

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