紅白名言集解説・66~あえて申し上げます、紅白初出場…~


 14年前の5月27日、坂井泉水さんが40歳の若さで亡くなりました。

 当然、その時のショックは非常に大きかったです。1990年代以降、亡くなる当時まで日常的に聴いていたアーティストだったので、驚かないはずがありません。それ以前に、当時入院していたという事実も広く知られていませんでした。直接的な原因は入院中の事故でしたが、癌の闘病中でもあったそうです。

 さて、この年の紅白歌合戦では彼女を追悼するコーナーが設けられました。出演したいという本人の遺志もあったとは言え、生前紅白の出場がなかった歌手のために企画が作られたのは大変異例なことでした。

・1990年代のビーイングのテレビ出演

 ZARDに限らず、大黒摩季、T-BOLAN、WANDS、DEEN、ZYYGなどなど。1990年代中盤にブームを起こしたビーイングからヒットしたアーティストは数多いですが、テレビ出演は特に1993年春以降著しく減ります。紅白歌合戦に出場したビーインググループも、決して多くありません。第41回(1990年)のB.B.クィーンズ、第42回(1991年)~第43回(1992年)のMi-Keくらいでしょうか。外部のレコード会社を含めると第44回(1993年)・第49回(1998年)のTUBE、あと中山美穂のデュエットで出演した第43回(1992年)のWANDS。いずれも他の音楽番組に積極的に出演した為に紅白も出場した、という程度です。ZARDのテレビ出演は1993年「負けないで」、WANDSは同年の「時の扉」がラスト。バックナンバーを見る限りでMANISHとKIX・Sはその期間でもMステ出演はしていたようですが…。

 ビーイングブームが去った後もGIZAから女性アーティストが多く登場しています。ただこちらも、愛内里菜のような例はありましたがテレビ出演のプロモーションはあまり多くありませんでした。2003年にようやく、倉木麻衣が紅白でテレビ初登場。ただその倉木さんも本格的にテレビ出演するのは2009年以降でした。

 1990年代前半当時はビーイングに限らず、コンスタントにヒット曲を出すアーティストは紅白を断るのがステータスだったような時代。当時のヒット曲事情と比較して演歌歌手の割合が高かったのは、こういった背景も関係があります。またアーティストの個性よりも楽曲そのものやタイアップにCD売上が大きく影響される時代でもあったので、この時期初出場のJ-POP歌手は1回か2回止まりの出場に留まるアーティストが前後の時代と比べると多いです。

・幻の出場となった2000年紅白

 坂井さんのテレビ出演を行わない方針は当時の事務所の方針が主だったとは思いますが、体調面の問題とかなりのあがり症であったことも大きな要因だと言われています。ですので1993年以降のZARDの音楽活動はほぼレコーディング中心でしたが、1999年にベストアルバム購入特典ライブとしてクルージングライブを行います。その翌年、2000年にシドニーオリンピックNHK中継テーマソングとして「Get U’re Dream」を発表。この曲で紅白に出場するという話は本当にあったようで、坂井さんも出演に前向きだったそうです。その意味では前年のライブ自体、テレビ出演の前哨戦だったと捉えることも不可能ではありません。ですが結局は体調の問題で辞退。リリースも2001年のアルバム以降空き、公式発表は無かったですがそのまま1年間活動休止状態となります。

 活動再開後はライブツアーも開催、以前にもまして精力的な活動で、それこそ2021年でも第一線で活躍し続けると想像していたファンも多かったと思われます。

・2007年紅白歌合戦の追悼ステージ

 さて、この紅白歌合戦での追悼企画は当時かつてないほどの異例の内容でした。

 まずは生前の紅白歌合戦出場がない点。海外は1977年のエルヴィス・プレスリー追悼などの事例がありますが、国内の歌手はそれ以前だとほぼ紅白出場歴のある人に限定されます。同じく早逝した尾崎豊でさえも、当年の紅白では全く触れられませんでした。常連とは言えなかった河島英五も、生前に一度出演しています(名言集解説58参照)。

 次に出場歌手とは別枠の特別出演になった点。既に亡くなっているので当然ではありますが、この年は美空ひばりとのデュエットで小椋佳の特別出演もありました。いわゆる特別枠は2010年代以降紅白にもすっかり定着しましたが、その先駆け的存在となったのがこの回だったと言えます。

 さらに、NHK大阪ホールからの中継で放送された点も挙げられます。これは紅白のみならず、当日19時20分から同所で行われたフィルムコンサートの一部を同時中継するという形でした。ライブとの同時中継はこれ以前にORANGE RANGEが2度やっていますが、国内の屋内ホールからの中継はこのケースが史上初。また、現在までNHK大阪ホールから紅白歌合戦で中継された唯一のケースともなっています。

 フィルムコンサートではテレビ初公開となる映像、また本人の肉声メッセージも紹介されました(メッセージの内容は記事のラストにTwitter埋め込みの形で入れています)。そして「負けないで」では最後のテレビ出演となった、1993年放送のミュージックステーションの映像。民放の歌番組映像を紅白で使用したのは、後にも先にもこの時のみです。

 演奏された楽曲は「揺れる想い」「グロリアス マインド」「負けないで」の3曲。「グロリアス マインド」は2006年4月にレコーディング、没後12月にリリースされた遺作でした。このように、前例のない大きな試みを紅白歌合戦で取り入れたことが、当時のZARDの人気の高さを示しています。それは同時に、紅白歌合戦の歴史が変わった瞬間の一つでもありました。この年以降、出場歌手のステージ以外の時間でも、特別出演の歌手出演や連続テレビ小説・映画の紅白版など力の入った企画がどんどん増えていきます。

 最後に取り上げるのは、当時の紅組司会・中居正広の曲紹介。あえて初出場と申し上げるくだりは言うまでもなく、生前体調不良さえなければ紅白に出場する予定だったことを指してのものです。台本なのか、中居さんのアドリブなのかは分かりませんが、この企画の価値を大きく高めた名言として今後も語り継ぎたい所です。

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