歌唱力と言えばこの人、と紹介されるシーンが歴代の紅白歌合戦でも特に多い歌手ではないかと思います。今回は第18回(1967年)~第60回(2009年)まで通算25回出場した、布施明について特集します。
布施明の紅白歌合戦エピソード
若い頃は歌唱力以上にファッションで魅せる
初出場の時点で既に高い歌唱力の持ち主ではありましたが、若手の頃は衣装で目立つ場面も多くありました。
「バラ色の月」を歌った第20回(1969年)はスカートと見紛うようなロングコート姿、第23回(1972年)は紅白で初めて衣装に電飾の薔薇を装着します。トップバッターで登場した第24回(1973年)も、イントロのテレビ実況で「今年もスタイルをまずご覧ください」のアナウンスが挿入されています。
ただやはり現在まで語り草になっているのは、第21回(1970年)で「愛の不死鳥」を歌った時の衣装です。両手を広げるとエルヴィス・プレスリーのようにヒラヒラと真っ白な長いフリンジがぶら下がるシーンは、宮川泰の大仰な指揮とともに伝説の名シーンです。
「積木の部屋」で日本レコード大賞歌唱賞、さらに「シクラメンのかほり」で大賞受賞後は衣装で目立つ場面は少なくなります。それでも第30回(1979年)における「君は薔薇より美しい」のサングラス姿など、異彩を放つ場面は時折見られました。
布施明 おしりのしたは すぐかかと
布施さんが短足というイメージは特にありませんが、第25回(1974年)で白組司会・山川静夫アナにこう詠まれるシーンがあります。以降、山川アナ時代の紅白で曲紹介の盛り上げに出てくる際は短足キャラでいじられる機会がいくつか生まれました。それらは後のステージ編で紹介します。
ナベプロ所属ということもあって、若い時からクレイジーキャッツやザ・ドリフターズとの出演も多いです。そのため応援などで活躍するシーンは昭和だけでなく平成でもよく見られました。
トリ前3回・トップバッター3回
重要な曲順を任されることも多く、名曲紅白と言われた年の第20回(1969年)と第24回(1973年)さらに第59回(2008年)で白組トップバッターを務めています。第59回における35年ぶりのトップバッターは、第66回の郷ひろみと並んで最多ブランク記録となっています。
また「マイ・ウェイ」を紅白で初めて歌った第23回(1972年)、「シクラメンのかほり」「落葉が雪に」が大ヒットした第26回(1975年)・第27回(1976年)はともにトリ前の曲順でした。白組は紅組以上に終盤演歌で占められることが多い中、この記録は第29回大トリの沢田研二とともに快挙と考えて良いと思います。ただいずれも五木ひろしに阻まれる形で、トリで歌う機会はついに設けられませんでした。
参考までに、演歌のジャンルが確立した第20回(1969年)から、トリがほぼ演歌で占められていた第53回(2002年)までの白組トリ前歌手は以下の通りです。平成初期の谷村新司やさだまさしも過去曲だったので、いかに当時の布施さんが抜擢であったかというのがよく分かるかと思います。
アーティスト | トリ前担当回 | 楽曲 | 備考 |
北島三郎 | 第20回(1969年) 第21回(1970年) 第30回(1979年) 第42回(1991年) 第45回(1994年) 第48回(1997年) 第49回(1998年) 第51回(2000年) 第53回(2002年) 第56回(2005年) | 「加賀の女」 「誠」 「与作」 「北の大地」 「年輪」 「竹」 「根っこ」 「帰ろかな」 「帰ろかな」 「風雪ながれ旅」 | 「北の大地」はレコ大受賞曲 |
水原 弘 | 第22回(1971年) 第24回(1973年) | 「こんど生まれて来る時は」 「君こそわが命」 | |
布施 明 | 第23回(1972年) 第26回(1975年) 第27回(1976年) | 「マイ・ウェイ」 「シクラメンのかほり」 「落葉が雪に」 | 「シクラメンのかほり」はレコ大受賞曲 |
三波春夫 | 第25回(1974年) | 「勝海舟」 | |
森 進一 | 第29回(1978年) 第31回(1980年) 第34回(1983年) 第44回(1993年) 第46回(1995年) | 「きみよ荒野へ」 「恋月夜」 「冬のリヴィエラ」 「さらば友よ」 「悲しみの器」 | |
五木ひろし | 第32回(1981年) 第33回(1982年) 第35回(1984年) 第36回(1985年) 第37回(1986年) 第47回(1996年) 第50回(1999年) 第52回(2001年) | 「人生かくれんぼ」 「契り」 「長良川艶歌」 「そして…めぐり逢い」 「浪花盃」 「女の酒場」 「夜空」 「逢いたかったぜ」 | 「長良川艶歌」はレコ大受賞曲 |
谷村新司 | 第38回(1987年) 第39回(1988年) 第40回(1989年) 第41回(1990年) | 「昴-すばる-」 「群青」 「陽はまた昇る」 「いい日旅立ち」 | 第38回は初出場でトリ前 |
さだまさし | 第43回(1992年) | 「秋桜」 |
アニソン・特撮主題歌を初めて紅白で歌う
第31回(1980年)で歌った「愛よその日まで」は、映画『ヤマトよ永遠に』主題歌でした。
この時代のアニメソングはささきいさお・水木一郎・堀江美都子など歌謡曲畑と異なる「アニソン歌手」の歌唱が一般的でしたが、1978年の『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』は沢田研二「ヤマトより愛をこめて」が起用されました。以降歌謡曲・ポップス系歌手が少しずつアニメ主題歌にも進出、ゴダイゴの「銀河鉄道999」は同タイトルの映画版主題歌に起用されて大ヒットしています。
『ヤマトよ永遠に』には「愛よその日まで」が主題歌に起用、さらに岩崎宏美が歌う「愛の生命」「銀河伝説」が挿入歌として起用されました。岩崎さんがこの年の紅白歌合戦で歌った曲は「摩天楼」ですが、「銀河伝説」は日本レコード大賞金賞受賞曲となっています。
ジュリーやゴダイゴは発表年に他のヒット曲も多くあったので、布施さんが紅白初のアニメソング歌唱になったのはやや偶発的な面もあります。とは言えれっきとした大記録であることは間違いありません。
また第56回(2005年)の「少年よ」も、紅白初であるとともに唯一の特撮シリーズテーマソング歌唱となりました(ショーコーナー除く)。『仮面ライダー響鬼』テーマソング、当日は各キャラクターだけでなく主演の細川茂樹まで応援で登場しています。
勇退を表明して紅白を去る
海外生活などを経て、第51回(2000年)以降再び紅白常連歌手になった布施さんですが、第60回(2009年)に「後輩に枠を譲りたい」という理由で勇退宣言します。
出場歌手発表前に勇退を宣言した歌手は、1987年の島倉千代子や三波春夫などの例がありました。またグループ解散・休止前の最後が紅白のステージというパターンもあります。ただ布施さん以前に、何度も紅白にした出場歌手で「今回が最後の出演と宣言した上にステージに立つ」という例は存在しません。歌唱曲は自身の愛唱歌でもある「マイ・ウェイ」、万感の想いを込めた大熱唱でした。
布施さんと入れ替わるような形で再出場したのは郷ひろみ、第61回以降は現在まで紅白歌合戦の出場が続いています。また北島三郎や森進一も選出後に今回が最後と表明、第64回・第66回でそれぞれ印象的なラストステージを演じました。
布施明の紅白データ~25回分のまとめ
表に記した年齢は前川さんの年齢を指します。参考までに、第20回初出場時点の年齢は内山田洋が33歳、宮本悦朗が21歳、小林正樹が26歳、岩城茂美と森本繁が27歳でした。
出場回 年齢 | 歌唱曲 | 作詞者 作曲者 | 発売日 | 曲順 | 主なデータ | 主な受賞 | 他の発売曲 |
第18回 (1967年) 20歳 | 恋 | 平尾昌晃、水島 哲 平尾昌晃 | 1967/3/1 | 白組4番手/23組中 | ・これが青春だ ・愛のこころ | ||
第19回 (1968年) 21歳 | 愛の園 | 山上路夫 平尾昌晃 | 1968/4/20 | 白組2番手/23組中 | 1968年オリコン年間33位 | ・涙をおふき ・愛の香り | |
第20回 (1969年) 22歳 | バラ色の月 | なかにし礼 平尾昌晃 | 1969/9/1 | 白組トップバッター | オリコン週間最高20位 | ・華麗なる誘惑 ・星のみずうみ ・ときめき | |
第21回 (1970年) 23歳 | 愛は不死鳥 | 川内康範 平尾昌晃 | 1970/4/20 | 白組18番手/24組中 | オリコン週間最高26位 | ・そっとおやすみ ・冬の停車場 | |
第22回 (1971年) 24歳 | 愛の終りに | 島津ゆうこ クニ河内 | 1971/4/20 | 白組22番手/25組中 | オリコン週間最高30位 | ・今日、今、この時 ・何故 | |
第23回 (1972年) 25歳 | マイ・ウェイ | 中島 潤 (外国曲) | 1972/5/10 | 白組トリ前 | オリコン週間最高25位 | ・愛すれど切なく ・白いラブレター | |
第24回 (1973年) 26歳 | 甘い十字架 | 安井かずみ 加瀬邦彦 | 1973/7/25 | 白組トップバッター | 1973年オリコン年間58位 | ・その時あなたは ・愛よ飛べ | |
第25回 (1974年) 27歳 | 積木の部屋 | 有馬三恵子 川口 真 | 1974/3/10 | 白組20番手/25組中 | 1974年オリコン年間9位 | ・日本レコード大賞歌唱賞 | ・愛の詩を今あなたに |
出場回 年齢 | 歌唱曲 | 作詞者 作曲者 | 発売日 | 曲順 | 主なデータ | 主な受賞 | 他の発売曲 |
第26回 (1975年) 28歳 | シクラメンのかほり | 小椋 佳 小椋 佳 | 1975/4/10 | 白組トリ前 | 1975年オリコン年間2位 | ・日本レコード大賞受賞 ・日本歌謡大賞受賞 | ・傾いた道しるべ |
第27回 (1976年) 29歳 | 落葉が雪に | 布施 明 布施 明 | 1976/10/10 | 白組トリ前 | 1976年オリコン年間45位、翌年83位 | ・陽ざしの中で | |
第28回 (1977年) 30歳 | 旅愁~斑鳩にて~ | 松本 隆 川口 真 | 1977/9/5 | 白組21番手/24組中 | オリコン週間最高16位 | ・ひとり芝居 | |
第29回 (1978年) 31歳 | めぐり逢い紡いで | るい 大塚博堂 | 1978/9/5 | 白組21番手/24組中 | 1978年オリコン年間162位 | ・今夜は気取って ・君の歌が聞こえる | |
第30回 (1979年) 32歳 | 君は薔薇より美しい | 門谷憲二 ミッキー吉野 | 1979/1/17 | 白組13番手/23組中 | 1979年オリコン年間40位 | ・恋のサバイバル ・カルチェラタンの雪 | |
第31回 (1980年) 33歳 | 愛よその日まで | 阿久 悠 布施 明 | 1980/7/5 | 白組12番手/23組中 | 1980年オリコン年間149位 | ・I AM YOU | |
第38回 (1987年) 40歳 | そして今は | 布施 明、C. Sigman G. Becaud | (外国曲) | 白組2番手/20組中 | ・別れに赤い薔薇 ・さみしさの理由 | ||
第41回 (1990年) 43歳 | シクラメンのかほり | 小椋 佳 小椋 佳 | (2回目) | 白組後半15番手/20組中 | ・めまいの日々 ・テーブル物語 |
出場回 年齢 | 歌唱曲 | 作詞者 作曲者 | 発売日 | 曲順 | 主なデータ | 他の発売曲 |
第51回 (2000年) 53歳 | シクラメンのかほり | 小椋 佳 小椋 佳 | (3回目) | 白組後半5番手/15組中 | ||
第52回 (2001年) 54歳 | ア・カペラ | 秋元 康 小池雄治 | 2001/7/25 | 白組前半トリ前 | ||
第54回 (2003年) 56歳 | 君は薔薇より美しい | 門谷憲二 ミッキー吉野 | (2回目) | 白組前半8番手/15組中 | ・のすたるぢや | |
第55回 (2004年) 57歳 | マイ・ウェイ | 中島 潤 (外国曲) | (2回目) | 白組前半トリ前 | ・自由 | |
第56回 (2005年) 58歳 | 少年よ | 藤林聖子 佐橋俊彦 | 2005/3/24 | 白組前半4番手/15組中 | 2005年オリコン年間248位 | ・始まりの君へ |
第57回 (2006年) 59歳 | イマジン | ジョン・レノン ジョン・レノン | (外国曲) | 白組前半11番手/14組中 | ・やさしく愛して~Love Me Tender | |
第58回 (2007年) 60歳 | 君は薔薇より美しい | 門谷憲二 ミッキー吉野 | (3回目) | 白組前半7番手/16組中 | ・宙よ | |
第59回 (2008年) 61歳 | 君は薔薇より美しい | 門谷憲二 ミッキー吉野 | (4回目) | 白組トップバッター | ・この街で | |
第60回 (2009年) 62歳 | マイ・ウェイ | 中島 潤 (外国曲) | (3回目) | 白組後半8番手/14組中 |
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