第62回(2011年)NHK紅白歌合戦~その7~

紅19(全体38):小林幸子(33年連続33回目)

・1964年デビュー 第30回(1979年)初出場
・1953年12月5日生 新潟県新潟市出身
・楽曲:「おんなの酒場」(2011/6/24 シングル)
・詞:たきのえいじ 曲:徳久広司
・歌唱前テロップ:衣装必見!新婚パワーで今年も巨大化!?

・演奏時間:2分51秒

 SMAP稲垣吾郎が登場。「日本人として小林さんのステージを見ないと年が越せない」とコメントします。ただ準備時間がしっかり取られていたこともあって、ここ数年と比べるとややあっさりした曲紹介でもありました。

 金色の衣装で登場。この時点で他の歌手よりも圧倒的に派手ですが、いつもの通りこれは前置き。間奏では、なんか獅子舞みたいな物体が登場して食べられてしまいました。そしてその中からシャフトで上昇して獅子の頭の上で歌うという構図。非常に立体的な仕上がりになっています。歌うたびに獅子の口や角が動いたり体も動いたりしていました。例年と比較して今回は手作り感が満載で、獅子の胴体の中に何人の人が入ってるのだろうと思ってしまったのはここだけの話。

 

(ウラトーク)
 幸子さんについて「衣装と言うよりはセットみたい」とはっきり言う峯岸さん。

 AKB48の2人が身を乗り出して見ています。神田アナは幸子さんが台に乗って歌っていることと、自身が育てたイナゴをマイクにつけていると説明。テリーさんは「かわいそうなのは、いい歌歌ってるんだけどみんながセットの方にいってしまう」と少し嘆いています。

 間奏に入った瞬間、AKB48の2人は超ナイスリアクション。思わず「上からサチコ!」連発。神田アナはセットの高さが3.8mあることと、会場からは笑いが漏れていることを説明。テリーさんも大笑い、「歌が耳に入らないよ」とのコメントも入ります。「セットと歌の内容全然違う」とツッコミまくっていました。

 

(スーパーハイビジョン)
 幸子さんのステージは退場風景も見どころですが、残念がら司会者にショットが映ったため見ることは出来ずじまいでした。

 

(解説)
・小林幸子はこの年に結婚しますが、これがその後の芸能活動に大きな影響を及ぼします。翌年事務所関係で色々あった結果、紅白にも落選する形になりました。初出場から33年連続出場は現在も紅組最長記録、33回中30回その年の新曲披露は出場回数を考えると異例の高確率です。

・いつ頃からか、幸子さんは紅白での派手な衣装をきっかけにネット上で”ラスボス”と呼称されるようになります。その後インターネット方面へ大きく路線を開拓し、第66回(2015年)に特別出演で復帰した際にはニコニコ動画と大々的なコラボレーションを展開しました。

・この大掛かりな舞台転換を要する衣装・セットは翌年以降水森かおりに受け継がれています。彼女も初出場から第71回まで18年連続出場・全てその年の楽曲歌唱という状況だったので、その意味でも幸子さんの後継者と言えるのかもしれません。

白19(全体39):西田敏行(21年ぶり4回目)

・1967年俳優デビュー 1977年歌手デビュー 第32回(1981年)初出場
・1947年11月4日生 福島県郡山市出身
・楽曲:「あの街に生まれて」(2011/6/22 シングル)
・詞:秋元 康 曲:藤井一徳
・歌唱前テロップ:ふるさとを思う全ての人に届けます!
・演奏時間:3分17秒

 福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズから中継。リポーターは永井伸一アナ。ダンスチームのリーダー、マルヒア由佳理さんに話を伺います。「震災後に家族や身近な人をはじめとして、本当に多くの方々の支えをあらためて感じることが出来ました。」そして年が明けて2月8日にグランドオープンを控えるそうで、「また私たちから一人でも多くの方々に笑顔や元気を届けていきたいと思います。」とメッセージ。

 この曲に込められた思いについて西田さんに聞きます。「我が故郷福島はですね、今はもう完膚なきまでにやられちゃったっていう感じなんですけども、2012年がですね、希望に繋がる1年になればと、そして復興に繋がる1年になればと、本当に願ってます。この思いを込めて、こんなに故郷を愛してるんだってことが実感としてわかったんで、この思いを、全力をかけて歌いたいと思います。」

 広く馴染みのある歌かどうかは別としても、西田さんの胸を打つような歌唱に何も感じなかった人はほとんどいないと思います。故郷への思いがここまで歌声で表れる歌唱というのも滅多にありません。マイクを持つ手が震えていたのは緊張もあったかと思いますが、それ以上に一人でも多くの人にこの歌を聴いて欲しい、その気持ちの表れではなかったでしょうか。

 

(ウラトーク)
 まず前ステージの退場シーンを神田アナが実況。照明が消えて、胴体の空気が抜かれて小さくなり、幸子さんが頭の中に降りて、胴体が小さく畳まれ、幸子さんが入ったまま台車に載せられて舞台上手側に運ばれたようです。

 西田さんが唯一司会・歌手・審査員全ての経験者ということで、AKB48「審査員やってみたいなぁ…。」「うちらもやろう」。それに対して「家でやれ」とまっとうなツッコミを入れるテリーさん。

 JKT48のメンバーとも喋ったようで、「少し」「水」あたりの日本語を教えてあげたそう。「まだ言葉の壁があるけど、これからどんどん仲良くなっていければいいなぁ」と話していました。海外進出についてはライブだけでなく番組持つくらい頑張れと、テリーさんが激励しています。

 「もっと細かく色んな所に、48都道府県に回れるくらい…」と峯岸さん。ファンともっと交流したいということですが、さすがに48都道府県というのは神田アナのツッコミが入りました。

 

(スーパーハイビジョン)
 特記事項はありません。

 

(解説)
永井伸一アナは1993年入局、放送当時福島放送局ではなく東京アナウンス室所属。『BSコンシェルジュ』の司会を担当していました。その後名古屋、福岡、東京と異動して2021年3月からは松山放送局勤務となっています。

・いわき市にあるスパリゾート・ハワイアンズは1966年の「常磐ハワイアンセンター」から長い歴史を持つ観光施設です。2006年に公開された映画『フラガール』のモデルとして大きな話題になりました。ここもまた海沿いと付近に原発が存在するということで被害が非常に大きく、半年間の休業を余儀なくされました。放送でもあった通り、2012年2月8日にようやく全面営業再開という形になります。

・西田さんは歌手として21年ぶり4回目の出場ですが、その年発表の曲を歌うのは「もしもピアノが弾けたなら」で初出場を果たした第32回(1981年)以来30年ぶりでした。「バトンタッチ」と両A面シングルですが、秋元康作詞・キングレコードからの発売はAKB48と共通です。藤井一徳、「バトンタッチ」の杉山勝彦といった作曲陣も同様にAKB48へ楽曲提供しています。

・歌手以外も合わせると、西田さんの出場はこの年で8回目になります。翌年「花は咲く」のゲスト歌手で出演しているので、現在の紅白出演回数は9回となっています。

紅20(全体40):絢香(2年ぶり5回目)

・2006年メジャーデビュー 第57回(2006年)初出場
・1987年12月18日生 大阪府守口市出身
・楽曲:「みんな空の下」(2009/7/8 シングル)…2年ぶり2回目
・詞・曲:絢香
・歌唱前テロップ:2年前の紅白で歌った名曲で復帰!

・歌唱時間:2分51秒

 ファンへのメッセージ。「活動休止中もファンの皆さんから届くメッセージに本当に力をもらっていたので、感謝の思いでいっぱいです」そして今回歌う曲、震災後にまた歌ってほしいという声が沢山届いたそうで、「この曲は遠くにいる友人に向けて書いた曲なんですけども、会えなくても空を通して繋がってる、独りじゃないという思いを込めて書いたので、テレビの前で見ている皆さんにも届くように精一杯歌いたいと思います。」曲紹介では、彼女にとっての明日への活力は家族と仲間の笑顔であることも触れられます。

 ピアノのみ演奏の2年前と違って、今回はイントロからしっかり始まる原曲に寄せたアレンジ。バンドサウンドにピアノ、コントラバスの生演奏が、2年ぶり紅白のステージとなった彼女の歌唱を更に引き立てます。こちらも素晴らしいステージでした。

 

(ウラトーク)
 ご主人の水嶋ヒロから「今度紅白歌合戦が絢香が出ますのでよろしくお願いしますというメールが来た」という話を披露。「最高のカップルですね」「彼女も幸せなんじゃないかなぁ」と話します。神田アナは休止中は料理を頑張ったというエピソードを紹介。

 「恋をしないと恋の歌は歌えないぞ、と秋元さんいつも矛盾的なことを言う」と少し愚痴る峯岸さん。ドラマや漫画などで妄想を膨らませているのだとか。絢香さんが歌う姿を見て「愛されてる人の表情をしてる」とも言ってます。最後は「あんまり無理しなくてもいいよね、徐々にね」とエールを贈るウラトーク席でした。

 

(スーパーハイビジョン)
 特記事項はありません。

 

(解説)
・2年ぶりの紅白復帰ですが、テレビ放送復帰は8日前のMステスーパーライブでした。本格的な活動再開は年を越してからで、2月1日に収録曲全て新曲となるアルバム『The beginning』がリリースされます。

・水嶋ヒロと仲睦まじい夫婦生活は現在も健在で、2015年と2019年に2人の女児を出産しています。なお水嶋さんも2010年に所属事務所の研音を退社、2人で個人事務所A stAtionを立ち上げる形となります。本名の齋藤智裕名義で執筆した小説『KAGEROU』も話題になりました。

白20(全体41):長渕 剛(8年ぶり3回目)

・1977年デビュー 第41回(1990年)初出場
・1956年9月7日生 鹿児島県日置市出身
・楽曲:「ひとつ」(2012/2/1 シングル)
・詞・曲:長渕 剛
・歌唱前テロップ:鎮魂の歌 宮城県石巻市から
・演奏時間:5分23秒

 「TRY AGAIN for JAPAN」の音楽に乗せて、長渕さんが被災地を訪れた映像、そして彼の取り組みについてのナレーションが流れます。映像終了後、宮城県石巻市の門脇小学校から中継。歌前の喋り。2分44秒にわたる長い喋りですが、冒頭を除いて全文掲載します。

「僕の眼前に広がるのは漆黒の闇です。幾万もの人たちの暮らしの灯火たちが消えて、今は見渡す限り暗闇の荒野が広がっています。
 この闇に立って目を閉じてるとねぇ、僕はね、沢山の子供たちの顔が浮かんでくるんだよ。
 すぐそこの日和山公園でこの夏一緒に歌った「TRY AGAIN for JAPAN」。みんな雨ん中、めげずに懸命に歌ったあの顔。覚えてるかな?
 そして俺の故郷鹿児島の、海や山で体当たりで一緒に遊んだ浪江町の子どもたち。元気にしてるか?
 原発事故のせいでバラバラになってしまったみんなは、今どの町で見ててくれてるのかなぁ?とっても気になります。
 早く故郷に帰りたいよね。こんなんじゃ、ダメだな。本当にごめんね。
 でもね、僕は信じたい。日本の技術の力を総結集してさ、必ずやみんなが故郷に帰れる日が来るってこと。今はそれを信じて…、それまで俺たち大人たちも頑張るからさ。お前たちも一生懸命生きてくれよ。共に頑張ろう。元気で居なくちゃダメだよ、わかった?
 今日は震災で犠牲になってしまった東北の方々の鎮魂の祈りを込めて、「ひとつ」という歌を書きました。それをみんなに届けます。」

 そのまま直接演奏に入ります。真っ暗闇の中、歌ってる長渕さんの所に光が当たります。津波と火災でボロボロになって修復されていないままの小学校がバックになっています。間奏でも、以下のメッセージが被災地を訪れた映像とともに流れました。

「歌なんて歌っている場合じゃないと思った
 でもみんな待っていてくれた
 ひとつになって一緒に歌ってくれた
 人間の力 みんなの力を信じてる
 みんなの力をひとつに 前を向いて一緒に歩こう」

 2番Bメロからは熱唱する彼の周り360度、108個の照明と煙の演出が入ります。幻想的です。歌い終わった後にギターを抱きしめ、ラストはハーモニカ演奏を披露。学校の周りにいたのはオーディエンスでしょうか、スタッフでしょうか。感じ入る部分が極めて大きいステージでした。

 

(ウラトーク)
 「気合いが入っているなぁ」と喋りを見て呟くテリーさん。石巻の気象は8時55分時点で気温0度3分と神田アナが紹介。AKB48の長渕剛のイメージは「とんぼ」「ロック」「お父さんがすごく好き」だそうです。やはり世代が違うため、具体的なイメージは出ないようです。

 ステージ。「校舎が切ないねぇ」としみじみ。「熱狂的な人が多いというのがわかりますね」「長渕さんがいなけりゃつまらない世の中になる」「不器用でさ、敵がいるかもしれないけど、こういう人がいないと、またつまんないよね」。もっとも神田アナは「テリーさんの存在もそうですよね」と返し、AKB48の2人もそれに同意します。さすがにこういう場面では「俺はどうでもいいんだけど」と軽くスルー、自慢する展開にはなりません。

 照明効果には4人とも感激の面持ち。ラストは「これは出来ないなぁ」「凄すぎる」という感想でした。

 

(スーパーハイビジョン)
 会場では、後ろに座っていた年増のご婦人が涙を流していました。

 

(解説)
・門脇小学校もまた、東日本大震災の津波被害で大きく語られる場所になりました。当日は震災での避難が非常にスムーズに行われ、犠牲者を出さなかったことも語り継がれています。震災遺構として残すべきという声もありましたが、建物は2020年に解体されています。

・この紅白で歌うために作ったという「ひとつ」は、翌年2月1日にCDシングルとして発売されます。第41回(1990年)でも「親知らず」が紅白のために作られましたが、楽曲の内容と制作理由は今回と全く異なる形でした。

・長渕さんの考えは現在も変わらず一貫していて、コロナ禍でも2020年10月に医療従事者への激励ライブを行っています。常人には出来ないことをいくつも実現させることが、長渕剛の凄さだとあらためて感じます。

紅21(全体42):和田アキ子(26年連続35回目)

・1968年デビュー 第21回(1970年)初出場
・1950年4月10日生 大阪府大阪市出身
・楽曲:「あの鐘を鳴らすのはあなた」(1972/3/25 シングル)…4年ぶり6回目
・詞:阿久 悠 曲:森田公一
・歌唱前テロップ:日本に勇気をくれたあの名曲を熱唱

・演奏時間:3分57秒

 中居正広が曲紹介。「この歌には人と人との出会いから生まれる希望、そして信じあう気持ちという物が込められてるのではないでしょうか。紅白歌合戦をご覧のあなた、お聴きのあなた、全ての皆さんにお送りいたします。あの鐘を鳴らすのはあなた、和田アキ子さんです、どうぞ。」

 金色のドレス、大きなシャンデリアをバックに歌います。合唱団を従えることが多いこの曲のステージですが、今回はそういった物は全くなく実にシンプル。それだけに彼女の声量豊かな歌唱が余計に映えます。多少声量が衰えていると言っても、やはり口から離すマイクの距離は相当な物があります。あらためて歌手・和田アキ子の凄さを再認識させられるステージでした。

 

(ウラトーク)
 AKB48の2人が退席。指原さんに「餅食い過ぎんなよ」と最後にメッセージ。それに対して本人はなぜか「任せてくださいよ」と返します。

 「和田アキ子さんの歌声をしっかり聴きたい」ということで、片方のイヤホンを外す神田アナ。「表情がいつもと違う」と話すテリーさん。司会者との面接の時には「久しぶりに歌手で良かったと思った、こんな気持ちは初めてなんです」とおっしゃってたそう。

 「アッコさんの右手を見てると涙が出そうになるんですよね、力の入り方が…」と神田アナ。ウラトーク席の2人にも、アッコさんの想いが十二分に伝わっているようでした。

 

(スーパーハイビジョン)
 中居さんの曲紹介はテレビで見る限りでは名調子でしたが、大画面ではスタッフが大きいカンペを見せている所が完全に見えていました。前年から台本のテロップが正面に表示されていますが、中居さんが長年司会をやっていた頃には設置されていません。そちらの方が確実に見やすい、との判断もありそうです。

 

(解説)
・ウラトークでも言及ありましたが、合唱団や出場歌手の応援が登場しないアッコさんのステージは、第57回(2006年)で「Mother」を歌った時以来5年ぶりでした。

・この曲もジャンルを超えてカバーされる機会が非常に多い楽曲です。2日前に足を運んだRADIO CRAZYでは、2005年にカバーしたサンボマスターがこの曲を熱く熱く演奏していました。德永英明も同時期にカバーしていて、FNS歌謡祭で共演も果たしています。Spotifyでも約10組のカバーを聴くことができます。

白21(全体43):嵐(3年連続3回目)

・1999年結成・デビュー 第60回(2009年)初出場
・28~31歳・5人組
・タイトル:
2011紅白スペシャルメドレー」

・楽曲1:「迷宮ラブソング」(2011/11/2 シングル)
・詞:伊織 曲:iiiSAK/Dyce Taylor
・楽曲2:「果てない空」(2010/11/10 シングル)
・詞・曲:QQ
・歌唱前テロップ:マジカルな映像とダンスの絶妙コラボ!
・演奏時間:5分3秒

 北島三郎が登場。いつも通りの感じで随分張り切ってます。あまり時間がなさそうで、早々にステージに入りました。会場は割れんばかりの大歓声です。

 まずは「迷宮ラブソング」を1コーラス歌います。5人が指を中央で合わせる上からのショットが印象的です。そしてこの後、映像とのダンスをシンクロさせるという新たな試みに挑戦。手足の動きに合わせて映像のモザイクのような物体が移動します。ほんの30秒くらいの間でしたが、インパクトは絶大でした。

 夜空から朝焼けの空のバックになり、雲をイメージしたドライアイス演出も入って2010年の曲「果てない空」に移行。1コーラス半、ラストの映像では虹が架かり蝶が舞います。今回のステージには「希望」というテーマが込められているようです。

 まだこの後12組もステージが残っているというのに、ありえないクライマックス感です。とにかく約5分の間に相当な見所が詰め込まれた、大変濃密な内容のステージでした。

 

(ウラトーク)
 嵐の5人については「奇跡の5人」と呼んでいるテリーさん。絆の強さを感じさせるエピソードをどんどん話し続けます。ちなみにウラトーク席のマイクには、ファンの歓声が主音声以上に大きく入っていました。

 間奏で使われるスクリーンは、本当に嵐のこの場面の30秒だけに作られたシーンだそうです。「こんなの反則だよな」「テレビじゃないよね、これ」と思わず呟くテリーさん。

 1025倍の倍率、去年より50万通以上多い観覧希望があったという今回の紅白。「宝くじに当たったようなもんだよな」と話すテリーさん。そして裏情報として、ドライアイス演出で扇風機を使用していることを説明。「紅白で初めて今回扇風機を使ってる場面がここです」だそう。ドライアイスは衣装やフロアが濡れるので、着物の人は大変というテリーさんの補足もありました。

 

(スーパーハイビジョン)
 特記事項はありません。

 

(解説)
・「迷宮ラブソング」は櫻井翔主演のドラマ『謎解きはディナーのあとで』、「果てない空」は二宮和也主演のドラマ『フリーター、家を買う。』の主題歌で、どちらもドラマともども大ヒットでした。両曲の間に挟まれる形で紅白で披露されなかった「Lotus」は相葉雅紀主演の『バーテンダー』主題歌。テレ朝金曜深夜枠だったので、知名度としてはやはり少し落ちるというのが正直な所だったのかもしれません。

映像とシンクロしたダンスを紅白で披露するのは、この時の嵐が初めてです。後年Perfumeも何度かこういった演出を紅白で見せています。極めて高いダンススキルと、映像技術の進歩が結実して実現させた日本最高峰レベルの演出です。

紅22(全体44):いきものがかり(4年連続4回目)

・1999年結成、2006年メジャーデビュー 第59回(2008年)初出場
・27~29歳・3人組 神奈川県厚木市・海老名市出身
・楽曲:「歩いていこう」(2011/11/23 シングル)
・詞・曲:水野良樹
・歌唱前テロップ:念願の地元・横浜スタジアムでのライブも大成功!
・演奏時間:2分31秒

 ゲスト審査員のコシノジュンコにコメントを求めます。「本当に感動しております。特に今年の紅白は思い出深い印象的な心ある紅白になったと思います。また一人ひとりが、各シーンが素晴らしい衣装と演出で本当に世界に誇るものだと思います。世界中の皆さん見てますか?」

 今回の紅白初めての試みとして、視聴者からの一般募集で決定したドレスに着替えて司会を務める井上真央。ピンク地の生地に桜の花をあしらった内容で、観客からも「かわいいー!」との歓声があがります。

 赤いランドセルを背負った黄色い服の女の子が、曲名通りに歩いていくという映像をバックに歌います。歌詞と同じように雪を降らせたり、歩いていくたびに動物が増えて最後はいっぱいになるなど、やはり凝ってます。歌う吉岡聖恵は真っ赤な衣装で、相変わらずの安定した見事な歌唱。ただ「ありがとう」同様1コーラスが長いので、どうしても実際の演奏時間と比べて随分短いステージに感じてしまいます。

 

(ウラトーク)
 コメントをするコシノさんを指して「偉いねコシノジュンコさん。Lady GaGaみたいな髪型して」と話すテリーさん。

 井上真央の衣装について説明。1341通の応募総数から選ばれたもので、群馬県の主婦の方がデザインしたという情報を入れます。

 出場歌手へのアンケートは毎年とられていて、今回はその中に「あなたにとって明日への活力はなんですか?」という質問があったそう。ギターの山下穂尊の「地元へ帰ること」「三十路手前ということもあり、最近は帰ってもみんな結婚してたり子どもがいたりで帰っても誰もつかまらず困ってます」という回答を紹介します。

 「いきものがかりの時って、いつも後ろの映像が綺麗だよね」と話すテリーさん。3年前の「SAKURA」の時もそうでしたと神田アナは話を合わせていますが…。

 

(スーパーハイビジョン)
 大画面で見ると映像が非常に鮮明で綺麗に見えました。ただ、映像に夢中になっている間にステージが終わったという印象もありました。

 

(解説)
コシノジュンコは第41回(1990年)以来2回目のゲスト審査員。連続テレビ小説『カーネーション』で自身の役を演じたのは、川崎亜沙美でした。

・司会者が着る衣装を公募するのはもちろん初めての試み。事前番組によるとこれは本当に彼女が全部目を通して決めたそうで、当選した人には直筆のメッセージをしたためるというほどの力の入れよう。その姿は、真摯さと人柄の良さが非常に伝わるものでした。

・後ろの映像が綺麗というウラトークの話がありますが、4回目の出場で後ろの映像が登場したのはこの回と初出場の第59回(2008年)のみです。ただこの映像自体は楽曲と非常に合っていて、思わず歌っている姿よりもそちらに目がいかざるを得ないほどの傑作でした。

・楽曲はTBS系ドラマ『ランナウェイ~愛する君のために』主題歌。MVは映画の予告編仕立てになっていますが、その映画自体は本当に実在するものではありません。

白22(全体45):五木ひろし(41年連続41回目)

・1964年デビュー、1971年再デビュー 第22回(1971年)初出場
・1948年3月14日生 福井県三方郡美浜町出身
・楽曲:「ふるさと」(1973/7/15 シングル)…38年ぶり2回目
・詞:山口洋子 曲:平尾昌晃
・歌唱前テロップ:38年ぶりにこの歌を紅白で!

・演奏時間:3分11秒

 ゲスト審査員の田中将大投手に木村拓哉がインタビューします。これは前回にもあった演出。

 「歌う皆さんの気持ちの強さを感じています」「ファンの皆さんであったり、周りで支えてくださる皆さんのために、誰かのために頑張るということが僕自身のすごく力になっています」「いくつも自分にとって帰る場所であったり、故郷という場所があるということは本当に幸せなことだと思ってます」結構時間を使って、じっくり話を聞いています。ただ全体としてはやや押している雰囲気もあるので、スタッフは少しハラハラしていそうです。

 ステージは日本の春夏秋冬をテーマにした風景がひたすら流れるバック。数年前と比較すると大変美しく繊細に作られていて、これぞ21世紀の技術という印象もありました。

 38年前の紅白と違うのはラストの繰り返しがあること、大仰なアウトロの演奏もそうなんですが、なんと言っても2番からの転調が存在していること。明らかに原曲より高いキーで歌い切っていました。基本的に年を重ねるとキーは自然に下がらざるを得なくなるはずなのですが、五木さんはどうやら例外のようです。

 

(ウラトーク)
 田中将大選手の話に感心するウラトーク席。そして歌い手の気持ちの強さを中心に見ている部分に感心するテリーさん。
 歌唱中は五木さんの凄さについて話してます。英語もダンスも楽器も抜群という内容でした。

 

(スーパーハイビジョン)
 大画面で見ると映像が非常に鮮明で綺麗に見えました。こちらは映像に夢中になっている間にいきなり転調したので、ビックリしました。

 

(解説)
田中将大投手は前年の「あと ひとつ」の応援に続く2年連続の紅白出演。この年19勝5敗、防御率1.27で多くのタイトルを獲得しますが、本当に凄まじかったのはこの2年後でした。

・「ふるさと」は1973年のヒット曲で、第24回紅白の歌唱曲。同じ年に日本レコード大賞を受賞しますが、その時の曲は「夜空」でした。同じ年でレコ大と紅白の曲が別になるケースは史上初で、その後も1999年のGLAYまでありません(レコ大=「Winter, again」、紅白=「サバイバル」)。奇しくもこの年五木さんは、紅白で初めて「夜空」を披露する形になります。

・「ふるさと」は2007年放送された連続テレビ小説『ちりとてちん』の劇中歌として多く用いられました。この年の紅白は阿久悠氏追悼で「契り」が選曲されましたが、阿久さんがまだ健在ならばその年の紅白で歌われていた可能性がかなり高かったと思われます。

・第49回(1998年)「酒 ひとり」や第51回(2000年)「山河」など、五木さんが後半で半音キーを上げて歌うステージは平成期に多くありました。ただ還暦を超えていることもあって、これ以降そういったケースはあまり見られなくなります。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました