紅白歌合戦・フランク永井の軌跡~データ&エピソード編~

 先日紅白歌合戦出場歌手の回数をクローズアップして記事を作りましたが、その中で歴代最多出場歌手の表も作りました。現在最多出場記録を保持しているのは北島三郎ですが、昭和50年代の紅白でたびたび最多記録が取り上げられたのは紅組の島倉千代子と白組のフランク永井でした。

 1957年・第8回の初出場から26年連続出場、これは当時の最多・最長記録でした。2年後に三波春夫がすぐ抜く形にはなりましたが…。今回は昭和後期の白組最多出場者の象徴・フランク永井の紅白歌合戦を振り返ります。

フランク永井の紅白歌合戦エピソード

低音の魅力

 1985年に歌手活動を終了しているので、特に知らない人にはどういった魅力があったかを説明する必要があります。ただ知っている人ならおそらく、100人中100人がまず彼の持つ低音ボーカルを挙げるのではないかと思います。

 平成以降はキーの高いハイトーンボイスが完全にヒットの主流になりました。福山雅治は数少ない例外になるかと思いますが、昭和期にヒットした男性歌手は完全に高音がヒットの主流というわけでもありませんでした。とは言えフランク永井ほどの厚味のあるローボイスを出せる歌手はコーラスグループの低音担当以外当時でもやはり少なく、それ故にヒットした昭和30年代だけでなく以降も重宝される形になります。

都会のご当地ソングの第一人者

 26回出場で計18曲紅白歌合戦で歌唱していますが、ご当地ソング一覧表を見てもらえれば分かる通り地名の入る曲が10曲を占めます。そのうち東京を舞台にした6曲・大阪が3曲。歴代のシングルを見渡しても彼の歌うご当地ソングはほとんど都会メインで、三橋美智也春日八郎が歌いそうな望郷ソングはほぼありませんでした。もっとも彼の出身は宮城県志田郡松山町、市町村合併で現在は大崎市になっていますが、田舎とまではいかなくとも決して都会育ちでない所が面白い部分です。

26回連続出場もトリは一度も無し

 歌謡曲メインとは言え和の要素が比較的少ない面も影響したのでしょうか、26年連続出場にも関わらずトリで歌う機会は1度もありませんでした。これは34回出場の郷ひろみ、29回の前川清、27回の村田英雄に次ぐ記録で、美川憲一に並ぶ4位タイです(なお紅組のトリ未経験者出場回数1位は伍代夏子)。ただトリ前は第13回(1962年)・第17回(1966年)と2回経験があります。

 フランクさんが所属したビクター所属だと、股旅物などで和のイメージの強い橋幸夫が第16回・第19回にトリを務めています。その後は森進一が世代交替という意味も込めて第20回の白組トリに大抜擢、その後は北島三郎五木ひろしメインに移行したためトリの機会は結局訪れずという形になりました。なお和服姿での歌唱は第19回(1968年)の「加茂川ブルース」で1度だけあります。

リバイバルヒットの先駆者

 第12回(1961年)で歌われた「君恋し」はその年の日本レコード大賞も受賞しますが、元々は1929年に二村定一がヒットさせた曲でした。現在でもカバーされてヒットする例は多々ありますが、その元祖的存在がフランクさんの歌う「君恋し」ではないかと思われます。紅白でもたびたび歌われ、通算4度の歌唱は第40回(1989年)の千昌夫「北国の春」に抜かれるまで最多記録でした。

 第25回(1974年)で初めて歌われた「おまえに」は、1966年に発売されて紅白でも歌った「大阪ろまん」のB面曲でした。自身および作曲した吉田正の愛唱歌としてテレビで多く歌った結果、1977年に再リリースされてロングヒットを記録。紅白でも再度歌われ、結果3度歌う常連曲となりました。その後「公園の手品師」もリバイバルヒット、第29回(1978年)の紅白歌唱曲となっています。

紅白歌合戦落選のショックとその後…

 26年連続出場した紅白歌合戦ですが、第34回(1983年)でついに落選となります。レコード売上など数字的な面では厳しくなっていたものの、前年には山下達郎が提供した「WOMAN」も話題になっていました。そのため落選時のショックは大変大きかったと言われています。

 その後も歌手活動は精力的に続けていましたが、1985年10月に自殺未遂。一命は何とか取り留めたものの大きな後遺症を患い、復帰出来ないまま2008年10月に76歳で亡くなります。

フランクの紅白データ~26回分のまとめ

 楽曲は発売日が不明な曲が多くあります。不明な部分はXXと表記しています。

出場回
年齢
歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主な記録他の発売曲
第8回
(1957年)
25歳
東京午前三時佐伯孝夫
吉田 正
1957/3/XX白組10番手/25組中・ビクターヒット賞・夜霧の第二国道
・有楽町で逢いましょう
・羽田発7時50分
第9回
(1958年)
26歳
西銀座駅前佐伯孝夫
吉田 正
1958/4/XX白組10番手/25組中・ビクターヒット賞・街角のギター
・こいさんのラブ・コール
第10回
(1959年)
27歳
俺は淋しいんだ佐伯孝夫
渡久地政信
1958/10/XX白組12番手/25組中・ビクターヒット賞・夜霧に消えたチャコ
・恋夜
・東京ナイト・クラブ
第11回
(1960年)
28歳
東京カチート佐伯孝夫
吉田 正
1960/10/XX白組12番手/27組中・好き好き好き
・大阪野郎
第12回
(1961年)
29歳
君恋し時雨音羽
佐々紅華
1961/7/XX白組12番手/25組中・日本レコード大賞受賞
・ビクターヒット賞
・初恋ぼんぼん
・月影の東京
第13回
(1962年)
30歳
霧子のタンゴ吉田 正
吉田 正
1962/10/XX白組トリ前・ビクターヒット賞・新東京小唄
第14回
(1963年)
31歳
逢いたくて佐伯孝夫
吉田 正
1963/8/XX白組16番手/25組中・ビクターヒット賞・赤ちゃんは王様だ
・月火水木金土の歌
第15回
(1964年)
32歳
大阪ぐらし石濱恒夫
大野正雄
1964/4/XX白組15番手/25組中・ビクターヒット賞・冬子という女
・国道18号線
・悲恋のワルツ
第16回
(1965年)
33歳
東京しぐれ佐伯孝夫
吉田 正
1965/8/XX白組16番手/25組中・ビクターヒット賞・妻を恋うる唄
・熱海ブルース
第17回
(1966年)
34歳
大阪ろまん石濱恒夫
吉田 正
1966/11/XX白組トリ前・ビクターヒット賞・君待てども
出場回
年齢
歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主な記録他の発売曲
第18回
(1967年)
35歳
生命ある限りなかにし礼
吉田 正
1967/6/XX白組11番手/23組中・船場ごころ
・思い出のレコード
第19回
(1968年)
36歳
加茂川ブルース東 次郎
吉田 正
1968/4/5白組7番手/23組中・オリコン週間最高28位
・ビクターヒット賞
・堂島
・東京ワルツ
第20回
(1969年)
37歳
君恋し時雨音羽
佐々紅華
(2回目)白組20番手/23組中・中洲の夜
・雪子
第21回
(1970年)
38歳
大阪流し井田誠一
大野正雄
1970/3/5白組15番手/24組中・オリコン週間最高75位・ネオン酒
・ルイという女
第22回
(1971年)
39歳
羽田発7時50分宮川哲夫
豊田一雄
1957/11/XX白組17番手/25組中・この道を
・こいさん物語
第23回
(1972年)
40歳
君恋し時雨音羽
佐々紅華
(3回目)白組18番手/23組中・慕情、南国の女
・ほんとは好きなのに
第24回
(1973年)
41歳
有楽町で逢いましょう佐伯孝夫
吉田 正
1957/7/XX白組17番手/22組中・長崎の町でひとり
・涙への旅立ち
第25回
(1974年)
42歳
おまえに岩谷時子
吉田 正
1972/10/1白組22番手/25組中・たった一度の愛の言葉
第26回
(1975年)
43歳
君恋し時雨音羽
佐々紅華
(4回目)白組20番手/24組中・大阪無宿
第27回
(1976年)
44歳
東京午前三時佐伯孝夫
吉田 正
(2回目)白組18番手/24組中・酒場の花
・浮気川
出場回
年齢
歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主な記録他の発売曲
第28回
(1977年)
45歳
おまえに岩谷時子
吉田 正
(2回目)白組16番手/24組中1977年オリコン売上66位・11時過ぎから
第29回
(1978年)
46歳
公園の手品師佐伯孝夫
吉田 正
1958/2/XX白組14番手/24組中・振りむいてはいけない
第30回
(1979年)
47歳
東京午前三時佐伯孝夫
吉田 正
(3回目)白組17番手/23組中・お前がいいと言うのなら
・グラスの氷
第31回
(1980年)
48歳
恋はお洒落に佐伯孝夫
吉田 正
1980/8/XX白組14番手/23組中
第32回
(1981年)
49歳
おまえに岩谷時子
吉田 正
(3回目)白組9番手/22組中・追憶
第33回
(1982年)
50歳
有楽町で逢いましょう佐伯孝夫
吉田 正
(2回目)白組10番手/22組中・WOMAN

 

 

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