紅白名言集解説・39~志村さん追悼~


 志村さんが亡くなって、ちょうど1年経ちました。

 志村さんの紅白出場は、ザ・ドリフターズが勢揃いした2001年が最も知られていますが、1974年と2000年にも応援で出演しています。1974年はドリフ入りたての時期で、チャンバラコントを展開しましたが、2000年はそれとは違う形です。

・2000年紅白歌合戦の様子

 デビュー1年目で初出場を果たした氷川きよしさんの前座で、ビートたけしさんと共に出演。歌唱曲は「箱根八里の半次郎」ですが、その題材に合わせた剣劇コントを展開します。氷川さん扮する半次郎に、たけしさんと志村さんが斬りかかろうとしますが、志村さんの指示をたけしさんが理解できず、半次郎を斬るつもりが志村さんを何度も斬る展開。最後は氷川さん目掛けて2人斬りかかりますが、一振りであっさり斬られて”アイーン!””コマネチ!”のギャグを披露。慌ただしい進行の中で1分半ほどの持ち時間、一言で言うとものすごく贅沢な使い方でした。紅白と言えば段取りをかなり詰め込む台本でお馴染みですが、この年辺りは特にその傾向が強く、余韻を産む隙さえ見えない状況でした。後々たけしさんのエピソードトークで、この時のやり取りが語られる機会も複数あるようです。

 このコンビの応援は、氷川さんが「大井追っかけ音次郎」を歌った翌年も継続。剣をピストルに持ち替えて挑みましたが、概ね展開は変わらず。ピストルを使ったことが、少し物議を醸していたような記憶もあります。股旅物の持ち歌がこの年限りと言うこともあって、翌年以降このコンビの出演は無し。その後2019年、たけしさんが「浅草キッド」を歌う為に特別出演するついでに、例の表彰状芸で当時の思い出を語っていました。30秒厳守という部分は盛っているような気がしますが、出てきた瞬間すぐに巻きの指示が入ったのは多分本当の話だと思います。

 勿論、2019年の大晦日時点で志村さんは健在で、年が明けてすぐ連続テレビ小説『エール』、映画『キネマの神様』出演の発表もありました。これから3ヶ月後のことは、当時全く想像出来なかったというより、想像する必要がなかったというのが正確でしょうか…。

 

・このコンビが産まれた理由を考察

  紅白の応援はおそらくたけしさんにまずオファーがあって、その際にツッコミとして志村さんに声をかけたのが真相ではないかと思います。たけしさんと志村さんとの親交はこの時期特に深まったらしく、調べてみると1999年から放送されたテレ朝のバラエティ番組『神出鬼没!タケシムケン』の共演が大きいようです。個人的には思いっきりリアルタイムのはずなのですが、正直見た記憶が全くありません。当時日曜19時に見てるとしたら『ザ!鉄腕!DASH!!』だったでしょうか…。そんなわけで番組はあまり長続きせず、1年で放送終了しました。考えてみれば1980年代は、『8時だよ!全員集合』→『カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ』と『オレたちひょうきん族』で凌ぎを削っていた頃。この2人が共演すれば自ずと見る人も集まりそうなものですが、番組作りというのは本当に難しいものです。

 なお翌年はそもそも志村さんがザ・ドリフターズとして出場していたので、その流れでたけしさんも、という流れではないかと推測します。あれだけあの時のことを文句言っている割に連続して出ている所が、良い意味でたけしさんらしいなぁ、という気もしています(個人の事よりも氷川さんへの義理が大きかったとは思うのですが)。

 

 なんだか志村さんよりもたけしさんメインの文章になってしまいましたが…。個人的に志村さんのイメージは、ドリフよりもだいじょうぶだぁやバカ殿様に代表されるコントのメインキャラクターとしての印象が強いです。ただその割に冠番組だけでなくバラエティのゲストでもよく見る存在で、ダウンタウンとの共演では常に頭を叩かれてる印象がありました。したがって大人物ながらもそれを全く鼻にかけない方で、愛されるべくして愛される芸能人だと思っています。1年経ちますが、それだけに亡くなったのが本当に惜しい方だとあらためて感じますね…。

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