紅白名言集解説・11~待ち望んだ百恵ちゃんのトリ~

 地上波で引退コンサートが放送されたということで、今日の記事は百恵さんの紅白ベストシーンについて解説。と言っても6回出場の中でベストを決めるとなるとやはり1978年、第29回の「プレイバックPart2」を選ばざるを得ないですね。紹介したツイートは勿論、この年紅組司会の森光子さんによる曲紹介。当時19歳、キャリアだけでなくジャンルとしても相当異例のトリ抜擢でした。

 紅白トリ=演歌という不文律があった頃、それが自然に出来あがったのは1960年代後半辺りから。1965年の橋幸夫「あの娘と僕」みたいな例もあったのですが、演歌という単語が定着し始めた頃には”紅白のトリは演歌が合う”という雰囲気になったように思います。その要因を一つ挙げるとしたらやはり美空ひばりの存在でしょうね。1967年~1972年まで6年連続大トリ、その全てが着物姿で演歌をドッシリという訳では実はないのですが、それだけ日本中から特別視されていた歌手だったことは間違いありません。死後30年経ってもこれだけずっと振り返られる歌手は、後々に若くして亡くなった偉大な方々を含めてもやはり彼女以外に存在しないように思います。

 そう考えると、引退して40年経っても伝説の存在として振り返られる百恵さんは恐ろしいですね。彼女の場合はひばりさんみたいに早くから天才少女と言われていた訳でなく、徐々に成長し続けて最終的には類稀なるオーラを身に着けたという印象が映像を通してあります。紅白の歴代ステージを見ても、1974年に「ひと夏の経験」を歌っていた頃の歌唱は、オーラはあれど決して上手いという印象ではありません。やや浅い見方にはなりますが、やはり一つのきっかけとしては「横須賀ストーリー」以降の、阿木燿子・宇崎竜童夫妻との出会いだったように感じます。

 さて1978年の話に戻りますが、この年は空前の演歌不振の年。歌唱曲目を見てもらえば分かりますが、オーソドックスな演歌のヒットがまるでありません。当時は今のように懐メロでトリという発想はなかったので、スタッフも悩ましい部分はあったようですが、この年「UFO」「サウスポー」などが大ブームの最中であるピンク・レディーが辞退&裏番組出演が決定。これに対抗する話題性を出すことと、演歌不振という流れも加わって、彼女と白組・沢田研二を抜擢するという決断に至ったそうです。

 ステージは説明するまでもなく伝説的な内容。笑顔で舞台袖からステージに向かいますが、歌い出しに入った瞬間スイッチが入ります。今でも一部で”真っ赤なクルマ”と歌われた記述がありますが、紅白ではしっかり”ポルシェ”と歌っています。鋭い眼光と表情、死ぬほどカッコ良い歌声、特に坊や…と呼びかけるシーンの顔と二の腕が映るショットが絶品。原曲より1.5倍くらい増しの超高速テンポが、余計にカッコ良さを演出していました。曲調と動きがリンクしている照明は、間違いなく昭和の紅白トップと言って良いクオリティでした。

 ”この方の歌を聴くために今まで待ち焦がれていた”は、おそらく当時の視聴者ほぼ全員の共通認識だったように思います。実際この年の紅白、ヒット曲はほとんど前半~中盤に集中していて、後半はそれこそトリ対決以外少し見所に乏しい面がありました。その部分でピンク・レディーを見てた人も結構多かったのでしょうか、視聴率は関東地区で前年比5%減という結果に。ですのでトリだけを切り取ると史上最高クラスですが、全体としては森さんの司会や応援が空回りしている部分も多く、1970年代の中で言うと完成度はあまり高くなかったように思えるのが正直なところではあります。

 ちなみに百恵さんのラストライブは既にDVDだけでなくブルーレイでも商品化されています。2018年12月に発売されたリニューアル版は、映像・音質ともに質が上がっているようです。テレビ番組の方では夜のヒットスタジオ、ザ・ベストテンが商品化されています。ただ紅白歌合戦に関しては、今のところまだのようですね…。

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