ここ最近、白組は沢田研二に西城秀樹といった1970年代のスター特集が続いていますが、紅組はまだ桜田淳子くらいしか書いていません。というわけで今回は紅組から小柳ルミ子を選んでみました。
ルミ子さんはいまやサッカーファンの第一人者としてお馴染みといった印象ですが、昭和の時代は紅白歌合戦の常連も常連。第22回(1971年)から第39回(1988年)まで、18年連続で出場しています。
時期ごとにメインの仕事が変わる芸能人は他にも多々いますが、ルミ子さんは特にその傾向が強いです。紅白歌合戦のステージ単位・音楽活動の単位で見ても、1970年代と1980年代では大きく異なります。今回はステージ編を2記事に分けて書きますが、前半と後半で全く違う内容になっています。そのためデータ編と併記して書くエピソードも他の歌手にはない独特の内容となっています。早速見ていきましょう。
小柳ルミ子の紅白歌合戦エピソード
実は歌手デビュー前に紅白歌合戦にはゲスト出演
歌手として初出場するよりも前に、紅白に出演した人は意外と多いです。ジャニーズならジュニア時代、1970年代にはスクールメイツから歌手デビューして紅白初出場という事例がいくつかあります。ハナ肇とクレージーキャッツやザ・ドリフターズ、金井克子辺りは歌手より応援出演の方が先でした。
ルミ子さんの芸能界デビューは歌手ではなく女優、ルーツは宝塚歌劇団です(2ヶ月で退団)。1970年放送の連続テレビ小説『虹』がデビュー作ですが、同年第21回の応援出演が紅白初登場という形になっています。
主演の南田洋子など、何人かの出演者の1人として登場した物と思われますが、映像を確認出来ていないので細かい様子は分かりません。
俳優として応援出演した翌年に歌手として出演するのは異例です。ただ翌年『繭子ひとり』出演の石橋正次は、次の年に「夜明けの停車場」をヒットさせて初出場を果たす形になりました。朝ドラ絡みの紅白出場については、いずれまた記事にしてまとめる予定にしています。
福岡出身アイドルのさきがけ的存在
歌手となると宝塚音楽学校・ナベプロの先輩でもある梓みちよもいますが、アイドルと言われた歌手で福岡出身はルミ子さんが初めてではないかと思います。
郷ひろみ、松田聖子、チェッカーズ、森口博子、酒井法子などアイドルと呼ばれた福岡県出身歌手は非常に多いです。氷川きよしや浜崎あゆみ、w-inds.の橘慶太もアイドル的人気を博した歌手と考えて良いでしょうか。近年もHKT48を筆頭にLinQ、ばってん少女隊、Rev. from DVL(かつて橋本環奈が所属)などローカルアイドルの激戦区になっている状態ですが、その源流とも言って良い存在がルミ子さんではないかと思われます。
NHKホール開催の紅白で一番最初に歌った歌手
第24回(1973年)、NHKホールで初めて開催された紅白歌合戦。この年のトップバッターは、ルミ子さんが歌う「漁火恋唄」でした。
これに関しては、紅白名言集解説・27~紅白最初のNHKホールでのステージ~で背景なども含めて書いてます。詳しくはそちらをご覧ください。
清楚な日本調を歌う歌手からダンシング・ルミコへ
第31回(1980年)、「来夢来人」のステージはこれまでの印象を覆す内容になりました。
多少派手な衣装は1970年代中盤でもありましたが、この年は金色の大きな羽根を広げたような奇抜な格好で登場。そこから早替え演出あり、さらに終始男性ダンサーを従えています。本来ルミ子さんが指向していたのは日本調の歌謡曲ではなくミュージカルも含めたポップス路線ですが、10回目の出場にしてそれが実現したという形でした。
1990年代~2000年代の紅白は小林幸子と美川憲一の衣装対決が毎年注目されていましたが、1980年代の紅白における派手なステージはルミ子さんのことを指していました。「お久しぶりね」が大ヒットした第34回(1983年)以降はその傾向が特に顕著になり、過去の紅白になかったようなパフォーマンスが恒例化します。これはステージ編の後編記事で、じっくり特集する予定です。
一般的に知られていない「ヒーロー」の日本語詞
第38回(1987年)、ルミ子さんが紅白で披露したのは「ヒーロー」でした。
「ヒーロー」はボニー・タイラー「Holding Out for a Hero」のカバー曲で、日本では麻倉未稀の歌唱がヒットしています。大映ドラマ『スクール☆ウォーズ』のテーマソングで売野雅勇が日本語詞を担当、一般的に知られているのはこちらの方です。
ルミ子さんが紅白で歌った「ヒーロー」は片桐和子の日本語詞で、本来の原曲に近いのは実を言うとこちらの方です。ただその歌詞とステージングはまさしく度肝を抜かれるような内容で、紅白ファンとして知られるタレントのミッツ・マングローブさんが後年番組で紹介するほどでした。
これもまた細かくはステージ編の後編記事で書きますが、それはもう「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」の頃にはまるで想像できないような変貌ぶりでした…。
小柳ルミ子の紅白データ~18回分のまとめ
出場回 年齢 |
歌唱曲 | 作詞者 作曲者 |
発売日 | 曲順 | 主なデータ | 主な受賞 | 他の発売曲 |
第22回 (1971年) 19歳 |
わたしの城下町 | 安井かずみ 平尾昌晃 |
1971/4/25 | 紅組8番手/25組中 | 1971年オリコン年間1位 | ・日本レコード大賞最優秀新人賞 ・日本歌謡大賞放送音楽新人賞 |
・お祭りの夜 |
第23回 (1972年) 20歳 |
瀬戸の花嫁 | 山上路夫 平尾昌晃 |
1972/4/10 | 紅組16番手/23組中 | 1972年オリコン年間2位 | ・日本歌謡大賞受賞 ・日本レコード大賞歌唱賞 |
・雪あかりの町 ・京のにわか雨 |
第24回 (1973年) 21歳 |
漁火恋唄 | 山上路夫 平尾昌晃 |
1972/11/10 | トップバッター | 1973年オリコン年間21位 | ・春のおとずれ ・恋にゆれて ・恋の雪別れ |
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第25回 (1974年) 22歳 |
冬の駅 | なかにし礼 加瀬邦彦 |
1974/10/10 | 紅組4番手/25組中 | 1974年オリコン年間63位、翌年同27位 | ・花のようにひそやかに ・つくり囃子 |
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第26回 (1975年) 23歳 |
花車 | 麻生香太郎 森岡賢一郎 |
1975/9/10 | 紅組18番手/24組中 | オリコン週間最高20位 年間80位クラスの売上 |
・黄昏の街 ・ひと雨くれば |
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第27回 (1976年) 24歳 |
逢いたくて北国へ | 橋本 淳 井上忠夫 |
1976/9/25 | 紅組21番手/24組中 | オリコン週間最高15位 年間75位クラスの売上 |
・桜前線 ・恋岬 |
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第28回 (1977年) 25歳 |
星の砂 | 関口 宏 出門 英 |
1977/4/25 | 紅組18番手/24組中 | 1977年オリコン年間13位 | ・日本作詩大賞作品賞 | ・思い出にだかれて ・湖の祈り |
第29回 (1978年) 26歳 |
雨… | 中島みゆき 中島みゆき |
1978/11/25 | 紅組19番手/24組中 | 1979年オリコン年間124位 | ・ひとり歩き ・泣きぬれてひとり旅 |
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第30回 (1979年) 27歳 |
恋ごころ | 竜真知子 井上堯之 |
1979/8/25 | 紅組13番手/23組中 | オリコン週間最高100位 | ・スペインの雨 | |
第31回 (1980年) 28歳 |
来夢来人 | 岡田冨美子 筒美京平 |
1980/1/25 | 紅組10番手/23組中 | 1980年オリコン年間110位 | ・蛍火 ・ジョーク |
出場回 年齢 |
歌唱曲 | 作詞者 作曲者 |
発売日 | 曲順 | 主なデータ | 他の発売曲 |
第32回 (1981年) 29歳 |
たそがれラブ・コール | 阿久 悠 川口 真 |
1981/8/25 | 紅組8番手/22組中 | ・南風 | |
第33回 (1982年) 30歳 |
みだれ髪 | 喜多條忠 平尾昌晃 |
1982/5/21 | 紅組14番手/22組中 | オリコン週間最高100位 | ・通りゃんせ帰りゃんせ |
第34回 (1983年) 31歳 |
お久しぶりね | 杉本真人 杉本真人 |
1983/7/21 | 紅組6番手/21組中 | 1983年オリコン年間184位、翌年同24位 | |
第35回 (1984年) 32歳 |
今さらジロー | 杉本真人 杉本真人 |
1984/5/5 | 紅組13番手/20組中 | 1984年オリコン年間185位 | |
第36回 (1985年) 33歳 |
乾杯! | 杉本真人 杉本真人 |
1985/3/5 | 紅組8番手/20組中 | 1985年オリコン年間321位 | |
第37回 (1986年) 34歳 |
乱 | Fumiko 玉置浩二 |
1986/3/21 | 紅組5番手/20組中 | ||
第38回 (1987年) 35歳 |
ヒーロー | 片桐和子 J. Steinman他 |
紅組15番手/20組中 | ・背中でちょっとI Love You ・泣かないから |
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第39回 (1988年) 36歳 |
愛のセレブレイション | 片桐和子 G. Goffin |
紅組17番手/21組中 | ・LEATHERY |
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