紅白歌合戦・沢田研二の軌跡~ステージ編(1980~1994)~

 当記事では1980年~1987年・1989年・1994年に放送された紅白歌合戦における、沢田研二の出演シーンを振り返ります。もちろん1989年はザ・タイガースのステージも振り返ります。

第31回(1980年)「TOKIO」

ステージ

作詞:糸井重里 作曲:加瀬邦彦
前歌手:西城秀樹、岩崎良美
後歌手:岩崎宏美、(応援合戦)、クリスタルキング
曲紹介:山川静夫(白組司会)
演奏:オールウェイズ(テロップ無し)

 岩崎良美「あなた色のマノン」ステージ終了後、会場が真っ暗になります。”TOKIO”と連呼する部分があるYMO「テクノポリス」が流れる中で、白いTOKIOの文字が浮かび上がる演出。音楽終了後会場が明るくなり種明かし、白組歌手5人が黒いシャツとサングラスでパフォーマンスしていたという内容でした。最後にレンズが光る、というオチです。というわけで山川静夫アナの曲紹介。

「季節が変わればジュリーが変わる。研ぎ澄まされた男の美学が爪の先までビッシリと魅力を振りまいて80年を彩りました。それいけ、「TOKIO」!沢田研二さんです」

 ギターから始まるイントロ、演奏するシーンがアップで映ります。この年前半に井上堯之バンドは解散、バックバンドがオールウェイズ(翌年~EXOTICS)に代わりました。ジュリーは白いマントをなびかせながら登場、歌う前に投げ捨てます。衣装は真っ白、髪にもラメを入れています。ピアスや指輪など、光り物も可能な限り多く身につけて相当派手です。4年後にチェッカーズが初出場した時は白づくめで、髪の色まで真っ白にしていましたが、もしかするとこのステージに対するリスペクト心と対抗心もどこかにあったのかもしれません。

 「TOKIO」は大きなパラシュートを使った演出が有名ですが、この年は物理的にまだ大掛かりな仕掛けは不可能だったので見送りになりました。

 白組歌手席のショットが複数回映ります。たのきんトリオの野村義男・近藤真彦(田原俊彦の応援で出演)、さだまさし内山田洋とクール・ファイブのコーラス隊の姿が見えます。DVD収録の際にどう処理しているのかが気になるところですが…。各種応援での出演が直後にあったため、歌手席にいた人数は少なめでした。

 1970年代の紅白歌合戦はいずれも中盤~終盤での出場でしたが、この年は白組6番手という過去になく早い曲順です。前半6組が主に大ヒットしたアイドル&ポップス系で占められていて、沢田さんはこのブロックの白組ラストという位置づけでした。

応援など

 この年白組歌手が集合する応援合戦は2度ありましたが、いずれも不参加でした。歌手席での応援など他のシーンではしっかり姿を見せていますが、白タキシード(入場行進は黒スーツ)でこちらはステージと違う地味な格好です。

第32回(1981年)「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」

ステージ

作詞:三浦徳子 作曲:沢田研二
前歌手:加山雄三、ロス・インディオス&シルヴィア
後歌手:(紅白玉入れ合戦)、青江三奈、村田英雄
曲紹介:山川静夫(白組司会)
演奏:EXOTICS

 この年からEXOTICSが正式に演奏担当。レコードジャケットにも彼らの姿が映る、ジュリーにとってはバックバンド以上の存在でした。前ステージ終了後、ジュリーとEXOTICSが台に乗って登場する中で、白組演奏担当・小野満とスイング・ビーバーズがアルバム『STRIPPER』収録の「オーバーチュア」を演奏。これは紅白歌合戦始まって以来の演出です。

 この年の衣装は紫色を基調としています。特徴的なのは何と言っても顔に施したメイクで、特にアイシャドウが目立っています。紅白で顔に濃いメイクを施した男性歌手も、ジュリーが初めてでした。

応援など

 後半に組み込まれた応援合戦で、西田敏行五木ひろしとともに「黒田節」「殺陣・田村」の演舞を披露しています。紋付袴の衣装で大きな盃を動かし、森進一新沼謙治と殺陣も披露しますが、殺陣はやや練習不足が目立つ内容で会場から笑いが起きてしまいました。なおこの年は映画『魔界転生』で天草四郎時貞役を演じています。

第33回(1982年)「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」

ステージ

作詞:三浦徳子 作曲:西平 彰
前歌手:西田敏行、桜田淳子
後歌手:川中美幸、内山田洋とクール・ファイブ
曲紹介:山川静夫(白組司会)
演奏:EXOTICS

 この年もステージ入場の際に小野満とスイング・ビーバーズの演奏が入りました。ただ前年ははっきり曲が判明しましたが、この時は何がモチーフになっている曲なのか分かりません。なお当該曲はオリジナルアルバム未収録です。チャイナドレスにやや近い服装で、前回ほどの濃さではありませんが顔にメイクも施しています。

 EXOTICSの生演奏ですが、SEや女性コーラスは生ではなく事前収録の音を出します。いわゆるマニピュレーター的な役割をキーボードの西平彰が担当しているように見えます(作曲も担当)。こういった音が入る楽曲の演奏も、紅白ではこの時が初めてだったような気がします。

 多少レコード売上が落ち着いたことと、サビ以外の動きがあまりないパフォーマンスなので、初出場から順々に見ていくとやや地味な内容にも見えます。ただジュリー史や紅白史という観点から見ると、このステージも抑えておきたい内容ではないかとあらためて感じました。

応援など

 この年のオープニングはあいうえお順ではなく、紅組白組入り乱れてランダムに出場歌手が入場する演出でした。赤色・白色ブレザー統一は前年と同様です。当時の紅白最多出演者、島倉千代子をエスコートして一緒にお辞儀。

 後半の応援合戦では白組全員が股旅姿で一緒に踊るパフォーマンス。前年同様、あまり得意では無さそうな殺陣の披露もありました。

第34回(1983年)「晴れのちBLUE BOY」

ステージ

作詞:銀色夏生 作曲:大沢誉志幸
前歌手:シブがき隊、小柳ルミ子
後歌手:(紅白俵つみ合戦)、
島倉千代子、三波春夫
曲紹介:鈴木健二(白組司会)
演奏:EXOTICS

 小柳ルミ子が「お久しぶりね」をダンサブルに決めた後舞台が完全暗転、その中で轟音のようなギターが鳴り響きます。舞台上手から登場するメンバーは軍隊風の衣装。身につけたライトの光が異常に強く白飛び連発、動きも激しいので、バンドメンバーだけでなくジュリーのご尊顔もなかなかショットが捉え辛いです。

 音楽は現在のJ-POP史を紐解いてもあまり出てこないジャングルビートで、もちろん1983年当時でいうと異質も異質。歌詞は”言いたいことはヤシの実の中”がひたすら耳に残る内容で、意味が全く分かりません。途中からは放水まで入りましたが、これも紅白始まって以来の新しい演出です。というより後年の紅白でも全く見られないシーンです(基本こういう演出はドライアイスの使用がメイン)。

 奇抜な楽曲に奇抜なパフォーマンスで、映像でのインパクトは極めて強烈でした。当然会場だともっと凄い雰囲気になっていたはずで、直後に登場した総合司会・タモリがこんな言葉を残しています。なおこの年から3年間、審査員投票で優れたステージに贈られる金杯が制定されましたが、第1回の受賞者はこの時のジュリーでした。

応援など

 この年のオープニングは最初から舞台に全歌手揃っていて、登場順に1人ずつ両軍司会者が紹介。「昨日の自分は捨て、常に明日の自分を作ってゆく沢田研二さんです」と紹介されました。

 企画コーナーは応援合戦では無く、紅組白組双方の歌手が入り混じるショーがメインでした。童謡を主体としたコーナーで森昌子と「浜辺の歌」を披露、見事なハモリを聴かせています。

第35回(1984年)「AMAPOLA」

ステージ

日本語詞:湯川れい子 作曲:Joseph M.Lacalle
前歌手:村田英雄、牧村三枝子
後歌手:高橋真梨子、田原俊彦
曲紹介:鈴木健二(白組司会)
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団

 クラシック色の強い楽曲、シングル曲ではありますが映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のイメージソングになったカバーでした。なおEXOTICSはこの年9月に解散、選曲はそれが影響した面もあったかもしれません。舞台には登場しませんが、東京フィルハーモニー交響楽団の演奏であることがイントロ時にテロップで表記されています。

 中央に噴水が設置される、宮殿をイメージした凝った舞台セットが作られています。ジュリー・高橋真梨子田原俊彦小柳ルミ子の4ステージ共通セットで、この年間髪入れずに立て続けの演出となっていました。

 ピンクのスーツに飾り物を多くつけた衣装で、楽曲やセットも相まって官能的かつ優美な雰囲気ですが、1コーラス歌唱後突然の破裂音発生。左胸から大量の紙吹雪発射、さらに血をイメージした紫色の液体も飛び出します。顔にも液体は飛び散り、完全に銃で打たれた後の姿を表現していました。

 ちなみにこの年は大河ドラマ『山河燃ゆ』に1年間出演、劇中で日系アメリカ人を演じましたが、紅白歌合戦でこれについて触れられるシーンは一切ありませんでした(松本幸四郎など、出演者は前年に審査員として登場)。

応援など

 オープニングは曲順通り・対戦カードごとに1組ずつ入場。この年の対戦相手は「桃色吐息」を歌う高橋真梨子でした。「お元気ですか、今日は見ててください」と視聴者に向けて話します。

 企画コーナー、前半の「紅白こいこい節」は太鼓を叩きながらダンス。後半の民謡コーナーにも出演、「津軽じょんがら節」の演奏に締太鼓で参加しています。

第36回(1985年)「灰とダイヤモンド」

ステージ

作詞・作曲:李 花幻
前歌手:安全地帯、原田知世
後歌手:川中美幸、大川栄策
曲紹介:吉川精一(テレビ実況)、鈴木健二(白組司会)
演奏:CO-CóLO

 この年も宮殿風セットをバックに松田聖子安全地帯原田知世から続くブロックの一員として出演。白組司会のジュリーの曲紹介は松田聖子のステージ前でした。雷SEから始まるイントロ時では、テレビ放送だと実況担当・吉川精一のアナウンスがあるのみでした。

 この年は前半を休養期間に充て、8月にこの年最初のシングル「灰とダイヤモンド」をリリース。その間渡辺プロダクションから独立、ポリドールから東芝EMIに移籍、新しいバックバンド結成など非常に変動の大きい一年を過ごす形になっています。

 上着や飾り物はそれなりに派手ですが、下はGパン・途中からは上着を脱いだ黒いタンクトップでやや地味めな衣装です。ショーアップされた演出も無しで、ミュージシャン沢田研二のカッコ良さをアピールする内容でした。もっとも歌詞を2回間違えたり、脱いだ上着を投げたもののキャッチできずという場面も発生。本人も本番後はしばらくこの映像を見ることが出来なかったという話があるそうです。

 なお作詞作曲の李花幻は、ジュリー本人のペンネームと言われています。実際にはそうでないという説もありますが、この曲以外で名前がクレジットされた例はありません。

応援など

 入場行進は対戦相手の原田知世と一緒に登場。黒づくめの衣装で、帽子を被っています。

 阪神タイガース日本一に際して、虎ファンの出場歌手がユニフォーム姿でサインボールを投げるコーナーがありました。ザ・タイガースの一員でもあったジュリーも当然阪神ファンで、背番号31・掛布雅之のユニフォームを着ています。「来年も全員一丸となってチャレンジ野球を」と棒読みでメッセージ、横にいたC-C-Bの渡辺英樹に「先ほどと違うじゃないですか、言ってることが」とツッコまれました。

 連続テレビ小説『澪つくし』コーナーでは浜の男の一員として踊りを披露。川中美幸とペアになって踊る場面があります。

 近藤真彦「ヨイショッ!」のステージは白組歌手全員が火消しとして応援する内容でしたが、そこにも登場。重さ5キロもある纏を掲げるシーンが見られます。

第37回(1986年)「女神」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:佐藤 隆
前歌手:田原俊彦、中森明菜
後歌手:(紅白サバイバルゲーム)、テレサ・テン、山川 豊
曲紹介:加山雄三、千田正穂(白組司会)
演奏:CO-CóLO

 中森明菜が大迫力の「DESIRE」を決めた直後に演奏開始と曲紹介。ゆっくり舞台上手側から歩いて登場、ベテランらしい余裕の表情です。

 この年はあまり舞台セットに力が入っていない回で、バンドメンバーの他は暗転状態に僅かな照明が入るのみ。1970年代後半~1980年代前半のようなショーアップもなく、黒地に金色の刺繍が入る衣装が若干派手な程度です。大きく変わった部分があると言えば、ウェーブのかかった長髪くらいでしょうか。全体的にかなりシンプルなステージに仕上がっています。

 美しい歌声でバラードを2コーラス披露、意外と紅白では珍しい純粋に聴き惚れる内容のステージでした。そこには大人の気品も十二分に備わっています。

応援など

 入場行進は対戦相手の中森明菜と一緒の登場ですが、ちょうどこの年明菜さんはレコード大賞を受賞。一旦ジュリー1人で入場しますが、ギリギリで彼女が合流。それを見てちょっと驚き、笑顔を見せるジュリーが確認できます。

 この年は対決ムード強めの演出で、応援合戦的なショーコーナーが復活。白組の演目は「勧進帳 安宅の関から」、10人の四天王の1人として歌舞伎の踊りを披露します。

第38回(1987年)「チャンス」

ステージ

作詞:松本一起 作曲:沢田研二
前歌手:少年隊、金子由香利
後歌手:(中間審査)、神野美伽、村田英雄

曲紹介:加山雄三(白組司会)
演奏:CO-CóLO

 シャンソンの金子由香利の後なのでステージの内容がガラリと変わります。舞台準備の繋ぎとして、審査員を務めた若尾文子とのやり取りが挟まれます。

 バンドメンバーは高さ約1メートルの台の上で演奏、ジュリーは舞台上手側から走りながらの入場でした。若大将の曲紹介後、テレビでは実況担当のアナウンサーによる簡単な紹介も入ります。

 この年は長い髪をバッサリ切って耳も出す、爽やかなルックスになっています。もう既に若手ロックミュージシャンが多数ブレイクしていた年ですが、いずれもテレビ出演にはやや消極的で、結果的に紅白歌合戦のロック部門を竜童組と担う形になっています。骨太な演奏で1コーラス半、カッコ良く締めるステージでした。

応援など

 連想ゲームの白組チームの一員として参加。もっとも台本ありでオチでもない部分なので、目立つ箇所はありませんでした。

 ハーフタイムショーの応援合戦は白組から5名のみの参加。こちらは闘牛士のパフォーマンスのオチ担当。一通りマントを使った演舞を披露後それを布団代わりにして寝るというボケを繰り広げます。とは言えそこはジュリー、最後はちゃんとカッコ良く決めていました。

第40回(1989年)「ヒット・メドレー」「DOWN」

ステージ(ザ・タイガース)

作詞:菅原房子/橋本 淳 作曲:すぎやまこういち
前歌手:村田英雄、ピンク・レディー
後歌手:松尾和子&和田弘とマヒナスターズ、千 昌夫

曲紹介:武田鉄矢(白組司会)、松平定知(総合司会)
演奏:ザ・タイガース、サポートメンバー5名

 曲紹介を担当するのは松平アナと武田鉄矢。ヒット当時は髪の毛が長いというだけで出られない、というエピソードも紹介します。

 岸部シロー岸部一徳沢田研二加橋かつみ森本太郎の順番で舞台下手側から並んでいます。ジュリー以外のメンバーはそれぞれタンバリン・ベース・ギターを手にしています。ドラムスの瞳みのるは不参加でしたが、ちょうど入れ替わりの形になったシローとトッポ(加橋かつみ)が共演、これは1980年代前半の同窓会(再結成)の時と同じです。

 ヒットメドレーとして披露された曲は「花の首飾り」「君だけに愛を」、前者はトッポのメインボーカルでした。後者はジュリーのメインボーカル。両方とも1968年を代表する大ヒット曲です。ちなみにメンバー交代は1969年3月でした。

 ステージ終了後は先ほどの2人に紅組司会の三田佳子も合流して、加橋さんにインタビュー。「楽しかったですね」の回答に、「もうちょっと何か色々ないのかな」とツッコむ鉄矢さん。その後沢田さんに向かって「10代に見えますよ!」と絶賛する鉄矢さんには、「ウソばっかり!」と答えていました。

 この年は前年に森本さんが結成したタイガース・メモリアル・クラブバンドのコンサートに瞳さんを除く全員がゲスト出演、「シーサイド・バウンド」などを演奏する一幕がありました。平成最初の紅白で昭和を振り返るにあたって、この出来事は非常に大きかったのではないかと思われます。その後2013年に瞳さんも加わって再結成、12月には全国ツアーまで開催されます。ただシローさんはこの時点で脳梗塞のため療養中でゲスト出演のみ、2020年にオリジナルメンバーよりも早く逝去されました。

ステージ(ソロ)

作詞:尾上 文 作曲:NOBODY
前歌手:鳥羽一郎、大月みやこ
後歌手:小比類巻かほる、聖飢魔II

曲紹介:武田鉄矢(白組司会)、三田佳子(紅組司会)
演奏:jazz master

 ソロのステージは手塚治虫追悼コーナー終了後、ライブで活躍するアーティストが揃うブロックのトップを切る形で披露されます。

 演奏開始とともにステージから紙テープが高く放射されます。この演出は第28回(1977年)西城秀樹「ボタンを外せ」以来12年ぶりの採用、ただ煙を伴わない砲台での使用はこの時が紅白史上初めてです。

 ギターサウンドが目立つ激しいロックサウンドで、マイクスタンドも立てながらではなく持ちながら歌う形になっています。黒地に金色の飾りは第37回以降共通ですが、この回は頭につけた王冠が大きなアクセントになっています。なおバックバンドのCO-CóLOは1988年に解散、EXOTICSのメンバーであった吉田建や柴山和彦にドラマーの村上”ポンタ”秀一などを迎えたJAZZ MASTERが新しく結成されています。

 この時代はロックバンドのヒットも多く、硬派なサウンドで後世に残る楽曲もありましたが、「DOWN」はそういったヒット曲以上に攻めの姿勢・ロックの音を重視した迫力ある演奏でした。この年は聖飢魔IIが初出場しましたが、歌ったのはヘヴィメタではなくバラードの「白い奇蹟」。ある意味では非常に好対照を成した内容になっています。

応援など

 番組前半、第1部オープニングの「東京ブギウギ」から出演。必ずしも全出場歌手が集まるステージではないのですが、一応参加して一緒に歌っています。

 後半では少年隊の曲紹介に登場。同年代の五木ひろし森進一と一緒に中年隊と紹介される一幕もありました。

第45回(1994年)「HELLO」

ステージ

作詞:秋元 康 作曲:後藤次利
前歌手:山川 豊、香西かおり
後歌手:藤あや子、X JAPAN

曲紹介:古舘伊知郎(白組司会)、カールスモーキー石井(米米CLUB)
演奏:サポートメンバー5人
踊り:STARLETS 振付:家城比呂志

 米米CLUBのカールスモーキー石井と古舘さんのやり取り、その中で石井さんは彼のことを「日本のミック・ジャガー」と紹介しています。そんな彼が曲紹介、「厳かにいきましょう、久しぶりに。ジュリー~~!」。寺内貫太郎一家の樹木希林のように叫びます。

 黒い緞帳が左右に開く形のオープニング、宮殿風のセットが組まれ、階段にレッドカーペットが敷かれています。バンドは従来にあった1つの台に全て集める配置ではなく、据置のドラムとキーボード以外は自由に動ける形。モデル風の女性ダンサーも加わっています。

 ジュリーは真っ黄色のへそ出しルックで階段から登場。被っていた帽子を、早々に遠くへ投げ捨てます。上には毛皮のコートを身に着けていますが、こちらも中盤で脱ぎ捨てました。髪を茶色く染めているのも、昭和とは大きな違いになります。

 エプロンステージも含めて縦横無尽に動き回るジュリー、この時はもう40代半ばのアラフィフに突入していますが、動きは昭和のどの紅白よりも激しいです。村上”ポンタ”秀一率いるバンドの演奏も迫力ありました。作詞作曲は1980年代おニャン子クラブでよく見られたコンビですが、後藤次利はこの当時ベースのサポートメンバーとしてツアーに参加。12月に発売されたアルバム『HELLO』のプロデュースも手掛けています。ただベーシストとして後藤さんはこの紅白に参加していないようでした。

応援など

 この年のみ紅白歌合戦に出場した吉田拓郎小椋佳(特別歌手として2度出演)同様、オープニングとエンディングのみの出演。他歌手の曲紹介などでの登場はなく、また全員集合するシーンでも一瞬僅かに映るのみでした。

おわりに

 この紅白以降歌手としてのテレビ出演は一時期を除くと非常に少なくなり、新作とコンサート中心・セルフプロデュースの音楽活動にシフトしました。60歳を迎えた2008年には2大ドームツアー「人間60年・ジュリー祭り」が大成功、非常に大きな話題になりました。以降も何度か紅白歌合戦出演のオファーはあったそうですが、そのたびに辞退を貫いています。

 一世一代のスターである沢田研二は、間違いなく日本の歌謡史・紅白歌合戦の歴史において永遠に語り継がれる存在です。今後も紅白に限らず、ニュースや特集記事などで名前を見る機会は多いことでしょう。書物やインターネットなどを駆使して色々調べましたが、それでもまだ伝わり切れない事象はあるかと思います。ファンの皆さんだけでなく、足りないことがあれば遠慮なくコメントなどお寄せください。お待ちしています。

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