紅白歌合戦×連続テレビ小説データ集(20世紀編)

 紅白歌合戦と朝ドラの関係は非常に深く、主題歌やゲスト出演・司会選考に至るまで様々な影響を及ぼしています。というわけで今回は各作品ごとに紅白出演データを作成しました。膨大な量になるので、2000年までの前編とそれ以降の後編に分け、後編のラストでは今年の朝ドラ出演者の予想も併記することとします。

 

1961年~1974年

 連続テレビ小説第1作は1961年度の『娘と私』、8時15分からの放送が一般化したのは翌年度の『あしたの風』からでした。現在は半年間放送が通例ですが、1974年までは1年通しでの放送となっています。1964年の調査開始後、視聴率は常に40%超。50%超えを記録する作品も、珍しくありませんでした。

 紅白歌合戦に朝ドラが初めて関わったのは1964年度『うず潮』主演の林美智子。第15回(1964年)審査員・放送終了後の翌年にはなんと紅組司会に抜擢されます。なおこの時代は基本東京制作ですが、『うず潮』のみ大阪放送局制作となっています。

 応援ゲストの初登場は第17回(1966年)、1966年度放送の『おはなはん』。主題歌も倍賞千恵子がこの年はじめて紅白で披露しています。当時視聴率56.4%は異例の高さで、22対3という大差で紅組優勝になったのはこれが一番の理由ではないかと思われます。

 応援ゲストは放送当時個別の名前テロップは無く、”連続テレビ小説「◯◯」のみなさん”と表示されるのが通例となっています。第22回(1971年)・『繭子ひとり』からの出演者はアーカイブスでしか確認できない上にテレビ実況の読み上げも無く、参考にしている書籍にも全員の名前が記されていません。その点ご了承ください。

 オープニングは今のようなJ-POPではなくインストの主題歌で、それとは別にイメージソングが作られるのが一般的でした。初の朝ドラ主題歌は1973年度『北の家族』の赤い鳥だったようです。以下の表では、主題歌・イメージソングに関しては紅白歌合戦未歌唱曲も掲載、出場分は太字カラー表記で表すこととします。また、歴代主演についても下線表記としました。

放送年度 作品名 主題歌
(イメージソング)
出場歌手 司会 審査員 ゲスト その他
1964 うず潮 椿 洋子
「心のうず潮」
林美智子
第16回(1965年)
林美智子
第15回(1964年)
1966 おはなはん 倍賞千恵子
「おはなはん」
第17回(1966年)
樫山文枝
第17回(1966年)
野村昭子
二木てるみ

第17回(1966年)
白組司会・宮田輝が当日放送分のあらすじを解説
1967 旅路 横内 正
日色ともゑ

山田吾一

第18回(1967年)
映像未確認のため応援の詳細は不明
1968 あしたこそ 倍賞千恵子
「あしたこそ」
藤田弓子
第19回(1968年)
1969 信子とおばあちゃん 大谷直子
第20回(1969年)
1970 南田洋子
仲谷 昇
滝花久子
古谷一行
小柳ルミ子

第21回(1970年)
映像未確認のため応援の詳細は不明
小柳ルミ子は翌年歌手で初出場
1971 繭子ひとり 島崎みどり
「繭子ひとりのテーマ」
朝丘雪路
第22回(1971年)
山口果林
第22回(1971年)
江戸家猫八
山田吾一
冨士眞奈美
石橋正次
石井 均
第22回(1971年)
出場歌手(朝丘雪路)が朝ドラ応援に参加する初のケース
石橋正次は翌年歌手で初出場
1972 藍より青く 本田路津子
「耳をすましてごらん」
第23回(1972年)
真木洋子
第23回(1972年)
高松英郎
佐野浅夫
赤木春恵
原 康義
今出川西紀

第23回(1972年)
真木洋子も審査員席から一緒にやり取り
1973 北の家族 赤い鳥
「風は旅人」
森るみ子
「白い花」
高橋洋子
第24回(1973年)
主題歌は赤い鳥が担当
1974 鳩子の海 斉藤こず恵
「日本よ日本」
樋浦 勉
第25回(1974年)
客席でインタビューされる形での出演

 

1975年~1980年

 1975年度から連続テレビ小説は半年放送となりました。年度上半期作品が東京制作・下半期が大阪制作は現在も同様です。

 大ヒットした『雲のじゅうたん』『マー姉ちゃん』は紅白歌合戦にも反映され、放送年は同番組から応援団長が選出される形となりました。一方それ以外の放送センター制作分は、審査員選出を含めて反映されないことが多くなります。大阪放送局制作分は大晦日が放送期間中なので、毎年のように応援出演がありました。

 出場歌手の作品出演についても表に入れていますが、朝ドラ放送年とその前後の年に出場しているケースは出演回表記を省いています。また、紅白歌合戦出演者のいない作品についても掲載しました。

放送年度 作品名 主題歌
(イメージソング)
出場歌手 司会・応援団長 審査員 ゲスト その他
1975上 水色の時 桜田淳子
「白い風よ」
ちあきなおみ 大竹しのぶ
第26回(1975年)
主題歌担当の桜田淳子は別の曲を歌唱
1975下 おはようさん ダ・カーポ
「おはようさん」
秋野暢子
中田喜子
三田和代
正司歌江
大村 崑

第26回(1975年)
1976上 雲のじゅうたん チェリッシュ
「あの空へ帰ろう」
浅茅陽子
中条静夫
第27回(1976年)
紅組・白組応援団長としてそれぞれ仁科明子草刈正雄と出演
1976下 火の国に 鈴鹿景子
山内 賢

第27回(1976年)
初めて個別の俳優名がテロップ表記される
1977上 いちばん星 小柳ルミ子 紅白でのゲスト出演無しは1965年度『たまゆら』以来
1977下 風見鶏 新井春美
第28回(1977年)
蟇目 良
岸部シロー

第28回(1977年)
1978上 おていちゃん 森山良子
「わたしの祭りうた」
相川 浩
第29回(1978年)
相川アナは語り担当
紅白での言及は一切無し
1978下 わたしは海 相原友子
中原ひとみ
正司照江

第29回(1978年)
1979上 マー姉ちゃん 岩崎宏美
「手のひらは小さなシャベル」
熊谷真実
田中裕子
早川里美
藤田弓子

第30回(1979年)
磯野三姉妹と母親が紅組応援団長を担当
イメージソング担当の岩崎宏美は別の曲を歌唱
1979下 鮎のうた 小倉千波
「わたしの旅立ち」
ミヤコ蝶々
第30回(1979年)
山咲千里
藤岡琢也
夢路いとし

第30回(1979年)
ミヤコ蝶々も審査員席から一緒にやり取り
1980上 なっちゃんの写真館 小椋 佳
「熱い瞬間」
1980下 虹を織る 堀江美都子
「雨上がりの空」
紺野美沙子
高松英郎
岩本多代
宝塚歌劇団6名

第31回(1980年)
宝塚歌劇団の出演者はテロップ無しの為不明

 

1981年~1986年

 1981年~1984年は応援ゲスト出演が原則ない時期ですが、朝ドラに関してはさらに審査員選出さえもほとんど無い空白期でした。1983年の『おしん』は大ブームとなり朝ドラ史上最高視聴率62.9%を記録しますが、紅白は審査員としての出演のみであまり深く関わりません。

 流れが変わったのは1985年『澪つくし』。この年の紅白歌合戦は『めでたづくしの澪つくし』として、メインキャスト・出場歌手総出のショーコーナーが設けられました。翌年も『はね駒』大ヒットで斉藤由貴が21年ぶりに朝ドラから司会抜擢、同時に審査員選出も再び多くなり始めます。

放送年度 作品名 主題歌
(イメージソング)
出場歌手 司会・応援団長 審査員 ゲスト その他
1981上 まんさくの花 黛ジュン
「夢追い人よ」
この年から4年間、応援ゲストの出演は原則無し
1981下 本日も晴天なり 西尾尚子
「本日も晴天なり」
大阪放送局ではなく放送センター制作
1982上 ハイカラさん 古家杏子
「ふたりなら」
1982下 よーいドン
1983 おしん 橋田壽賀子
第33回(1982年)
田中裕子
第34回(1983年)
脚本担当および放送される前の紅白出演はこの時が初
1984上 ロマンス 芹洋子・榎木孝明
「夢こそ人生」
1984下 心はいつもラムネ色
1985上 澪つくし 彩恵津子
「澪つくし」
ジェームス三木
第36回(1985年)
沢口靖子
川野太郎
津川雅彦
加賀まりこ
草笛光子
桜田淳子

第36回(1985年)
初めて連続テレビ小説を題材にした企画コーナーが作られる
1985下 いちばん太鼓 NYC NYUSA
「いちばん太鼓」
1986上 はね駒 斉藤由貴
第37回(1986年)
沢田研二
斉藤由貴
第37回(1986年)
渡辺 謙
第37回(1986年)
渡辺謙は翌年の大河『独眼竜政宗』主演
応援は歴代朝ドラヒロインの藤田弓子浅茅陽子沢口靖子が出演
1986下 都の風 西城秀樹
「約束の旅-帰港-」
加納みゆき
第37回(1986年)
藤田弓子
第37回(1986年)
藤田弓子はナレーション担当、出演は上記の通り

1987年~1991年

 朝ドラからの応援があまりない時期ですが、1980年代前半とは違って審査員には毎年のように出演者が選出されていました。当時朝ドラの視聴率も紅白同様低下傾向にあり、1991年はかつてラジオドラマで人気を誇った『君の名は』1年間放送で勝負をかけましたが、当時の最低視聴率を5%下回る大失敗に終わります。

放送年度 作品名 主題歌
(イメージソング)
出場歌手 司会・応援団長 審査員 ゲスト その他
1987上 チョッちゃん 新都民合唱団
「ハバネラ」
宝野アリカ
「祈り」
由紀さおり
第38回(1987年)
黒柳 朝
第37回(1986年)
古村比呂
春風亭小朝

第38回(1987年)
黒柳朝は原作者として初めて審査員に選出される
応援には由紀さおりも一緒に参加
1987下 はっさい先生 若村麻由美
第38回(1987年)
1988上 ノンちゃんの夢
1988下 純ちゃんの応援歌 山口智子
第39回(1988年)
1989上 青春家族 杉浦圭子 いしだあゆみ
第40回(1989年)
杉浦アナは語り担当、第39回総合司会/第40回リポーター
1989下 和っこの金メダル 渡辺 梓
第40回(1989年)
上半期・下半期ヒロインが同年に審査員を務めるのは史上初
1990上 凛凛と 荻野目洋子 荻野目洋子は主演(田中実)の妻役と語りを担当
1990下 京、ふたり 山本陽子
第41回(1990年)
1991 君の名は 石川さゆり
「君の名は」
田中好子
第42回(1991年)
主題歌担当の石川さゆりは別の曲を歌唱

 

1992年~2000年

 『ひらり』でDREAMS COME TRUEを主題歌に初起用、朝ドラ主題歌が紅白歌合戦で歌われる初のケースとなりました(過去2回はイメージソング)。1992年~1994年は下半期が放送センター制作という逆ケース、そのため『ひらり』『かりん』からの出演者が非常に多いです。『春よ、来い』1年間放送以降は元に戻り、『ふたりっ子』以降は再び応援出演が目立つようになりました。

放送年度 作品名 主題歌 出場歌手 司会・応援団長 審査員 ゲスト その他
1992上 おんなは度胸
1992下 ひらり DREAMS COME TRUE
「晴れたらいいね」
第43回(1992年)
伊東ゆかり
第43回(1992年)
石田ひかり
第43回(1992年)
鍵本景子
伊東四朗
石倉三郎
梅若部屋のみなさん

第38回(1987年)
梅若部屋からは10人出演、
伊東四朗がデンセンマンに扮して一緒に踊る
鍵本景子は他の出演者と別のタイミングで紅組応援
1993上 ええにょぼ 中山美穂
「幸せになるために」
第44回(1993年)
和田アキ子
1993下 かりん 井上陽水
「カナディアン アコーデオン」
松原敏春
細川直美
つみきみほ
筒井道隆
第44回(1993年)
脚本家含めて4人の審査員選出はこの年のみ
当初はヒロインの母親役・十朱幸代の紅組司会が有力視されていた
1994上 ぴあの JOE’S PROJECT
「ぴあの」
1994下 春よ、来い 松任谷由実
「春よ、来い」
国分太一
(TOKIO)
赤井英和
第45回(1994年)
1年間放送作品
主題歌は第62回(2011年)で初歌唱
1995下 走らんか! Dual Dream
「I Say Hello」
1996上 ひまわり 山下達郎
「DREAMING GIRL」
1996下 ふたりっ子 NOKKO
「ナチュラル」
オーロラ輝子(河合美智子)
「夫婦みち」
第48回(1997年)
大石 静
第47回(1996年)
菊池麻衣子
岩崎ひろみ
三倉茉奈
三倉佳奈

第47回(1996年)
第48回(1997年)
段田安則
手塚理美
宮川大助
宮川花子

第48回(1997年)
河合美智子が歌う挿入歌が紅白選出、ドラマの役名で出場は史上初
主演4人は史上初となる2年連続同作品からゲスト出演
1997上 あぐり 吉行あぐり
第48回(1997年)
原作者の吉行あぐりは当時史上最年長となる90歳での審査員選出
1997下 甘辛しゃん 原 由子
「涙の天使に微笑みを」
佐藤夕美子
第48回(1997年)
1998上 天うらら
1998下 やんちゃくれ ウルフルズ
「あそぼう」
天童よしみ 小西美帆
高田聖子

第49回(1998年)
応援には天童よしみも一緒に参加
1999上 すずらん
1999下 あすか 竹内結子
佐藤仁美
梅沢富美男

第50回(1999年)
2000上 私の青空 久保純子 内館牧子
第50回(1999年)
久保アナは語り担当
2000下 オードリー 倉木麻衣
「Reach for the sky」
岡本 綾
第51回(2000年)
長嶋一茂
仁科 貴

第51回(2000年)

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました