第74回(2023年)NHK紅白歌合戦~その7~

紅17(全体39):伊藤 蘭(初出場)

・1973年デビュー キャンディーズとして第26回(1975年)初出場
・1955年1月13日生 東京都武蔵野市出身
・タイトル:「キャンディーズ50周年 紅白SPメドレー」
 楽曲1:「年下の男の子」(1975/2/21 シングル)…48年ぶり2回目
  詞:千家和也 曲:穂口雄右
 楽曲2:「ハートのエースが出てこない」(1975/12/5 シングル)
  詞:竜真知子 曲:森田公一
 楽曲3:「春一番」(1975/4/21 アルバム『年下の男の子』)…47年ぶり2回目
  詞・曲:穂口雄右
・歌唱前テロップ:キャンディーズ50周年 紅白SPメドレー 「年下の男の子」「ハートのエースが出てこない」「春一番」
・歌唱中テロップ:キャンディーズ50周年 紅白SPメドレー
・演奏時間:3分45秒

 VTRはもちろんキャンディーズ。「春一番」「暑中御見舞い申し上げます」に伝説の後楽園球場ラストライブ、近年のソロライブが振り返られます。スタジオからの歌前トークなのでおそらく収録、紅白での歌唱は「なんだかいまだに信じがたい気持ちですね。元々キャンディーズはこのNHKの歌番組のために結成されたグループなんですね。なのね懐かしい場所に帰ってきたなぁという感じがします」。今回の3曲、どんな想いで届けて頂くかについては「長いこと応援してくださってる皆さんや、メンバーだったスーさんとミキさんにも感謝の気持ちを込めて、色んな世代の方に楽しんで頂けるように歌いたいと思います」と答えます。スタジオには150人を超えるキャンディーズ親衛隊の方がいるそうです。

 生バンドを従えてのパフォーマンス、客席からは紙テープが飛んでいます。この紙テープ、危険という理由で現在のライブでは禁止行為となっていますが、昭和の時代ではよくある光景でした。あの後楽園ラストライブ映像も、ステージに投げられた紙テープの量はすごいことになっています。また、シャンデリアが目立つセットはディナーショーに近い雰囲気で、キャンディーズ当時から全員が年を重ねたことを如実に表しているアイテムになっているように見えます。

 「ハートのエースが出てこない」では、過去のNHK出演映像がバックに映し出されました。もちろん第26回・第27回紅白歌合戦の映像も含まれています。ランさんだけでなく、スーさんミキさんの映像もありました。

 原曲より速いテンポの「春一番」の演奏も、当時の雰囲気を彷彿とさせます。親衛隊のコールもバッチリ揃っていますが、50年近く応援している猛者だけでなく解散後に加わった方も何人かいるように見えます。そして何よりランさんの歌声は当然昔より艷っぽくなりつつも衰えに関しては全く無し、現役の歌手として全く不足のない魅力を当時を知るファン以外にも感じさせるパフォーマンスの源泉となっています。

 ホールからの生中継が紅白に関しては理想ですが、一方でスタジオだからこそこの光景が再現出来たステージであることも間違いありません。現役当時の1975年~1977年も親衛隊らしき方はいらっしゃいましたがこんなに大勢ではなく何人かという程度(解散直前の第28回は幾分声援も大きめでしたが)、これだけの熱狂が100%伝わるステージはホールだと難しかったでしょう。蘭さんの娘・趣里が現在朝ドラの『ブギウギ』で頑張っていて、演者のみならずセットや歌も随所に拘りを見せる名作となっていますが、このステージもまた”あの時の歴史と熱狂を伝える”という堅持や誇りをスタッフ・演者・親衛隊全てが一体となって作り上げた物ではないかと思います。一見すると紅白よりも『SONGS』に近い内容にも見えますが、より多くの人が見る紅白だからこそやる意味・価値が大きいのも確か。これは今後紅白のみならず音楽番組でより素晴らしいステージを作り上げるうえで、非常に重要なサンプルとして業界内外で何度も振り返られる映像になるような気がします。

ウラトーク

 けん玉の話が続きます。尾形さんのせいで1番に戻った関さんも「考えただけで無理だわ」と称賛。結局KOOさんはけん玉の話をしただけで退席、YouTubeでは衣装を見せています。12月の頭から生地を用意しているのだそう。

 「けん玉もそうだし、コメントもそうなんだけど、集中させて欲しい!」と向井さんが来年の課題として強く訴えます。「ちょっと前にもういなくなるとか、ゆずさんのコメント来ますよという時にはゲスト呼ばないとか、しないと!いきなり短めって出されても組み立てられないんですよノブさんいながらじゃ!」「尾形さんのボケやってる時、多分俺らゆずさんと写真撮ってたからなこうやって」と猛クレーム。そんな中、ゲストに大泉洋が登場。

 「ランちゃんがこれだけ歌ってるのによくあんだけKOOさんいじってますね!」と早々に呆れ顔。けん玉の事情をあらためて大泉さんに話してます。「いや僕はでもちょっとそれはなんかギネス認定って言っていいのかなぁ」、3年前のけん玉トップバッターの際は何回か落とした方が面白いかよぎったそうですが、尾形さんのミスは「絶対やっちゃいけないことだ」「芸人さんだとしてもやっていいことと悪いことがあります」。必死で尾形さんも弁解しますが、あくまでわざとやったことという体で喋ってます。

 

特別4(全体40):YOSHIKI(2年連続13回目)

・1989年デビュー 第42回(1991年)初出場
・1965年11月20日生 千葉県館山市出身
・楽曲1:「ENDLESS RAIN」(1989/4/21 アルバム『BLUE BLOOD』)…3年ぶり3回目
・楽曲2:「Rusty Nail」(1994/7/10 シングル)…29年ぶり2回目
  詞・曲:YOSHIKI
・歌唱前テロップ:ENDLESS RAIN、Rusty Nailをメドレーで
・歌唱中テロップ1:友に捧げる
・歌唱中テロップ2:盟友たちと届ける
・演奏時間:4分6秒

 YOSHIKIの映像を振り返るVTR、映画初監督やワールドツアー(世界3会場日本人初制覇)に日本人で初めてTCLチャイニーズシアターの手形足形が刻まれた足跡が取り上げられます。歌唱前のインタビューでは充実した年であったとともに、HEATHとの別れも触れます。「X JAPANのギターのHIDE、ベースのTAIJI、そして今回HEATHが旅立ってしまって、自分はなんでまだ生きてるんだろうと、生きてていいのか、そんな風に思っているんだけど、だけどこうやって今日素晴らしい仲間たちが集まってくれて、ファンのみんなに支えられて、頑張っていられるんだっていう、そういう想いを今から皆さんに伝えられればと思っています。よろしくお願いします」

 「ENDLESS RAIN」はピアノソロ、歌はYOSHIKI自らの肉声で披露。長い間彼が携わるアーティストのパフォーマンスをテレビで見ていますが、彼が歌っている姿は初めて見たような気がします。さすがにサビは1オクターブ下げた歌唱でした。バックの映像は1990年代にX JAPANが活躍したVTR。HIDEとHEATHメインの内容、ただ意図的に思えるほどボーカルが映らないのはどうしても気にかかります。

 豪華なミュージシャンとの共演は「Rusty Nail」、YOSHIKIはピアノの前からドラムセットに移動。ボーカルはHYDE清春松岡充(SOPHIA)KAMIJO (Versailles)。ベースは難波章浩(Hi-STANDARD)明希(シド)George (LADIESROOM)。ギターはHIROTO(アリス九號.)海(vistlip)ナカヤマアキラ(Plastic Tree)、そしてPATA (X JAPAN)。メインで映るのはHYDE・清春・松岡充に難波章浩辺りで、下段にいたPATA除く他6名はショット少なめでした。1990年代~2000年代のヴィジュアル系に思い入れのある視聴者にとっては考えられないほど豪華なメンツですが、肝心のX JAPANの現状を考えるとやはり多少複雑な面はあります。

ウラトーク

 大泉さんが司会でけん玉をやってた時は押していたそう。自分のミスで押すわけにはいかない、巻きたいという極めて強い気持ちで臨んだそう。あの時は北島三郎さん(当時リモート出演)が終わった時点で45秒押し、それを取り戻すのに1時間半かかったのだとか。

 「歌手として出たんですよ私」、パンサーの3人もステージを見てましたと話しますが「この調子じゃ見てないでしょ」「こうやってゲスト来て喋ってたわけでしょ?」「ながら見じゃないですか!」とバレバレ。福山さんからは「よく出ると言ったね」「すごい緊張するよ」と言われたそうで、実際直前になると相当緊張したそう。ただディズニーは「だいぶ気が楽でした」ということ。

 「フロアディレクターからOKって僕の絵が切れた段階で腰砕けて、はけてくださいってなるから」「廊下出たら今度はニュースの間にMCの皆さんの早替えがあるもんだから司会通りまーすと言われて。どけてくださーいと言われて」「まさか次の年は避けられる側になるとは」。大泉さんの漫談状態になってます。そこからうまくステージの話に移行、「例えばここでいまピアノ弾きながら弾いてるとか、化け物ですよ。とんでもない緊張だなぁこれ」「(ダンスしながら)考えられない」「ここでこれだけのパフォーマンスする人たちってのはね、ある意味無神経なんかじゃないと思って」「なんて強い精神力だろうと思いました」。司会については始まる前が緊張、最初の15分はトチリたくないもののそこを乗り越えると楽しいと話しています。

 前回一緒に司会した橋本さんについても化け物呼ばわりしてます。「いつまで経っても緊張しないって言うんですもん」。そんな中で映像はあり得ないメンバーが勢揃い、「ちょっと呼んじゃうんだよねで来なかったらどうなってたんでしょうね。ドラムやって終わってましたよ」「まあ大晦日だからね、皆さん時間あるんでしょう割とね」

 

企画2:テレビ放送70年特別企画「テレビが届けた名曲たち」

 まずはコーナー全体を紹介するVTRから始まります。東京タワー・万博・おしん・やすきよ・平成・皇太子妃殿下結婚…。歌については「上を向いて歩こう(夢であいましょう)」「ひょっこりひょうたん島」「涙をこえて(ステージ101)」「LOVE LOVE LOVE(愛していると言ってくれ/TBSテレビ)」「地上の星(プロジェクトX 挑戦者たち)」「ありがとう(ゲゲゲの女房)」の映像が一気に振り返られました。

企画2(全体41):ポケットビスケッツ(25年ぶり2回目)

・1996年デビュー 第49回(1998年)初出場
・52~59歳(設定は12歳~90代)・3人組
・楽曲:「YELLOW YELLOW HAPPY」 (1996/9/4 シングル)
  詞:CHIAKI&ポケットビスケッツ 曲:パッパラー河合
・歌唱中テロップ:伝説のユニット 25年ぶりの紅白
・演奏時間:2分50秒

 「お久しぶりダニー!」の第1声とともに演奏開始。101スタジオ・客入りのパフォーマンスです。CHIAKI(千秋)のタスキには1784892の数字、これはポケビ新曲発売のための署名で集まった数を示しています。TERU(内村光良)のキーボードもUDO(ウド鈴木)のピアニカも往年の動き、CHIAKIもいい加減年齢を重ねているはずですが歌声・ルックスとも25年前とほぼ変わっていません。特に発声の良さは目をみはるものがありました。

 

ウラトーク

 大泉さんはこの後の予定をあまり把握出来ていないようで、「最後エンディング出るだけでいいんじゃないかと」。これには「何かあったらどうするんですか!」「今日呼ばれたんですか?」と総ツッコミ。司会になった途端一つも台本を読んでないということ。ただ「紅白ナメないでください」と言った尾形さんには「あなたに言われたくないんだよ!絶対やっちゃいけないことやってますからね」と猛反撃します。

 「テレビ局のボーダレスですね完全に」「NHKはバンバン使いますからね」とウリナリの映像を見ながら。大泉さんは当時バリバリ学生、まだどうでしょうは始まっていない頃。冒頭の登場から一同興奮、ただ大泉さんは「いま確実に内村さん唾飲みましたね。あれ緊張してましたよ」としっかり観察。

 向井さんはポケットビスケッツのたまごっちを育てていたと思い出を語ります。一方大泉さんは内村さんとのやり取りで「目指すのは大泉くんが司会した時の玉置浩二さんです」とメールが返ってきて、彼はどこを目指しているのかと大変困惑した様子。

 「千秋さん相当仕上げてきましたね。痩せてますもん」。内村さんについては「ノッてるけど一つも弾いてないでしょ」「緊張するなぁなんて言ってたけど、内村さん何もしてないじゃないですか」とツッコミ連発でした。

企画2(全体42):ブラックビスケッツ(25年ぶり2回目)

・1997年デビュー 第49回(1998年)初出場
・48~58歳・3人組
・楽曲:「Timing」 (1998/4/22 シングル)…25年ぶり2回目
  詞:森 浩美&ブラックビスケッツ 曲:中西圭三&小西貴雄
・歌唱中テロップ:伝説のユニット 25年ぶりの紅白
・演奏時間:2分26秒

 こちらは「みんなー、悪い子にしてたか!」の第1声、せり上がりで悪役っぽく登場するシーンは25年前の紅白に無かった演出です。先ほどポケビの2人がキャイ~ンポーズをしていましたが、こちらも2人が同じポーズを披露。不思議な所で対抗しています。1コーラス終了後、間奏ではビビアンが台湾語でMC。こちらも25年前と比較して、ブランクなどまるで感じさせないパフォーマンスです。

 25年前ほど長くはありませんが、南々見狂也(南原清隆)はトランペットのソロ演奏を披露。それに対抗するようにTERUもキーボードをソロ演奏、近年めっきり見られなくなったウッチャンナンチャンの共演にX (Twitter)では多くの視聴者が湧いていました。

 ラストサビはポケビ3人と一緒に、上に羽織っていた衣装を全員1枚脱いで一緒にパフォーマンス。25年前の紅白と比べてより豪華になり、演奏時間も4分21秒から5分近くにまで増加。正直当時以上に贅沢な内容になるとは、そもそも今回のパフォーマンスが見られるとは全く想像もしていなかったので本当に嬉しいステージでした。

 有吉さんもパフォーマンス後に合流。「(TERU)久しぶりに6人揃いました!」「このメイクで出るとは思いませんでした。まあでも全力を尽くしました!」「(南々見)みんなどうだった、良かったか?」、逆に有吉さんが緊張している状況です。そんな彼に4回司会を経験した先輩からアドバイス。「楽しんでますか?めっちゃこれから、もっと感動するから!楽しんで紅白を!」

ウラトーク

 「これはね、ちょっとダンスがありますからね。こっちの方が緊張すると思うなぁ」「内村さん適当に弾いてればいいもん」。ウラトーク席は全員懐かしいモード、向井さんはこの曲のタイトルの由来を話してます。

 ウッチャンナンチャンの並びに大興奮。ただ大泉さんは「(内村さんの)パフォーマンス地味じゃないですか」とバッサリ。大盛り上がりでテンション上がるウラトーク席、有吉さんの登場にはその深い関係性を向井さんがしみじみ語っています。

企画3(全体43):薬師丸ひろ子(2年ぶり4回目)

・1981年デビュー 第64回(2013年)初歌唱
・1964年6月9日生 東京都港区出身
・楽曲:「セーラー服と機関銃」 (1981/11/21 シングル)…31年ぶり2回目
  詞:来生えつこ 曲:来生たかお
  Key:井上 鑑 Dr:山木秀夫 Ba:高水健司 Gt:今 剛 Mand:吉川忠英 Perc:三沢またろう Cho:佐々木久美 Str:金原千恵子ストリングス
・歌唱前テロップ:1982年 ザ・ベストテンで1位を獲得「セーラー服と機関銃」
・歌唱中テロップ:社会現象になったデビュー曲
・演奏時間:3分31秒

 続いての映像はテレビ放送最初の日からずっと活躍している黒柳徹子のVTR。『夢であいましょう』『銀座わが町』『第32回NHK紅白歌合戦』『連想ゲーム』、そして12月8日にあいみょんが出演したばかりの『徹子の部屋』が振り返られます。その中でのメインは『ザ・ベストテン』、ただTBSテレビからの提供は映像ではなく写真です。

 御年90歳ということで、当時の番組を彷彿とさせるソファーで着席のトーク。ベストテンの司会については「とにかくね、正直にやらないといけないという、それが一番でしたね」「1位の人を1位と必ず言わせてください、と」ということを心がけていたそうです。というわけで101スタジオにいる薬師丸さんと中継。「この歌は皆さんの思い出の1ページになっているとしたら、なるべく当時のままこの歌を皆さんにお届けしたいと想っております」。当時は学生だったと徹子さんが補足、薬師丸さんは歌が身近であることを実感したことを思い出として話します。曲紹介は徹子さんが担当。「それではお聴き頂きましょう。1982年1月14日の第1位、「セーラー服と機関銃」。薬師丸ひろ子さんです、どうぞ!」。後ろの映像は「テレビ 70th 1953-2023」、その字体や背景色も往年の番組をイメージしたものになっています。

 101スタジオからの歌唱、残念ながら当時の生放送ではなく2年前同様の事前収録です。ただ生バンドを従えての演奏は、放送当時と共通しています。学業優先で1982年の年末は芸能活動休止中、紅白歌合戦では本来持ち歌ではない桜田淳子が歌ったというエピソードもありますが、それだけ当時広く世の中に浸透した大ヒット曲だったということです。楽曲だけでなく映画もリメイク多く、何年か前には橋本環奈主演で公開されたことも記憶に新しいです。伸びのある澄んだ歌声は相変わらず、近年たびたび紅白歌合戦に出演していますが、まだあと数回は見ることになりそうな気がしました。

 

ウラトーク

 楽しみたいムードですが、大泉さんのボヤキにパンサー3人とも大クレーム。視聴者からも「ボヤキが凄い」「文句が凄い」との書き込みが多々寄せられているようです。「後ろ向いて弾いたりとかしてたけど本当に弾いたら静かだったじゃない」「ショーですから!」「パフォーマンスのメリハリと言いますか」とツッコミが止まりません。

 話題は徹子さんに映ります。「『徹子の部屋』にはお出になられました?」「(ないとの返答に)ないんですか?へぇ~」、これにはパンサー3人猛クレーム、ついには「大泉さんの時間長くないですか?」「長いっすね!ずーっと居てくれてるけど」。ものすごく嫌な感じで接し始める大泉さん、「帰らしてください!」「帰ってくれよもう!」という状況になってます。ちなみに大泉さんは4回ほど出ているそうです。色んな手法が通じないとの話ですが、大泉さんの攻略法は「とにかく負けずに喋ること」「時間が限られてますから基本生放送と同じなので、振られたらすぐ喋る、そして簡潔に終わらせる」。あとは乱暴にモノマネも振られるとのこと。とは言えこの世界に入ったからにはやはり出たいということでまとめました。ただ「こんだけ売れててお出になってないってことは、多分何かあるんだろうなぁ~」という姿勢は頑なに貫いています。

 パンサー3人の願いとは裏腹に「まだ大丈夫」とのカンペ、「楽屋で見るんだったらここで見る方が楽しい、広いし」と居座る気マンマンです。ただここで薬師丸さんの話に触れるのは、さすがMC経験豊富と言ったところでしょうか。SONGSにも何度も共演、テレビで言えないような話もしてるとか。例えば寅さんで渥美清さんを少し怒らせた方がいたというブラックユーモアも話せるとのことです。

 

企画2(全体44):寺尾 聰(16年ぶり3回目)

・1966年デビュー、1970年ソロデビュー 第32回(1981年)初出場
・1947年5月18日生 神奈川県横浜市出身
・楽曲:「ルビーの指環」(1981/2/5 シングル)…16年ぶり3回目
  詞:松本 隆 曲:寺尾 聰
  Key:井上 鑑 Dr:山木秀夫 Ba:高水健司 Gt:今 剛
・歌唱前テロップ:テレビが届けた名曲「ルビーの指環」
・歌唱中テロップ:テレビが届けてきた名曲たち
・演奏時間:3分51秒

 再びホールに戻り、番組のSEに乗せて寺尾さんが登場(さすがに回転扉は無しでしたが)。番組殿堂入りを記録した12週連続1位という偉業が紹介されます。しっかり手を握り合う2人、当時の思い出は「1位になるといっぱいプレゼントいただいて、ある時はコーヒーいただいて、ある時は煙草バカバカ吸った当時おかしかったんで、ダンボールごと昔の似顔絵を入れたハイライトを作って頂いて、いっぱいいただいたり」「12週連続1位獲ったら黒柳さんがパンダのぬいぐるみを着てくださるということをおっしゃって」「私が入るって言ったんです。そしたら本当に12週連続1位だった、それでね私はねパンダに入って、パンダのすごくいいぬいぐるみを作って頂いて、途中で終わった時にね頭を取って、自分の顔にもね黒いこういう…パンダにして。面白かったねあの頃はね」。話は尽きない所ですが、時間も無いのでスタンバイ。最後に寺尾さんは、初出場した紅白歌合戦の司会も黒柳さんだったことも付け加えて話します。こちらも曲紹介は黒柳さん。「時代を超えて愛されてきた名曲です。お聴きください。「ルビーの指環」です。寺尾聰さん、どうぞ!」

 第58回同様、今回のステージも編曲・プロデュースを担当した井上さん率いる生バンド演奏。一旦ヘッドフォンをして歌いますが、間もなく外しての歌唱に入ります。イヤモニが紅白で常備されたのは意外に遅く2000年代中盤辺りになってから、1981年当時の歌番組はそもそもこういった物がありません。山木さん・高水さん・今さんと超ベテランスタジオミュージシャンを従えて歌いますが、ここはもう40年近くにわたる阿吽の呼吸も自然に生まれているように見えます。

 名曲であるだけでなく、演奏やパフォーマンスも端々までレジェンドのレジェンドたる所以を感じさせる超名演でした。76歳と言えば第50回・1999年に「元禄名槍譜 俵星玄蕃」を歌った三波春夫先生と同い年ですが、それと同じくらいの驚異的なステージだったのではないかと思います。

 

ウラトーク

 寺尾さん登場にウラトークも湧きます。「楽屋がいま隣でした」「なまじっか隣が寺尾さんでしたからね、発声練習がちっとも出来なくてね」。大泉さんは『ラストマン』で共演、「最後泣く泣く逮捕しましたよ」と話してます。

 「格好いいんですけどね、ちょっとやっぱりこう大御所ですからね声が小さいんですよ。普通に喋ってたらねたまーに声聴こえてないですけどね、分かったふりして頷くんですね」、これには「なんでそんなこと言うの?なんでそんなこと言ってくれるのこの人!?」と完全に呆れてます。ステージが始まると「なんですかこの渋い絵。このまたねぇバンドの皆さんが豪華なんですね」。たださすがに大泉さんもここで退席の指示。その後、「ウラトーク狙ってんじゃない本当に。もう全部やりたいんじゃね?」「司会も歌手もウラトークも。全て制覇して…」

 入れ替えで登場したのはハマいくの2人。「紅白出た!」と喜ぶ濱家さん。ステージはやはり緊張したそうで、ピアノを弾く手はこの日初めて震えたとまで話してます。例の「いくぜ紅白!」については、「紅白用にちょっと歌が短くなって、繋ぐ所があったんですよ。そこにいつも通りの感じの雰囲気でいけないからちょっと間が空いちゃうんすよ。そこを演出の方がね、僕を抜くからアップで抜くから何もなしはちょっときついから、いくぜ紅白的なんどうですかって提案してくれたんです。で、そんな俺みたいなんがいくぜ紅白って意味分からなくないですかみたいな。いやでもいきましょう、めっちゃカッコよく抜くんでって勇気出していくぜ紅白言うたんですよ。見たら、めっちゃ引きの映像やった」「終わってから映像見たらめっちゃ引き、ドン引き」。パンサーから見るとやはり悪目立ち感凄め、なお袖ではかなりウケていたそうです。

 

紅18(全体45):Ado(初出場)

・2017年歌い手デビュー 2020年メジャーデビュー
・2002年10月24日生 東京都出身
・楽曲:「唱」(2023/9/6 配信)
  詞:TOPHAMHAT-KYO (FAKE TYPE.) 曲:Giga & TeddyLoid
・歌手テロップ:初出場
・歌唱前テロップ:今年大ヒット「唱」を生歌唱
・歌唱中テロップ:京都の重要文化財 檜舞台から
・演奏時間:3分28秒

 VTRでこれまでの足跡が振り返られます。圧倒的な歌唱力を武器に日本の音楽界を席巻、「唱」は12/22時点でストリーミング14週連続1位と紹介。そんなAdoの由来は狂言の用語、「誰かの人生の脇役として歌で支えたい」という思いが込められているとか。というわけで今回は彼女ゆかりの場所、なんと京都・東本願寺の能舞台から生中継。なお浜辺さんは彼女との交流あり、お互い「どんちゃん」「かっちゃん」と呼ぶ仲だそうです。

 和楽器のソロ演奏から開始、厳かです。能舞台の奥にいる彼女は檻の中にいるシルエット。一番奥に大型ビジョン、各所から放たれる色とりどりの照明とレーザー光線。日本伝統の美しさと近代の最新技術が両立している極めて新しいステージです。夜景に交じる縦線は自然現象の雨模様、雪が降った第60回・2009年における福山雅治のグラバー園中継を思い出させる部分もありました。

 パフォーマンス後、シルエット姿のままでトークあり。初出場の感想は「とても緊張していましたが、ゆかりのある場所でとても楽しいステージが出来たと思います。ありがとうございました」。来年への抱負は「初めての海外ツアーと国立競技場でのワンマンライブを控えておりますので、全力で挑もうと思っております」

ウラトーク

 ラップパートの時にアップで映った場面は「あの辺ではテンション上がって気持ち良くなってたかも」「それはいくぜ紅白前?」「いくぜ紅白前です」「前か。前でもう気持ち良くなってんだ。で、いくぜ紅白だ」「いやだから気持ち良くなって言ったみたいな言い方するのやめてください。俺の独断じゃないっすよ」。ただ濱家さんは生田さんがいて頼もしかった、ディズニーも凄かったと話します。そんな彼女も、1人になるとかなり緊張していたよう。「堂々としている振りはうまいんです。中身はもうブルブルしながらやってます」と生田さん。

 彼女はオーディションでディズニーを勝ち取ったと濱家さんが解説。そこからニヤニヤしながら向井さん、「要はこんな芸人でね、紅白出て、そこでいくぜ紅白はいないんですから」。ついには生田さんまで「あんな煽りが出来るのはVaundyさんか濱家さんくらいですよね」と言い出します。ちなみに濱家さんは「”いくぜ紅白”か”待たせたな紅白”」で迷っていた模様。リハーサルの空気は凄かったようで、客席に偉い人がいたりするため全く言えなかった様子。

 有吉さんとの絡みについては「抱きしめたい位の愛情を感じた」。あの無茶ブリは台本無し、あれがあってほぐれたと話しています。生田さんはやはり凄いという話になりますが、SNSでは「濱家という重りを外した生田絵梨花」という書き込みもあったようです。

 『Venue101』で歌をやる時点で、紅白に出るということについてはボケで言っていましたが、夏くらいにバズってからは「めっちゃ意識してた」と話してます。実際決まった時は、嬉しくて生田さんとハイタッチしたと話していました。「特別枠ですからね我々は今回。クイーンと一緒」「クイーン、アダム・ランバート、濱家ですから」

 

白19(全体46):エレファントカシマシ(6年ぶり2回目)

・1981年結成、1988年デビュー 第68回(2017年)初出場
・56歳~57歳・4人組
・楽曲:「俺たちの明日」(2007/11/21 シングル)
  詞・曲:宮本浩次
・歌唱前テロップ:35周年 集大成のパフォーマンスを
・歌唱中テロップ:人々を鼓舞する魂の応援歌
・演奏時間:2分49秒

 一通りのやり取りが終わった後、高瀬アナがメモを手にしながらアナウンス。「先ほどの三山さんのけん玉世界記録ですが、あらためて映像を確認したところ、残念ながら失敗していました」。会場ざわつき、妙な空気に包まれます。

 そんな中での歌前トークは新しい学校のリーダーズ・SUZUKAがエレカシと一緒に登場。「宮本さんの写真を見せて美容室に行って髪を切ってもらったりとか、ライブでエビバディーって言ったり、欲しいんでしょもほぼ宮本さんみたいなものなので、本当に隣にいることが興奮の極まりでございます」と筋金入りの大ファン。こう喋っている横で、宮本さんも不必要に髪をグチャグチャさせたりピースさせたりで落ち着きがありません。SUZUKAさんに感謝をしながらスタンバイします。なお有吉さんもエレカシの大ファン、曲紹介も緊張・興奮気味に担当します。

 「エブリバディ!」と何度も口にしながら歌う宮本さんは相変わらず落ち着きがありません。ステージから降りてカメラアップ、審査員席の前に移動して石森さんと肩を組み、司会者と絡んでついには階段を昇ってNHKホールの客席を一周。ロックバンドの紅白出演は過去にも多くありますが、こんなにボーカルが動くステージは今回の宮本さんが初めてです。最後は「2024年、素晴らしい年にしようぜエブリバディ!」で締め。訂正アナウンスでざわついた空気を一気に修正する名演でした。

 

ウラトーク

 けん玉記録が実は失敗していたというアナウンスを見て、ウラトーク席がとんでもない空気になっています。「なんで言うの別に?成功でいいじゃない!?」「いくぜ紅白差し込んだから?」

 この流れで聴く「俺たちの明日」は妙な説得力。「みんな戦ってる」「不器用なんだ人間は」「いこうぜ!いくぜ紅白!」、生田さんのガヤがやたらハマってます。「やっぱ宮本さんが言うといいですね。重みが全然違う、いこうぜの重みが」「(生田)やっぱ”いくぜ”じゃなかったじゃないですか。”いこうぜ”だ。そうだ、その少しの違いが」「(濱家)いや変わらんやろ。言ってる人やって結局」

 「(生田)ステージを自由に動けるって凄いですよね」「(濱家)こんなこと絶対できへん、絶対無理」。カメラを掴むパフォーマンスを見て「(生田)こういうのこういうのいいんじゃないですか」「こういうの見たかった濱家さんの」「芸人がさ、やっぱり」、ただ濱家さんは「いや俺があんなことしたら滑り弾け飛んでると思う」。縦横無尽に動くパフォーマンスに驚き、「決めてなさそうですね」と生田さんが推測。

 「(ステージを見て、生田)あ、投げキッスだ、足りなかったの」、ただ実際濱家さんにやらせて見ると周り見事なほど反応ゼロ、「滑り弾け飛んでるやないかい!」と強めの自虐ツッコミが発生しました。「今年のうちなんでまだ。来年には持ち越さないんで大丈夫です」「持ち越すわ今のダメージ!今日中に治らへんであの件は!」

 

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