平成だけでなく、昭和でも20回以上連続して紅白歌合戦に出場した歌手は意外と多いです。ただ令和になった現在では若者どころか、還暦前後の人にとっても更に上の世代なので、実績の割に振り返られる機会が年々少なくなっていきます。
紅白歌合戦を取り上げる以上、やはり昭和のベテランを振り返るのは不可欠だと思います。というわけで今回は生誕99年、没後21年を迎える三波春夫大先生の特集です。
三波春夫の紅白歌合戦エピソード
紅白歌合戦初出場は35歳
戦前の三波先生は「南篠文若」という芸名の浪曲師、歌謡曲とは別のフィールドで活躍していました。応召後に捕虜となり、シベリア抑留生活を余儀なくされた影響で、日本に帰国したのは戦争が終わって4年経った1949年のことです。浪曲師に見切りをつけ、「メノコ船頭さん」で「三波春夫」としてデビューしたのは1957年。34歳での歌謡界デビューは当時のみならず現在でも異例の遅さですが、2枚目のシングル「チャンチキおけさ」が早々に大ヒット。ヒットはこの曲だけに留まらず、翌年第9回(1958年)に「雪の渡り鳥」で紅白歌合戦初出場を果たします。
紅白歌合戦の回数が示す通り当時はまだ歴史が浅いので、戦前から活躍したベテラン歌手の初出場は当然多くいます(最年長は第5回・オペラ歌手藤原義江の56歳)。同年にもシャンソン歌手石井好子は36歳で初出場でした。ただ三波先生はその後29年連続で紅白歌合戦に出場、30代で紅白に初出場した歌手が20年連続出場した例は他に村田英雄・菅原洋一・天童よしみの例があるのみです。
白組トリで計5回・大トリでも3回歌唱
デビューは遅くても浪曲師時代を含めればキャリア十分、2回目の出場で早くもトリ前の曲順になります。第12回(1961年)には、4回目の出場で初トリながら大トリに抜擢。黎明期は回数が少ない分何人かはいますが、これ以降4回目までで大トリに抜擢された例は紅白史上1度もありません。
大トリで歌ったのは第12回(1961年)・第15回(1964年)・第17回(1966年)。1964年は東京オリンピックが開催された年でもありました。
特筆すべきは、第15回・第17回の対戦相手が美空ひばりであることでしょうか。既にひばりさんの記事で書いた通り、彼女は13回のトリ・11回の大トリを務めています。大トリでない紅組トリは2回だけですが、その対戦相手はいずれも三波先生でした。つまり、三波先生は美空ひばりが大トリを譲った唯一の白組歌手ということになります。
紅白最年長記録を多数保持
初出場の第9回は戦前からの歌手が残存、第10回~第16回までは10歳年上の森繁久彌がいました。ただ第17回に森繁さんは辞退、結果1923年生まれの三波先生が紅白最年長歌手となります。
以降、三波先生より年上の出場歌手は、第40回(1989年)の藤山一郎(第24回・第30回は特別出演)と田端義夫のみとなります(第24回は渡辺はま子の特別出演もあり)。したがって第17回(1966年)~第37回(1986年)と第50回(1999年)、合計22回にわたって最年長出場歌手として君臨する形になります。これは第44回~第62回の北島三郎・17回(第50回とザ・ドリフターズのいる第52回は除外)よりも多い数字です。また第50回における76歳での出演は、当時第40回の藤山一郎(78歳)に次ぐ最年長記録でした(現在は北島三郎と美輪明宏が更新)。
浪曲歌謡の第一人者
記事のラストに歌唱曲データ表を記載しますが、三波先生は誰よりもセリフ付きの楽曲を多く歌っています。「忠次流転笠」の国定忠治に始まり、西郷隆盛に至るまで10名近くの実在人物を紅白歌合戦で取り上げています。1970年代中盤までの歌唱曲は、歴史上の人物を題材にした浪曲歌謡が主でした。
「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」など音頭のイメージも強いですが、こちらは第40回の復帰時以外歌われていません。紅白歌合戦で音頭調の楽曲を歌う機会は、「世界平和音頭」があるくらいで実はほとんどなかったりします。
紅白歌合戦における花柳社中の先駆け
ほぼ毎年演歌を中心に1ステージは担当する花柳糸之社中も、紅白歌合戦で最初に見られたのは三波先生のステージでした。
昭和40年代以前はダンサーのテロップが無いので定かではありませんが、少なくとも第19回(1968年)「世界平和音頭」では実況アナウンサーによって”花柳社中”の名前が確認できます。
1970年代後半は「おまんた囃子」などお祭り調の明るい曲を歌うことが多く、和服を着た女性ダンサーが目立つようになりました。第27回(1976年)にはじめて花柳啓之社中という名前がクレジットされます。既にその時点で花柳糸之が振付担当ですが、晴れて花柳糸之社中になるのは第30回。以降、第34回まで毎年三波先生のバックに登場します。次回以降のステージ編記事で、これについてはもう少し細かく触れる予定です。
ステージではほぼ一貫して着流しの和服姿
三波先生の一般的イメージはやはり洋服・スーツではなく着流しの和服だと思われます。紅白歌合戦、映像のない時代は例外が存在する可能性も僅かにありますが、少なくとも第22回以降は全くの例外無く和服姿での歌唱でした。
芸者姿で歌う女性は戦前にもいましたが、洋装ではなく和装をトレードマークにした歌手も三波春夫が初めてではないかと思われます。第12回(1961年)には同じ浪曲出身の村田英雄が初出場、以降1980年代後半まで2人の和装は紅白で欠かせない形になりました。
北島三郎も和服のイメージが強いですが、スーツで歌うことも少なくありません。細川たかしも和服が多くなるのは主に21世紀以降です。実は村田英雄も第34回(1983年)の「空手一代」は道着姿なので例外があります。その点では、紅白歌合戦でもっとも和服・着流しで一貫していたのは三波先生と考えて良いかもしれません。
なおステージ以外は必ずしもこの限りでなく、スーツやタキシードで出演した場面も何度かあります。また1970年代後半~1980年代は歌手参加の演出が多かったので、時によっては変な格好をさせられる場面もあります。これについても次回以降の記事で触れていく予定にしています。
三波春夫の紅白データ~31回分のまとめ
楽曲は発売日が不明な曲が大半です。不明な部分はXXと表記しています。
1968年集計開始のオリコンについては、「赤垣源蔵」以外紅白歌唱曲については100位圏外でした。そのため今回、「主なデータ」は「取り上げた人物」という項目とします。また日本レコード大賞などの「主な受賞」も参加がないので項目から外しました。なお1986年には紫綬褒章を受章しています。
作詞の北村桃児は三波先生本人のペンネームです。「俵星玄蕃」から始まる長編浪曲歌謡は、全て本人による作詞でした。
出場回 年齢 |
歌唱曲 | 作詞者 作曲者 |
発売日 | 曲順 | 取り上げた人物 | 他の発売曲 |
第9回 (1958年) 35歳 |
雪の渡り鳥 | 清水みのる 陸奥 明 |
1957/10/XX | 白組9番手/25組中 | 鯉名の銀平 (長谷川伸原作戯曲の 登場人物) |
・旅笠道中 ・天竜しぶき笠 ・佐渡おけさ |
第10回 (1959年) 36歳 |
沓掛時次郎 | 門井八郎 長津義司 |
1959/11/XX | 白組トリ前 | 沓掛時次郎 (長谷川伸原作戯曲の 登場人物) |
・大利根無情 ・忠太郎月夜 ・関の弥太っぺ |
第11回 (1960年) 37歳 |
忠治流転笠 | 猪又 良 長津義司 |
1960/6/XX | 白組トリ前 | 国定忠治 | ・一本刀土俵入り ・桃中軒雲右衛門 |
第12回 (1961年) 38歳 |
文左たから船 | 大高ひさを 倉若晴生 |
1961/11/XX | 大トリ | 紀伊国屋文左衛門 | ・名月綾太郎ぶし ・桃中軒雲右衛門とその妻 |
第13回 (1962年) 39歳 |
巨匠 | 三波春夫 福島正二 |
1962/11/XX | 白組13番手/25組中 | 吉川英治 (この年逝去の作家) |
・都々逸横丁 ・南部坂雪の別れ |
第14回 (1963年) 40歳 |
佐渡の恋唄 | 萩原四朗 春川一夫 |
1963/6/XX | 白組トリ | ・東京五輪音頭 ・高杉晋作 |
|
第15回 (1964年) 41歳 |
俵星玄蕃 | 北村桃児 長津義司 |
1964/4/XX | 大トリ | 俵星玄蕃 (忠臣蔵講談における 創作上の人物) |
・百年桜 |
第16回 (1965年) 42歳 |
水戸黄門旅日記 | 藤田まさと 福島正二 |
1964/X/XX | 白組16番手/25組中 | 徳川光圀 (水戸黄門) |
・花咲く道場 ・股旅道中 |
第17回 (1966年) 43歳 |
紀伊国屋文左衛門 | 北村桃児 長津義司 |
1966/X/XX | 大トリ | 紀伊国屋文左衛門 | ・東京花笠音頭 |
第18回 (1967年) 44歳 |
赤垣源蔵 | 北村桃児 春川一夫 |
1967/8/1 | 白組トリ | 赤垣源蔵 | ・世界の国からこんにちは ・日本の祈り |
出場回 年齢 |
歌唱曲 | 作詞者 作曲者 |
発売日 | 曲順 | 取り上げた人物 | 他の発売曲 |
第19回 (1968年) 45歳 |
世界平和音頭 | 北村桃児 春川一夫 |
1968/11/XX | 白組12番手/23組中 | ・百年音頭 ・新東北音頭 |
|
第20回 (1969年) 46歳 |
大利根無情 | 猪又 良 長津義司 |
1959/6/XX | 白組12番手/23組中 | 平手造酒 | ・これが呑まずに居られるかい |
第21回 (1970年) 47歳 |
織田信長 | 北村桃児 春川一夫 |
1970/X/XX | 白組12番手/24組中 | 織田信長 | ・靖国の母 |
第22回 (1971年) 48歳 |
桃中軒雲右ェ門 | 藤田まさと 長津義司 |
1960/X/XX | 白組20番手/25組中 | 桃中軒雲右衛門 | ・しあわせを運ぶ道 ・スポーツ行進曲 |
第23回 (1972年) 49歳 |
「大忠臣蔵」より あゝ松の廊下 |
北村桃児 伏見竜治 |
1972/11/XX | 白組16番手/23組中 | 浅野内匠頭 | ・おけさ月夜舟 ・男の浪花節 |
第24回 (1973年) 50歳 |
大利根無情 | 猪又 良 長津義司 |
(2回目) | 白組19番手/22組中 | 平手造酒 | ・にっぽん音頭 ・おじいさんおばあちゃん |
第25回 (1974年) 51歳 |
勝海舟 | 北村桃児 遠藤 実 |
1974/2/XX | 白組トリ前 | 勝海舟 | |
第26回 (1975年) 52歳 |
おまんた囃子 | 三波春夫 三波春夫 |
1975/12/XX | 白組17番手/24組中 | ・ふるさとさん ・ニッコリ音頭 |
|
第27回 (1976年) 53歳 |
人生おけさ | 北村桃児 長津義司 |
1976/6/XX | 白組14番手/24組中 | ・名槍日本号・黒田の武士 ・桃太郎侍の歌 ・奥州の風雲児 伊達政宗 |
|
第28回 (1977年) 54歳 |
三波のハンヤ節 西郷隆盛 |
三波春夫 佐藤川太 |
1976/12/XX | 白組20番手/24組中 | 西郷隆盛 | ・母を想えば |
出場回 年齢 |
歌唱曲 | 作詞者 作曲者 |
発売日 | 曲順 | 取り上げた人物 | 他の発売曲 |
第29回 (1978年) 55歳 |
さくら日本花の旅 | 北村桃児 三波春夫 |
1978/2/XX | 白組20番手/24組中 | ・大日蓮 ・浜田城の商人 海に虹をかけた男 ・ルパン音頭 |
|
第30回 (1979年) 56歳 |
雪の渡り鳥 | 清水みのる 陸奥 明 |
(2回目) | 白組15番手/23組中 | 鯉名の銀平 (長谷川伸原作戯曲の 登場人物) |
・大東京音頭 |
第31回 (1980年) 57歳 |
チャンチキおけさ | 門井八郎 長津義司 |
1957/6/XX | 白組19番手/23組中 | ・日本の名将 武田信玄 ・大阪まつり音頭 |
|
第32回 (1981年) 58歳 |
雪の渡り鳥 | 清水みのる 陸奥 明 |
(3回目) | 白組6番手/22組中 | 鯉名の銀平 (長谷川伸原作戯曲の 登場人物) |
・花の音頭 ・ふれあいの詩 |
第33回 (1982年) 59歳 |
チャンチキおけさ | 門井八郎 長津義司 |
(2回目) | 白組6番手/22組中 | ・大新潟音頭 ・酒ありて |
|
第34回 (1983年) 60歳 |
放浪茣蓙枕 | 星野哲郎 安藤実親 |
1983/2/XX | 白組7番手/21組中 | ・交通安全音頭 ・オホーツク情話 |
|
第35回 (1984年) 61歳 |
大利根無情 | 猪又 良 長津義司 |
(3回目) | 白組17番手/20組中 | ・日本列島渡り酒 ・筑波の鴉 |
|
第36回 (1985年) 62歳 |
夫婦屋台 | 平山忠夫 むらさき幸 |
1983/11/XX | 白組9番手/20組中 | ・限りなき夢 | |
第37回 (1986年) 63歳 |
あゝ北前船 | 北村桃児 浜 圭介 |
1986/6/XX | 白組3番手/20組中 | ・日本ふるさと音頭 ・独眼竜政宗 |
|
第40回 (1989年) 66歳 |
東京五輪音頭 | 宮田 隆 古賀政男 |
1963/6/23 | 白組前半5番手/7組中 | ・百年音頭 ・瞼の母 |
|
第50回 (1999年) 76歳 |
元禄名槍譜 俵星玄蕃 | 北村桃児 長津義司 |
(2回目) | 白組後半9番手/14組中 | 俵星玄蕃 | ・あゝ忠臣蔵 |
コメント