紅白歌合戦・中森明菜の軌跡

 デビュー40周年を迎えた中森明菜、先日はSpotify再生数ランキングを記事にしましたが、今回は紅白歌合戦の出演シーンを振り返ります。

 1982年のデビュー時点で「少女A」が紅白歌合戦出場に値するヒットを記録していますが、紅白どころか日本レコード大賞の新人賞受賞まで逃すという不思議な待遇(他の賞レースでは多くで新人賞を獲得していますが)。とは言え「セカンド・ラブ」「1/2の神話」「トワイライト」「禁区」と次々ヒットさせて、1983年以降は紅白歌合戦に毎年欠かせない存在となります。色々あって1989年以降の出場は無くなりましたが、第53回(2002年)に14年ぶり復帰、活動休止を経て特別出演の第65回(2014年)は再開後初のテレビ出演となりました。

 エピソードも様々ありますが、8回の出場なので小泉今日子中山美穂の時と同様、今回も出演回ごとに記す形とします。

中森明菜の紅白データ~8回分のまとめ

出場回
年齢
歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主なデータ主な受賞他の発売曲
第34回
(1983年)
18歳
禁区売野雅勇
細野晴臣
1983/9/7紅組11番手/21組中1983年オリコン年間17位・日本レコード大賞ゴールデン・アイドル賞
・日本有線大賞最多リクエスト歌手賞
・1/2の神話
・トワイライト
第35回
(1984年)
19歳
十戒(1984)売野雅勇
高中正義
1984/7/25紅組7番手/20組中1984年オリコン年間6位・日本テレビ音楽祭グランプリ
・日本歌謡大賞最優秀放送音楽賞
・北ウイング
・サザン・ウインド
第36回
(1985年)
20歳
ミ・アモーレ康 珍化
松岡直也
1985/3/9紅組7番手/20組中1985年オリコン年間2位・日本レコード大賞受賞
・FNS歌謡祭グランプリ
・SAND BEIGE
・SOLITUDE
第37回
(1986年)
21歳
DESIRE阿木燿子
鈴木キサブロー
1986/2/3紅組6番手/20組中1986年オリコン年間2位・日本レコード大賞受賞
・日本テレビ音楽祭グランプリ
・FNS歌謡祭グランプリ
・ジプシー・クイーン
・Fin
第38回
(1987年)
22歳
難破船加藤登紀子
加藤登紀子
1987/9/30紅組4番手/20組中1987年オリコン年間6位、1988年同81位・日本レコード大賞金賞
・日本有線大賞最多リクエスト歌手賞
・TANGO NOIR
・BLONDE
第39回
(1988年)
23歳
I MISSED “THE SHOCK”Qumico Fucci
Qumico Fucci
1988/11/1紅組4番手/21組中1988年オリコン年間57位、1989年同53位・FNS歌謡祭最優秀歌唱賞
・日本有線大賞有線音楽賞
・AL-MAUJ
・TATTOO
第53回
(2002年)
37歳
飾りじゃないのよ涙は井上陽水
井上陽水
1984/11/14紅組後半7番手/14組中1985年オリコン年間6位・The Heat ~musica fiesta~
第65回
(2014年)
49歳
Rojo -Tierra-川江美奈子、Miran:Miran
浅倉大介
2015/1/21特別出演
後半21番手/28組中

第34回(1983年)「禁区」

ステージ

作詞:売野雅勇 作曲:細野晴臣
前歌手:早見 優、アルフィー
後歌手:近藤真彦、高田みづえ

曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 このステージは過去に紅白歌合戦名言集解説・53~怪我を押しての初出場ステージ~として記事にしていますが、その内容をアップデートした形でこちらに記す形とさせて頂きます。

 行商姿の鈴木健二が審査員の松坂慶子を驚かせた後で、黒柳徹子がラジオ実況席から登場。多少呆れ気味に鈴木アナを批評後、テレビとラジオの実況席を紹介。ラジオ担当の古屋和雄アナにインタビューしますが、この演出も紅白歌合戦始まって以来の新しい試みでした。また、以降もそういった機会はあまり設けられていません。なおラジオ実況担当が放送内で毎回必ず紹介されるのは第59回(2008年)以降です。

 古屋アナがラジオ中継の内容について説明した後、徹子さんがラジオ用のマイクを拝借。「近づけて喋ってください」と話す古屋アナに「口の中に入れるんですか」と返す徹子さん。それを聴いて古屋アナは大笑い。そのままラジオ用のマイクで聴取者へのメッセージと、明菜さんの曲紹介をする徹子さん。

「ラジオをお聴きの皆様、黒柳徹子でございます。紅はいかがでしょうか、どうぞ応援してください。お願い致します。」
「それではこの場を拝借いたしまして次の紅組の方を紹介させて頂きます。右膝脱臼という大変な事故、そして怪我にも本当に構わず一生懸命歌います。中森明菜ちゃん初登場です。歌はもちろん「禁区」です、どうぞ!」

 右膝脱臼はまさに、この紅白歌合戦のリハーサル中に転倒して発生した事故だったようです。このため本番以外の出演は見合わせとなりました(詳しくは後述)。

 両司会のやり取りする間に、ステージは幕で閉じられています。両側に開き、中央から金色を主体としたドレスを身につけた明菜さんが登場。その時点で用意されたバックのセットは何も無し、大きなセリからオーケストラがセットごと上昇して登場します。なお前年まで固定セットで紅組白組別に演奏していましたが、この年は前半・後半という分け方に変更されました。演奏するセットが動く演出もまた、紅白歌合戦始まって以来の試みになっています。

 徹子さんがマイクの返却を忘れたのでしょうか、冒頭で古屋アナの実況が少しだけテレビ放送に乗るハプニングが発生します。「正面のステージでは、黒にゴールドとシルバーの入った中森明菜の…」という声は確かに、先ほどインタビューで答えた通りラジオでは見えない魅力をしっかり全世界に伝える内容でした。左肩を出す衣装はセクシー、怪我をした脚は金色のストッキングでしっかり守られています。

 右膝脱臼というアナウンスがありましたが、怪我前とパフォーマンスに違いはあまりないように見えます。はっきりとした振り付けが存在する楽曲ですが、大きく動かす左腕だけでなく怪我をしている脚もしっかり動かしています。明らかに痛みのある中でプロフェッショナルとして見事に歌い切るその姿は、デビュー2年目・18歳・紅白初出場とは全く思えない見事なものでした。

 歌い終わり、徹子さんが怪我をしている脚を心配しながらインタビュー。言うまでもなく徹子さんとは『ザ・ベストテン』で何度も共演、『夜のヒットスタジオ』の芳村真理と同様公私ともにもっとも頼れる司会者の一人でした。

徹子「中森明菜さん、初出場十分に歌えましたか?」
明菜「あがっちゃって…」
徹子「明菜ちゃんでもあがることありますか?でも本当にそんなにね膝が痛いのに我慢して歌ってくださって。震えてるのね、大丈夫ですか?どうも本当にありがとうございました」
明菜「どうもありがとうございました…」

 その後鈴木健二がこの後に歌う近藤真彦を連れてやり取りに参加。マントのような物を身につけた鈴木アナは、戦争に明け暮れた自身の青春と明菜さんやマッチの青春とは大きく違うと力説。喋りながらギンギラギンの衣装に早替えする鈴木アナに、徹子さんは「こういうのを怪人二十面相っていうのよ」と明菜さんを連れて舞台裏に戻ります。

その他

 初出場を果たしたこの年の紅白は、オープニングで両軍司会が出場歌手を紹介。「いつも自分の心に率直な明菜ちゃん。今日は足が痛いけれど一生懸命頑張ります」と、徹子さんに紹介されます。

 脚の怪我のため、この年は企画コーナーの出演がありません。「ビギン・ザ・ビギン」や「日本の四季メドレー」といったショーコーナーは、杏里が代役を務める形になりました。後者では本来、岩崎宏美高田みづえと一緒に浴衣姿で「おぼろ月夜」を歌う予定だったと思われます。

 それもあってでしょうか、明菜さんは選手宣誓の紅組歌手代表を務める形になりました。白組代表の三波春夫は当時60歳、42歳の差は選手宣誓のペアとして史上最大の年齢差です。直後、トップバッターを務めた岩崎宏美「家路」のステージ応援には参加。全体的に無理をさせない方針だったようですが、エンディングは一応参加しています。

第35回(1984年)「十戒(1984)」

ステージ

作詞:売野雅勇 作曲:高中正義
前歌手:川中美幸、新沼謙治
後歌手:近藤真彦、松田聖子
曲紹介:森 光子(紅組司会)
踊り:ダンシング・スペシャル

 明菜・マッチ・聖子・ひろみの4組でこの年は連続ステージが組まれます。明菜×マッチ・聖子×ひろみは、当時交際が世間的にも広く知られている事実でした。アイドルの恋愛禁止が幅を効かせている現在では考えられない時代です。結婚前のカップルをこれだけ前面に出す演出は他に無く、また郷さんと聖子さんは年が明けてすぐ破局するどころか聖子さんは神田正輝と結婚発表。そのため後年の紅白でも似た演出は全く取られていません。この4組のステージ開始にあたり、鈴木健二はわざわざ白い鳩の飾りをつけたメガネを着用。「今日ばっかりはこの噂のカップルも、歌の対戦相手として対決して頂きましょう」と、森光子もはっきりと紹介します。

 1980年代は1970年代と比べるとテンポの速い演奏が少なくなりましたが、その中でこのステージは相当なハイテンポになっています。2コーラス+サビ繰り返しを短い時間で歌う構成にしたためでしょうか、男性のバックダンサーが踊りやすくするための措置でしょうか…。はっきりとした意図は分かりませんが、体感的には倍速ではないかと思えるくらい速いテンポになっています。ダンシング・スペシャルはどちらかというと小柳ルミ子のステージに近い印象で、ダイナミックな動きがかえって目移りする内容でもあります。カメラワークもアップは多いですが、間奏などの振り付けはダンサーも映る引きの映像中心で、全身の動きがあまり映っていないような気もします。紅白的にはともかく、明菜さんのファンにとってはあまり満足のいかないステージかもしれません。なお衣装は、終始光が輝いているかのようなスカートの大きい水色のドレスでした。

 演奏終了後すぐに近藤真彦「ケジメなさい」が始まるステージ演出、冒頭サビで明菜さんがマッチに駆け寄って握手しています。郷ひろみ「2億4千万の瞳」ラストでもマッチと一緒に登場、ペアになって踊っていました。

 というわけで、この4組のステージが終了した後も両司会によるインタビューが設けられます。お祭りをイメージしたようなマッチの衣装に「神様みたいですね」と答える明菜さん。さらに「そのファッションをお召しになってる中身のマッチはいかがですか?あっ、すみません愚問でした~」と畳み掛ける光子さん。終始かわいらしい笑顔で、当時は大変微笑ましい光景でしたが…。なおマッチと明菜さんは、共演した映画『愛・旅立ち』が年明けすぐに劇場公開されています。

その他

 出場順、対戦カードごとに登場するオープニングなので、最初から近藤真彦と一緒の登場でした。赤いドレスを着る明菜さんとタキシードのマッチさんは、当時から見るとまさにお似合いのカップルといった趣。「全力投球で頑張ります」と、明菜さんらしい小さな声で意気込み。

 噂のカップルのくだりで共演した松田聖子とは、小泉今日子の曲紹介で共演。森光子と一緒にチェックの服装で、直前のチェッカーズ「涙のリクエスト」を受ける形で一節披露しています(これはチェッカーズの紅白史でも小泉今日子の紅白史でも書きました)。

 前年参加できなかったショーコーナーはこの年フル参加。「豊年こいこい節」は早苗姿でダンスを披露(若手紅組歌手7人と共演)、「祇園小唄」は和服姿の踊りを披露。赤い着物の明菜さんは都はるみが歌う後ろで振り向くという、なかなかおいしいショットのある立ち位置でした。

 終盤の歌手席~エンディングは白いコートのような衣装です。いわゆる都はるみ引退紅白のため前に出る歌手はベテラン中心、そのためトリ~エンディングはほとんど映る場面がありませんでした。

第36回(1985年)「ミ・アモーレ」

ステージ

作詞:康 珍化 作曲:松岡直也
前歌手:岩崎宏美、山本譲二
後歌手:田原俊彦、小柳ルミ子
曲紹介:森 昌子(紅組司会)、吉川精一(テレビ実況)
踊り:ダンシング・スペシャル 振付:小井戸秀宅

 この年も4組立て続けのステージにおけるトップバッターを務めます。もっとも前回のような下世話な企画ではなく、「ニューヨークの下町の工事現場をイメージした男と女の物語」がコンセプトになっているという説明が鈴木健二からありました。「レコード大賞を獲りました中森明菜さん「ミ・アモーレ」!」と、昌子さんが高らかに紹介。イントロでも「今年のレコード大賞はこの人が獲りました。中森明菜さん、感激をこの歌声に込めます」とテレビ実況で紹介がありました。

 ニューヨークを舞台にしたという演出ですが、楽曲の舞台はラテンアメリカ、ブラジルのリオデジャネイロです。前年に続いてダンサーが多く登場していますが、リオのカーニバルではなくアマゾンのジャングルか先住民の儀式をイメージしたように見えます。確かにサンバの姿で踊る女性はNHK的にセクシー過ぎるのかもしれませんが(もっとも平成以降の紅白では何年かに1回くらいのペースで見掛けます)、ひれ伏した態勢から首をずり上げる、まるで明菜様を崇め讃えるかのような動きはたまにある『ザ・ベストテン』のおかしなステージ、ヘタをすれば『ひょうきんベストテン』に近いと言っていいかもしれない振付です。

 確かにアイドルは本来「偶像」という意味を持つ単語なので、もしかするとその定義を活かしたというコンセプトが振付を担当した小井戸さんの頭の中にあったのかもしれません。セットのヤシの木も、明らかにニューヨークではなく熱帯地帯のイメージです。ついでに言うと前年ほどではないですが、テンポも原曲より速いです。

 言うまでもなく楽曲は日本レコード大賞を受賞した名曲ですが、紅白に関して言うとやや演出過剰と感じた人もいたかもしれません。なおこの年は明菜さんは黒を基調とした衣装で帽子着用、際立った派手さはありませんがセンスの良さを感じさせる内容でした。

その他

 日本レコード大賞を受賞した明菜さん、番組開始の21時は日本武道館から大急ぎで移動中。紅組7番手で田原俊彦と登場する予定の明菜さんは、結果的に入場行進には間に合わずでした。さすがに21時12分にもなったトップバッター・石川秀美「愛の呪文」応援には間に合いますが、衣装は当然ですが首にもレコ大受賞のメダルがかけられたままでした。

 ショーコーナーは『めでたづくしの澪つくし』に出演。小泉今日子河合奈保子石川秀美柏原芳恵原田知世と一緒に海女の格好でのダンスを披露。また島倉千代子近藤真彦が歌った後にお互い鳶の姿で応援合戦をする場面あり、紅と書かれた大きな赤い纏を石川秀美と一緒に持ち上げて、白組司会の鈴木健二に渡しています。

 終盤は黒いドレス姿で、前髪を揃えたスタイルで登場します。翌年2月に「DESIRE」をリリースしますが、そのイメージに近い服装と考えて良さそうです。この年も紅組司会兼トリを務めた森昌子の号泣が印象深いですが、前年と比べると映り込むシーンはかなり多め。「蛍の光」演奏後の立ち位置も、昌子さんの隣という目立つ場所です。

第37回(1986年)「DESIRE」

ステージ

作詞:阿木燿子 作曲:鈴木キサブロー
前歌手:小柳ルミ子、田原俊彦
後歌手:沢田研二、(紅白サバイバルゲーム)、テレサ・テン
曲紹介:斉藤由貴(紅組キャプテン)、目加田頼子(紅組司会)
演奏:ファンタスティックス

 ステージが始まる前に、和田アキ子荻野目洋子小泉今日子がラップで紅組応援。キョンキョンが全くリズムに乗れていなかったのはこちらでも書いた通りですが、曲とは直接関係ありません。後ろの動きでも分かる通り、バックバンドがステージに入場するまでの繋ぎです。そのまま紅組キャプテン、斉藤さんが「中森明菜さんです、DESIRE!」と紹介するオチでした。

 さて前年まではダンサー中心の演出が組まれていた明菜さんですが、この年はコンサートや『夜のヒットスタジオ』出演時と同様専属バンド・ファンタスティックスの演奏が入ります。シングルとは別のオープニング演奏つき、せり上がりで登場する明菜様は白い着物に白い靴、髪の毛まで真っ白なウィッグ使用という極めてインパクトの強い衣装です。イントロで目加田アナの曲紹介、「デビュー5年目、本当は子供好きで周りの喜ぶ顔が好きな寂しがりやさん、でも歌は激しく。中森明菜さん「DESIRE」!」。所定通りの曲紹介ですが、むしろ無い方が逆により神格化された内容だったかもしれません。

 いきなりの熱唱で間奏も激しい動きですが、衣装についた花の一片が早々に落ちます。背中の帯には大量の花飾り、振り袖を終始なびかせて激しく歌うステージなのでこればっかりは無理もありません。むしろそれによって、明菜様のダイナミックさがより可視化されているようにも見えます。

 この年2年連続日本レコード大賞を受賞、細川たかしに続く史上2人目であると同時に女性歌手、さらにオリジナル曲では史上初の快挙でした(細川さんの場合「矢切の渡し」がカバーなので)。年間2位のレコード売上(しかも1位はレコ大対象外の外国曲のカバー)、他のノミネート歌手のヒット具合やキャリア、何より大迫力のロングトーンに代表される圧巻のパフォーマンスなどどの観点から見ても全く文句のない受賞であったことは言うまでもありません。明菜様単位だけでなく歴代の紅白歌合戦のパフォーマンスを振り返っても、間違いなく上位数パーセントに入る内容です。1コーラス半というやや短い構成だけが、若干惜しい部分でしょうか。ダンサーが入るステージも紅白歌合戦らしくて良いですが、やはり明菜様には歌を主体とするシンプルな演出が個人的にしっくりきます。

その他

 前回出演に間に合わなかった入場行進ですが、この回は横から駆け込むような形でギリギリ間に合いました。対戦相手の沢田研二も思わずビックリ、笑顔を見せています。衣装も直前のレコ大は金色と黒色の和をイメージした衣装でしたが、短い移動中に黒色のドレスに着替えています。

 ハーフタイムショーは歌舞伎「京鹿子娘道成寺」、こちらでは「DESIRE」と別の伝統的な女性の美しさが表現されています。石川さゆり小柳ルミ子島倉千代子小林幸子八代亜紀といった大先輩の方々と白拍子姿で踊る姿は、綺麗な踊りであるとともに風格を感じさせる場面でもありました。終盤の歌手席~エンディングは黒の衣装に少しおでこを出したような髪型、意外と派手な衣装が多い演歌勢のベテランよりも控えめな姿です。

第38回(1987年)「難破船」

ステージ

作詞・作曲:加藤登紀子
前歌手:瀬川瑛子、チェッカーズ
後歌手:稲垣潤一、小比類巻かほる
曲紹介:和田アキ子(紅組司会)

 この年は前半各3組が演歌とミュージカル、チェッカーズとの対決が4組目にして初めてポップスのヒット曲同士の対決となりました。「難破船」は1984年に加藤登紀子自ら作曲して歌った曲ですが、そのお登紀さんが明菜さんに歌わせたいという希望もあってレコーディングされた楽曲でもあります。

「今年は野球でホーナー効果という言葉が生まれましたね。我が紅組はこの方を出せば、明菜効果は絶対です。まだ22歳だというのに貫禄十分、アイドルを超えたアイドル、中森明菜ちゃんです。「難破船』、どうぞ!」

テレビ実況「今年一年本当によく仕事をしました。ニューヨークでのビデオロケもこなし、充実した一年でした。黒のコスチュームがよく似合うようになった、中森明菜さんです」

 肩を出した黒いドレスがよく似合う明菜さんですが、紅白では初のバラードということもあってやや緊張の表情が顔に出ています。天井にある大きな照明が照らすのみのシンプルなステージは、演歌以上に歌の魅力が強くクローズアップされる演出でした。その照明は、間奏でカラフルなグラデーションとして表現されます。

 一箇所歌詞を間違えた場面もありましたが、歌声はやはり圧巻そのものといった内容です。アウトロの演奏が終わらないうちに、会場から大きな拍手が舞い起こりました。1番+3番の歌唱で3分20秒近い演奏時間は紅白だと決して短くありませんが、楽曲と明菜様が魅力的過ぎる分逆に物足りなさを感じてしまうほどのステージでした。

 3年連続レコ大ではない部分は前例や周囲の状況を考えると仕方のない面もありますが、トリかそれに近い曲順が妥当なところ前半4番手の早い曲順というのはあまりにも勿体なかったという印象もあります。もっともこの年は前年まで3年連続白組トリの森進一がトップバッターという異例の曲順ではありましたが…。

その他

 オープニングはあいうえお順に1組ずつ紹介されるという内容。イギリス兵をイメージしたような真っ赤な衣装が非常に印象的、歴代のステージ以外の衣装では最も派手で目立つデザインです。もっとも早い曲順なのですぐに衣装替え、その後は黒いドレスでの登場でした。

 連想ゲームの余興に参加後、中盤では福井・明神ばやしのパフォーマンスに参加。赤いハッピに白い鉢巻姿で太鼓を叩くシーンが見られます。

第39回(1988年)「I MISSED “THE SHOCK”」

ステージ

作詞・作曲:Qumico Fucci
前歌手:工藤静香、男闘呼組
後歌手:近藤真彦、小泉今日子
曲紹介:和田アキ子(紅組司会)

 この年も紅組4番手、ただアイドル勢を最初の5組に固める構成は前年と異なります。光GENJI少年隊男闘呼組と白組はグループが続くので、ソロ歌手ばかりの紅組歌手がそれこそ束になって総攻撃。そんな中で「女性では一人でも堂々と歌いますよ。この若さでこのスケール、中森明菜さんです!」と紹介。「彼女のファッションセンスにもご注目ください。中森明菜さん、「I MISSED “THE SHOCK”」!」

 王女をイメージしたような衣装で、頭には王冠をイメージしたような被り物をつけています。アナログテレビが多数設置されているセットに、1988年という時代を感じたり感じなかったり…。「難破船」ほどの凄味はありませんが、それでも情感豊かな歌声とサビラストのロングトーンは明菜様でしか出せない魅力に満ちあふれています。なお1番途中では、カメラマンがステージから後ろに転落するハプニングが発生しました。

 2コーラス半で3分5秒、前半5組ではメドレーの光GENJIを除くと一番長い演奏時間です。ヒットチャート上位は若手の台頭が目立ち始めるものの人気は言うまでもなく高いまま、その後まだまだ紅白歌合戦に連続出場すると放送当時誰もが思っていたはずでしたが…。

その他

 ランダムに入場するオープニングは島田歌穂と一緒に登場、「ミュージカルスターとファッショナブルな歌謡界のスターが入ってきました」と紹介されますが、実況の声とカメラの映像が合っていません。赤紫のドレスを着た明菜さんは、大きな帽子をかぶっています。

 この年は自粛モードもあって余興みたいなコーナーは無く、ステージ以外の登場は前年までと比べて非常に少なめでした。歌手席応援やエンディングなどに参加はしていますが、他の歌手と比べてもやや映るシーンは少なめです。

 なお翌年は交際のもつれをきっかけとした自殺未遂、芸能活動休止のため紅白歌合戦も辞退。大晦日は紅白ではなく、いわゆる例の金屏風会見がテレビ朝日で生中継されるという形になっています。翌年「Dear Friend」で復帰、大ヒットを記録しましたがこの時も辞退。以降色々あって順風満帆な歌手活動とはいかなくなりましたが、類稀な実力とファンからの支持は決して落ちていませんでした。

第53回(2002年)「飾りじゃないのよ涙は」

ステージ

作詞・作曲:井上陽水
前歌手:平井 堅CHEMISTRY
後歌手:安室奈美恵、SMAP
曲紹介:有働由美子(紅組司会)
演奏:BLACK BOTTOM BRASS BAND & Friends

「デビュー20周年、応援してくれた全ての皆さんに恩返しをしたい。中森明菜さん、「飾りじゃないのよ涙は」」

 デビュー20周年、この年からユニバーサルミュージックにレーベルを移籍します。カバーアルバム『-ZEROalbum- 歌姫2』がヒット、前年まで出場していた松田聖子の辞退もプラスに働いてめでたく14年ぶり紅白復帰となりました。

 歌唱曲「飾りじゃないのよ涙は」は、楽曲提供した陽水さんがこの年10月にセルフカバーしています。当時個人的に紅白歌合戦の掲示板に顔を出して曲目予想をしていましたが、それを起因とした「飾りじゃないのよ涙は」の予想は大当たりした記憶があります。カバー曲の披露、あるいは「The Heat ~musica fiesta~」といった新曲を歌う予想もあったと思いますが…。

 セルフアルバム『Akina Nakamori ~歌姫ダブル・ディケイド』が、この年12月4日に発売されています。紅白歌合戦で初歌唱となった「飾りじゃないのよ涙は」は、この編曲での演奏でした。

 ピアノのイントロでせり上がり登場の明菜さんは、帽子を着用した銀色のスーツスタイル。シャツのボタンを外してブラジャーを覗かせている部分に、大人のセクシーさが表現されています。客席からの声援が非常に目立つこの年の紅白歌合戦ですが、明菜さんの声援は男女ともに多く軽く見積もっても10人はいるような雰囲気です。

 イントロでの曲紹介を経て、14年ぶりとなる明菜さんの歌声もまた大人の艶っぽさが出て、より魅力的になっていました。ブラスバンド12人の演奏も、ステージにより高い説得力をもたらしています。デビュー20周年を飾る久々の紅白歌合戦は、ヒット当時に6年連続出場した頃とはまた違う、新しい輝きを十二分に見せつける素晴らしいステージでした。

その他

 クールな印象のある明菜さんですが、ここまで振り返っても分かる通り歌以外の出番も案外積極的です。平成の紅白には初めて出場する形になりますが、オープニングから紅組3番手まで全員で応援する場面でも舞台裏に退席することなくしっかり参加しています。

 この年明菜さんと同様2年連続日本レコード大賞を受賞した浜崎あゆみの曲紹介に和田アキ子と参加。14年ぶりの紅白は「緊張しますね。でもすごく楽しくて」と話す明菜さん。「あゆちゃん頑張ってね、大好きだからね」と台本通りに声をかけた後、アッコさんが喋る中でスタンバイしている浜崎さんを激励します。そこには明菜さんの人柄の良さがとても表れています。「Voyage」のイントロ、冒頭アップで映る浜崎さんの表情は非常に良い笑顔で、目線は尊敬する明菜さんの方を向いている様子でした。

 歌唱後、終盤~エンディングではなんとポニーテールの姿で再登場。「あとほんのもう…一息ですね」と、やや不慣れな様子で紅組司会を激励するセリフを担当します。「蛍の光」にもやや奥の立ち位置ですがしっかり参加。ファンはもちろんですが、何より本人が最初から最後まで終始楽しんでいる様子がうかがえる久々の紅白でした。

第65回(2014年)「Rojo -Tierra-」

作詞:川江美奈子、Miran:Miran 作曲:浅倉大介
前歌手:石川さゆり長渕 剛
後歌手:AKB48福山雅治
曲紹介:有働由美子、嵐、吉高由里子

 「音楽制作を優先させて頂いておりましたので、今日はこのような形ですが出演させて頂きます。よろしくお願いいたします」というメッセージを吉高さんが朗読後に、ニューヨークのレコーディングスタジオから中継。ヘッドフォンを耳に当てた明菜さんが登場します。

「ご無沙汰しております、中森明菜です。日本もいま低気圧の影響で、すごくお天気が荒れて大変なようなんですが、こちらも結構寒くて…。皆さんに少しでも温かさが届けばいいなと思います。歌わせて頂きますよろしくお願いいたします」

 丁寧に小さな声で会場・視聴者に直接メッセージを伝えた後、すぐに演奏が始まります。海外からの中継はそれ以前にもいくつか例はありますが、レコーディングスタジオからの中継は紅白歌合戦史上初の出来事でした。「Rojo -Tierra-」は翌年1月にCDシングルとして発売されますが、配信は大晦日当日からの開始となりました。

 レコーディング用のマイクに向けて歌うシーン以外は、都会や自然をイメージしたような映像が随時挿入される形になっています。2010年に活動休止後約4年ぶりの音楽活動なので、当日の紅白歌合戦は出演するというだけでも十二分に意味を成すという内容でした。なお当時の感想やウラトーク、その他細かい解説は本編レビューも併せて参照ください。

おわりに

 紅白の特別出演後新曲発表やディナーショー開催などありましたが、2018年以降はまたしばらく活動は休止。そのまま2022年を迎える形になっています。歌唱力の高さは日本の歌手史においてもトップクラスで、特に低音の発声の良さに関しては美空ひばり・中森明菜・水樹奈々の3人が歴代でも屈指の存在だと考えています。

 本来ならば今でもバリバリの第一線で、毎年コンサートツアーを開催するような存在であることは言うまでもありません。そういう意味ではどうしても複雑な感情にならざるを得ない部分もあります。コンサートに足を運ぶ立場のファンではないので、あまり大きなことは言えないですが…。ただ1980年代の凄さがいまだにこれだけ語られるということはあの騒動がなければどんなに…と想像したくなるのも事実で、その点では本当に何とも言えません。

 歴代の紅白歌合戦はハプニングや謎演出も多かったですが、いずれも強く印象に残るステージです。人気は相変わらず健在で、先日BSプレミアムで放送されたEAST LIVEのリマスターも大きな反響となりました。もちろん無理はして欲しくないですが、デビュー40周年はやはり通過点であって欲しいです。願わくばあと1回だけ、復帰して歌う姿を見たいというのが今の気持ちです。

 

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