紅白歌合戦・美空ひばりの軌跡~データ編~

 昨年10月に五木ひろしが紅白歌合戦卒業を表明しましたが、それに際して特集記事を組んだところ、意外に大きな反響がありました。またTwitterでアンケートを実施したところ、昨年の紅白歌合戦名言集解説や過去の紅白本編レビューよりも見たいという声が多いという結果が出ました。

 そこで今年は、紅白歌合戦の歴史を彩った出場歌手の特集を組むことにしました。とりあえずは10回以上出場した歌手を中心に書く予定ですが、この特集をどれくらい続けるかはTwitterでの反応やアクセス数次第で考えたいと思っています。

 2008年以降のステージは本編レビューで書いているので、基本的には昭和~平成中期に出場した歌手メインで考えています。PerfumeAKB48辺りだとステージ以外の出番をまとめるだけでも十分1記事として成立しますが、取り上げるのは当分先になると思います。

 参考までに、五木さんについて書いた記事は以下の通りになります。出場回数にもよりますが、1アーティストあたり2~4記事に分けて書く形で考えています。

紅白歌合戦・五木ひろしの軌跡~データ編~

紅白歌合戦・五木ひろしの軌跡~ステージ編(1971~1988)~

紅白歌合戦・五木ひろしの軌跡~ステージ編(1989~2020)~

紅白歌合戦・五木ひろしの軌跡~番外編~

 さて、昨年10月に五木さんを書いたので、今回は紅組から選ぶことにします。現在紅組最多出場回数を誇るのは石川さゆりですが、まだ連続出場は続くはずなので今の時点で書くのは早いかなと考えます。とりあえず前回出場組は特別出演以外基本後にする予定として、歴代紅組一番の大物となると…。

 …というわけで考えた結果、今回は伝説の歌姫・美空ひばりを取り上げることにしました。

 紅白歌合戦の出場回数は特別出演を含めて18回。歴代を振り返ると決して多いとは言えませんが、番組に残した足跡と存在感はとてつもなく大きいです。1989年6月24日に52歳の若さで逝去されましたが、その後も何度となくカバーなどで振り返られています。

 データ編では、本人が残した功績だけでなくそれ以降についてもまとめることにしました。ステージ編は次回に書く予定ですが、本人歌唱の映像が残っているのは第14回(1963年)以降10回分のみ。そのためエトセトラも含めて次回分にまとめる形にします。

 なお歴代の映像・音声はNHK他番組も含めたDVD6枚・CD2枚・BOOKを含めたボックスセットが発売されています。本来ならこれを資料にして書くべき所ですが、個人的には入手していません。興味のある方は是非この機会に、購入されてみてはいかがでしょうか。

美空ひばりの紅白データ~本人編

 生前のひばりさんは紅組歌手として17回出場、プラス特別出演1回という紅白歴ですが、特筆すべきはやはりトリについてだと思います。

 1957年、第8回で初めて紅組トリ・大トリに抜擢されますが、当時まだ20歳という若さでした。この若さでのトリはその後も第29回(1978年)の山口百恵(19歳)、第48回(1997年)の安室奈美恵のみで、現在でも大変稀な記録となっています。

 そもそも第7回までは戦前から活動しているスターのトリが慣例で、渡辺はま子二葉あき子笠置シヅ子藤山一郎灰田勝彦などの面々はいずれもキャリア20年を超える明治~大正生まれのベテランです。第8回のひばりさんと三橋美智也の抜擢は、昭和生まれ・戦後デビューの歌手が番組の中心的存在になったことを大きくアピールする形になりました。以降昭和より前に生まれた歌手でトリを務めた例は、浪曲からの転向で歌謡界デビューが遅かった1923年(大正12年)生まれの三波春夫のみとなっています。

 ひばりさんは3年連続大トリを務めた後、一旦白組歌手に大トリを、島倉千代子に紅組トリを譲る形になりますが第14回(1963年)にトリ復帰。以降第23回(1972年)まで10年連続紅組トリを務める形になります。第18回(1967年)以降は6年連続大トリ、当時の曲紹介は「この人の歌声を聴かないと年が明けません」という文言がほぼ毎年恒例という状況でした。

 3年連続トリは紅組だと島倉千代子石川さゆりMISIAの例があります。4年連続トリは第61回(2010年)~第64回(2013年)のSMAPのみです。大トリに関しては第64回のSMAPが”究極の大トリ”北島三郎の存在で解釈が分かれる所ですが、そもそも3年連続大トリが他にいません。平成を越えて令和になった現在でも、完全に他を寄せつけないような記録になっています。

 トリを務めた回数は計13回。これは北島三郎五木ひろしと同じ回数です。大トリ11回も、北島三郎と同数です。ただひばりさんは17回中13回トリ全てその年もしくはその前年に発表された楽曲の歌唱です。北島さんは50回出場で「まつり」に至っては5回も大トリで歌っているので、1回1回の価値はやはりひばりさんの方が上のような気がします。なおレコード大賞を受賞した「柔」は2年連続トリ歌唱ですが、こちらもMISIA「アイノカタチ」以前では唯一の2曲連続同曲トリという記録になっています。

 あとは第21回(1970年)に紅組司会を担当していますが、その時も大トリでした。大トリと司会の兼任は近年にが3回やっていますが、ソロでは現在も彼女が唯一です。第72回の司会で紅組白組総合という区分けを無くしたことを考えると、おそらく将来的にも二度と出ない記録になりそうな予感がします。

美空ひばりの紅白データ~カバー編

 平成以降の紅白では、幾度となく他の出場歌手によって持ち歌が披露されています。また、ひばりさん絡みで紅白初の演出になった事例も多いです。

 最初は1989年、亡くなった年にデビュー期からの盟友・雪村いづみ「愛燦燦」を歌った時から始まります。紅白歌合戦で追悼コーナーが設けられた例は昭和期にもありましたが、本人の歌唱映像が番組内で振り返られたのはこの時が初でした。「愛燦燦」のステージ前に、「リンゴ追分」(昭和61年3月『昭和の歌』)、「港町十三番地」(昭和53年6月『ビッグショー』)、「悲しい酒」(昭和60年8月『思い出のメロディー』)の映像が放送されています。また追悼コーナーを開始するにあたって、総合司会の松平定知アナが訃報第一報を伝えるニュース原稿を読み上げましたが、これも紅白唯一の事例です。

 次に第45回(1994年)、キム・ヨンジャ「川の流れのように」を紅組トリ2つ前で歌唱します。その後天童よしみが第50回(1999年)と第56回(2005年)、島津亜矢が第67回(2016年)に歌唱。第56回は紅組トリでの歌唱、これはひばりさんのカバーがトリで歌われた唯一の例になっています。またひばりさんの生前の写真がステージに登場したのも、この時が初めてです。

 「愛燦燦」は第58回(2007年)、楽曲提供した小椋佳と本人映像のデュエット特別企画として歌われました。映像はスクリーンではなく、バーチャルで小椋さんの横に立って歌う紅白史上初の演出が施されています。その後第62回(2011年)でも、天童よしみが紅白でカバーしました。

 天童よしみは「川の流れのように」2回、「愛燦燦」1回の他に、第66回(2015年)前半トリで「終りなき旅」「人生一路」の2曲を歌っているので計4回紅白でひばりさんの曲を歌う形になっています。同一歌手によって4曲も持ち歌がカバーされた例は、他にありません。また「人生一路」は第68回(2017年)でも市川由紀乃がカバーしています。

 没後30年となった2019年にはNHKスペシャルでAI美空ひばりプロジェクトが発動、紅白でもそのために作られた楽曲「あれから」が歌われました。生前の歌手をAI技術で再現して紅白で披露した例もまた、この時が唯一です。

 前回の紅白では氷川きよし「歌は我が命」をカバーしました。これは白組歌手がひばりさんをカバーする初めての事例となっています。日本の歌手の持ち歌が紅組白組双方によってカバーされるのも、これが初めてです(歌謡曲以外では「津軽じょんから節」「愛の讃歌」などの事例あり)。

 近年の紅白では三波春夫村田英雄フランク永井がカバーされた事例もありますが、現在紅白でカバーされたひばりさんの持ち歌は計5曲。これは当然他の歌手にはない多さです。あらためて表にしてまとめると、取り上げられる機会が近年特に多くなっているのがよく分かります。一応カバー曲の範疇に入らなくもない忍者「お祭り忍者」も追加しました。

該当回歌唱曲歌手備考
第40回
(1989年)
愛燦燦雪村いづみ・この年6月24日に本人逝去
・歌唱前に本人映像で3曲振り返りあり
第41回
(1990年)
お祭り忍者忍者・「お祭りマンボ」をアレンジして新たに別パートを追加
・広義で考えるとカバー曲?
第45回
(1994年)
川の流れのようにキム・ヨンジャ・紅組トリ2つ前で歌唱
・NHKのアンケートで支持を集めたことによる選曲
第50回
(1999年)
川の流れのように天童よしみ・紅組トリ前で歌唱
・この年の「21世紀に伝えたい歌」アンケートで1位
第56回
(2005年)
川の流れのように天童よしみ・紅組トリで歌唱
・この年の「スキウタ」アンケートで上位
第58回
(2007年)
愛燦燦小椋 佳・生誕70周年企画
・生前の映像とデュエットする演出
第62回
(2011年)
28歳
愛燦燦天童よしみ・紅組トリ前で歌唱
第66回
(2015年)
終りなき旅
人生一路
天童よしみ・「終りなき旅」は冒頭一節のみ披露
・生前の映像がステージの後ろで終始流れる初の事例
第67回
(2016年)
川の流れのように島津亜矢・ワイプで息子・加藤和也氏を訪問した映像あり
第68回
(2017年)
人生一路市川由紀乃・花柳糸之社中の踊りが入る
第70回
(2019年)
あれからAI美空ひばり・AI技術で本人の外見・動き・声などを再現
第72回
(2021年)
歌は我が命氷川きよし・白組歌手がカバーした初の事例

美空ひばりの紅白データ~18回分のまとめ

 最後は歌唱曲データです。過去のデータを知らない人にとっては、意外だと思える事柄が多くあるのではないでしょうか。出場年以外でも紅白に関わるエピソードは多くありますが、細かいことはまた次の記事で書く予定です。

出場回
年齢
歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主なデータ主な受賞他の発売曲
第5回
(1954年)
17歳
ひばりのマドロスさん石本美由起
上原げんと
1954/5/15紅組13番手/15組中美空ひばりシングル歴代売上11位
(日本コロムビア調べ)
第8回
(1957年)
20歳
長崎の蝶々さん米山正夫
米山正夫
1957/7/1大トリ美空ひばりシングル歴代売上29位
(日本コロムビア調べ)
・港町十三番地
・浜っ子マドロス
第9回
(1958年)
21歳
白いランチで十四ノット石本美由起
万城目正
1958/8/1大トリ・花笠道中
第10回
(1959年)
22歳
御存じ弁天小僧西沢 爽
米山正夫
1959/12/25大トリ・東京タワー
・大川ながし
第11回
(1960年)
23歳
哀愁波止場石本美由起
船村 徹
1960/7/1紅組14番手/27組中美空ひばりシングル歴代売上21位
(日本コロムビア調べ)
・日本レコード大賞歌唱賞・初恋マドロス
第12回
(1961年)
24歳
ひばりの渡り鳥だよ西沢 爽
狛林正一
1961/12/10紅組14番手/25組中・ひばりのドドンパ
・車屋さん
第13回
(1962年)
25歳
ひばりの佐渡情話西沢 爽
船村 徹
1962/10/5紅組6番手/25組中美空ひばりシングル歴代売上19位
(日本コロムビア調べ)
・恋の曼珠沙華
第14回
(1963年)
26歳
哀愁出船菅野小穂子
遠藤 実
1963/4/5大トリ美空ひばりシングル歴代売上14位
(日本コロムビア調べ)
・関東春雨傘
第15回
(1964年)
27歳
関沢新一
古賀政男
1964/11/20紅組トリ美空ひばりシングル歴代売上2位
(日本コロムビア調べ)
・髪
第16回
(1965年)
28歳
関沢新一
古賀政男
1964/11/20大トリ・日本レコード大賞・大賞・お島千太郎

 

出場回
年齢
歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主なデータ主な受賞他の発売曲
第17回
(1966年)
29歳
悲しい酒石本美由起
古賀政男
1966/6/10紅組トリ美空ひばりシングル歴代売上3位
(日本コロムビア調べ)
・夾竹桃の咲く頃
第18回
(1967年)
30歳
芸道一代西條八十
山本丈晴
1967/9/25大トリ当初はアルバム『歌は我が命』収録曲・真赤な太陽
第19回
(1968年)
31歳
熱祷川内康範
小野 透
1968/10/1大トリオリコン週間最高41位・むらさきの夜明け
・唇に花シャッポに雨
第20回
(1969年)
32歳
別れてもありがとう三浦康照
猪俣公章
1969/7/1大トリオリコン圏外・魂
第21回
(1970年)
33歳
人生将棋石本美由起
かとう哲也
1970/7/10大トリオリコン週間最高70位・花と炎
・人生一路
第22回
(1971年)
34歳
この道を行く石本美由起
市川昭介
1972/1/10大トリオリコン週間最高51位
(「ひばり仁義」のB面)
・それでも私は生きている
第23回
(1972年)
35歳
ある女の詩藤田まさと
井上かつお
1972/11/10大トリオリコン週間最高40位
美空ひばりシングル歴代売上25位
(日本コロムビア調べ)
・ひばり仁義
第30回
(1979年)
42歳
ひばりのマドロスさん
リンゴ追分
人生一路
石本美由起、
小沢不二夫、
石本美由起
上原げんと、
米山正夫、
かとう哲也
1954/5/15
1952/5/1
1970/1/10
特別出演美空ひばりシングル歴代売上11位・5位・24位
(日本コロムビア調べ)

 

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