・鈴木ヒロミツの応援

 『レッツゴーヤング』でMCを務める鈴木ヒロミツフォーリーブス堺正章とともに登場。早速鈴木さんはマチャアキに体当たりしてこかしています。進行兼アシスタントが鈴木さんで、マチャアキが扮するのは、あのブルース・リーの従兄弟であるジャネット・リン。スケートしちゃってます。というわけでフォーリーブスの4人が持つ発泡スチロールを、拳で次々に壊します。なかなかの腕前です。
 続いては例の叫びを披露。鈴木さんが観客に静寂を促し、貯めて貯めて「ワワワワワワワワオーーーン、ワオン!」完全に犬と化しています。一同ズッコケ。そして鈴木さんも、マチャアキが持つ木の板を正面から思いっきり蹴りにかかります。マチャアキさん後頭部を打ってしまっているのですが、大丈夫でしょうか。キャラは維持していますが、普通にかなり痛そうです。
 ラストはマチャアキが飛び蹴りを披露。的はおりも政夫と北公次が両端を持つ木の板。大体どうなるのかオチは見えているから、蹴る方は余計に度胸が必要です。当のマチャアキは少々時間を稼ぎます。と言っても時間のない紅白本番、的に向かって走っていって飛び蹴り。もちろん、木の板は最初から割れているので結果はただの勢いあるジャンプ。思いっきり尻餅をつくマチャアキでした。目の前でそれを見せられた紅組歌手も驚いています。
 というわけで披露終了。ですが結構散らかっているステージ、「ちょっとあんたたち、紅組の陣地くらいちゃんと片付けていきなさいよ」との声が入ります。「なんだお前うちにいろって言ったろ」と返す鈴木ヒロミツ、どうやら妹のようです。ちなみに声の主は小坂明子。絶対にこういう空気は慣れていないはずなので、何と言いますか色々大変です。というわけでマチャアキの衣装のポケットに全ての荷物を入れて持たせて、退場するオチとなりました。

(解説)
 NHKの若者向け音楽番組『レッツゴーヤング』は1974年4月に放送スタート。鈴木ヒロミツさんはそのメイン司会として、担当した1974年から1976年まで3年連続紅白の応援に登場しています。歌手のレギュラーは毎年代わっていて、フォーリーブスは1974年度のみレギュラー出演していました。ちなみに鈴木さんはグループサウンズのザ・モップスのボーカル。この年にバンド解散してタレント・俳優に転向、ソロ歌手としても翌年にドラマ『夜明けの刑事』主題歌「でも、何かが違う」をヒットさせています。
 ブルース・リーが日本で大きな話題を呼んだのもこの年。映画『燃えよドラゴン』が大ヒットしましたが、当のブルース・リーは1973年7月に亡くなっています。で、従兄弟(当然実際は違いますが)として紹介されたジャネット・リンはフィギュアスケート選手で、1972年札幌五輪女子シングル銅メダリスト。その美貌が日本でも話題になってCM出演も果たしました。1974年時点ではアマチュアからプロに転向しています。
 堺正章の体を張った芸が堪能できるコントでしたが、マチャアキが元旦恒例の『新春かくし芸大会』で個人芸を披露し始めるのは1976年以降だったようです。

 

美川憲一(7年連続7回目/第19回/1965/28)
「はしゃぎすぎたのね」(1974/中川博之/中川博之/初)

 「今年はこのブルース・リーも流行ったんですけどもストリーキングなんてのも流行りましたですね、あれはきっと「はしゃぎすぎたのね」、美川憲一さん」とこれまた世相も巧みに取り入れた上手い曲紹介。というわけで7年連続出場の美川憲一は、実況によるとなんとカラスの羽根で作ったスーツなのだそう。ここ何年かステージ以外で使う衣装が妙に派手になっていましたが、ついにステージにも反映され始めたようです。間奏で佐良直美さんから花束がプレゼントされます。楽曲は前年の「さそり座の女」同様、中川博之の作詞・作曲。(2分16秒)

(解説)
 全裸で走るストリーキングは、なぜかこの年大学生中心に流行しました。どちらかと言うと欧米で流行っていたことが日本でも少し取り入れられた、といった所のような気もしますが…。
 平成以降に復活した美川さんの派手さは説明不要ですが、若い時の衣装もこっそり派手さをアピールしています。第23回はスパンコールのタキシード、第24回は渦巻の柄の和服が相当異彩を放っていました。ただ紅白連続出場は7年連続でストップ、そこから長期低迷に入ります。2度大麻取締法違反で逮捕された時は復帰が絶望的な状況でしたが、コロッケさんのモノマネによって救われる形になりました。
 なおプロフィールは1946年生とありましたが、つい2年前に確認すると1944年生まれに訂正されていました。もっともサバを読み始めたのは1989年以降という話も…。とりあえずここでは1946年生まれ扱いでいきたいと思います。

 

山本リンダ(3年連続4回目/第18回/1966/23)
「闇夜にドッキリ」(1974/阿久 悠/都倉俊一/初)
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 「草木も眠る丑三つ時…」ちあきなおみがボソッと呟きます。そこに先ほどの「はしゃぎすぎたのね」を歌う佐良さんが戻ってきて、ちあきさんとぶつかるや否や「ギャー!お化けー!」と叫びます。「あら、そんなに素顔と違うかしら、失礼ね。」そのまま「「闇夜にドッキリ」、山本リンダさん」と曲紹介に入ります。テンポの良いやり取りです。
 真っ赤な衣装で登場する山本リンダ、今回は過去2回以上にセクシーな格好です。ヘソは出していないですが、なかなかのシースルーっぷり。ただ動きは多少おとなしいでしょうか。1番サビ終わりから特に踊りの達者な精鋭(実況のセリフです)、ザ・ピーナッツ梓みちよ小柳ルミ子が登場。白いワイシャツに赤のホットパンツ姿、これまた妙にセクシーです。白組歌手席の前列に座る、にしきのあきら宮路おさむ達を翻弄します。しかしこの濃いメンバーに混じるルミ子さん、いくら元宝塚とは言えそこに加わるにはまだちょっと若過ぎるような気もしないではなく…。(2分21秒)

(解説)
 美川さんの歌を歌う佐良さんですが、2年前も「銀座・おんな・雨」の一節を次の曲紹介に流用していました。おそらくプライベートでもかなり仲が良かったものと思われます。
 「どうにもとまらない」「狙いうち」が続けて大ヒット、それ以外でも「狂わせたいの」「じんじんさせて」「燃えつきそう」辺りがヒットしていましたが、1974年に入ってからはヒットが続かなくなりました。というわけで連続出場はこの回までで3年でストップ。阿久悠・都倉俊一コンビの歌って踊れる路線は、2年後デビューのピンク・レディーに受け継がれます。ちなみに対戦相手の美川さん同様、次の紅白に復活するのは17年後の第42回。こちらもモノマネで多数マネされたり、『ちびまる子ちゃん』でしょっちゅう歌われたりしたリバイバルヒットによるものでした。
 梓さんとザ・ピーナッツが率いる軍団にルミ子さんが加わっています。10年後の彼女の姿を見ると、ここで抜擢されたのはまさしくスタッフの慧眼と言えるのかもしれません。

橋 幸夫(15年連続15回目/第11回/1960/31)
「沓掛時次郎」(1961/佐伯孝夫/吉田 正/初)

 傘を被った股旅姿の4人がステージに登場します。「どこの身内だい!」と尋ねる橋幸夫、しかし4人は答えず殺陣に入ります。と言っても斬りかかるのは3人、1人は何も言わず手を出すとやめろ!と叫びます。というわけで4人の正体は五木のヒロマツ(五木ひろし)、布施のアキゾウ(布施明)、沢田のジュリヤス(沢田研二)、オチは傘のヒモを頭に巻いたままの、前川セイエモン(前川清)でした。
 イントロから1コーラス歌唱、間奏で退場しようとした所で面を見せる際に投げ捨てた傘を取りに行かせます。「来年もまた使うんだからよぉ」と言う辺り、恒例行事にする気マンマンのようです。
 前に出て歌おうとした所で、両足の間から傘を取ろうとする布施さんが橋さんを邪魔する小ハプニング発生。何とか事なきを得ましたが、一歩間違えると2番の歌い出しが歌えなくなるところでした。(2分15秒)
(解説)
 橋さんのステージで殺陣が入るのはトリを務めた第19回「赤い夕陽の三度笠」、他に第22回の「次郎長笠」があります。この回以降は連続出場が途切れる第27回まで、3年連続で過去曲に殺陣が入るステージでした。「沓掛時次郎」は1961年7月発売、紅白では初歌唱となります。
 前川さんがコメディリリーフっぷりを発揮しています。萩本欽一に見出されて『欽ちゃんのドンとやってみよう!』レギュラーになるのは1975年ですが、もしかするとこの時点で既に全員集合か夜ヒットのコント辺りでそういうキャラクターが定着し始めていたのでしょうか…。

 

森山良子(2年ぶり4回目/第20回/1967/26)
「ある日の午後」(1974/安井かずみ/岩沢幸矢/初)
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 前ステージから間髪入れない形ですぐに歌い始めます。真っ白な衣装、少しメイクが濃いでしょうか。1コーラス半、2年前の「美しい星」と比べて特に目立つ演出ではなかったですが、手堅く聴かせるステージを展開していました。(2分17秒)
(解説)
 作曲を担当した岩沢幸矢はフォークデュオ・ブレッド&バターのメンバー。「マリエ」は彼らだけでなく、森山さんもレパートリーの一つとして歌っていますね。
 「ある日の午後」は大ヒット曲ではないですが、それでもセールスは「禁じられた恋」「恋人」「まごころ」に次ぐ売上で10万枚を超えています。年間100位に入るか入らないかくらいのヒットは記録していますね。その点では、ボーダーラインで選出されたという経緯は納得できます。

渡 哲也(初出場/第25回/1965/33)
「くちなしの花」(1973/水木かおる/遠藤 実/初)
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 いよいよ渡哲也が登場。審査員席には、大河ドラマ『勝海舟』で共演した父親役の尾上松緑が座っています。多く寄せられている電報の主は、「歌詞を間違えずに堂々と歌ってください」と送ったワイキキの石原裕次郎さんを筆頭に三船敏郎さん、高倉健さん、勝海舟…いや勝新太郎さんという錚々たるメンツ。そしてもうひとり応援に駆けつけたのは、弟・渡瀬恒彦の妻でもある大原麗子。「あがらないで頑張ってください」というメッセージと花を贈って、山川アナが曲紹介。
「後ろ姿に哀愁ただよい、前を向いたら男がかおる。紅白は初出場、渡り初めでございます。「くちなしの花」、渡哲也さん!」
 歌手席からの応援に少し振り向く後ろ姿が、偶然にも読み上げられる曲紹介と全く同じタイミング。そして再び前を向いて歩くタイミングも曲紹介と同じでした。ステージ真ん中で花束を持ちながら、堂々と2コーラス歌唱。ただあがらないでと言う義理の妹のメッセージは、少々無理な注文だったかもしれません。いずれにしても、石原裕次郎や高倉健、鶴田浩二や小林旭などが辞退し続けた紅白のステージにバリバリの映画俳優・渡哲也が歌っています。その光景だけで、見る方はもう十分と言ったところではないでしょうか。(2分22秒)

(解説)
 この年主演を務めた大河ドラマ『勝海舟』は急病のため第9回を最後に降板。ただ父親・勝小吉役の尾上松緑さんとは最期まで直接共演する形でした。大原麗子さんも長崎の愛人・梶久役で出演していますが、こちらの出番は松方弘樹さんに主演が交代した後で直接の共演ではありません。ちなみに渡瀬恒彦さんも、数回ではありますが田中新兵衛役で出演しています。それにしても渡哲也、渡瀬恒彦、大原麗子、3人とももう亡くなられているのが今見ると切ないですね…。渡瀬さんと大原さんの結婚は1973年から1978年まで。その後大原さんは1980年から1984年まで森進一さんと再婚しています。
 俳優、特に男性の歌手としての紅白出演はこの当時喜劇系を除いてほとんど前例なし。自ら作曲する加山雄三さんを例外とすると、第10回の山田真二さんくらいでしょうか。小林旭さんは第28回に「昔の名前で出ています」で初出場しますが、当時はまだ紅白出場無しでした。直近でも1971年にヒットした鶴田浩二さんも不出場、いかにこの年の渡哲也の紅白出場が異例だったかということです。なお渡さんは1993年の第44回でも「くちなしの花」で出場、この時もまた直腸癌を克服したタイミングでのステージでした。

 

都はるみ(10年連続10回目/第16回/1964/26)
「にごりえの町」(1974/横井 弘/平尾昌晃/初)

 沖縄から桜の花が空輸されています。持ってきたのは全日空もしくは日本航空のスチュワーデスでしょうか。マイクを向けるのはもちろん沖縄出身の南沙織。和服に着替えています。花の種類は緋寒桜、沖縄では寒緋桜と呼ぶそうです。海洋博が近くで行われる名護市から送られてきたということです。
 前半戦もラストになりました。都さんのステージは相変わらず、観客席から「ミヤコ!ミヤコ!」の合いの手が多く入ります。紅白も少し前から、固定マイクではなく手で持つタイプのマイク中心にシフトしていますが、左手で斜め45度に傾けて歌う姿が本当に絵になっていますね。前回の「涙の連絡船」辺りから、いよいよ歌声の説得力が増してきました。今回の新曲はあまりヒットしなかったですが、またいずれ「アンコ椿は恋の花」「涙の連絡船」を超える代表曲が出てくるかと思います。それに期待しましょう。(2分22秒)

(解説)
 スチュワーデスという言葉は基本的に現在使われていなくてフライトアテンダントもしくはCA辺りと表記するのが適当かと思いますが、当時はほぼ”スチュワーデス”という言葉が一般的だったはずなのであえてこの単語のまま書きました。
 1984年に一時期引退するまで、売上的に最も振るわなかった時期がこの頃でしょうか。「にごりえの町」は良い曲だと思うのですが、オリコンにはランクインしていません。ですが次の年の紅白で歌われるのは発売して間もない「北の宿から」。ここから都はるみにとって、第2期とも言って良い黄金期が到来します。

・中間発表~ハーフタイム

 出場歌手全員が中央に集まって中間発表。進行が中江陽三アナウンサーに代わっています。得点集計の結果は、やはり先ほどの渡哲也のステージがモノをいったでしょうか、6ポイントくらいの差で白組優勢。ここから景気づけということで、三波伸介が音頭を取って餅つきが始まります。相変わらず無駄に声が大きいです。
 特に紹介があったわけではありませんが、応援団長のタスキをかけているのは白組が堺正章、紅組がちあきなおみ和田アキ子は前回同様、真っ赤な紋付き袴を着ています。紅組で餅をついているのは森昌子桜田淳子小柳ルミ子山口百恵でこねるのは梓みちよ。白組は郷ひろみ西城秀樹が餅をついているでしょうか。一応こねる役は宮路おさむですが、何にも手を出していませんと実況にもツッコミを入れられています。それ以外だと幟を持つ人、太鼓を叩く人などもいて役割は人それぞれ。そして出来た餅(というより既に出来ている)を客席と審査員席に配ります。配る面々、裃姿の白組は三波春夫村田英雄三橋美智也春日八郎フランク永井といったベテラン勢、紅組は南沙織由紀さおり八代亜紀山本リンダにチェリッシュの松井悦子が振袖姿で。
 ラストは白組紅組がそれぞれ音頭を取って気合い入れ。白組は当然ながら三波伸介が先頭に立ちます。一方の紅組は、白組を応援していたはずの加藤茶が貴婦人姿で登場。沢田研二や森進一に帽子やカツラを脱がされて退場します。「どうも紅組の応援団長はおかしな人が出てきたようでございます」と中江アナにまでツッコまれたところで試合再開、今度は紅組先攻でステージが始まります。

(解説)
 中間発表が取り入れられるようになったのは第21回が最初。年によっては2回もしくは3回実施することもあるのですが、この回に関しては1回のみ。餅つきをして会場に配る演出はあまり好評ではなかったのかこの回以外では見られません(映像を見たことがない第21回あたりでやってるかもしれませんが)。確かに全体的に少しフワッとした演出で、何をすればいいのか戸惑っていた歌手も見ていて多そうでした。
 中江陽三アナの紅白担当はこの回が初めて。これまた設定がややフワッとしてますが、一応総合司会は土門正夫アナとの2人体制という形になっています。その後第26回~第29回は得点集計スタジオ係、第30回・第31回は総合司会として紅白に携わります。1956年の入局は、山川静夫アナと同期にあたります。この当時は『歌のゴールデンステージ』司会担当で、1974年に山川アナから引き継いだ形のようでした。