紅白名言集解説・40~ジュリーの最高峰~


 昨日志村さんについて一記事書きましたが、彼が出演するはずだった映画『キネマの神様』で代わりに演じるのがジュリーこと沢田研二さん。昨日その完成報告会見があったそうですが、あくまで彼は本編出演のみがその役目ということで姿を表さなかったそうです。ジュリーはその存在だけでなく、彼らしさを貫く生きざまも未だ健在のようです。

 さて、そういえばジュリーについて当記事ではまだ書いていませんでした。紅白歌合戦には合計17回出場、ステージで残した伝説も様々ありますが、まずは一番有名な1977年「勝手にしやがれ」を取り上げます。

「勝手にしやがれ」~1977年日本レコード大賞受賞曲

 1977年、ジュリーは「勝手にしやがれ」で日本レコード大賞を受賞。レコード売上は1977年オリコン年間4位を記録しています。この年のレコ大視聴率は50.8%で歴代最高。昭和の歌謡曲黄金時代でも更に頂点に位置するヒット中のヒットとなりました。同じ年のピンク・レディー「渚のシンドバッド」とこの曲が元になって、翌年「勝手にシンドバッド」というタイトルのヒット曲が作られるエピソードがそれを象徴しています。

 前年の紅白歌合戦と賞レースは、5月に新幹線で暴行事件を起こした影響で辞退。その中でもヒット曲は生まれていましたが、この曲の爆発的ヒットでそれまで以上にジュリー人気が高まります。「憎みきれないろくでなし」「サムライ」「ダーリング」「LOVE(抱きしめたい)」…。とにかくレコードを出せばヒットする、歌番組のパフォーマンスが大きな話題になるといった状況でした。単純なルックスや楽曲の良さだけでなく、甘い歌声と全身からにじみ出る男性にしか出せないオーラ…。1974年に放送されたドラマ『寺内貫太郎一家』で、樹木希林さんがジュリー!と叫ぶお婆ちゃんを演じていましたが、おそらく本当に世代を超えた人気が当時あったのではないかと思われます。当時の10代から70代まで、今でいうと50代から100歳以上まで。勿論後追いでファンになった若い人も、きっと多くいるでしょう。

紅白歌合戦のステージ

 迎えた大晦日、レコード大賞受賞後のステージ。トリという声もあったようですが、結果としては4つある区切りのうちの第3セクションラスト、白組24組中18番目の曲順。同じく久々の大ヒットとなった小柳ルミ子「星の砂」との対決でした。

 白組司会の山川静夫アナウンサーがレコード大賞受賞を報告すると同時に曲紹介。紅白歌合戦、紅組に対抗するという意味も含めた内容は文章・喋り含めて双方極めて綺麗な流れ。トレードマークの帽子と燕尾服にステッキを持ちながら、マイクスタンドを使う形式で両手を使いながらパフォーマンス。歌手席にいる白組出場歌手も帽子を被りながら全員後ろに登場。加山雄三や千昌夫、三橋美智也辺りの顔が目立ちます。演奏は心なしか速め、いつも率いるバックの井上堯之バンドはこの年に限って出場していないようです(テロップ表示と姿が無いだけで裏で演奏している可能性もありますが、未確認)。

 間奏に入り、ジュリーは上着を脱ごうとします。ここからがこのステージ最大のハイライト。非常に短い時間で、うまく脱ぐことが出来なかったジュリーは、咄嗟に右側だけ脱いだ状態で2番に入ります。そしてAメロ前半から後半に差しかかった所で、さっと脱ぐ姿…。紅白で演出が失敗するシーンは他にもあるのですが、失敗したことで逆にカッコ良さが増しているシーンはこのステージを置いて他にないと思います。白とピンクを基調とした肌着のような上着は、これ以上ないほどにセクシーでした。最後はジュリー以下白組歌手全員が被っていた帽子を観客席に投げてフィニッシュ。完全にNHKホールを掌握する内容でした。1970年代でも確実に五本の指に入る名シーン、勿論この年は、白組が大差で勝利を納めています。

阿久悠黄金時代

 ちなみに、この1977年はジュリーもそうですが、阿久悠黄金時代でもあります。「勝手にしやがれ」もそうですが、とにかくこの時期の阿久悠さんのヒットメーカーぶりは群を抜いていました。以下、1976年と1977年に阿久さんが提供した紅白歌唱曲を、発売日順に並べます。1976年の10曲は1作詞家が提供した曲数の最多記録です。近年の秋元康さんでもメドレー含めて7曲(ステージ単位だと4)が限界なので、それがどれだけ凄いことかがこの表を見ただけでも分かるかと思います。更に言うと、ジュリーだけでなく岩崎宏美、桜田淳子、ピンク・レディー、西城秀樹、石川さゆりは紅白歌唱曲に限らず、この時期ヒットしたシングル曲ほぼ全ての作詞を手掛けています。この表に出てない曲だと「思秋期」「ねえ!気がついてよ」「ペッパー警部」「渚のシンドバッド」「ブーメランストリート」「能登半島」…。レコード大賞はこの時期「北の宿から」「勝手にしやがれ」「UFO」で3年連続です。そして紅白歌唱曲95曲は作詞家として2位(岩谷時子)の倍近くを記録するブッチギリ歴代最多。平成以降職業作家がシンガーソングライターと比べて目立たない状況を考えると、余程カリスマ性の高いクリエーターが出ない限りおそらく破られることはないような気がしますね…。

 1976年

都はるみ北の宿から1975/12/1
岩崎宏美ファンタジー1976/1/25
伊藤咲子きみ可愛いね1976/3/5
桜田淳子夏にご用心1976/5/25
新沼謙治嫁に来ないか1976/6/1
フォーリーブス踊り子1976/6/30
ダーク・ダックス二十二歳まで1976/7/21
西城秀樹若き獅子たち1976/9/10
森 昌子恋ひとつ雪景色1976/10/10
青江三奈女から男への手紙(補作詞)1976/10/25

1977年

森田公一とトップギャラン青春時代1976/8/21
石川さゆり津軽海峡・冬景色1977/1/1
新沼謙治ヘッドライト1977/2/1
岩崎宏美悲恋白書1977/4/25
桜田淳子気まぐれヴィーナス1977/5/15
沢田研二勝手にしやがれ1977/5/21
西城秀樹ボタンを外せ1977/9/5
ピンク・レディーウォンテッド(指名手配)1977/9/5
森 進一東京物語1977/10/5
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