さあ、それではですね、この方をご紹介したいと思います。本当にこの方のコンサートに行くと、40過ぎの男の人がボロボロ涙を流してます。さあ、あえてこう呼ばしてもらいます。拓郎!(第45回・古舘伊知郎)
— 平成の紅白名言集 (@kouhakumeigen2) April 15, 2021
1994年、吉田拓郎さんの紅白出場は大変な話題になりました。この時点で既に『夜のヒットスタジオ』など音楽番組出演の実績はあるものの、紅白歌合戦ともなるとやはり話は別。1970年代は紅白に限らずテレビ出演は全てオファーを断っていたので、そういう意味でも非常に革命的な出来事でした。
・吉田拓郎の昭和時代
拓郎さんの足跡はWikipedia記事の時点で非常に詳しく、その出典元になった関連本もものすごく多いので詳しくは書きません。ただ1972年に「結婚しようよ」「旅の宿」で大ヒットした際は、紅白のオファーを断っています。おそらくここで拓郎さんが紅白(あるいはそれ以外のテレビ歌番組)に出場したかしていないかで、特にフォーク周りの音楽史は全く別の物になっていたことでしょう。早いうちに一ジャンルの第一人者となった影響は大きく、「襟裳岬」きっかけに従来の歌謡界にもフォークの流れを引き寄せます。以下、昭和の紅白で歌われた拓郎さん提供の楽曲です。紅白で歌われていない楽曲も、かまやつひろし「我が良き友よ」、石野真子「狼なんか怖くない」、風見慎吾「僕笑っちゃいます」など数多くあります。
出場回 | 楽曲 | 歌手 | 備考 |
第25回(1974年) | 襟裳岬 | 森 進一 | 日本レコード大賞、大トリ |
第26回(1975年) | 明日の前に | 堺 正章 | 作詞も担当 |
第26回(1975年) | 歌ってよ夕陽の歌を | 森山良子 | |
第27回(1976年) | メランコリー | 梓みちよ | |
第28回(1977年) | やさしい悪魔 | キャンディーズ | |
第33回(1982年) | 聖・少女 | 西城秀樹 | |
第39回(1988年) | あぁ、グッと | 近藤真彦 |
・1994年紅白歌合戦の吉田拓郎
ライブ活動を中心に活動していた拓郎さんですが、1980年代後半以降はテレビ出演も果たすようになります。NHKでは『愉快にオンステージ』ホスト役としての出演もあり、オファーも1度や2度ではなかったと思われますが、結果的に引き受けたのは1994年。ちょうど前年に勤務先の銀行を退職・ゲスト歌手として出場した小椋佳さんとともに、白組の目玉歌手として扱われました。その影響で、前年出場のさだまさしさんや南こうせつさんがこの年だけ不出場になってしまいましたが…(両者とも翌年以降復帰して連続出場しています)。
紅白出場するにあたって、拓郎さんは以下のミュージシャンの方々との共演を希望したようです。おそらく大晦日にこんな豪華なメンツが集まるはずないと考えて話したと思われますが、結果全員出場可能という形でした。というわけで、当日のミュージシャンは以下の通りです。近年は松任谷由実さんやサザンオールスターズ、福山雅治さんなどのステージなどで演奏者全員のテロップが載るようにもなりましたが、個別に全員テロップとソロショットを設けて紹介されたのは後にも先にもこのステージしかありません。
- トランペット:日野皓正
- ピアノ:大西順子
- ギター:渡辺香津美
- ウッドベース:金沢英明
- ギター:石川鷹彦
- ベース:吉田 建
- オルガン:宮川 泰
- コーラス:五木ひろし・前川清・森進一(白組出場歌手)
ステージは最も視聴率が期待される後半21時35分頃から開始。審査員席から紹介するのは、夜ヒットの司会者でもあった古舘伊知郎さん。拓郎さんは当時48歳、曲紹介にある40過ぎという年齢は1972年でいう20代の若者。いわゆる団塊の世代からそれより少し下の世代ですね。当の古舘さんも40歳になったばかりで、曲紹介にも一段と力が入っていたような印象でした。
楽曲は1978年発表のアルバム『ローリング30』収録の「外は白い雪の夜」。数字的に大ヒットというわけではないですが、往年のファンから高く支持されている楽曲です。自身のライブでも必ずと言って良いくらい歌われていて、そこが一番の選曲理由になったものと思われます。豪華ミュージシャンによるガチガチの生演奏で、自分としてはやはりリアルタイムで見た時より後から見た時の方が感じ入るものが大きかったです。
ステージで歌う拓郎さんは少し照れくさそうに、時々俯きながら。ギターを持っていない分、若干の手持ち無沙汰感もあったでしょうか。紅白という独特の空間を、戸惑いの表情もありつつじっくり味わっていたようにも見えました。歌い終わってから少し跳ねて、観客よりもバックを務めたミュージシャンに自ら拍手を贈る姿も印象に残ります。
・後日談
その後も紅白歌合戦出場オファーは何度かありましたが、全て断っているそうです。2016年全国ツアー終了後の記者会見でも少し言及していて、曰く「ウンザリしました」「もうこりごり」だとか。ちなみに自らのステージ以外だと、オープニングは後方にいたのが確認できますが、エンディングでは姿が見えませんでした。かなり後方にいたのか舞台裏にいたのか、はたまた既に帰宅していたのかは定かではないですが…。
ただテレビ番組の出演は増加。特に1996年からフジテレビで放送された『LOVE LOVE あいしてる』では、KinKi Kidsを筆頭とする若い世代に圧倒的な存在感を見せていました。キンキの2人はミュージシャンとして現在も広く支持を受けていますが、それは間違いなく拓郎さんの出会いに拠る面が大きいです。
紅白出場があったから『LOVE LOVE あいしてる』の仕事も引き受けた、というわけではないと思いますが…。ただふと考えると、多感な時代にとんでもなく豪華なミュージシャンを集めた音楽番組をよく毎週当たり前のように見てたなぁ…とは時々思います。後進番組の『堂本兄弟』もレギュラー放送終了して、生演奏の歌番組自体も半年ごとに数回くらいしか今はないですからね…。
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