高石かつ枝(初出場/第14回/コロムビア/17)
「りんごの花咲く町」

 セーラー服姿で歌唱。単純に、美しくて綺麗です。楽曲も含めて、シンプル・イズ・ベスト。良いのではないでしょうか。
 こまどり姉妹の2人が間奏中、リンゴを客席に配る演出。下手側の通路にリンゴ、というよりご本人めがけて集まって、舞台に戻るタイミングが少し遅れてしまった模様。(2分2秒)
(解説)
 1960年代に生まれた青春歌謡というジャンル。男性には舟木一夫や三田明など多くいますが、意外と女性でそこまでメジャーになった存在は少ないような。高石かつ枝、本間千代子、一応吉永小百合もそうでしょうか。純情可憐という言葉が似合う作品、歌謡曲もそうですが映画でも、最近どころか 1970年代か1980年代の時点であまり見なくなったような…。路線変更が功を奏した舟木一夫は例外として、全体的にヒットの時期が短命に終わったケースが多い印象もあります。
 高石さんの紅白出場はこの回のみ。前年「旅の夜風」デュエットでデビューですが、その時は紅白に出られず。翌年クラウンレコードに移籍しますが、まあ色々あったそうです。
 客席に出場歌手が何かを配る演出は昭和の紅白でチラホラ見ますが、もうこの時点で取り入れられているようです。これより前だと、第11回の水原弘「恋のカクテル」でカクテルを配っていた演出があった模様。これは1980年代以降だと見られなくなります。最初から用意されている事例は多いですが(うちわ、サイリウム、樽美酒研二の仮面…)。

 

三浦洸一(7年連続8回目/第6回/ビクター/35)
「こころの灯」

 こまどり姉妹の行動に対して、「まあこの辺は公明選挙で願いたいもんで」…とは宮田輝。ここで登場するのは折り目正しい歌謡界の模範生、という紹介の三浦洸一。直立不動でスーツをしっかり決めて歌うオールドスタイル。派手さはないですが、年々ショーアップされつつある歌謡界においては間違いなく無視できない存在です。(2分3秒)
(解説)
 基本的に物を配る演出は好きじゃないのでしょうか、大体こういう演出があると後年でも宮田アナは毒づいている印象あります。あと選挙の演説とかけるような場面も直々ありますが、1974年にNHKを退職したのは参議院議員に立候補したため(選挙は当選、その後3期にわたって務める)。
 三浦さんの紅白出場はこの年が最後。おそらくこの頃になると楽曲はヒットしていないはずで、実際「こころの灯」に関しても情報はほとんどなし(作詞作曲は佐伯孝夫・吉田正の鉄板コンビ)。ただビクターとしてはやはり重きを置いていた歌手のようで、スタッフが落選をほのめかすとビクターの歌手全員出さないという強気な態度に出たとか(実際はマヒナ他引き続いて出場した歌手がほとんど)。




楠トシエ(7年連続7回目/第8回/キング/35)
「銀座かっぽれ」

 「歌え!」という観客の野次。それに対して「ちょっと待っててよ司会もやらせてよ~」と返す江利チエミ。マジメな三浦さんに対して、ユーモアのあるお姉さんということでかっぽれ姿の楠トシエがと颯爽と登場。「まかせとけ!」とホイッスルを鳴らして、6人のお弟子さん?を連れてきます。
 「紅組」と書かれた大きい真っ赤な旗が弟子から引き継がれて、それを持って歌います。お弟子さんはと言うと、踊りで盛り上げます。振り付けはよく見るとラインダンスなどを取り入れてます。パッと見た感じだと、ダンサーは紅組歌手ではなさそうですね。とりあえずは文句なしに、とびっきりの明るいステージでした。(2分12秒)
(解説)
 第9回以来5年ぶり2度目の歌唱ですが、その割に曲の情報が全然出てきません。一応藤田まさと作詞、長津義司作曲ということなので20世紀に作られたことだけは間違いなさそうです。
 そもそも「かっぽれ」が分からないという声が多そうですが、これは俗曲に合わせて踊る滑稽な踊りなのだそうです。「坊主頭姿で、染め浴衣に平ぐけ帯」というのがかっぽれ姿ということなので、実際このステージでは楠さんもダンサーも全員この格好になっています。最近だとミュージカル『刀剣乱舞』で登場したのだとか。
 楠さんの紅白出場はこの年が最後。考えてみると、NHK専属タレント第1号がCMソングの女王となるわけで面白いですね。ちなみに彼女が声を当ててる人形劇は当時『チロリン村とくるみの木』で、『ひょっこりひょうたん島』のサンデー先生は次の年からの放送。

 

森繁久彌(5年連続5回目/第10回/コロムビア/50)
「フラメンコかっぽれ」
 Spotify

 ギターはアイ・ジョージ、ボンゴはナカジマヨシノリさんと紹介されています。照明もスポットライトのみにして、森繁久彌を含めた3人だけで成立させるステージ。かっぽれをカポーレとしてフラメンコ風にアレンジした内容で、「歌」というよりも「芸」といった方が相応しいステージ。常人には到底発想し得ない表現に、拍手が何度も湧き上がっていました。(2分7秒)
(解説)
 Wikipediaレベルで見ても、天才だと言って差し支えない森繁久彌先生。音楽界の業績として一番知られているのはおそらく「しれとこ旅情」における日本初のシンガーソングライターのくだりだと思いますが、「フラメンコかっぽれ」の例しかり、戦前戦中の歌謡曲の発掘・再評価しかり。6回ある紅白出場は、いずれも当時の大衆に大いなる印象を残していたのではないかと思われます。自作自演の曲を紅白で初めて歌ったのも第13回「しれとこ旅情」。そしてスケジュールや体調以外で初めて紅白辞退を公式で表明したのも森繁先生でした。いつの時代も先駆者が一番になるという部分は、彼の生前の業績を調べると本当によく分かります。
 ちなみに「フラメンコかっぽれ」、紅白の余興みたいなものかと思いきやしっかりレコーディングもされて、今ではSpotify他のストリーミングでも聴くことが出来ます。




江利チエミ(11年連続11回目/第4回/キング/26)
「踊りあかそう」

 プレイングマネージャーとしてパリーグ優勝に導いた特別審査員・中西太の話題を振りつつ、紅組のプレイングマネージャーとも言える江利チエミを白組司会・宮田輝が紹介。
 ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の花売り娘に扮して登場。1963年9月、東京宝塚劇場ではこのミュージカルが彼女主演で連日開催されていました。花売り娘のイライザ・ドゥーリトルが紅白に凱旋した、そう形容しても良いでしょうか。前半は日本語、後半は英語。間違いなく圧巻のステージ。
 歌手席も映ってます。弘田三枝子が英語詞に乗せて歌ってます。白組側の歌手も手拍子。歌い終わり、宮田輝が江利チエミのもとに駆け寄ってそのままトーク。そこには対決モードなど全く無く、非常に和やかな雰囲気です。(2分14秒)
(解説)
 第6回・第7回で宮田輝は紅組司会を務めているので、過去にも紅白で紅組歌手の曲紹介を務める機会は多くあったと思われますが、白組司会が紅組歌手を紹介する場面はおそらくこれが初めて。
 『マイ・フェア・レディ』はこの1963年9月に日本初のブロードウェイミュージカルとして初公演。冒頭とラストで東京宝塚劇場の外の様子が中継されていますが、その『マイ・フェア・レディ』の看板が入場口の屋根のところに見えます。翌年1月にも再公演、会場も同じく東京宝塚劇場。5月には梅田コマ劇場でも上演されました。
 歌手席は当時、紅白両側の端の方にパイプ椅子で設置されています。セットとして歌手席が作られるのはもう少し後の第18回から。
 男女対決と言っても、このやり取りに代表されるように両司会のやり取りはとても和やか。宮田さんが女性を立てるのはこの年以外でも概ねそうですが、チエミさんの謙虚で、あまり強気でない性格も大きかったように思います(これが2, 3年後になると終始バリバリ対決モードになるんですよね…)

 

立川澄人(初出場/第14回/ビクター/34)
「運がよけりゃ」

 この曲も『マイ・フェア・レディ』劇中歌としてもうお馴染み。バックには体格が良さそうな4人のダンスが入ります。こちらは全編日本語歌詞。相当音を外して歌っているのは、テンションが空回りしているのでしょうか、もしくはあえてそう演出しているのでしょうか。おそらく後者のような気はしますが。いずれにしても、迫力あるステージではありました。(1分48秒)
(解説)
 「マイ・フェア・レディ」の舞台で歌った曲は全て英語詞だったのでしょうか、それとも日本語詞が用意されていたのでしょうか。この紅白で歌われた日本語の歌詞は、他で見た記憶がありません。少し訳とメロディーがミスマッチのような気もしないではなく…。
 立川澄人、のちに立川清登と改名しますが当時はNHKの歌番組『音楽をどうぞ』司会。1957年から務めていることを考えると、この年まで紅白出場が無かったのはやや意外な感もあります。4年連続出場、その後もコンサート等で活躍しますが、1985年大晦日に56歳の若さで世を去りました。




・中継応援

 今回初めての試みとして、日本各地からの中継が入ります。既に地方審査員の紹介が一部ありましたが、ここではまた別の形での中継。
 まずは宮城県石巻港から。担当しているアナウンサーは相川浩でしょうか。30名あまりの漁師が揃っています。その代表の方が、方言を交えて喋ってます。石巻で採れる近海マグロは一匹30万。ひと網で5000~6000万くらい取れるのだそうで、景気の良さをアピールしていました。目の前にあるのは金華山沖のカツオ。どうやら石巻の漁師は全員白組を応援しているようです。
 もう一か所は大阪の法善寺横丁。呼びかけられたのは、てなもんやのお兄さんこと藤田まこと。ここまで登場した男性は江利チエミが何度も嘆くほどに白組応援ばかりでしたが、彼は紅組女性軍を応援。更に”はせくーん”と呼びかけると、女優・長谷百合も登場。女性の尻に敷かれている部分も若干無くはなさそうですが、とりあえず大阪は全員女性の応援をしているとのこと。最後は法善寺の応援団が万歳三唱、ですがカメラは東京宝塚劇場に戻っていてその様子は映し出されず。
(解説)
 高度経済成長時代、1963年はオリンピック景気真っ只中。漁業に関して言うと、遠洋漁業の漁獲高が伸びるのはこの年以降排他的経済水域が設定される1970年代後半まで。未開拓の漁場も多かったようで、現地の漁師が話していた通り、景気良く将来性明るい産業であることは間違いなさそうでした。
 朝日放送で『てなもんや三度笠』の放送が開始されたのは1962年。チエミさんが「てなもんやのお兄さん」と紹介する辺り、もう既にお茶の間には浸透していたものと思われます。藤田まこととABCの縁はてなもんや→必殺仕置人→はぐれ刑事純情派と、亡くなるまでずっと続きます。なおNHKではこの年藤田まことも出演しているドラマ『法善寺横丁』が放送、おそらくその縁での中継だったのではないかと思われます。
 長谷さんはWikipediaにも項目が作られていないですが、関西を中心に活動していた女優の模様。”はせくーん”と呼びかけて登場するシーンは、これまた朝日放送コメディ番組『スチャラカ社員』でお馴染みの場面。ただこの放送時点で彼女の役は、デビューしたばかりの藤純子(現・富司純子)に交代していた模様。

 

トリオこいさんず(2年連続2回目/第13回/キング/?)
「いやーかなわんわ」

 大阪からの応援中継を受けて登場。グループ名が示す通りの関西色満載、歌詞や台詞がこうだとメロディーやリズムまでも関西っぽく聴こえてくるものです。2番では犬の鳴き声を声色で表現する場面もありました。大変記憶に残りやすい、ユニークなステージを展開していたのではないかと思います。(1分44秒)
(解説)
 Wikipediaにも項目がないトリオこいさんず、さっぱり情報が手に入らないですが、この「いやーかなわんわ」は少なくともレコード化はされているようです。白組のグループが外せない面々ばかり、当時グループはグループ同士の対決しか組めない、ですので単にグループだからそこそこのヒットでも紅白に出場出来たという可能性も…。実際グループ対決縛りが無くなった次の回は出場していません。今記事を書くに至って参考にしている紅白関連の資料でも、トリオこいさんずに関する言及は少なめ。ザ・ピーナッツに対抗して結成された、という程度でしょうか。比較的この紅白について詳しく言及している『紅白歌合戦と日本人』(太田省一・著)でもほぼ完全スルーでした。それだけ資料が集められない状況、ということなのかもしれません。
 メンバーのうち、関口愛子(中央の方でしょうか)は引退後ハワイ在住。カラオケ講師として現地では有名でしたが、2015年に亡くなったということです。

 

ボニー・ジャックス(初出場/第14回/キング/26~29)
「一週間」
 Spotify

 早稲田大学出身という触れ込みで曲紹介。ダーク・ダックスがロシア民謡、デューク・エイセスがアメリカンポップスならボニー・ジャックスは日本の唱歌という具合でしょうか。と言ってもこの「一週間」はロシア民謡ですが。この年4月に『みんなのうた』で放送された楽曲を、手拍子を交えて歌います。一人ひとりのソロパートをじっくり味わえるのが、すごく良いですね。(1分48秒)
(解説)
 「一週間」が世に広まったのは『みんなのうた』でしょうか、それともこの紅白のステージでしょうか。楽曲自体は19世紀にロシアで作らました。
 ダーク・ダックスが慶應義塾ワグネル・ソサィエティーならボニー・ジャックスは早稲田のグリークラブ。デューク・エイセスとともに3組で合同コンサートを開催する機会も多かったようです。童謡・唱歌といえばボニー・ジャックス、と書きましたが事実CMソングを含めて吹き込んだ曲数は5000を超えるとか。考えてみれば「一週間」も、元はロシア民謡ですがいまやすっかり童謡として定着しているイメージで…。