紅11(全体21):吉永小百合(2年連続2回目)
・1957年女優・1962年歌手デビュー 第13回(1962年)初出場
・1945年3月13日生 東京都渋谷区出身
・楽曲:「伊豆の踊子」
・レーベル:日本ビクター
・演奏時間:1分56秒
「こっちの司会者はこんな汚くてごめんなさい(※「踊り明かそう」を歌った際の『マイ・ピュア・レディ』花売り娘の衣装)。でもこの次皆さまにお送りするのは、日本中の若い男性が、若い男の人の憧れの的、ティーンエイジャーのプレ…しっかりモノ言って!ティーンエイジャーのプリンセス・吉永小百合さん。「伊豆の踊子」」。ティーンネイジャーのプリンセスと曲紹介するチエミさんは、途中甘噛みした際に自らビンタして喝を入れています。
楽曲はこの年公開された主演映画でもお馴染み「伊豆の踊子」。そのため伊豆の踊子・薫役の衣装がそのまま使われます。映画ではカラーの鮮やかな色彩がスクリーンに映し出されていました。今回の紅白はまだカラー化されていませんが、オリンピックを控える1964年になるといよいよカラーで放送される歌番組も増えるのでしょうか。
ステージは、舌足らずな歌唱がかわいさをより演出してくれるような内容でした。ヒットする歌手が歌唱力高いのは当たり前なのですが、近い将来案外そうでもなくなるのかもしれません。
解説
・日活でこの年公開された映画『伊豆の踊子』は吉永小百合・高橋英樹主演。当時はテレビより映画の勢力が強く、彼女はこの年だけでも11本出演しています。制作は全て日活、当時は俳優・主なスタッフともに一社専属が当たり前の時代。なお『伊豆の踊子』は11年後、山口百恵と三浦友和主演でリメイクされています。
・ルックスも歌声も大変綺麗で美しい小百合さんですが、音程や声の出し方自体はやはり上手いという印象ではなく。でも後年ブレイクした一部のアイドルと比べるとやはり上手いです。
・当時はしっかりした発声で歌うのが当たり前だった時代で、もう少し前の戦前デビューだと音楽学校で声楽を学んできた人がゴロゴロいた頃。本業が俳優だからこれで問題なかった、という点はあったかもしれません。事実、1970年代以降彼女の歌手活動は大幅に減少しています。
白11(全体22):北原謙二(2年連続2回目)
・1961年デビュー 第13回(1962年)初出場
・1939年10月8日生 大阪府出身
・楽曲:「若い明日」
・レーベル:日本コロムビア
・演奏時間:2分3秒
「幼馴染の初恋は、好きと言えないまだつぼみ。「若い明日」北原謙二さんでございます」
前回は「若いふたり」で初出場しましたが、今回も青春歌謡少し手前といった具合の若さをテーマにした少し切ない歌謡曲。サビの歌詞がそのまま曲紹介に流用されています。北原節、という言葉が適当かどうかは不明ですが、それが冴え渡るステージでした。
解説
・1940年代後半の人々が「団塊の世代」と呼ばれたのは1970年代以降ですが、少なくともこの世代が中学を卒業して上京して働き始めたのは1963年前後のこと。彼らの世代をテーマにした、エールにした楽曲はこの時代紅白に歌われていないものでも多く存在したと思われます。ちなみにその象徴とも言える「あゝ上野駅」が発売されたのは翌1964年でした。
・北原謙二の紅白出場はこの年まで。翌年洋楽カバーの「北風」(青春歌年鑑シリーズ収録)、さらに次の年「ふるさとのはなしをしよう」(後年山本譲二もカバー・第55回(2004年)でも歌唱)がヒットしているはずですが、売上という数字的な根拠がこの時代ハッキリしないので断定不可能なのが辛いところ。
地方審査員紹介・2
再び総合司会・石井鐘三郎アナの案内のもと、まだ触れられていない地方審査員の方々を紹介。
福岡の審査員は荒津いそよ、石原孝一。石原さんは藤田まことの長い顔のおかげで紅組有利、と話してます。
広島の審査員は重本一枝、船本和宏。ホテルか船の宴会場でしょうか。船本さんは今の所1点差で男性軍有利、重本さんは両組にエールを送ります。
大阪の審査員は筒井満喜子、龍村基雄。時代劇か新喜劇の和菓子屋みたいなセットで、妙に凝ってます。2人とも紅組有利との評。本当に先ほど藤田まことが言っていた通り、大阪は女性有利みたいです。
解説
石井鐘三郎アナウンサーは第5回から第17回まで、第12回を除く12回にわたって総合司会を担当しました。1950年代前半に入局、宮田輝アナは先輩にあたります。
紅12(全体23):朝丘雪路(5年連続6回目)
・1955年女優・1958年歌手デビュー 第8回(1957年)初出場
・1935年7月23日生 東京都中央区出身
・楽曲:「永良部百合の花」
・レーベル:東芝レコード
・演奏時間:2分14秒
そういえばここまで紹介がなかった紅組演奏のオーケストラ。今回は原信夫とシャープス・アンド・フラッツが担当します。「原さんいい男!」と観客の女性から声援、江利チエミ曰く「昔からだって言ってます」。「それではここで女性軍の方は手八丁口八丁、(小声で)まるでタコみたいな人なんですけども、朝丘雪路さん「永良部百合の花」」。
南国ブームを担った曲の一つですが、奄美大島ではなく沖永良部島が舞台になっている部分が特徴的。歌詞もさることながら、メロディーの使い方も独特に聴こえます。リズムも変拍子が入って、他の歌謡曲とは全く違う雰囲気です。和服姿で4コーラス、小唄のような印象もありました。
解説
・当時の紅白歌合戦はもちろんオーケストラの生演奏。紅組・白組それぞれにバンドが設けられていました。原信夫とシャープス・アンド・フラッツはこの年初めて紅白歌合戦に出演。第22回まで連続して紅組ステージの演奏を担当します(その後第25回でも担当)。
・紅白で沖永良部島をテーマにした楽曲はこの曲のみ。今となればもう民謡の一つにまで昇華しているようです。朝丘さんの場合、紅白では宝塚絡みや民謡、洋楽カバーなどかなりレパートリーがノンジャンルです。歌手以外もかなり活動が幅広いので、調べるのが大変です。
・この年大河ドラマ第1作『花の生涯』が放送されてますが、朝丘さんは唐人お吉役で出演。相手の恋人役が後に親戚関係となる長門裕之、津川雅彦と結婚するのはまだしばらく後の話ですが、後年から見るとなかなか興味深いキャスティングです。
白12(全体24):田端義夫(初出場)
・1939年デビュー
・1919年1月1日生 三重県松阪市出身
・楽曲:「島育ち」
・レーベル:テイチクレコード
・演奏時間:2分14秒
「拝啓池田総理大臣殿、今年は歌の世界では、琉球や奄美大島など南のいわゆる島モノが流行りました。その島モノブームをきっかけを作ったのは、不遇のどん底にありながら歌の勉強を怠らなかった、この道25年の大正の男です。総理、奇跡のカムバックと言われ再び栄光の座についた田端義夫さんに拍手を送ってください」
トレードマークのエレキギターを、イメージ通りネックを下に傾けて弾きながら熱唱。歌中起こる「バタやん!」という歓声にも笑顔で応えます。本来なら第1回~第8回辺りまでの間に複数回出場してもいいところを、色々あって紅白初出場となった今回。バタヤンを紅白で見られる、それだけで満足できて嬉しい気持ちになるステージでした。
解説
・冒頭にもあった通り、当時の総理大臣は池田勇人。1960年から1964年の東京五輪終了直後まで在任、特に経済面で大きな功績を残しました。
・奇跡のカムバックと言われた田端さん、戦前戦後と大ヒットしましたが1955年頃にはヒット曲が出なくなりました。当時一度ヒットしなくなったベテランが新曲で再び脚光を浴びたという前例はおそらくなし。ちなみに1950年代前半のヒット当時は、地方公演優先のため紅白は不出場でした。
・「島育ち」は前年の紅白で朝丘雪路によって歌われています。また、第2回で越路吹雪が急遽初出場した際に歌ったという説があります。NHK公式では「ビギン・ザ・ビギン」となっていますが私的研究の結果によると「島育ち」の方が有力、ただまだ確定事項ではないようです。
紅13(全体25):島倉千代子(7年連続7回目)
・1955年デビュー 第8回(1957年)初出場
・1938年3月30日生 東京都品川区出身
・楽曲:「武蔵野エレジー」
・レーベル:日本コロムビア
・演奏時間:2分29秒
「さて、立派な大先輩・田端さんの後は、女性軍は自分の今の心境とまるで正反対の歌を歌って頂くんです。新婚ホヤホヤで幸せいっぱいの島倉千代子さん、「武蔵野エレジー」です」
新婚ホヤホヤですが、曲紹介でもあった通り曲は思いっきり別れをテーマにした暗い曲。お千代さんの泣き節が響き渡る、聴かせるステージでした。
解説
・この年父親が亡くなりましたが、直後に阪神タイガースのスラッガー・藤本勝巳選手と結婚。かなりの反対があったようですが、実際のところ1968年に離婚。この後の結婚生活を含めて考えると、結果的には選曲がそれを暗示していたような気もします。
・ちなみに前年4番で優勝に貢献した藤本選手は、この年以降大きく成績を落としてそのまま1967年に引退しています。
白13(全体26):三橋美智也(8年連続8回目)
・1954年デビュー 第7回(1956年)初出場
・1930年11月10日生 北海道上磯郡上磯町出身
・楽曲:「流れ星だよ」
・レーベル:キングレコード
・演奏時間:2分6秒
「さあ、じっくり聴いて頂きましょう。「流れ星だよ」三橋美智也さんです」
前回「星屑の街」で大トリ、今回は前半トリとして登場。単純に聴かせるステージです。張り上げるような威勢の良いメロディーではないので、その点やや物足りなさがあるでしょうか。曲紹介もやけにあっさり、時間が押してカットされたような跡もあります。
解説
・前年のステージの時点で、声の調子の悪さは指摘されていたようです。この曲の発売も1962年後半、つまり言うと1963年の発売曲は例年になくヒットしなかったということでしょうか。一応16枚シングル発売、彼に限らずこの当時のスター歌手はシングルレコードのリリースが非常に多いです。
・ちなみにこの年各社競作となった「東京五輪音頭」ですが、作曲者の古賀政男は三橋さんが歌うことを想定して作られたらしいです。実際キングレコードの代表としてこの曲を吹き込んだのは、三橋さんでした。
応援合戦
チエミさんが芸者の衣装に着替えています。大きな団扇を持っているのは、巫女姿で眼鏡をかけた武智豊子と、もう一人は楠トシエ。双方とも、NHK『お笑い三人組』でお馴染みのベテランで応援の先頭に立つにはうってつけ。後ろでは紅組歌手が総出で「鹿児島おはら節」をモチーフにした応援歌を歌います。
一方白組は「ソーラン節」をモチーフにした応援、宮田アナと三波春夫が大漁と書かれたハッピやねじり鉢巻を身に着けています。大きな旗を振るのは坂本九とジェリー藤尾。賑やかですが、思いのほか短い時間でまとめられています。その後石井鐘三郎アナウンサーの進行で攻守交代、後半戦に入ります。
解説
・応援合戦にかけられた時間は両軍合わせて2分もありません。最近の紅白だけでなく、昭和40年代以降と比べてもあまり時間がかけられていません。それより前はさすがに分からないですが…。
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