松山恵子(7年連続7回目/第8回/東芝/26)
「別れの入場券」
 Spotify

 先ほどのガマガエル登場に「カエル出しちゃってあきれかえっちゃう」と返答する江利チエミ。それを受けて紅組歌手席からは拍手。
 1963年はシングルレコードを17枚発売しましたが、今回選曲した「別れの入場券」は5月発売。2コーラスじっくり歌い上げます。それにしても、観客席から入る「お恵ちゃん!」の叫び声が凄いですね。(2分2秒)
(解説)
 シングルレコードの発売月・枚数はとりあえずWikipedia調べ。当時は今のアルバムにあたるLPも存在はしていますが、まだまだ一般的とは言えない時代。またオリコンも存在していないので、何がどれだけ売れたかを調べるのも不可能(ビッグヒットならレコード会社が公称するおよその売上枚数が分かるケースも多いですが…)。その中でヒットを測るとしたら、後年多く出される全曲集にどれだけ入っているか調べるのが一番良さそうですが…。したがって、この紅白で「別れの入場券」を選曲した理由は1963年の曲だからという以外に今のところ根拠は見つけられません。
 後年は落下傘ドレスと言われるどでかいスカートにハンカチがトレードマークになりますが、これまた当時は(おそらく)存在していない模様。一説には26年後の紅白で「未練の波止場」を歌った時が最初だと言われていますが…。
 また、この年一歌手に対する掛け声が一番大きかったのはこのステージのようにも見えました。後年は水前寺清子や都はるみ辺りでこういう場面が目立つようになりますが、彼女たちは翌年デビュー、2年後に紅白初出場となります。

 

北島三郎(初出場/第14回/コロムビア/27)
「ギター仁義」

「今から7年ほど前に、北海道から上京いたしました。その後工員さんを務めたり、あるいはまた流しの艶歌師などをして今日の座を得られたという北島三郎さん「ギター仁義」でございます。」
 前年8月発売の「なみだ船」が大ヒットしていましたが、続く1963年も人気を継続して堂々の初出場。和服の似合う先輩歌手と言えば三波春夫、村田英雄といますが、彼もそういった存在になるのでしょうか。堂々の着流し姿と、”お控えなすって…”の手の動きが大変絵になっています。(2分10秒)
(解説)
 彼の名を知らしめた楽曲は何と言っても「なみだ船」ですが、前年初出場にならなかったのはヒット時期の関係があったのでしょうか。紅白でその曲が歌われたのは、19年後の第33回が初めてその時のみでした。
 デビュー前既に結婚していましたが、世に広まったのはこの年紅白初出場が決まってからだそうです。
 この年の秋にクラウンレコード(現・日本クラウン)が設立。紅白出場時点では既に移籍済でレコードも発売、ただ楽曲発表時に合わせてここでは一応コロムビア所属という扱いにしました。現在も日本クラウン所属で、レーベルは一度も変えていません。




雪村いづみ(2年ぶり7回目/第5回/ビクター/26)
「思い出のサンフランシスコ」
 Spotify

 今回のセットは上段と下段でステージが分かれていて、基本的には下段のスタンドマイクの前で歌います。ですがこのステージでは、まず階段上で歌い上げます。歌いながら階段を降りて、紅組のスタンドマイクの前まで移動して、そのまま歌い切るという形でした。この曲は前年トニー・ベネットが歌ってグラミー賞を受賞した楽曲。ですがアメリカ公演も既に経験している彼女、向こうの歌手にも負けない圧巻の歌唱だったのではないのでしょうか。
 両手首にそれぞれ赤いバラ。これは歌い終わりのコメントによると、今回の分と前回出られなかった分。その分、力いっぱい歌ったとのことでした。(2分37秒)
(解説)
 前半階段上での歌唱はワイヤレスマイクを使用。これまた未確認ですが、固定のスタンドマイクを使わない演出はおそらくこのステージが紅白史上初だったのではないかと思われます。現在は紅組・白組それぞれマイクの区別はありませんが、当時は下手側に紅組用・上手側に白組用のスタンドマイクが固定されていてはっきり分かれていました。現在のようなハンドマイクは、まだ使用されていません。
 シングルで発売されたかどうかは不明ですが、スタンダードナンバーとしてレパートリーには入っています。Spotify他ストリーミングでも聴くことは可能。昭和30年代の洋楽ヒット曲は、もしかするとほぼ全てカバーして歌っているかもしれません。

 

アイ・ジョージ(4年連続4回目/第11回/テイチク/30)
「ダニーボーイ」

 何と言っても1963年は日本人初のカーネギーホール単独公演。その実績を考えると多少曲順が早すぎる気もしますが、逆に言うとこの人をこれだけ前半に持っていけるほど今回の紅白は層厚いと言えるのかもしれません。照明を暗転させて、ギターを弾きながらアイ・ジョージにスポットを当てる構成で終盤はアカペラ。まさしく大熱唱。おそらく50年後でも、見た人全員が名ステージと評価するのではないかと思われます。(3分10秒)
(解説)
 楽曲はアイルランド民謡。アイ・ジョージの歌唱はストリーミング未解禁、ただ『青春歌年鑑』シリーズではそのまま英語の歌唱で収録。ちなみに10月8日に行われたこのカーネギーホール公演、内容は高評価でしたが、興行的には必ずしも成功とは言えない状況だったらしいです。




こまどり姉妹(3年連続3回目/第12回/コロムビア/25)
「浮草三味線」
 Spotify

 少し気弱になる江利チエミのもとに、「浮草一座」と称して、荷車に乗った2人が紅組側から登場。それをひく女性たちがそのままバックダンサーに加わります。2コーラス、三味線を弾きながらの熱唱でした。(2分0秒)
(解説)
 昭和40年代~50年代の紅白だと、紅組(白組)歌手がダンス・コーラスで盛り上げる演出が多数見受けられますが、少なくともこの年の紅白でそういった演出はほとんど見受けられません。おそらくこれ以降の紅白だと、荷車を引いて踊るのは紅組歌手だったのではないでしょうか。
 ラーメン好きとしても知られているこまどり姉妹ですが、この曲のレコードB面は「涙のラーメン」でした。ただ当時からラーメン好きが知られていたかどうかは、私には知る由もありません。

 

トニー谷、清川虹子の応援

 虚無僧姿の男と、鳥追い姿の女が舞台袖から登場。すれ違って、まず顔を見せるのはトニー谷。「おこんばんわ~!」「三味線バンジョー小脇に抱えて、おピンクカラーのあなたのその名、あなたのお名前なんて~の!」「清川虹子でございます~これから紅白歌合戦に、紅組の応援に駆けつけるところでございます」「かくいう拙者も、白組の応援に駆けつけるところでござい…」
 「客席にいる、鳥を捕まえて追い出して頂きたい」「何言ってんの、この馬鹿!(傘でトニーの頭を叩く)」そんなやり取りがありつつ、双方とも借金取りに追われていることで意気投合。ラストは2人、仲良く小唄を決めて舞台袖に分かれて退場しました。
(解説)
 トニー谷は第6回・第7回・第9回に続いて5年ぶり4度目のゲスト出演。ちなみに紅白で初めて登場した応援ゲストでもあります。昭和30年代前半は一時期低迷していましたが、前年にNTVで放送開始した『アベック歌合戦』の司会で人気回復。「あなたのお名前なんて~の!」のくだりは、出場者に自己紹介してもらう時に拍子木を叩きながら繰り出すフレーズで、当時の流行語にもなりました。
 清川虹子は第10回以来4年ぶり2度目のゲスト出演。江利チエミ主演の『サザエさん』で母親のフネ役を演じています。

 

和田弘とマヒナスターズ(5年連続5回目/第10回/ビクター/28~32)
「男ならやってみな」

 「月」「星」という大きな字が描かれた着流しで揃えるマヒナスターズの面々。自らギター・ベース・スチールギターを持ち込むスタイルもすっかり紅白でお馴染み。1コーラスが短いので都合4コーラス、そのうちラストは”紅組なんかにゃ負けられないよ”と歌詞を変えて歌います。会場からは大きな拍手。その割に毎年のように松尾和子に多摩幸子、吉永小百合などとデュエットしてヒットしていますが、そこはツッコんではいけない所でしょうか。(2分28秒)
(解説)
 マヒナスターズの楽曲はこの年まで紅白で2曲歌われているケースが複数。1つは自らのステージで、もう1つはデュエットした紅組歌手のステージで。後者の例は「誰よりも君を愛す」(松尾和子)、「寒い朝」(吉永小百合)、「島のブルース」(三沢あけみ)など。次の年以降の「お座敷小唄」「愛して愛して愛しちゃったのよ」「銀座ブルース」は、デュエット曲をマヒナのステージで歌うという形になりました。そのため「ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー」「涙くんさよなら」は、紅白で一度も歌われない楽曲となっています(「涙くんさよなら」は第68回のドラマ内でようやく桑田佳祐が初歌唱)。




地方審査員の紹介・1

 各地区それぞれスタジオなどの会場を用いて中継。
 松山の審査員は佐伯みどり、富田寿久。旅館の一室を借りて中継している形でしょうか。富田さん「松山は文化が高いとこですけん、点数は辛い」一方の佐伯さんは紅組有利と考えている模様。
 札幌の審査員は上野智香子、佐藤昭則。パッと見た限りではスタジオのように見えます。この年の札幌はあまり雪が降らなかったようですが、一昨日にようやく20cmほど積もったそう。
 名古屋の審査員は松井久子、石田進。名古屋城をバックにしています。松井さんは紅組に勝って欲しい、石田さんは白組絶対勝ちと意見が分かれています。
 仙台の審査員は菅原たつ、難徳静夫。こちらも菅原さんが紅組、難徳さんが白組とハッキリ意見分かれました。難徳さんはアイ・ジョージを評価しているようです。
(解説)
 中継審査員の形式はこの年初めて取り入れられましたが、次の年以降は結局会場に呼ぶ形になっています。各地方に中継が入る紅白はこれ以降でも数回ありますが、各地区に中継で男女1人のみという形はこの回のみとなっています。
 女性審査員はこの時代ほぼ全員着物姿です。洋服姿は東京五輪選手村責任者の貞閑晴さんだけではないでしょうか。

 

坂本スミ子(3年連続3回目/第12回/東芝/27)
「テ・キエロ・デ ヒステ」
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 前回の「エル・クンバンチェロ」はおスミ姉さん得意のラテンナンバーで荒ぶりまくっていましたが、今回はどちらかと言うとしっとりしたラブバラード。ラテン語はラテン語で、歌声も当然確かなのでこれもこれで良いのですが、やはりそれだと本人も演奏も物足りないのでしょうか。間奏だけ思いっきりラテンのアップテンポのリズムに仕上げていました。(2分32秒)
(解説)
 楽曲は古くからあるラテンのスタンダード。1944年に作られた楽曲なのだそう。坂本スミ子だけでなく、司会を務める江利チエミもレパートリーに加えています。坂本スミ子は当時人気番組『夢であいましょう』レギュラー。番組テーマソングも歌っていますが、5回出場している紅白歌合戦は全て原語で歌うラテンを選曲していました。

 

ジェリー藤尾(3年連続3回目/第12回/東芝/23)
「誰かと誰かが」

 前回の「遠くへ行きたい」と同じく六八コンビの提供ですが、今回は軽めの明るい歌。衣装もタキシードではなく普段着に近い印象でかなりラフ。リラックスしている印象もあります。最初の歌い出し、てっきり歌詞を間違えたかと思いましたがよく聴くと、”トモコじゃない…”。結婚する相手の名前を出していたようですね。温かい拍手で迎えられるステージでした。(2分6秒)
(解説)
 「遠くへ行きたい」と同様、この曲も『夢であいましょう』の今月のうたから生まれた楽曲。1963年8月の歌で、レコード発売が10月。
 翌年にめでたく結婚、その後はおしどり夫婦として、オールスター家族対抗歌合戦などでも常連だったようですが1986年に離婚。その際かなりのバッシングがありましたが、根本的な原因は奥様の方だったとか…。