第14回(1963年)NHK紅白歌合戦~その2~

紅3(全体5):松山恵子(7年連続7回目)

・1955年デビュー 第8回(1957年)初出場
・1937年4月10日生 福岡県北九州市出身
・楽曲:「別れの入場券」
・レーベル:東芝レコード
・演奏時間:2分2秒

 先ほど白組側の応援で登場したガマガエルに猛抗議するチエミさん。「動物だかさ爬虫類だか知らないけど、あんなの出しちゃうんだもん」「カエル出しちゃってあきれかえっちゃう」、ダジャレに紅組歌手席や観客席から拍手が起こります。「カエルの力なんか借りないで、喉の方のお恵ちゃん節でやっちゃうからね見ててちょうだいね。松山恵子さん「別れの入場券」」

 1963年はシングルレコードを17枚発売しましたが、今回選曲した「別れの入場券」は5月発売。2コーラスじっくり歌い上げます。冒頭から「恵ちゃんガンバレ!」「お恵ちゃん!」、その後も歌い終わるたびに入る応援の叫び声。歌以上にその熱狂が印象に残るステージでした。

解説

・シングルレコードの発売月・枚数はとりあえずWikipedia調べ。当時は今のアルバムにあたるLPも存在はしていますが、まだまだ一般的とは言えない時代。またオリコンも存在していないので、何がどれだけ売れたかを調べるのも不可能(ビッグヒットならレコード会社が公称するおよその売上枚数が分かるケースも多いですが…)。その中でヒットを測るとしたら、後年多く出される全曲集にどれだけ入っているか調べるのが一番良さそうですが…。

・したがって、この紅白で「別れの入場券」を選曲した理由は、1963年の曲だからという以外に今のところ根拠は見つけられません。

・後年は落下傘ドレスと言われるどでかいスカートにハンカチがトレードマークになりますが、これまた当時は(おそらく)存在していない模様。一説には26年後の紅白で「未練の波止場」を歌った時が最初だと言われています。

・また、この年一歌手に対する掛け声が一番大きかったのはこのステージのようにも見えました。後年は水前寺清子都はるみのステージでこういう声援が目立つようになりますが、彼女たちのデビューは翌年・紅白歌合戦初出場は2年後です。

 

白3(全体6):北島三郎(初出場)

・1962年デビュー
・1936年10月4日生 北海道上磯郡知内村出身
・楽曲:「ギター仁義」
・レーベル:日本コロムビア
・演奏時間:2分10秒

 「今から7年ほど前に、北海道から上京いたしました。その後工員さんを務めたり、あるいはまた流しの艶歌師などをして今日の座を得られたという北島三郎さん「ギター仁義」でございます」

 前年8月発売の「なみだ船」が大ヒットしていましたが、続く1963年も人気継続で堂々の初出場。和服の似合う先輩歌手と言えば三波春夫村田英雄がいますが、彼もそういった存在になるのでしょうか。堂々の着流し姿と、”お控えなすって…”の手の動きが大変絵になっていて、実際そのシーンでは2回とも観客席から大きな拍手が起こりました。

解説

・彼の名を知らしめた楽曲は「なみだ船」ですが、前年初出場にならなかったのはヒット時期の関係があったのでしょうか。紅白でその曲が歌われたのは、19年後の第33回が初めてでその時のみでした。

・デビュー前すでに結婚していましたが、世に広まったのはこの年紅白初出場が決まってからだそうです。

・この年の秋にクラウンレコード(現・日本クラウン)が設立。紅白出場時点では既に移籍済でレコードも発売、ただ楽曲発表時に合わせてここでは一応コロムビア所属という扱いにしました。活動60年を超えた現在も日本クラウン所属で、レーベル移籍は一度もありません。

 

紅4(全体7):雪村いづみ(2年ぶり7回目)

・1953年デビュー 第5回(1954年)初出場
・1937年3月20日生 東京都目黒区出身
・楽曲:「思い出のサンフランシスコ」
・レーベル:日本ビクター
・演奏時間:2分37秒

 「北島さんの方が北海道から出ていらしたんだったら、女性軍はアメリカから帰ってきておおいにハッスルしているかわいいお母ちゃん、雪村いづみさん「思い出のサンフランシスコ」、まいりましょう!」

 今回のセットは上段と下段でステージが分かれていて、基本的には下段のスタンドマイクの前で歌います。ただこのステージでは、まず階段上で歌い上げます。歌いながら階段を降りて紅組のスタンドマイクの前まで移動、そのまま最後まで歌い切るという形でした。日本語の歌詞は無く、最初から最後まで英語での歌唱。曲調はバラード、歌唱力に長ける彼女にはうってつけの楽曲です。

 この曲は前年トニー・ベネットが歌ってグラミー賞を受賞した楽曲。ただアメリカ公演も既に経験している彼女、向こうの歌手にも負けない圧巻の歌唱だったのではないのでしょうか。

 歌い終わった後に長年の盟友であるチエミさんがインタビュー。両手首に2つ花をつけているのは、「あたし去年どうしても出られなかったから、去年の分も一緒に歌ったの!」。2年ぶりにこの場で歌えたことに跳び上がって喜ぶいづみさんでした。

解説

・前半階段での歌唱はワイヤレスマイクを使用。これまた未確認ですが、固定のスタンドマイクを使わない演出はおそらくこのステージが紅白史上初だったのではないかと思われます。現在は紅組・白組それぞれマイクの区別はありませんが、当時は下手側に紅組用・上手側に白組用のスタンドマイクが固定されていてはっきり分かれていました。現在のようなハンドマイクは、まだ使用されていません。

・シングルで発売されたかどうかは不明ですが、スタンダードナンバーとしてレパートリーには入っています。Spotify他ストリーミングでも配信済。昭和30年代の洋楽ヒット曲は、もしかするとほぼ全てカバーして歌っているかもしれません。

 

白4(全体8):アイ・ジョージ(4年連続4回目)

・1953年デビュー、1959年再デビュー 第11回(1960年)初出場
・1933年9月27日生 香港出身
・楽曲:「ダニー・ボーイ」
・レーベル:テイチクレコード
・演奏時間:3分10秒

 「アメリカから帰られて歌う人もあれば、アメリカへ行って歌う人もあるんでございます。日本人のポピュラー歌手として初めてカーネギーホールの舞台を踏んだアイ・ジョージさん。どうぞ!」

 何と言っても1963年は日本人初のカーネギーホール単独公演。その実績を考えると多少曲順が早すぎる気もしますが、逆に言うとこの人をこれだけ前半に持っていけるほど今回の紅白は層厚いと言えるのかもしれません。照明を暗転させ、ギターを弾きながらアイ・ジョージにスポットを当てる構成で終盤はアカペラ。大熱唱のステージで、おそらく50年後でも見た人全員が名ステージと評価すると思われる素晴らしさでした。

解説

・楽曲はアイルランド民謡。アイ・ジョージの歌唱はストリーミング未解禁、ただ『青春歌年鑑』シリーズではそのまま英語の歌唱で収録されています。

・ちなみに10月8日に行われたこのカーネギーホール公演、内容は高評価でしたが、興行的には必ずしも成功とは言えない状況だったらしいです。

 

紅5(全体9):こまどり姉妹(3年連続3回目)

・1959年デビュー 第12回(1961年)初出場
・1938年2月16日生 北海道厚岸郡厚岸町出身
・楽曲:「浮草三味線」
・レーベル:日本コロムビア
・演奏時間:2分0秒

 「お見事でございました。もう本当に何をやって頂いても女性軍は本当にか弱くて…あら、どこの一座かしら?いやいやー、こまどり姉妹の一座ですわ。ではこまどりさんにお願いいたしましょう。「浮草三味線」、どうぞ!」

 少し気弱になる江利チエミのもとに、「浮草一座」と称して、荷車に乗った2人が紅組側から登場。それをひく女性たちがそのままバックダンサーに加わります。2コーラス、三味線を弾きながらの熱唱でした。

 

解説

・昭和40年代~50年代の紅白では紅組(白組)歌手がダンス・コーラスで盛り上げる演出が多数見受けられますが、少なくともこの年の紅白でそういった演出はほとんど見受けられません。おそらくこれ以降の紅白だと、荷車を引いて踊るのは紅組歌手だったのではないかと思われます。

・ラーメン好きとしても知られているこまどり姉妹ですが、この曲のレコードB面は「涙のラーメン」でした。ただ当時からラーメン好きが知られていたかどうかは、私には知る由もありません。

 

トニー谷、清川虹子の応援

 虚無僧姿の男と、鳥追い姿の女が顔を隠しながら舞台袖から登場。すれ違って、まず顔を見せるのはトニー谷「おこんばんわ~!」「そこのお姉さん、三味線バンジョー小脇に抱えて、おピンクカラーのあなたのその名、あなたのお名前なんて~の!」「清川虹子でございます、これから紅白歌合戦に、紅組の応援に駆けつけるところでございます」「かくいうこの拙者も、白組の応援に駆けつけるところでござんす」「そりゃあ無理というもんですっよ、紅組が勝つに決まってるんですもの」「何を言ってんだいお母ちゃん(ここで引っ叩かれる)、いやお姉さん。白組が勝つに決まってます~!」

 「客席にいる、鳥を捕まえて追い出して頂きたい」「何言ってんの、この馬鹿!(傘でトニーの頭を叩く)この客席に、そんな鳥がいるわけないでしょあんた!」「いるのよ、お姉さん。借金取りがいるのよ~」そんなやり取りがありつつ、双方とも借金取りに追われていることで意気投合。ラストは2人、仲良く小唄を決めて舞台袖に分かれて退場しました。

 

解説

トニー谷は第6回・第7回・第9回に続いて5年ぶり4度目のゲスト出演。ちなみに紅白で初めて登場した応援ゲストでもあります。

・昭和30年代前半は一時期低迷していましたが、前年に日本テレビで放送開始した『アベック歌合戦』の司会で人気回復。「あなたのお名前なんて~の!」のくだりは、出場者に自己紹介してもらう時に拍子木を叩きながら繰り出すフレーズで、当時の流行語にもなりました。

清川虹子は第10回以来4年ぶり2度目のゲスト出演。江利チエミ主演の『サザエさん』で母親のフネ役を演じています。

 

白5(全体10):和田弘とマヒナスターズ(5年連続5回目)

・1953年結成、1957年デビュー 第10回(1959年)初出場
・28~32歳・6人組
・楽曲:「男ならやってみな」
・レーベル:日本ビクター
・演奏時間:2分28秒

 「さてこちらは、甘くてやるせない味。それがモットーでございます。和田弘とマヒナスターズの面々、「男ならやってみな」」

 「月」「星」という大きな字が描かれた着流しで揃えるマヒナスターズの面々。自らギター・ウッドベース・スチールギターを持ち込むスタイルもすっかり紅白でお馴染み。1コーラスが短いので都合4コーラス、そのうち最後は”紅組なんかにゃ負けられないぜ”と歌詞を変えて歌います。会場からは大きな拍手が起こりました。その割に毎年のように松尾和子や多摩幸子、吉永小百合などとデュエットしていますが、そこはツッコんではいけない所でしょうか。

解説

・マヒナスターズの楽曲は、自らのステージで歌われた曲だけでなく、デュエットした紅組歌手のステージと合わせて2曲紅白で歌われる年が多くありました。後者の例は「誰よりも君を愛す」(松尾和子)、「寒い朝」(吉永小百合)、「島のブルース」(三沢あけみ)など。一方マヒナのみの歌唱曲が紅白で披露されたのは一旦この年まで、次の年以降の「お座敷小唄」「愛して愛して愛しちゃったのよ」「銀座ブルース」は、デュエット曲をマヒナのメンバーのみで歌っています。

・そのため「ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー」「涙くんさよなら」は、紅白で一度も歌われない楽曲となっています(「涙くんさよなら」は第68回のドラマ内でようやく桑田佳祐が初歌唱)。

 

地方審査員紹介・1

 各地区それぞれスタジオなどの会場を用いて中継。

 松山の審査員は佐伯みどり富田寿久。旅館の一室を借りて中継している形でしょうか。富田さん「松山は文化が高いとこですけん、点数は辛い」、一方の佐伯さんは紅組有利と考えている模様。

 札幌の審査員は上野智香子佐藤昭則。パッと見た限りではスタジオのように見えます。この年の札幌はあまり雪が降らなかったようですが、一昨日にようやく20センチほど積もったそう。

 名古屋の審査員は松井久子石田進。名古屋城をバックにしています。松井さんは紅組に勝って欲しい、石田さんは白組絶対勝ちと意見が分かれています。審査というよりも応援に近い状況。

 仙台の審査員は菅原たつ難徳静夫。こちらも菅原さんが紅組、難徳さんが白組とはっきり意見分かれました。難徳さんはアイ・ジョージを評価しているようです。

 

解説

・中継審査員の形式はこの年初めて取り入れられましたが、次の年以降は結局会場に呼ぶ形になっています。各地方に中継が入る紅白はこれ以降でも数回ありますが、各地区に中継で男女1人のみという形はこの回のみとなっています。

・女性審査員はこの時代、ほぼ全員が着物姿です。洋服姿は一般・中継含めて、東京五輪選手村責任者の貞閑晴のみでした。

紅6(全体11):坂本スミ子(3年連続3回目)

・1960年デビュー 第12回(1961年)初出場
・1936年11月25日生 大阪府大阪市出身
・楽曲:「テ・キエロ・デ ヒステ」
・レーベル:東芝レコード
・演奏時間:2分32秒

 「全国の皆さん本当にありがとうございました。一生懸命やってます。ここでもってさっきマヒナスターズさんがなんかむせび泣くように歌って頂いたんで、こっちはラテンの大姐御を呼んでむせび叫…あ、叫んではいけません。むせび泣いてもらいます。坂本おスミ姐さん、どうぞ。「テ・キエロ・デ・ヒステ」」

 前回の「エル・クンバンチェロ」はおスミ姉さん得意のラテンナンバーで荒ぶりまくっていましたが、今回はどちらかと言うとしっとりしたラブバラード。ラテン語はラテン語で、歌声も当然確かなのでこれもこれで良いのですが、やはりそれだと本人も演奏も物足りないのでしょうか。間奏だけ思いっきりアップテンポのリズムに仕上げていました。楽しそうに指揮する原信夫の姿も印象的です。なお歌唱後、「あれは日本語にすると「あなたを愛す」という歌だそうでございますね」と宮田アナによる解説もありました。

解説

・楽曲は古くからあるラテンのスタンダード。1944年に作られた楽曲なのだそう。坂本スミ子だけでなく、司会を務める江利チエミのレパートリーでもありました。

・坂本スミ子は当時人気番組『夢であいましょう』レギュラー。番組テーマソングも歌っていますが、5回出場している紅白歌合戦は全て原語で歌うラテンを選曲していました。

 

白6(全体12):ジェリー藤尾(3年連続3回目)

・1961年デビュー 第12回(1961年)初出場
・1940年6月26日生 中国・上海市出身
・楽曲:「誰かと誰かが」
・レーベル:日本ビクター
・演奏時間:2分6秒

 「それではこちらは、「誰かと誰かが」婚約発表の嬉しさいっぱい、ジェリー藤尾さんでございます」

 前回の「遠くへ行きたい」と同じく六八コンビの提供ですが、今回は軽めの明るい歌。衣装もタキシードではなく普段着に近い印象でかなりラフ。スーツやタキシード、着流しの多い白組歌手の中では異例の格好です。

最初の歌い出し、てっきり歌詞を間違えたかと思いましたがよく聴くと”トモコじゃない…”。結婚する相手の名前を出していたようです。その瞬間、観客席や白組歌手席から温かい拍手で迎えられます。全体的にかなりリラックスムード、見ようによってはお硬い方から苦情が起こりそうな内容にも見えました。歌唱後のチエミさんも、すぐさまジェリーさんのモノマネをするなどのふざけ具合です。

解説

・「遠くへ行きたい」と同様、この曲も『夢であいましょう』の今月のうたから生まれた楽曲です。1963年8月の歌で、レコードは10月に発売されました。

・翌年にめでたく結婚、その後はおしどり夫婦として、オールスター家族対抗歌合戦などでも常連だったようですが1986年に離婚。その際かなりのバッシングがありましたが、根本的な原因は奥様の方だったとか…。ちなみに紅白歌合戦出場はこの年が最後、2021年に81歳で逝去しています。

 

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