紅白歌合戦・バンド出場歌手の歴史(1970年代・フォークグループ編)

 今回は紅白歌合戦に出場したバンド歌手のうち、ロックが台頭する前の1970年代フォーク系について書いていきます。なお第25回(1974年)に初出場した海援隊については4回出場に加えて武田鉄矢が第40回白組司会も担当しているため、後日また独立した記事として取り上げることとします(いつ書くかは未定ですが…)。

はしだのりひことクライマックス

第22回(1971年)「花嫁」

作詞:北山 修 作曲:端田宣彦、坂庭省悟
前歌手:五木ひろし、小柳ルミ子
後歌手:藤 圭子、舟木一夫
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 小柳ルミ子が「わたしの城下町」を歌った後に、コント55号の2人が登場します。坂上さんの調子外れな歌に欽ちゃんが放送禁止用語でツッコミを入れる、というくだりは既にこちらでレビュー済ですが、コントの大筋はお殿様に扮した欽ちゃんの花嫁探しでした。コント終了後は間髪入れず演奏開始。「花嫁の歌ならこちらの番です。はしだのりひことクライマックスと皆さん」と、宮田アナの曲紹介もややあっさりモードです。

 メインボーカルは女性の藤沢エミ。真っ白な衣装にロングヘアー、非常に清楚です。赤いセーターを着たはしだのりひこがメインのパートもありますが、楽曲はあくまで藤沢さんが主体です。あと2人の坂庭省悟中嶋陽二はギター・コーラス担当でした。

 白組出場になった背景は、おそらくはしださんの実績が大きかったのではないかと思われます。元々はザ・フォーク・クルセダーズに所属、解散後1969年に「はしだのりひことシューベルツ」を結成して「風」を大ヒットさせました。その年は紅白歌合戦出場も考えられましたが、NHKの生放送で「イムジン河」を歌ったことが問題になって不出場になったらしいです。メンバーの死去ですぐに解散、マーガレッツを経て3組目のグループとして結成されたのがクライマックスでした。

 「花嫁」は1971年オリコン年間チャート7位に入る大ヒットを記録、週間1位も獲得しています。結果、フォークルやシューベルツで出場できなかった紅白歌合戦にようやくの出演となりました。なお白組から女性が出演した例は既に前年ヒデとロザンナで実績あり、2年連続出場だったのでこの年は白組に女性が2人参加する形になっています。

 クライマックスの活動期間も非常に短く、1972年には早くも解散。その後また新たにはしだのりひことエンドレスを結成しますがこちらも2年ほどの活動となっています。

 ザ・フォーク・クルセダーズといえば、1971年は元メンバーの加藤和彦と北山修も「あの素晴しい愛をもう一度」を大ヒットさせています。北山さんはジローズに「戦争を知らない子供たち」も歌詞提供していますが、こちらも1971年でした。3組とも紅白で歌われても全く不思議でない楽曲ですが、「花嫁」のみに留まったのは後世から考えると非常に惜しい所です。

青い三角定規

第23回(1972年)「太陽がくれた季節」

作詞:山川啓介 作曲:いずみたく
前歌手:尾崎紀世彦、いしだあゆみ
後歌手:南 沙織、野口五郎
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 「太陽がくれた季節」はこの年日本テレビで放送された『飛び出せ!青春』の主題歌として大ヒットしました。1972年オリコンシングル売上10位・レコード大賞新人賞受賞という実績を残しています。これ以前、映画主題歌ならば紅白で歌われた例も少なくないですが、テレビドラマ主題歌からブレイクして紅白初出場は当時ほとんどありませんでした。第17回(1966年)の笹みどり「下町育ち」くらいだと思われます。

 さて、青い三角定規のステージが始まる前にちょっとしたミニコントが展開されます。天地総子うつみみどり小鹿ミキ笑福亭仁鶴が出演。手にしていた花束に仕掛けがあったようですが、あえなく失敗。「稽古ではスッといくようになってたんやけどなぁ…」と、若き日の仁鶴師匠が思わず嘆くような内容でした。それを受けて「ダメですねぇ仁鶴さん。仁鶴さんでダメなら三角ですよ。今年は三角大福なんて言葉もだいぶ聞いた年ですけれども。青い三角定規です」と曲紹介。野口五郎石橋正次など他の初出場したソロ歌手と比べると、やや雑な扱いでした。なお三角大福とは、この年首相を退任した佐藤栄作の後継者争いのことを指しています。

 扱いと言えば、このグループは女性ボーカルメインにも関わらずなぜか男性側・白組からの出場です。この年から設けられた有識者会議「ご意見を伺う会」の推薦で出場が決まったと言われていますが…。紅組側・女性歌手のヒットの方が男性より目立っていた印象も無くは無いですが、あえて白組にした理由は資料を見た限りでもよく分かりません。男性コーラス2人の個性が強かったという印象でもなく、男性の人数が多いという理由にするならば平田隆夫とセルスターズも白組である必要があるので…。

 ステージは主題歌になった青春ドラマ同様、とても爽やかです。全速力で走りながらマイクスタンドの前に立ち、西口久美子は歌う前に1回転しています。Gパンの衣装も3年前だと苦情の意見もありましたが、このステージに関して言うとそういう声は確認できる限りありません。岩久茂高田真理はギター&コーラス、コーラスの音量は原曲よりもやや大きめです。西口さんはラスト、”二度”という言葉が出てくるタイミングで両手でピースサインも決めました。

 やや速い演奏で2コーラス、歌唱時間は1分40秒ほどであっという間です。1970年代の紅白歌合戦を通しても非常に短いステージでした。もっともフルコーラスは2コーラス半、2分17秒なのでそもそもが当時から見ても短い楽曲というのが正直なところです。

 なお身のこなしの軽さが印象に残る西口さんは元々ダンスグループ出身。西郷輝彦「愛したいなら今」のステージに、フォーリーブスの4人と一緒にダンス応援するシーンもありました(レビューあり)。ヒットは1曲のみで早くも1973年に解散しますが、岩久さんは作曲家に転向して都はるみ「しあわせ岬」が紅白歌唱曲となっています。

ビリー・バンバン

第23回(1972年)「さよならをするために」

作詞:石坂浩二 作曲:坂田晃一
前歌手:野口五郎、ザ・ピーナッツ
後歌手:本田路津子、西郷輝彦
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 青い三角定規と同様、こちらも日本テレビのドラマ『3丁目4番地』主題歌として大ヒットします。この年は森田健作「友達よ泣くんじゃない」(『おれは男だ!』)に上條恒彦「だれかが風の中で」(『木枯し紋次郎』)など、日テレのドラマ主題歌からのヒットが特に目立っていました。

 ビリー・バンバンは1969年にもデビュー曲「白いブランコ」をヒットさせていますが、紅白歌合戦には3年越しの初出場となります。「さよならをするために」はオリコン年間3位なので、週間15位の「白いブランコ」よりも圧倒的な数字を残しています。もっとも他の曲と違ってこの曲は『3丁目4番地』にも出演した俳優の石坂浩二が作詞、同作で音楽担当の坂田晃一が作曲。自作ではない分、メンバーにとっては複雑な思いもあったようです。

 紅白歌合戦は双子で14年連続出場のザ・ピーナッツと対決、史上初の兄弟(姉妹)デュオ対決となりました。そもそも、双子ではない兄弟デュオが紅白歌合戦に初出場したのが史上初です。兄弟で同じグループから出場するのはその後も狩人チェッカーズTHE YELLOW MONKEYくらいで、当然ではありますが例は少ないです。「生年月日の違う普通の男の兄弟もまたいいんですよ、すっかり綺麗になりました。紅白初出場、ビリー・バンバン兄弟です。「さよならをするために」」と曲紹介。

 ギターを弾くのは弟の進さん、コントラバスは兄の孝さん。ハーモニーで聴かせるツインボーカルは、ザ・ピーナッツと共通しています。その他、出場歌手から鶴岡雅義上條恒彦のギター演奏が加わっています。フルで2コーラスですが、紅白は1コーラス半の構成となりました。

 ちなみにこの年は、白組初出場歌手全員で五木ひろし「待っている女」にコーラス参加もしています(既にレビュー済)。

 「れんげ草」「ミドリーヌ」といった有名どころの曲も多いビリー・バンバンですが、数字的なヒットはあまりなく紅白出場も残念ながらこの時のみ。2009年には「また君に恋してる」がヒットしましたが、より大きな話題になったのは坂本冬美のカバーでした。

ガロ

第24回(1973年)「学生街の喫茶店」

作詞:山上路夫 作曲:すぎやまこういち
前歌手:菅原洋一、八代亜紀
後歌手:チェリッシュ、三善英史
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 ガロが歌う「学生街の喫茶店」も1973年オリコン3位、自作ではないという点も前年の「さよならをするために」と共通しています。ただドラマ主題歌ではなくアルバムからのシングルカット、当初は「美しすぎて」のB面収録曲であるという違いがありました。1973年は「君の誕生日」「ロマンス」「一枚の楽譜」と立て続けにヒットを飛ばしましたが、フォークグループとしては非常に多いテレビ露出はかえって全盛期を短くしたとも言われています。

 グループは1976年に解散、その後個々でソロ活動を展開しますが、1986年に日高富明が36歳の若さで亡くなります。彼らが出場した第24回NHK紅白歌合戦は2度再放送がありましたが、2回目の放送は遺族からの許可が出ずこのステージだけカットという形での放送となりました。

 ステージは椅子に座りながら、ボーカルの大野真澄は楽器無しですがあとの2人はギターを弾きながらコーラスを担当します。画面左から羽根のついた帽子を被る大野さん、長髪が印象的な堀内護、マッシュルームカットの日高さんという配置でした。なおメンバー全員が終始椅子に座りながら歌うステージは紅白史上初めてです。

 この曲を担当したすぎやまこういちが、指揮者としてゲスト出演。間奏で、カメラに向かってピースサインする姿が映っています。『ドラゴンクエスト』シリーズで名高いすぎやまさんですが、当時はまだファミコンどころかインベーダーゲームも存在していません。すぎやま氏もあくまで歌謡曲メインの作曲家でした。もっとも紅白に新曲を提供するのも実はこれがラストで、以降ドラクエ登場まではアニメソングを手掛けることが多くなります(歌唱曲リストはこちらに掲載済)。

 ちなみに1973年はかぐや姫が「神田川」を大ヒットさせますが、歌詞の”クレパス”が問題になって出場辞退。19年後の第43回の南こうせつソロで初歌唱となります。また「心の旅」のチューリップも大ヒットに関わらず不出場、こちらは第41回の吉田栄作カバーが初紅白となりました(チューリップの出場は残念ながら現在まで1度もありません)。

ペドロ&カプリシャス

第25回(1974年)「ジョニィへの伝言」

作詞:阿久 悠 作曲:都倉俊一
前歌手:あべ静江、にしきのあきら
後歌手:村田英雄、小坂明子
曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 コロンボ風の刑事に扮した左とん平が、佐良直美和田アキ子を交えてコントをしています。その後ろでメンバーは既に入場済、テンポの良いやり取りを見てリラックスしている姿がバッチリ映っています。内容は本編レビューで詳細を掲載しているので、そちらを見てください。なお演奏される曲とは全く関係ありませんでした。

 「このグループの音楽的センスは抜群です。1曲ごとに向上していくその音楽性には目を瞠らせるものがあります。初出場ペドロ&カプリシャス、「ジョニィへの伝言」。」佐良さんの曲紹介です。ステージについても同記事で既に書いているので、そちらを見てください。なお他はオープニング・エンディングが全員参加、佐良直美梓みちよのステージにおける紅組歌手全員が登場する演出は高橋さんのみの参加でした。

 「ジョニィへの伝言」は現在にまで伝えられた名曲ですが、レコード売上は十分なヒットであるものの特別高くはありません(オリコンは週間最高24位ですがロングセラー)。もっとも売上が高かったのは、1971年10月発売の「別れの朝」でした。ちなみに高橋まり…現在の髙橋真梨子がボーカルを担当するのは1973年、それ以前は前野曜子のボーカルでした。おそらく第23回も出場する話はあったのではないかと思われますが、当時の前野さんのコンディション的に難しい面もあったと推測できます。

 「ジョニィへの伝言」は、ボーカル交代後最初のシングルでした。その次の「五番街のマリーへ」は、高橋さんがソロになってからの第66回(2015年)で紅白初披露となっています。翌年もドラマ主題歌の「陽かげりの街」がヒットしますが、ペドロ&カプリシャスとしての紅白出場はこの年のみ。高橋さんは1978年にソロ転向、1984年・第35回の「桃色吐息」でソロ初出場という形になっています。

森田公一とトップギャラン

第28回(1977年)「青春時代」

作詞:阿久 悠 作曲:森田公一
前歌手:西城秀樹、キャンディーズ、(中間発表)
後歌手:ハイ・ファイ・セット、菅原洋一
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 中間発表、さらにこの年通算756本塁打の世界新記録を樹立した王貞治を迎えた後のステージです。

「新記録というものは、一朝一夕に出来るものではございません。たゆまぬ努力、そして素晴らしいセンスが必要なんですが、そういえばこの森田公一さんという方も本当に素晴らしい才能を持った方です。でも今度はグループ全体の才能を引き出すことに成功して、見事紅白初出場です。本当に嬉しい森田公一さんですが、喜びは後からほのぼの思うものです。「青春時代」、森田公一とトップギャランの皆さんです!」

 1977年を代表する大ヒット曲で、オリコンでは年間2位の売上となりました。この年の年間チャートは1位と3位がピンク・レディー、翌年の彼女たちがTOP3独占ということを考えると、いかにこの曲が当時熱く支持されていたかがよく分かるかと思います。ちなみに「青春時代」にピンク・レディー沢田研二も作詞は阿久悠が担当。1977年の年間TOP10は、この3組で6曲つまり10曲中6曲を阿久悠で占める形となっています。バンドは1969年結成で最大ヒット曲はもちろんこの「青春時代」、他に「下宿屋」「想い出のピアノ」などをヒットさせて1981年まで活動を続けています。

 ステージ中央にグランドピアノが準備され、そこで森田さんがピアノを弾きながら歌います。その右側の台の上にドラムとスピーカーを設置。ギター・ベース3名とコーラス&タンバリンの渡部玲子は台の前の立ち位置で、それぞれにマイクとスタンドが用意されています。テンポはやはり原曲より早め、リードギターの音がやや小さめでソロがあまり聴こえないアレンジです。その分ドラムの音が原曲よりやや目立ちます。

 ピアノは画面から見て右斜め手前方向の配置、森田さんは歌いながらカメラをチラ見するような構図です。紅白でピアノを弾きながら歌うのは「あなた」の小坂明子以来3年ぶり2回目、その時はピアノの向かいにカメラを置いてドアップという構図でしたが、今回は通常のステージ正面に置かれているカメラからズームという手法を取っています。翌年の原田真二になると違和感は少なくなりますが、まだこの年の時点では初見だと少し不慣れな印象のあるカメラワークでした。

 ステージは楽曲そのものの良さと同時に、生演奏バンドならではの体感を十二分に味わえる内容です。音響はギターが弱めですがドラムとピアノは大きめ、短いながらもラストの締めはまさに聴き応えのある名演でした。

 ちなみにメンバー6人が歌う横で、学生服姿の5人もコーラスで参加しています。メンバーはフランク永井三波春夫春日八郎村田英雄三橋美智也という大ベテラン。平均年齢49.4歳、これには歌唱後に佐良さんも「歌のタイトルを「中年時代」と変えなくちゃいけないような方」と呆れ気味にコメントしていました。

 なおトップギャランのメンバーはこの紅白、ステージ以外にも積極的に参加しています。最後で帽子を投げる沢田研二「勝手にしやがれ」では2階席から応援、森田さんに至っては白いランニング姿で組体操のピラミッドにも参加していました。

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