紅白名言集解説・55~正真正銘・ラストステージ~


 紅白歌合戦は、長年にわたって国民から注目される番組になっています。それゆえ、紅白歌合戦を卒業するというだけで大きなニュースバリユーになります。紅白卒業を表明してラストステージになった例は、近年だと第64回(2013年)の北島三郎さん、第66回(2015年)の森進一さんがいます。ですが、2人とも歌手としてはまだまだ現役です。また、紅白が引退ステージになった小畑実さんや都はるみさんも、後年歌手活動復帰となっています。

 グループはどうでしょうか。解散を控える形のステージは第47回(1996年)の米米CLUB、第50回(1999年)のSPEED、第63回(2012年)のFUNKY MONKEY BABYなどがいます。またファンモンと同年に再結成したプリンセスプリンセスは、現状紅白がラストステージになっています。X JAPANも、第48回(1997年)のステージを最後に解散となりましたが、その後再結成して紅白にも出場しています。昨年第71回(2020年)のも記憶に新しいですが、彼らは一応解散ではなく「活動休止」です。そう考えるとやはり…、正真正銘紅白がラストステージになったのは、1992年のチェッカーズを置いて他にないように思えてなりません。

1992年NHK紅白歌合戦の熱狂~チェッカーズのステージまで

 おそらく有観客で紅白歌合戦が行われた全70回で、最も観客の熱量が高かったのが1992年ではないかと思います。

 全歌手が集まるオープニング、一際大きい歓声は明らかにチェッカーズにかけられたものでした。最初のステージが始まる前に、観客に団扇を揚げてもらうリハーサルが行われますが、カメラに映っている限りは圧倒的に白が多め。もちろん当時も観客応募倍率は非常に高いものでしたが、この日は何と言ってもチェッカーズのラストステージ。Xのファンの方がチケットを譲ってくれたというエピソードは非常によく知られた話となっています。ですので、全観客におけるチェッカーズファンの確率は紅白基準でいうとかなり高いものがあったように思われます。

 バンドだけでなく、テレビタレントという側面も強かったチェッカーズ。当然、自らのステージ以外にも登場します。本番が始まって約30分後。当時の紅白では初めての試みとなった、アニメ・特撮をテーマにしたショーコーナー「テレビ40年 思い出の主役たち」。エレキングやバルタン星人、それらを倒すウルトラ兄弟とともに登場したのが、「ウルトラセブンのうた」「ウルトラマンのうた」を歌いに来たチェッカーズ。”セブン、セブン、セブン…”と歌う彼らが7人組だからこその人選です。そこに響き渡る歓声は、肝心の7人の歌声が聴こえなくなるほど。その後全員合唱「TEARS~大地を濡らして~」で自らのパートを歌う場面、嘉門達夫が替え唄メドレーで「ジュリアの傷心」をネタにした場面にも同様に大きな歓声が挙がります。嘉門さんのステージでは他の白組歌手と同様に舞台袖で集まり、本当に姿が確認できる限り声を挙げている状態。嘉門さんが歌い終わって退場する場面でも歓声は鳴り止まず、直後の藤あや子の曲紹介も聴こえ辛くなる状況でした。

チェッカーズラストステージ

 迎えたチェッカーズのラストステージ、曲紹介も勿論力が入ります。この年数々の記録を残して引退した同郷の競輪選手・中野浩一が曲紹介で登場。フミヤさんとは同じ中学で、おそらく親交もあったと思われますが、ファンのボルテージは既に上がりきって目はステージに向けられています。ファン度が高ければ高いほど、ここでの中野さんのコメントが頭に残っていないような…。それくらい画面を通して見ると、中野さんが気の毒に思える状況でした。

 「ギザギザハートの子守唄」のイントロが始まると、会場は完全にワンマンライブと化します。フミヤさんの歌声に乗せて、観客の大合唱がマイクに乗ります。もちろんフミヤさんは歌ってという素振りはなく完全に自然発生、これは紅白歌合戦始まって以来のこと。観客にも演出に協力してもらうことが多いこの番組中において、本当に異例中の異例とも言える出来事です。そしておそらくその後も、同じような事例は全くありません。最初の1コーラスだけでなく、本当に最初から最後までずっとフミヤさんと一緒に歌っていました。

 「涙のリクエスト」「星屑のステージ」「I Love you, SAYONARA」、ラストシングルの「Present For You」を含めた計5曲の「フェアウェル・メドレー」。近年の紅白でメドレーが歌われるのは珍しくもなんともないですが、当時ではあまりなかったこと。第41回(1990年)の植木等「スーダラ伝説」を1曲と扱うかメドレーで扱うか解釈が分かれる所ですが、それを抜きにして考えるとメドレーで5曲歌うのは紅白史上初の出来事でした。トリという声もありましたが、当時グループで務めた前例はなく、そもそもそれ以前に終盤で歌ったことさえ1度しかありません。ただ仮にトリ抜擢したとするとそこで複数曲歌う前例もやはりなく、2曲ならともかくこの5曲のメドレーは実現しなかったものと思われます。そう考えると、ステージはもっとも収まるべき所に収まった形と言えそうです。

 NHKホールで巻き起こった大合唱が終わり、紙テープ放射と白組歌手が投げる紙吹雪でラストの7人を迎えます。会場に多く集まったファンに向かって、あらためて会釈するメンバー。立ち上がって応援する人々は、特に2階席前方に多く集まっていました。押し気味の進行で余韻タップリというわけにはいかなかったですが、NHKも最大限の配慮でチェッカーズを送り出していたように思います。

熱狂的なファンが引き起こした功罪

 最高のパフォーマンスと応援で、現在でも紅白史上の名場面と胸を張って言えるチェッカーズのラストステージでしたが…。それによって起こった負の側面もやはりありました。

 熱狂的な歓声は素晴らしいことですが、チェッカーズは白組なので必然的に応援は白組に偏ります。この年の紅組司会は初担当となった石田ひかりさんでしたが、まあ気の毒な状況でした。歓声で周囲の声が聴こえなくなる場面も、一度や二度ではなかったかと思います。

 またこれだけの熱狂度なので、出待ちのファンも出てきます。そうなると早いうちからそこに向かう人もいるわけで…。この年紅組トリを務めた由紀さおりさんは、歌いながら席を立つファンの多さに悲しい気持ちになったという証言をしています。またボールの多さで決まる最終投票は紅組に2つしか入らず白組圧勝。チェッカーズのメンバーと一緒に万歳三唱するファンが多数発生して、悪意が当然無かったとは言えいくらなんでも…と感じた視聴者は多かったのではないかとも思います。当時総合司会を務めた山川静夫アナも、そういった旨を著書に記していました。

その後…

 フミヤさんは翌年「TRUE LOVE」が大ヒットしてソロで紅白出場、その後も5年連続で顔を見せました。歌手活動は現在も継続中、Twitterを見る限りファンの皆さんも変わらず熱いようです。

 ただチェッカーズは2004年にドラムの徳永善也が亡くなり、メンバー間の確執も伝えられました。今でも溝が残っているかどうかは分かりませんが、6人が集まった場面は現状伝えられていません。

 上に書いた通り、ラスト紅白を標榜したステージはその後もありました。昨年の嵐が有観客だったら、もしかすると今回の再現もあったかも分かりませんが…。ただ解散・引退はそれ自体もそうですが、そこに集まる人々の制御も自然に難しくなります。チェッカーズ・ラストの熱狂は確かに伝説的なものでした。ただ紅白とは別のラストライブが原則、別個に同日もしくは後日に必ず設定されるようになったのもまた、この場のファンの熱狂が引き起こした出来事なのかもしれません…。

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