紅白歌合戦・アナウンサー人事の歴史

 紅白歌合戦はNHKの番組ということで、当然ながら局員であるアナウンサーも出演します。今回の記事は、第1回からのアナウンサー人事を可能な限りまとめた記事を作ってみました。

司会

 白組・紅組・総合と分けて表を作成しました。特に総合司会は近年でもほぼアナウンサー起用なので、備考欄に総合司会以外の紅白出演歴も全て掲載とします。

白組司会

アナウンサー担当回入局年備考
藤倉修一第1回(1951年)
第2回(1952年)
1940年
宮田 輝第3回(1953年)
第13回(1962年)~
第18回(1967年)
第21回(1970年)~
第24回(1973年)
1942年
山川静夫第25回(1974年)~
第33回(1982年)
1956年
鈴木健二第34回(1983年)~
第36回(1985年)
1952年
千田正穂第37回(1986年)1972年加山雄三とのW司会
阿部 渉第52回(2001年)~
第55回(2004年)
1990年
高山哲哉第54回(2003年)1996年阿部渉とのW司会

紅組司会

アナウンサー担当回入局年備考
本田寿賀第3回(1953年)1946年
福士夏江第5回(1954年)1944年
目加田頼子第37回(1986年)1983年斉藤由貴とのW司会
久保純子第49回(1998年)~
第51回(2000年)
1994年紅組司会の女性アナ単独起用は44年ぶり
有働由美子第52回(2001年)~
第54回(2003年)
1991年
膳場貴子第54回(2003年)1997年有働由美子とのW司会
小野文惠第55回(2004年)1992年

総合司会

アナウンサー担当回入局年入局年
田辺正晴第1回(1951年)
第2回(1952年)
1937年息子の田辺靖雄は後に歌手で2回出場
志村正順第3回(1953年)1936年
北出清五郎第4回(1953年)
第18回(1967年)
第21回(1970年)
1947年その他、複数回実況を担当
石井鐘三郎第5回(1954年)~
第11回(1960年)
第13回(1962年)~
第17回(1966年)
1951年通算12回担当は最多記録
穂坂俊明第12回(1961年)1949年
宮田 輝第19回(1968年)
第20回(1969年)
1942年白組・紅組司会経験者の担当はこれが初
鈴木文彌第22回(1971年)1948年第21回でテレビ実況を担当
山川静夫第23回(1972年)
第24回(1973年)
第42回(1991年)
第43回(1992年)
1956年第21回で観客席リポーターを担当
第25回~第33回は白組司会
土門正夫第25回(1974年)1951年オープニング・審査員紹介のみ担当
過去に複数回実況を担当
中江陽三第25回(1974年)
第30回(1979年)
第31回(1980年)
1956年第25回は中間審査以降で担当
第26回~第29回は得点集計スタジオ担当
相川 浩第26回(1975年)1957年第25回でテレビ実況を担当
生方惠一第32回(1981年)~
第35回(1984年)
1956年第30回~第31回は得点集計スタジオ担当
第34回は得点集計でタモリの補助として登場
千田正穂第36回(1985年)1972年第35回でテレビ実況を担当
第37回で白組司会を担当
吉川精一第37回(1986年)
第38回(1987年)
1963年第36回でテレビ実況を担当
杉浦圭子第39回(1988年)1981年第34回でテレビ実況を担当、初の女性による総合司会
松平定知第40回(1989年)
第41回(1990年)
1969年
森田美由紀第44回(1993年)1984年
宮川泰夫第45回(1994年)1968年第44回でラジオ実況担当
宮本隆治第46回(1995年)~
第51回(2000年)
1973年
草野満代第46回(1995年)
第47回(1996年)
1989年宮本隆治との2人制
三宅民夫第52回(2001年)
第53回(2002年)
第57回(2006年)
1975年
武内陶子第54回(2003年)1991年
堀尾正明第55回(2004年)1981年
山根基世第56回(2005年)1971年第34回で審査員紹介を担当
第56回は紅組・白組・総合の区別無しの司会
黒崎めぐみ第57回(2006年)1991年第56回・第61回でラジオ実況担当
三宅民夫との2人制
松本和也第58回(2007年)
第59回(2008年)
1991年
住吉美紀第58回(2007年)1996年第55回でラジオ実況担当
松本和也との2人制
小野文惠第58回(2007年)1992年第52回~第54回でラジオ実況、第55回で紅組司会を担当
終始渋谷上空を映すヘリコプターからの中継出演
阿部 渉第60回(2009年)~
第62回(2011年)
1990年第52回~第55回白組司会、第51回でラジオ実況担当
有働由美子第63回(2012年)~
第66回(2015年)
1991年第52回~第54回紅組司会
リポーターも含め通算10回出演は女性アナ最多記録
武田真一第67回(2016年)1990年
桑子真帆第68回(2017年)
第69回(2018年)
第71回(2020年)
第73回(2022年)
2010年第71回までは内村光良との2人制
第73回は紅組・白組・総合の区別無しの司会
和久田麻由子第70回(2019年)
第72回(2021年)
2011年第70回は内村光良との2人制
第72回は紅組・白組・総合の区別無しの司会
高瀬耕造第74回(2023年)1999年大阪放送局所属としては初の総合司会

 アナウンサーの司会担当は第68回で一気にリニューアル、以降は桑子アナと和久田アナで分け合う形になります。第73回は和久田アナの産休で桑子アナが復帰しましたが、第74回はなんと大阪に異動した高瀬アナが総合司会に大抜擢。同局制作の連続テレビ小説『ブギウギ』のナレーションも担当、その縁で起用された可能性も高そうです。

実況

 おそらく第1回のラジオ放送から存在していたものと思われますが、資料はありません。再放送でもテレビの人事は判明可能でも、ラジオとなると難しいものです。掲載は第38回(1987年)まで入ったテレビ実況を第14回以降、ラジオは始めてテレビ放送でも紹介された第34回(1983年)以降掲載とします。なおラジオ実況は年によって裏方としての参加が映り込む時もありますが、これについては含めないものとします。

テレビ実況(第14回以降のみ掲載)

アナウンサー担当回入局年備考
土門正夫第14回(1963年)
第17回(1966年)
1951年
荒川 修第19回(1968年)
第23回(1972年)
1955年
鈴木文彌第21回(1970年)1948年
金子辰雄第24回(1973年)
第26回(1975年)~
第31回(1980年)
第34回(1983年)
第37回(1986年)
1951年
相川 浩第25回(1974年)1957年
清水圭子第34回(1983年)1981年金子辰雄とWで担当、結婚後の姓は杉浦
千田正穂第35回(1984年)1972年
吉川精一第36回(1985年)1963年
島村俊治第39回(1988年)1964年出場歌手入場の実況のみ担当

ラジオ実況(第34回以降判明分のみ掲載)

アナウンサー担当回入局年入局年
古屋和雄第34回(1983年)1972年テレビ放送中に紹介テロップ有り
大塚範一第42回(1991年)1973年
徳田 章第43回(1992年)1975年
宮川泰夫第44回(1993年)1968年テレビ放送中に紹介場面有り
阿部 渉第51回(2000年)1990年
小野文惠第52回(2001年)~
第54回(2003年)
1992年第52回から2人制の担当となる
高市佳明第52回(2001年)
第53回(2002年)
1995年
藤崎弘士第54回(2003年)~
第56回(2005年)
1993年
黒崎めぐみ第56回(2005年)
第61回(2010年)
1991年第61回は総合司会経験者で初の担当
小田切千第57回(2006年)
第58回(2007年)
1994年
島津有理子第57回(2006年)1997年
塚原 愛第58回(2007年)2000年
山田康弘第59回(2008年)
第60回(2009年)
1997年
神田愛花第59回(2008年)
第60回(2009年)
2003年
小松宏司第61回(2010年)
第62回(2011年)
第69回(2018年)
1999年
橋本奈穂子第62回(2011年)
第63回(2012年)
2003年
青井 実第63回(2012年)
第65回(2014年)
2003年
吉田一貴第64回(2013年)2002年
久保田祐佳第64回(2013年)2005年
首藤奈知子第65回(2014年)2003年
中川 緑第66回(2015年)1989年
高山哲哉第66回(2015年)1996年白組司会経験者で初の担当
二宮直輝第67回(2016年)
第68回(2017年)
2008年
寺門亜衣子第67回(2016年)2008年
小郷知子第68回(2017年)2002年
千葉美乃梨第69回(2018年)2012年
片山千恵子第70回(2019年)2008年
田村直之第70回(2019年)
第71回(2020年)
2011年
赤木野々花第71回(2020年)2013年
佐藤俊吉第72回(2021年)2005年第68回のウラトークにも終盤のみ出演
浅野里香第72回(2021年)
第73回(2022年)
2016年
渡辺健太第73回(2022年)
第74回(2023年)
2012年
森田茉里恵第74回(2023年)2017年

 ラジオ実況はW体制になった21世紀以降、経験者+若手の組み合わせが多くなりました。2000年代はここから司会担当に発展するケースも多かったですが、近年は少なくなっています。

ウラトーク担当

アナウンサー担当回入局年備考
松本和也第61回(2010年)1991年
神田愛花第62回(2011年)2003年
小松宏司第63回(2012年)1999年
橋本奈穂子第64回(2013年)
第67回(2016年)
2003年
久保田祐佳第65回(2014年)
第66回(2015年)
2005年司会以外で6年連続出演はアナウンサーで唯一
塚原 愛第68回(2017年)2000年
雨宮萌果第69回(2018年)2011年第67回終盤でもウラトーク出演あり
杉浦友紀第70回(2019年)
第73回(2022年)
2006年
鈴木奈穂子第74回(2023年)2004年

 ウラトークは原則ラジオ実況経験者の担当で、第69回・第70回はメインMCとの共演歴が決め手の人選になっていました。第71回はアナウンサー無し、東京国際フォーラム開催の第72回はそもそも設けられずという形でしたが、第73回からはスタジオ使用で復活しています。

リポーター

 司会や実況だけでなく、場内場外のリポーターもアナウンサーが担当する場合もあります。こちらも判明分のみ掲載とします。

ホール内担当

アナウンサー担当回入局年備考
山川静夫第21回(1970年)1956年観客へのインタビュー
金子辰雄第23回(1972年)1951年得点集計センター担当
中江陽三第26回(1975年)~
第29回(1978年)
1956年得点集計センター担当
生方惠一第30回(1979年)
第31回(1980年)
1956年得点集計センター担当
山根基世第34回(1983年)1971年審査員リポーター
杉浦圭子第40回(1989年)1981年審査員リポーター
有働由美子第51回(2000年)1991年審査員リポーター
膳場貴子第52回(2001年)
第53回(2002年)
1997年審査員リポーター
高山哲哉第53回(2002年)1996年審査員リポーター

中継リポーター

アナウンサー担当回入局年備考
上田早苗第37回(1986年)
第42回(1991年)
1986年第37回は審査会場・大阪府道頓堀からの中継担当
第42回は長崎県島原市の仮設住宅前から中継担当
徳田 章第37回(1986年)
第42回(1991年)
1975年第37回は審査会場・愛媛県道後温泉からの中継担当
第42回はラトビア・リガ市、ドム教会前から中継担当
後藤繁榮第37回(1986年)1975年審査会場・北海道占冠村からの中継担当
後藤順一第37回(1986年)1974年審査会場・青森県黒石市からの中継担当
宮川泰夫第37回(1986年)1968年審査会場・東京都浅草寺からの中継担当
堀江威光第37回(1986年)1980年審査会場・三重県二見浦からの中継担当
野瀬正夫第37回(1986年)1976年審査会場・広島県宮島からの中継担当
黒沢保裕第37回(1986年)1980年審査会場・長崎県長崎市からの中継担当
杉浦圭子第41回(1990年)1981年ブラジル・サンパウロからの中継担当
星野 豊第41回(1990年)1986年ドイツ・ゲツェマネ教会からの中継担当
鈴木奈穂子第57回(2006年)2004年愛媛県松山市から坂本冬美の応援中継担当
荒木美和第58回(2007年)2004年新潟県旧山古志村からの中継担当
有働由美子第59回(2008年)
第68回(2017年)
1991年第59回はアイルランドからエンヤの中継担当
第68回は横浜アリーナから桑田佳祐の中継担当
塚原 愛第59回(2008年)2000年ブラジル・サンパウロからの中継担当
松村正代第59回(2008年)2004年札幌ドームからEXILEの中継担当
久保田祐佳第60回(2009年)
第62回(2011年)
第63回(2012年)
2005年第60回は長崎から福山雅治の中継担当
第62回は東京体育館から松田聖子・神田沙也加の中継担当
第63回はアメリカ・ポートランドから由紀さおりの中継担当
宮島大輔第62回(2011年)1993年岩手県・陸前高田市竹駒地区コミュニティーセンターから千昌夫の応援中継担当
永井伸一第62回(2011年)1993年福島県・いわき市スパリゾートハワイアンズからの西田敏行の応援中継担当
小林千恵第64回(2013年)2002年品川から松田聖子・クリス・ハートの中継担当
小田切千第66回(2015年)1994年SMAPが『のど自慢』で訪れた岩手県山田町からの中継担当

 会場外からのアナウンサー派遣は特に平成後期で頻出しています。ただ近年はまた少なくなっているようです。

応援出演・特別出演

 数は少ないですが、応援など本来のアナウンサー業務と異なる形の出演ケースもあります。

アナウンサー担当回入局年備考
鈴木健二第31回(1980年)1952年『歴史への招待』司会者として白組応援
葛西聖司第36回(1985年)
第38回(1987年)
1955年『澪つくし』『独眼竜政宗』語り担当、
該当コーナーのナレーターとして声のみ出演
山川静夫第40回(1989年)1951年歴代司会としてスピーチ
松平定知第49回(1998年)1969年『NHKニュース11』を一緒に担当する紅組司会・久保純子の応援
刈屋富士雄第55回(2004年)1983年アテネ五輪体操の実況が話題、ゆずの曲紹介を担当
高山哲哉第56回(2005年)1996年紅白スキウタPR大使を担当、本番出演は『蛍の光』のみ
神田愛花第56回(2005年)2003年紅白スキウタPR大使を担当、本番出演は『蛍の光』のみ

ニュース担当

 最後に平成以降の紅白で必ず挟まれるようになったニュース担当のアナウンサーも紹介します(総合テレビ放送分のみ)。

 基本的には『ニュース7』キャスターが担当していますが、平日・土日担当と大晦日の暦は必ずしも一致していない傾向があるようです。第56回の担当アナが現状不明ですが、おそらく末田正雄アナもしくは畠山智之アナが担当したものと思われます。

アナウンサー担当回入局年備考
山田誠浩第40回(1989年)1963年
名取 将第41回(1990年)1962年
末田正雄第42回(1991年)
第55回(2004年)
1975年
井筒屋勝己第43回(1992年)1981年
石澤典夫第44回(1993年)
第51回(2000年)~
第53回(2002年)
1976年
森田美由紀第45回(1994年)1984年前年の総合司会
宮田 修第46回(1995年)
第47回(1996年)
1970年
中村 昇第48回(1997年)1963年
武田真一第49回(1998年)
第50回(1999年)
第59回(2008年)~
第66回(2015年)
1990年第67回で総合司会を担当
伊藤博英第54回(2003年)1977年
阿部 渉第57回(2006年)
第58回(2007年)
1990年第52回~第55回白組司会、第60回~第62回総合司会
高瀬耕造第67回(2016年)1999年
鈴木奈穂子第68回(2017年)2004年第57回で中継リポーターとして出演
井上あさひ第69回(2018年)2004年
瀧川剛史第70回(2019年)~
第73回(2022年)
2004年

 

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