本日から3記事にわたって、デビュー50周年イヤーの西城秀樹の紅白歌合戦を振り返ります。
西城さんについては初出場のステージ(第25回本編レビュー)・YMCAを初めて歌った時のエピソード(第30回ステージの名言集解説)で過去取り上げていますが、その時も相当なアクセス数を記録しました。Twitterでは少し彼の名前を書くだけでいいね!がどんどんつくという状況で、現在も1970年代に活躍した歌手の中では特にずば抜けた人気となっています。
紅白歌合戦には通算18回出場、昭和だけでなく平成でも複数回出場の実績を残しています。1970年代においては彼が紅白で初めて取り入れた演出も多く、番組に残した功績は尋常ならざるものがありました。
今回もまずはデータ&エピソードを紹介、その後にステージ編を2回に分けて書く予定にしています。ステージ編は区分けがやや難しいところですが、とりあえず第25回~第34回、第35回以降で考えています。ちなみに大阪球場のコンサートが恒例だったのは1974年~1983年でした。
西城秀樹の紅白歌合戦エピソード
テレビ史上初のドライアイス演出
西城さんがブレイクしたのは一般的に1973年「情熱の嵐」「ちぎれた愛」と言われていますが、なぜかこの年の紅白歌合戦には選出されず。初出場は1974年・第25回の「傷だらけのローラ」でした。
最初に仮面で顔を隠すパフォーマンスからして過去にない始まり方ですが、後半のドライアイス噴出は度肝を抜かれた視聴者が多かったのではないかと思います。当然過去にない演出なので今のような装置は無く、スタッフがホースでステージに撒いている姿が確認できます。
本編レビューにも書いているので、詳しくはそちらも参照してください。
その後も紅白初の演出を次々と繰り出す
第27回(1976年)の「若き獅子たち」では、合図に合わせて紙テープが天井から降りてきました。エンディング以外でこの演出が使用されるのは、この時が初めてです。
第28回(1977年)の「ボタンを外せ」では紅白史上初の爆破演出が取り入れられます。MステスーパーライブでB’zが例年やっていた演出の音がない版、と考えてもらえばいいと思います。
第30回(1979年)では歌唱中にメインセットが回転する演出が取り入れられました。これも当時の紅白では過去になかったことになります。詳しくはこの記事を参照してください。
第32回(1981年)では客席からステージに走って登場するオープニング。客席で歌った例はこれ以前にもいくつかありますが、登場からステージまで駆け抜けたのはこの時が初めてです。
第33回(1982年)・第34回(1983年)では白組歌手全員がサビを一緒に踊っています。第30回のYMCAを含めると3回、これだけ出場歌手が一緒に踊る演出が取り入れられたのは昭和だと彼くらいのものです。
第45回(1994年)、10年ぶりの紅白復帰は天井からワイヤーに捕まっての登場でした。乗り物に乗っての登場はそれ以前にもいますが、ワイヤーで降りる演出はこの時の西城さんが初めてです。
第48回(1997年)はYOSHIKIが紅白で初めて他歌手の演奏を担当&楽曲提供、第52回(2001年)の河村隆一も同様でした。これらは全てステージ編でさらに詳しく書く予定にしています。
応援でも名場面あり
第27回(1976年)では北島三郎とともに、はしご乗りのパフォーマンスを任されます。3m近い高さで見事にポーズを決めていますが、これは紅白初のはしご乗り応援でした。
歌以外でも演奏を担当した場面があります。第48回(1997年)では南こうせつのステージでギター、加山雄三のステージでドラムを担当しました。こうせつさんのステージは多くいた中の1人ですが、若大将のドラムはまこと(シャ乱Q)との2人のみで相当目立っています。ソロで出場する歌手がドラム演奏を披露するケースは、紅白だとこの時くらいしかありません。非常にレアであると同時に、西城さんの音楽的な多才さを象徴する場面でもありました。これらの応援シーンなども、次回以降で書く予定にしています。
西城秀樹の紅白データ~18回分のまとめ
最後はデータのまとめです。出場歌手の入れ替えが起こった2002年に落選となりますが、脳梗塞の症状が出始めたのもこの時期でした。本来なら今でも現役バリバリで全国ツアー開催、場合によってはさらに紅白歌合戦の出場を重ねた形になっていたかもしれません。あらためて2018年に若くして逝去されたのが本当に惜しまれます。
出場回 年齢 |
歌唱曲 | 作詞者 作曲者 |
発売日 | 曲順 | 主なデータ | 主な受賞 | 他の発売曲 |
第25回 (1974年) 19歳 |
傷だらけのローラ | さいとう大三 馬飼野康二 |
1974/8/25 | トップバッター | 1974年オリコン年間34位 | ・日本レコード大賞歌唱賞 ・日本歌謡大賞放送音楽賞 |
・薔薇の鎖 ・激しい恋 ・涙と友情 |
第26回 (1975年) 20歳 |
白い教会 | たかたかし 鈴木邦彦 |
1975/10/25 | 白組7番手/24組中 | オリコン週間最高4位 年間55位クラスのヒット |
・この愛のときめき ・恋の暴走 ・至上の愛 |
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第27回 (1976年) 21歳 |
若き獅子たち | 阿久 悠 三木たかし |
1976/9/5 | 白組7番手/24組中 | 1976年オリコン年間61位 | ・日本レコード大賞歌唱賞 | ・君よ抱かれて熱くなれ ・ジャガー |
第28回 (1977年) 22歳 |
ボタンを外せ | 阿久 悠 三木たかし |
1977/9/5 | 白組7番手/24組中 | オリコン週間12位 | ・ラストシーン ・ブーメランストリート ・セクシーロックンローラー |
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第29回 (1978年) 23歳 |
ブルースカイブルー | 阿久 悠 馬飼野康二 |
1978/8/25 | 白組6番手/24組中 | 1978年オリコン年間51位 | ・日本レコード大賞金賞 ・FNS歌謡祭最優秀歌唱賞 |
・ブーツをぬいで朝食を ・あなたと愛のために ・炎 |
第30回 (1979年) 24歳 |
YOUNG MAN (Y.M.C.A.) | あまがいりゅうじ J. MORALI |
1979/2/21 | 白組10番手/23組中 | 1979年オリコン年間7位 | ・日本歌謡大賞受賞 ・FNS歌謡祭 グランプリ |
・ホップ・ステップ・ジャンプ ・勇気があれば |
第31回 (1980年) 25歳 |
サンタマリアの祈り | なかにし礼 川口 真 |
1980/10/5 | 白組5番手/23組中 | 1980年オリコン年間151位 | ・日本レコード大賞金賞 ・日本歌謡大賞放送音楽賞 |
・悲しき友情 ・愛の園 ・俺たちの時代 ・眠れぬ夜 |
第32回 (1981年) 26歳 |
ジプシー | 森雪之丞 鈴木キサブロー |
1981/12/20 | 白組7番手/22組中 | 1982年オリコン年間106位 | ・リトルガール ・セクシーガール ・センチメンタルガール |
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第33回 (1982年) 27歳 |
聖・少女 | 松本 隆 吉田拓郎 |
1982/6/21 | 白組4番手/22組中 | 1982年オリコン年間83位 | ・日本レコード大賞金賞 | ・南十字星 ・漂流者たち |
第34回 (1983年) 28歳 |
ギャランドゥ | もんたよしのり もんたよしのり |
1983/2/1 | 白組トップバッター | 1983年オリコン年間94位 | ・日本レコード大賞金賞 | ・ナイトゲーム ・哀しみのStill |
出場回 年齢 |
歌唱曲 | 作詞者 作曲者 |
発売日 | 曲順 | 主なデータ | 他の発売曲 |
第35回 (1984年) 29歳 |
抱きしめてジルバ | 森田由美 G. Michael, A. Ridgeley |
1984/10/15 | 白組4番手/20組中 | 1984年オリコン年間271位 (年間85位クラスの売上) |
・Do You Know ・背中からI Love You |
第45回 (1994年) 39歳 |
YOUNG MAN (Y.M.C.A.) | あまがいりゅうじ J. MORALI |
(2回目) | 白組後半4番手/15組中 | ・SAYYEA’, JAN-GO | |
第46回 (1995年) 40歳 |
YOUNG MAN (Y.M.C.A.) | あまがいりゅうじ J. MORALI |
(3回目) | 白組後半5番手/15組中 | ・黄昏よ、そばにいて ・愛が止まらない ・心の扉 |
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第48回 (1997年) 42歳 |
moment | 松井五郎 YOSHIKI |
1997/8/6 | 白組後半4番手/15組中 | 1997年オリコン年間245位 | ・パラサイト・ラヴ |
第49回 (1998年) 43歳 |
傷だらけのローラ | さいとう大三 馬飼野康二 |
(2回目) | 白組前半7番手/10組中 | ・2Rから始めよう | |
第50回 (1999年) 44歳 |
バイラモス | 根津洋子 P. Barry & M. Taylor |
1999/11/17 | 白組前半8番手/13組中 | オリコン週間最高30位 | ・最後の愛 ・ターンAターン |
第51回 (2000年) 45歳 |
ブルースカイブルー | 阿久 悠 馬飼野康二 |
(2回目) | 白組前半10番手/14組中 | ・Love Tortune ・時のきざはし |
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第52回 (2001年) 46歳 |
Jasmine | Michiko Yoshida Я K |
2001/5/23 | 白組前半11番手/13組中 | オリコン週間最高77位 |
コメント
西城秀樹さんが、ライブだけでなく、テレビ界、紅白歌合戦でも、新たな演出を取り入れておられた、テレビマンの方々と共に、また他の白組出演者の方々と共に取り組まれたことが分かりました。
お元気でおられたら、今も全国ツアー、武道館ライブ、紅白出場など、活躍されたであろうという記述も、涙を誘います。
今は、本物の歌が求められている時だと思います。
西城秀樹さんは、これからも現在進行形で、新たなファンを獲得していくのだと思います。
西城秀樹さんのファンです。ヤングマンのセットの件は気づきませんでした。今度確かめてみます。ファンなのに知らなかった事を気付かせてもらい感激です。またDVDを引っ張り出して観賞することになりそうです。有難うございました。
ヒデキの紅白歌合戦第1回怪傑ゾロのあの姿は絶対に忘れられませんね(^-^)あの当時アイドルがと言う格好ですから当時のアイドルは可愛♥️それがもっとうでしたから!皆ビックリ‼️しましたよ‼️
又テレビでやって欲しいです‼️
それに煙今はそんな言葉じゃないと思いますが当時は煙だったんです!それにも驚き
どっちにしろ‼️ヒデキは伝説を作ったレジェンドには間違い無いです!ほんとに脳梗塞さえならなかったら今も元気で今は外国に行ってバリバリやっています!
ヒデキデビュー当時からの大ファン今も追っかけSNS投稿あちこちやってヒデキの功績を後世に繋げたいの気持ちで毎日ヒデ活やっています!
こうやってヒデキの事を取り上げてもらって本当に嬉しい❤
出来たら地上波放送でヒデキの番組やって欲しいです!切にお願いしますm(_ _)m
秀樹の過去の姿を見たいのに、今はBS放送でしか予定されていないのがとても残念です‼️是非地上波放送でも見られるようにして欲しいです‼️
秀樹の紅白出場は、毎年見てきた筈ですが、振り返って、紹介して頂くと、そうだったかな、ってい曖昧になって来ています。自分の記憶が でも、何十年経って、こうして、色んな方が秀樹の事を、紹介して下さり、改めて知る事が出来て、感謝です!それにしても、秀樹は、格好良かった 今でも、震える位好きです!