第7回オールスター男女歌合戦~『ブギウギ』と現実世界の比較記事

 連続テレビ小説『ブギウギ』の放送も佳境を迎えました。3月18日~22日にかけて放送された第25週「ズキズキするわ」では新人歌手・水城アユミが登場、丸の内テレビの「第7回オールスター男女歌合戦」が舞台になっています。

 この番組のモチーフが紅白歌合戦であることは一目瞭然、実際1956年に放送されたのもまさに第7回。「ヘイ・ヘイ・ブギ」の大トリも、言うまでもなく事実に基づいた話になっています。ただ『ブギウギ』はあくまでもノンフィクションではなくドラマ、当然様々な脚色もされています。この記事では第7回オールスター男女歌合戦と第7回NHK紅白歌合戦の比較と言いますか、見返すにあたってより楽しめる小ネタを、ドラマの放送順にまとめることとします。なお7回NHK紅白歌合戦については、全曲順がNHK公式サイトにアップされています。

 

第117回(3月18日放送分)

 第7回オールスター男女歌合戦は、丸の内テレビジョンで放送。当時NHK東京放送会館は渋谷ではなく千代田区内幸町なので、史実に近い場所と言って良いでしょうか。

 この時期はNHKだけでなく、KRテレビ(現・TBSテレビ)も大晦日の真裏に歌番組をぶつけていました。両局の間で出演歌手の争奪戦が行われています。こちらは「オールスター歌合戦」という番組名がつけられていました。したがって『ブギウギ』における番組名は、紅白と当時の裏番組を織り交ぜた形になっているようです。

 ”今年も是非、年末の歌合戦に出て頂けたらと思いまして”と劇中で話すプロデューサー。ただ実際の笠置シヅ子は、第6回の紅白に出演していません。1955年は先述のオールスター歌合戦に出演、そのため紅白はこれが第4回以来3年ぶりの出場でした。

 マネージャーが福来スズ子のトリを要求しています。これが実際あったかどうかは定かではありません。なお美空ひばりが毎年紅白の大トリを務めた昭和40年代、特に1969年以降はマネージャー側が強く大トリで歌唱することを望んだと言われています。

 中村倫也が演じる沼袋勉が強烈な個性を出しています。これはおそらく当時のNHKディレクター・和田勉をモデルにしたものと思われます。もっともこの当時の彼は入局4年目で大阪制作のドラマをメインに担当、実際の紅白歌合戦には後年含め全く関わっていないものと思われます。

 福来スズ子のライバルとして登場した水城アユミはドラマのオリジナルキャラクター、トリ前で「ラッパと娘」を歌ったという資料はありません。実際の笠置さんがライバル関係と言われていたのは美空ひばり、若くして亡くなった女優の娘というエピソードがあるのは江利チエミ。ただ双方ともレコードデビューは1950年代前半、1956年時点では若手のホープではなく既に大スターと化しています。ブレイクしたばかりという印象の描かれ方は、2人の設定をモチーフにしつつもオリジナル性はかなり強めと捉えて良さそうです。

 

第120回(3月21日放送分)

 黒板に書かれた文字に小ネタが満載状態です。

 全体的には第7回NHK紅白歌合戦を改変した内容です。岡本敦郎「自転車旅行」→坂本敏郎「自轉車行楽」、東海林太郎「赤城の子守唄」→西山林太郎「白城の子守歌」、春日八郎「別れの一本杉」→春目八郎「別れの一本松」という具合。白組トリは灰田勝彦「白銀の山小舎で」を完全割愛、主演の演者の両親をもじった伊藤豊に改変されていましたが、曲名が黒板消しなどに隠れて判別出来ないのが惜しいところです。

 紅組はペギー葉山「ケ・セラ・セラ」→ポギー森山「ク・ラセ・ラセ」、江利チエミ「お転婆キキ」→恵里エミ「お轉婆ララ」、小唄勝太郎「唐人お吉の唄」→噺唄勝三郎「島人お吉の唄」、鈴木三重子「アイちゃんはお嫁に」→高木美榮子「花ちゃんはお嫁に」、大津美子「東京アンナ」→津梅郎「東京ジェリー」という具合。淡谷のり子は当然茨田りつ子名義ですが、歌は「ルムバ・タムバ」から「バムル・バムタ」に微妙な改変。たださすがに全50組も記してはなく、半分くらい抜粋するという状況でした。

 

第121回(3月22日放送分)

 オールスター男女歌合戦の本番が放送されます。

 男女の司会者で進行されていますが、第7回NHK紅白歌合戦の紅組司会は女性ではなく男性・宮田輝アナウンサーでした。先述の裏番組に対抗した人選だったようですが、実際には観客からヤジが飛ぶなどといった具合で成功したとは言えなかったらしいです。

 オーケストラの演奏をバックにオープニング進行をする両司会ですが、当時の紅白オープニングはトークの間に演奏することは無かったと思われます。

 西鉄ライオンズが優勝して最高の年でしたと話す女性アナウンサー、実際この年はパリーグ優勝、さらに読売ジャイアンツも撃破して日本一になっています。劇中で語られる仰木彬は正二塁手、確かに後年近鉄・オリックスの監督として大きな実績を残しますが、当時のレギュラー選手という観点で考えるとかなり渋い人選のような気もします。なお仰木さんが実際の紅白歌合戦で審査員として登場するのは、これより40年後の第47回でした。

 最初の曲として紹介されるのは坂本敏郎「自転車行楽」、これは第7回の史実・岡本敦郎「自転車旅行」と同様です。

 若手のホープとして登場した三橋満男、これは三橋美智也がモチーフになっています。この第7回で紅白初出場、「哀愁列車」を歌いました。圧倒的人気で翌年早くも美空ひばりとの対決で白組トリに抜擢されますが、劇中のような痩せ型の二枚目ではありません。

 センターマイク1本でやり取りする司会者2人ですが、昭和期の紅白は少なくとも第14回(1963年)時点で紅組エリア・白組エリアははっきりと区分けされていました。おそらく紅組側・白組側にそれぞれ司会者用マイクが両端に設置されていたはずで、実際にこういった場面は存在してないものと思われます。

 トリ前で歌ったという設定の水城アユミ「ラッパと娘」、この直前に三橋満男だったので「哀愁列車」がトリ前という設定になっていたと思われます。ただ実際の紅白は9番手、トリ前どころか前半での登場です。ただ三橋さんの後が江利チエミのステージだったので、ギリギリ史実に近いと言えるでしょうか。

 楽屋でやり取りする茨田のり子と福来スズ子、淡谷のり子の曲順は紅組8番手でした。つまり言うと、三橋さんの前の曲順でもあります。広々とした楽屋ですが、当時の紅白にこんな落ち着いた場面はほぼ間違いなく存在していないものと思われます。

 「ヘイ・ヘイ・ブギ」を歌う前に福来スズ子のMC、これはもちろんドラマオリジナルです。また、実際の紅白のステージでは1番の時点で紅組歌手が参加してヘイヘイと大盛り上がりの状況でした。白組側の男性歌手と抱きつくシーンもありますが、当時の紅白は男女対決バチバチだったはずでこれもドラマオリジナルと割り切って考える方が良さそうです。

 

おわりに

 笠置さんの紅白出場はこれが最後で、年が明けて1957年早々に歌手業引退を発表します。3月25日からの最終週はこの辺りがドラマとして表現される形になります。いち視聴者としては、最後まで楽しみたいところです。欲を言えば今年の紅白歌合戦でも福来スズ子の「ラッパと娘」「東京ブギウギ」も見たいところですが、前年度の大阪制作朝ドラからの出演が第48回(1997年)『ふたりっ子』・オーロラ輝子「夫婦みち」くらいしか無いことを考えると少し難しいかもしれません。

 

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