紅7(全体13):高石かつ枝(初出場)
・1962年デビュー
・1946年7月18日生 神奈川県横須賀市出身
・楽曲:「りんごの花咲く町」
・レーベル:日本コロムビア
・演奏時間:2分2秒
「女の方は女らしく、純情ムードで、高石かつ枝さんに「りんごの花咲く町」、どうぞ!」
セーラー服姿で歌唱。単純に、美しくて綺麗です。楽曲も含めて、シンプル・イズ・ベスト。良いのではないでしょうか。演奏隊の後方には、女声合唱の加勢もありました。
間奏ではこまどり姉妹の2人が、客席にリンゴを配ります。下手側の通路ではリンゴ、というよりご本人めがけて集まってやや混乱状態。退場シーンは2番の歌唱に被ってしまいました。
解説
・1960年代に生まれた青春歌謡というジャンル。男性には舟木一夫や三田明など多くいますが、女性でそこまでメジャーになった存在は意外と少ないです。高石かつ枝、本間千代子、一応吉永小百合もそうでしょうか。
・純情可憐という言葉が似合う作品、歌謡曲もそうですが映画でも、最近どころか1970年代・1980年代の時点であまり見なくなったジャンルです。路線変更が功を奏した舟木一夫は例外として、全体的にヒットの時期が短命に終わったケースが多い印象もあります。
・高石さんの紅白出場はこの回のみ。前年「旅の夜風」のデュエットでデビューしてヒットもしましたが、紅白には出られず。翌年創設されたばかりのクラウンレコードに移籍しますが、その際に色々あったそうです。
・テロップは「りんごの花咲く町」ですが、レコードジャケットは「リンゴの花咲く町」「林檎の花咲く町」双方が存在しています。なお主題歌になっている青春映画の林檎は漢字表記です。
・客席に出場歌手が何かを配る演出は昭和の紅白でちらほら見られますが、もうこの時点で取り入れられているようです。これより前だと、第11回の水原弘「恋のカクテル」でカクテルを配っていた演出がありました。これは1980年代以降だと見られなくなります。最初から用意されている事例は多いですが(うちわ、サイリウム、樽美酒研二の仮面…)。
白7(全体14):三浦洸一(7年連続8回目)
・1953年デビュー 第6回(1955年)初出場
・1928年1月1日生 神奈川県三浦市出身
・楽曲:「こころの灯」
・レーベル:日本ビクター
・演奏時間:2分3秒
「なんか途中で物を配って歩いた人がいたようでございますけれどもね。まあこの辺は公明選挙で願いたいもんでございますねぇ。」「こちらは折り目正しい、行儀の良い歌で知られております、歌謡曲界の模範生・三浦洸一さん「こころの灯」でございます」
直立不動でスーツをしっかり決めて歌うオールドスタイル。体の動きがあるとすれば、左手くらいでしょうか。派手さはありませんが、年々ショーアップされつつある歌謡界においては間違いなく無視できない存在です。
解説
・基本的に物を配る演出は好きじゃないのでしょうか、大体こういう演出があると後年でも宮田アナは毒づいている印象です。あとは選挙の演説とかけるような場面も度々ありますが、1974年にNHKを退職したのは参議院議員立候補が理由でした(選挙は当選、その後3期にわたって務める)。
・三浦さんの紅白出場はこの年が最後。おそらくこの頃になると楽曲はそれほどヒットしていないはずで、実際「こころの灯」に関しても情報はほとんどありません(作詞作曲は佐伯孝夫・吉田正のビクター鉄板コンビ)。
・ビクターとしてはやはり重きを置いていた歌手のようで、スタッフが落選をほのめかすとビクターの歌手全員出さないという強気な態度に出たとかいう話もあります(実際はマヒナ他引き続いて出場した歌手がほとんどでしたが)。
・歌手としてはかなりの長寿を誇り、ステージには2010年代まで立っていました。2025年1月に逝去、97歳の大往生です。
紅8(全体15):楠トシエ(7年連続7回目)
・1949年デビュー 第8回(1957年)初出場
・1928年1月11日生 東京都千代田区出身
・楽曲:「銀座かっぽれ」…6年ぶり2回目
・レーベル:キングレコード
・演奏時間:2分12秒
「三浦さんみたいにおとなしくて真面目な男性には、こういう…え?歌え?ちょっと待っててよ司会もやらせてよ~。あの、こういうユーモアのある女性が大変ピッタリ向いてるんじゃないかと思うんです。こちらがご用意致しましたのは、楠トシエさんの「銀座かっぽれ」。お姉さん、どうぞ!」
マジメな三浦さんに対してユーモアのあるお姉さんという曲紹介ですが、観客の歌え!に反応するチエミさんもマジメな司会を見せています。というわけで楠さんは坊主頭のカツラにハチマキを巻いた姿で登場、「まかせとけ!」とホイッスルを鳴らして6人の小坊主を連れてきます。
「紅組」と書かれた大きく真っ赤な旗が渡され、それを振りながら歌います。付き添いの面々は踊りでステージを盛り上げ、振付はよく見るとラインダンスなどが取り入れられてます。パッと見たところ、ダンサーは紅組歌手でない様子。とりあえずは文句なしに、とびっきりの明るいステージでした。
解説
・第9回以来5年ぶり2度目の歌唱ですが、その割に曲の情報が全然出てきません。一応藤田まさと作詞・長津義司作曲ということなので、20世紀に作られたことだけは間違いなさそうです。
・そもそも「かっぽれ」が分からないという声が多そうですが、これは俗曲に合わせて踊る滑稽な踊りなのだそうです。「坊主頭姿で、染め浴衣に平ぐけ帯」というのがかっぽれ姿ということなので、実際このステージでは楠さんもダンサーも全員この格好になっています。最近だとミュージカル『刀剣乱舞』で登場したのだとか。
・楠さんの紅白出場はこの年が最後。考えてみると、NHK専属タレント第1号がCMソングの女王となるわけです。彼女が声を当てた当時の人形劇は『チロリン村とくるみの木』、『ひょっこりひょうたん島』のサンデー先生は次の年からの放送でした。
白8(全体16):森繁久彌(5年連続5回目)
・1936年俳優デビュー 第10回(1959年)初出場
・1913年5月4日生 大阪府枚方市出身
・楽曲:「フラメンコかっぽれ」
・レーベル:日本コロムビア
・演奏時間:2分7秒
「かわいい格好でございます。かっぽれにはかっぽれでございます。こちらはフラメンコカポーレーというかっぽれでございまして。森繁久彌さんの登場でございます。ギターがアイ・ジョージさん、ナカジマヨシノリさんのボンゴがございます。どうぞ」
ギターはアイ・ジョージ、ボンゴはナカジマヨシノリさんと紹介されています。照明もスポットライトのみ、まさしく森繁さんを含めた3人だけで成立させるステージでした。かっぽれをカポーレとしてフラメンコ風にアレンジした内容は、「歌」というより「芸」といった方が相応しいかもしれません。常人には到底発想し得ない表現に、拍手が何度も湧き上がっていました。
解説
・Wikipediaレベルで見ても、天才だと言って差し支えない森繁久彌先生。音楽界の業績として一番知られているのはおそらく「しれとこ旅情」における日本初のシンガーソングライターのくだりだと思いますが、「フラメンコかっぽれ」の例しかり、戦前戦中の歌謡曲の発掘・再評価しかり。6回ある紅白出場は、いずれも当時の大衆に大いなる印象を残していたのではないかと思われます。
・自作自演の曲を紅白で初めて歌ったのも第13回「しれとこ旅情」。そしてスケジュールや体調以外で初めて紅白辞退を公式で表明したのも森繁先生でした。いつの時代も先駆者が一番になるという部分は、彼の生前の業績を調べると本当によく分かります。
・ちなみに「フラメンコかっぽれ」、紅白の余興みたいなものかと思いきやしっかりレコーディングもされて、今ではSpotify他のストリーミングでも聴くことが出来ます。
紅9(全体17):江利チエミ(11年連続11回目)
・1952年デビュー 第4回(1953年)初出場
・1937年1月11日生 東京都台東区出身
・楽曲:「踊りあかそう」
・レーベル:キングレコード
・演奏時間:2分14秒
プレイングマネージャーとしてパリーグ優勝に導いた特別審査員・中西太の話題を振りつつ、紅組のプレイングマネージャーとも言えるチエミさんを白組司会の宮田アナが紹介します。
「今日はまた、プレイングマネージャー・実は紅白歌合戦に11回出場という最多出場記録保持者の、江利チエミさんが紅組の司会を担当していらっしゃいます。わたくしこれから紅組のちょっとご紹介をしたいわけでございます。江利チエミさんに、どうぞ拍手を送って頂きたいと思います」
ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の花売り娘に扮して登場するチエミさん。1963年9月、東京宝塚劇場ではこのミュージカルが彼女主演で連日開催されていました。花売り娘のイライザ・ドゥーリトルが紅白に凱旋した、そう形容しても良いでしょうか。前半は日本語、後半は英語。間違いなく圧巻のステージです。
歌手席も映ってます。紅組では弘田三枝子が英語詞に乗せて歌い、白組側の歌手も手拍子。歌唱後は宮田アナがチエミさんのもとに駆け寄ってそのままトーク。そこには対決モードなど全く無い、非常に和やかな雰囲気でした。
解説
・第6回と第7回で宮田輝は紅組司会を務めているので、過去にも紅白で紅組歌手の曲紹介を務める機会は多くありました。ただ白組司会が紅組歌手を紹介する場面は、おそらくこれが初めてではないかと思われます。
・『マイ・フェア・レディ』はこの1963年9月に日本初のブロードウェイミュージカルとして初公演。冒頭とラストで東京宝塚劇場の外の様子が中継されていますが、その『マイ・フェア・レディ』の看板が入場口の屋根のところに見えます。翌年1月にも再公演、会場も同じく東京宝塚劇場。5月には梅田コマ劇場でも上演されました。
・歌手席は当時、紅白両側の端の方にパイプ椅子で設置されています。そのため1970年代と比べると映る機会は多くありません。セットとして歌手席が作られるのはもう少し後の第18回からでした。
・男女対決と言っても、このやり取りに代表されるように両司会のやり取りはとても和やか。宮田さんが女性を立てるのはこの年以外でも概ねそうですが、チエミさんの謙虚で、あまり強気でない性格も大きかったように思います(これが2, 3年後になると終始バリバリ対決モードになっていきます…)
・司会と歌手の兼任はこの第14回が初めてですが、その次は第19回の水前寺清子・坂本九コンビまで待つ形になります。第17回のペギー葉山と第18回の九重佑三子は司会のみで歌手としての出場は認められず、つまり言うとこの年のチエミさんは特例中の特例でした。
白9(全体18):立川澄人(初出場)
・1953年デビュー
・1929年2月15日生 大分県大分市出身
・楽曲:「運がよけりゃ」
・レーベル:日本ビクター
・演奏時間:1分48秒
「さあそこでね、私の方は。こっち(紅組側)に来ちゃって申し訳ないんですけれども」「いいです、どうぞいらしてください(抱きつくアクション)」「運がよけりゃ」ってのがある、ね。あれもいい歌でございます。立川澄人さんにあれをやって頂きます、どうぞ!」
この曲も『マイ・フェア・レディ』劇中歌としてもうお馴染み。バックには体格が良さそうな男性4人の踊りが入ります。
こちらは全編日本語詞での歌唱。相当音を外して歌っているのは、酔っ払っている状況をモチーフにした演出でしょうか。いずれにしても迫力あるステージですが、演奏時間は思いのほか短めでした。
解説
・このステージも宮田輝アナの紹介ですが、立ち位置は白組側でなく紅組側でした。これも当時としては大変異例なことで、その後も映像で見る限り第32回(1981年)の山川静夫まで似たような例は存在しません。
・「マイ・フェア・レディ」の舞台で歌った曲は全て英語詞だったのでしょうか、それとも日本語詞が用意されていたのでしょうか。この紅白で歌われた日本語の歌詞は、他で見た記憶がありません。少し訳とメロディーがミスマッチのような気もしないではなく…。
・立川澄人、のちに立川清登と改名しますが当時はNHKの歌番組『音楽をどうぞ』司会。1957年から担当していることを考えると、この年まで紅白出場が無かったのはやや意外な感もあります。4年連続出場、その後もコンサート等で活躍しますが、1985年大晦日に56歳の若さで世を去りました。
中継応援
既に地方審査員の紹介が一部ありましたが、ここではまた別の形での中継が入ります。まずは宮城県石巻港から。
港には30名ほどの漁師が揃っています。その代表の方が、方言を交えて喋ってます。石巻で採れる近海マグロは一匹30万、ひと網で5000~6000万くらい取れるということで、景気の良さをものすごくアピールしています。もっとも宮田アナは「こっちは数の子買うのが大変なんですから」と毒づいていました。さらに中継が続き、触れられるのは金華山沖のカツオ。”勝つ男”ということで、どうやら石巻の漁師は全員白組を応援している雰囲気。すっかり嫉妬しているチエミさん、「紅組カツオー!とか言って」とまだダジャレで返しております。
もう一か所の中継は大阪・法善寺横丁。呼びかけられたのは、てなもんやのお兄さんこと藤田まこと。ここまで応援で登場した男性はチエミさんが何度も嘆くほどに白組応援ばかりでしたが、彼は全面的に紅組女性軍を応援。「男性はね、一年364日女性の尻の下にお敷かれになってですね、1日でそれを挽回しようというのはちょっと無理だと思うんですよ私は」。更に”はせくーん”と呼びかけると、他局の番組で共演している女優・長谷百合も登場。彼女の尻に敷かれている部分も多そうですが、とりあえず大阪は全員女性の応援をしているとのこと。最後は法善寺の応援団で万歳三唱、ただカメラは東京宝塚劇場に戻っていてその様子は全く映りませんでした。
解説
・高度経済成長時代、1963年はオリンピック景気真っ只中。漁業に関して言うと、遠洋漁業の漁獲高が伸びるのはこの年以降排他的経済水域が設定される1970年代後半まで。未開拓の漁場も多かったようで、現地の漁師が話していた通り、景気良く将来性明るい産業であることは間違いなさそうでした。
・朝日放送で『てなもんや三度笠』の放送が開始されたのは1962年。チエミさんが「てなもんやのお兄さん」と紹介する辺り、もう既にお茶の間には浸透していたものと思われます。藤田まこととABCの縁はてなもんや→必殺仕置人→はぐれ刑事純情派と、2010年に亡くなるまでずっと続きました。
・なおNHKではこの年に彼が出演しているドラマ『法善寺横丁』が放送、おそらくその縁での中継だったのではないかと思われます。
・長谷さんはWikipediaで項目が作られていないですが、関西を中心に活動していた女優です。”はせくーん”と呼びかけて登場するシーンは、これまた朝日放送コメディ番組『スチャラカ社員』でお馴染みの場面。ただこの放送時点で彼女の役は、デビューしたばかりの藤純子(現・富司純子)に交代していた模様。
紅10(全体19):トリオこいさんず(2年連続2回目)
・1960年結成・1961年デビュー 第13回(1962年)初出場
・生年月日不明・3人組
・楽曲:「いやーかなわんわ」
・レーベル:キングレコード
・演奏時間:1分44秒
「まあー、そんなに応援されてかなわんわ。トリオこいさんずの皆さんです」
大阪からの応援中継を受けて登場。グループ名が示す通りの関西色満載、歌詞やセリフがこうだとメロディーやリズムまでも関西っぽく聴こえてくるものです。歌詞に合わせて細かく動きが決まっていて、2番では犬の鳴き声を声色で表現する場面までありました。こんなコミカルな曲にも関わらずハーモニーは美しく、大変記憶に残りやすいステージです。
解説
・長年Wikipediaに項目がない状況が続いていましたが、2024年10月にようやく作られました。大阪松竹歌劇団付属生徒養成所からナベプロ関西支所を経てデビューした3人組ということです。
・白組のグループが外せない面々ばかり、当時グループはグループ同士の対決しか組めない、ですので単にグループだからそこそこのヒットでも紅白に出場出来たという可能性もあります。実際グループ対決縛りが無くなった次の回は出場していません。
・この記事を書くに至って参考にしている紅白関連の資料でも、トリオこいさんずに関する言及は少なめ。ザ・ピーナッツに対抗して結成された、という程度でしょうか。比較的この紅白について詳しく言及している『紅白歌合戦と日本人』(太田省一・著)でもほぼ完全スルーでした。それだけ資料が集められない状況、ということなのかもしれません。
・メンバーのうち、センターの津村愛子は引退後ハワイ在住。カラオケ講師として現地では有名でしたが、2015年に亡くなったということです。他2人の動向はインターネットで調べた限りでは不明、情報が待たれます。
白10(全体20):ボニージャックス(初出場)
・1958年結成、1961年?デビュー
・26~29歳・4人組
・楽曲:「一週間」
・レーベル:キングレコード
・演奏時間:1分48秒
「こちらは都の西北・早稲田の森から羽ばたきました、コーラスの早稲田派ボニージャックスの皆さん。「一週間」を歌って頂きます」
早稲田大学出身という触れ込みで曲紹介。ダーク・ダックスがロシア民謡、デューク・エイセスがアメリカンポップスならボニー・ジャックスは日本の唱歌という具合でしょうか。と言ってもこの「一週間」はロシア民謡ですが。この年4月に『みんなのうた』で放送された楽曲を、手拍子を交えて歌います。高音パートから順々にソロ4コーラス、最後は4人で1コーラス歌う構成でした。
解説
・「一週間」が世に広まったのは『みんなのうた』でしょうか、それともこの紅白のステージでしょうか。楽曲自体は19世紀にロシアで作らました。とは言えロシア民謡として伝わったこの曲も、日本ではいまや童謡の一つとして定着しています。
・ダーク・ダックスが慶應義塾ワグネル・ソサィエティーならボニー・ジャックスは早稲田のグリークラブ。デューク・エイセスとともに3組で合同コンサートを開催する機会も多かったようです。童謡・唱歌といえばボニー・ジャックス、と書きましたが事実CMソングを含めて吹き込んだ曲数は5000を超えるとか。
・2025年現在ではメンバー4人中ベースの玉田元康のみ現役で活動中、他3人は2024年までに逝去されています。なおボニージャックスはセカンドテナーの吉田秀行(2003年加入)とともに、2人組として活動は継続中。
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