第22回(1971年)NHK紅白歌合戦~その2~

白3(全体5):美川憲一(4年連続4回目)

・1965年デビュー、第19回(1968年)初出場
・1946年5月15日生 長野県諏訪市出身
・楽曲:「想い出おんな」(1971/7/25 シングル)
・詞:関沢新一 曲:米山正夫
・演奏時間:2分7秒

 「信州上諏訪で産湯を使い、千葉の金毘羅さまの縁日を楽しんだ美川憲一さん。「想い出おんな」をどうぞ」。

 応援で盛り上げた紅組歌手が急いで舞台袖に履ける中、演奏が始まり宮田アナが曲紹介。美川さんの歌唱は階段を降りながらの始まりで、やや落ち着きありません。2コーラスきっちり、あえてやや速めの演奏より若干遅く歌っているように聴こえるのは気のせいでしょうか。少し音程上げ気味のラスト繰り返しパートも、大変美しい歌声でした。

解説

・この年にもっともヒットしたのは前年12月25日発売の「おんなの朝」。オリコン年間33位、日本作詩大賞まで受賞しています。ただその歌詞がNHKに相応しくないということで、「想い出おんな」になったという経緯があります。

・なお11月には「お金をちょうだい」という楽曲も発表されていますが、こちらもNHKでは長年歌唱されない曲になりました(現在は『うたコン』で既に歌唱済)。

 

紅3(全体6):和田アキ子(2年連続2回目)

・1968年デビュー、第21回(1970年)初出場
・1950年4月10日生 大阪府大阪市出身
・楽曲:「天使になれない」(1971/6/5 シングル)
・詞:阿久 悠 曲:都倉俊一
・演奏時間:1分49秒

 「それでは、大変、大変な女らしい方でシンデレラ姫というあだ名がついてる方をここでご紹介したいと思います。この女性に敵う男性出てらっしゃい、和田アキ子さん「天使になれない」!」

 真っ白なタキシードに蝶ネクタイ、パワフルな歌声や長身だけでなく衣装まで白組っぽい雰囲気です。歌は音割れしそうなほどの声量で大迫力、ただ1コーラス半しかないのは少し物足りません。もう少し長く聴きたいと、心から思えるステージでした。

解説

・39回紅白に出場している和田アキ子ですがオリコン上の数字は意外なほど低く、週間10位以内を記録したのは長らくこの年の「天使になれない」「夜明けの夢」の2曲のみ。BOYS AND MEN研究生とコラボした「愛を頑張って」が2018年に週間2位になりましたが、これは46年ぶりの自己最高順位更新だったそうです。

・この「天使になれない」はオリコン上における最大セールス曲で、「笑って許して」「だってしょうがないじゃない」よりも数字的にはヒットしています。意外なことにトリ歌唱曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」は週間最高53位、同じくトリで歌った「もう一度ふたりで歌いたい」「夢」に至っては100位以内にすら入っていません。

・大柄な体格は特に初期の紅白では曲紹介に反映されていて、翌第23回ではガリバー旅行記呼ばわりされていました。この時期裏で色々苦労があったとは、後に何度も本人がテレビで話しています。

 

白4(全体7):坂本 九(11年連続11回目)

・1959年デビュー 第12回(1961年)初出場
・1941年12月10日生 神奈川県川崎市出身
・楽曲:「この世のある限り」(1971/5/5 シングル)
・詞:岩谷時子 曲:SERGIO SENSI
・演奏時間:2分12秒

 ヒデとロザンナと一緒に登場、ヒデが神主にロザンナが巫女に扮しております。新婦の名前を忘れるヒデさんに調子外れの音頭を取るロザンナさん、早い話がグダグダです。「(ヒデ)由紀子さんを、生涯変わらぬ愛を誓うか?」「…はい。この世のある限り」。そのまま演奏と曲紹介が始まります。「新婚の坂本九ちゃんは「この世のある限り」」

 原曲より速いテンポですが、ジャズのスウィングが入るような歌唱は「上を向いて歩こう」以来のもので大変な心地よさ。舞台袖では白い着物姿の新婦・柏木由紀子がスタンバイ。白組歌手が総出で九ちゃんを応援する中、由紀さおり・和田アキ子・佐良直美の3人が由紀子さんをエスコートしています。どうやらサプライズ演出のようで、2番サビを歌う時に顔を見て一瞬動揺しています。それにしても”大好き”という言葉を新しい奥さんの前で何度も歌で伝えるシーンは、なかなか見られないような気がします。

 ラストサビ、最後のロングトーンまで歌い切って大拍手の会場。由紀子夫人を紅組に連れて行くのを見て「じゃあ私も一緒に…」「九ちゃんはいいです」、白組歌手に全力で止められて「ユッコ!ユッコ!」と叫ぶ九ちゃんは間違いなくコメディアンの顔でした。「じゃあね、紅白歌合戦終わるまでこちらの由紀子さんお預かりしますからね、ごめんなさいね~」、そういえば3年前チータ司会の相方は九ちゃんでした。

解説

・坂本九と柏木由紀子はこの年12月8日に結婚したばかり。新婚のサプライズは前回の橋幸夫に続く流れですが、結婚相手が登場するのは今回が初めてでした。

・抜群のタレント性で紅白を盛り上げた坂本九もこの頃になるとセールス振るわず、翌年は落選。11年連続で出場はストップになります。あの飛行機事故が無ければ平成期に最低1回おそらく複数回出場していたのは確実で、それは紅白の歴史および日本の音楽史においてもっともショッキングな出来事でした。

・もちろん平成以降も「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」といった名曲は紅白で何度も歌われています。第51回(2000年)「上を向いて歩こう」の全員合唱は、客席に由紀子夫人と二人の娘を迎えてのパフォーマンスになりました。

 

紅4(全体8):ちあきなおみ(2年連続2回目)

・1969年デビュー、第21回(1970年)初出場
・1947年9月17日生 東京都板橋区出身
・楽曲:「私という女」(1971/6/10シングル)
・詞:なかにし礼 曲:鈴木 淳
・演奏時間:2分5秒

 「もう1人たいへん女っぽい方がいらっしゃるんです。ちあきなおみさん、「私という女」、どうぞ!」

 九ちゃん歌唱後のゴタゴタから流れるように曲紹介、階段上から登場するちあきさんもまた真っ白な衣装。顔まである襟のデザインがものすごく独特、ある意味では彼女のキャラクターによく合っているとも言えるでしょうか。小気味よく2コーラス歌唱、マイクを持つ手を震わせながら歌う姿も印象的です。歌唱後宮田アナからは、「頭をすっぽりこのテントで覆おうなんて、いいですよね」と衣装をイジられてしまいました。

解説

・ちあきなおみは9回紅白に出場していますが、4番手という早い曲順で歌うのはこの回のみです。当時はややバラエティ色強めのキャラクターでしたが、翌年以降「喝采」の日本レコード大賞受賞をきっかけに完全な実力派扱いとなります。

・この年リリースのシングルは「無駄な抵抗やめましょう」「私という女」「しのび逢う恋」「今日で終って」で、もっともセールスの高い曲が順当に紅白歌唱曲となる形でした。

 

白5(全体9):西郷輝彦(8年連続8回目)

・1959年デビュー、第15回(1964年)初出場
・1947年2月5日生 鹿児島県鹿児島市出身
・楽曲:「掠奪」(1971/7/10 シングル)
・詞:阿久 悠 曲:都倉俊一
・踊り:ワールド・ダンサーズ
・演奏時間:2分51秒

 「男は男らしくまいりましょう。南の国鹿児島ではいい青年のことを”よかにせ”と言います。西郷輝彦さん!「掠奪」です」。曲紹介が終わってすぐに階段上ステージでピアノのみバックの準アカペラ歌唱、最初から思いっきり聴かせます。

 階段を降りてからはエレキギターの音が響き渡るロック色強めの雰囲気、前年の「真夏のあらし」路線を踏襲しています。宇宙人のような衣装で踊るのはワールド・ダンサーズの面々、堂々のフルコーラス歌唱でした。

 なお1番終了後に長い休符パートが存在しますが、このタイミングで紅組側が間違えて次の「希望」を演奏し始めるハプニング発生。これまでの紅白でも見られなかったタイプのミスですが、それだけこの曲が新鮮という証なのかもしれません。

解説

・1968年辺りからヒット曲が出なくなりつつあった西郷さんですが、1970年の「真夏のあらし」が久々にヒット。これ以降阿久悠作詞の曲が増えますが、彼にとってもスターダムになるきっかけとして重要な曲でした。

・また、作曲家都倉俊一にとっても「天使になれない」「地球はひとつ」とともに初めて自身の名前がクレジットされる記念すべき紅白になりました。特に阿久悠とのコンビは「天使になれない」とともにこれがもっとも初期の作品で、その後山本リンダピンク・レディーと続くゴールデンコンビのきっかけになった1曲とも言えます。

・1982年まで紅組と白組はそれぞれ別のオーケストラが演奏していました。ただ片方の演奏中にもう片方がうっかり割り込むケースは、おそらくこれが紅白史上唯一ではないかと思われます。

 

紅5(全体10):岸 洋子(2年ぶり7回目)

・1961年デビュー、第21回(1970年)初出場
・1935年5月23日生 山形県酒田市出身
・楽曲:「希望」(1970/4/1シングル)
・詞:藤田敏雄 曲:いずみたく
・合唱:東京放送合唱団
・演奏時間:2分26秒

 「さて紅組でございます。元気になられました岸洋子さん、「希望」をどうぞ」

 短い曲紹介の後にチータと握手、2年ぶりの岸さんは以前より前髪が長くなっています。前回出られなかった分まで思いを込めたような大熱唱、合唱も加わり最後の盛り上がりは早くもフィナーレを迎えたような雰囲気。素晴らしいステージでしたが、ややテンポ速めで1コーラス半なのは若干惜しいところでもあります。

解説

・「希望」は1970年を代表する楽曲ですが、元々は倍賞千恵子のミュージカルのために作られた楽曲だそうです。レコードでは1969年にフォークグループのフォー・セインツが発売、それを岸さんがカバーした形になります。

・当然第21回紅白でも歌われるべき所ですが、膠原病の治療のため出場辞退となります。同様に歌唱賞を受賞した日本レコード大賞も、電話のみの出演でした。1971年に入っても選抜高校野球大会の入場行進曲に選ばれるなど、話題になっています。

・翌年以降新曲の発表は少なくなったこともあり、紅白歌合戦はこれが最後の出演となります。1992年12月に57歳で逝去。その年の紅白ではゲスト出演した永六輔によって、同じ年に亡くなったいずみたく・中村八大とともに悼まれました。「希望」の歌唱は1回のみですが、第43回で永さんが「こんにちは赤ちゃん」の曲紹介として話している時にもバックで演奏されています。

 

中間審査・審査員紹介

 今回の紅白歌合戦、審査は得点掲示板を使用。鈴木アナによると、審査員がスイッチを押すと自動的に集計されて得点が出るようです。ピーという音とともに出た結果は紅組18・白組22。まずは白組リードですが、「安心するのはまだ早いようです」と鈴木アナが釘を刺しています。

 ここで40人の審査員を一気に紹介。地方別に、まずは関東地方から読み上げられます。以下、鈴木アナの紹介を全文掲載。

来年から始まるNHK大型ドラマ出演の仲代達矢さん。
作家の小野田勇さん。
浪曲の浪花家辰造さん。
フライ級世界チャンピオン・大場政夫さん。
ネズミ博士の宇田川龍男さん。
警察犬訓練士・堀内寿子さん。
日本一の電話交換手・大山英子さん。
腹話術で安全指導の婦人警官・村山加代子さん。
腕時計調整の名人・中山きよ子さん。
女優の樫山文枝さん。
『繭子ひとり』の山口果林さん。
学生ゴルフチャンピオン・高橋信雄さん。以上12名です。

続いて近畿地方です。
日本一の女性カルタ取り・山下迪子さん。
そろばん日本一の館弘子さん。以上おふたり。

中部地方です。
史上最年少の本因坊・石田芳夫さん。
バドミントン世界チャンピオンの中山紀子さん。
山の中の保健婦・井沢つまさん。
警察犬訓練士・堀内寿子さん。

中国地方です。
文化功労者の森戸辰男さん。
蒸気機関士の溝尾正志さん。
音戸の瀬戸の船頭さん・花本方美さん。
ミス・インターナショナル72年度日本代表・為久優子さん。
秘書コンクール日本一の成田和子さん。
一級溶接士・桑田たつ子さん。

今度は九州地方です。
関門大橋 現場責任者の村上巳里さん。
龍踊(じゃおどり)保存会・山下誠さん。
博多織の人間国宝・小川善三郎さん。
青年の主張日本一・河野久枝さん。
日本一の女流剣士・桑原永子さん。
マンモスタンカーに乗っておられる田中由起子さん。
沖縄舞踊の佐藤太圭子さん。以上7人。

東北地方です。
大きな林檎を作った山田三智穂さん。
青函トンネルの現場で働いている大谷豊二さん。
日本でただひとり女性騎手・高橋優子さん。
関脇・貴ノ花関。

北海道地方です。
札幌オリンピック騎馬聖火隊の赤塚洋文さん。
同じく平内義幸さん。
同じく富岡雅寛さん。

四国地方です。
「希望の家」を作られた山崎勲さん。
平賀源内の六代目の子孫・平賀輝子さん。
タオル工場で働いておられるく中川時子さん。

以上40人。そしてご家庭の皆様、あなたも審査員です。

解説

仲代達矢は第12回でも審査員を担当、10年ぶりの紅白出演でした。NHK大型ドラマはすなわち1972年に放送された大河ドラマ10作目・『新・平家物語』を指しています。

小野田勇はこの年NHKで放送された時代劇『男は度胸』の脚本を担当。徳川吉宗の生涯を描いた作品で、浜畑賢吉が主演を務めています。

浪花家辰造は3代目、この年に「黒田武士」で芸術祭賞を受賞。

大場政夫はフライ級世界チャンピオンを通算5度防衛していますが、1973年1月に自動車事故で逝去。23歳の若さでした。

樫山文枝は『おはなはん』がブームになった1966年・第17回以来5年ぶり2回目の審査員。なおこの作品の脚本も小野田勇でした。

高橋信雄は翌年にプロ転向、1970年代を代表するゴルファーとなります。アマチュア時代紅白の地方審査員として出演した例は、第36回(1985年)の服部道子が該当します(その後第49回(1998年)で特別審査員も担当)。

石田芳夫はこの年最年少で本因坊になってからも囲碁棋士として活躍、2019年の通算1100勝達成は史上15人目の記録となっています。

中山紀子は翌年のミュンヘンオリンピックでも、公開競技ではありますが女子シングルスで金メダルを獲得。この時期を代表するバドミントン選手でした。

森戸辰男は1888年生まれでこの年83歳。判明している紅白歌合戦全出演者では、1887年生まれの中山晋平(作曲家・第2回審査員)・小絲源太郎(洋画家・第16回審査員)に次ぐ早い生年です。

佐藤太圭子は第33回(1982年)にも一般審査員として出演、さらに第40回(1989年)にも中継ゲストとして出演。一般審査員を複数回務めたのは彼女が唯一です。

高橋優子は1969年に騎手デビュー、この年辺りからマスコミに注目されたとのことです。結婚後1974年に急逝、23歳の若さでした。

貴ノ花はこの時期から三役常連、翌年大関に昇進します。その後1981年の引退まで約10年間大関で活躍、その後は藤島部屋・二子山部屋の師匠として数多くの力士を育てました。第42回(1991年)審査員の若花田貴花田は息子、どちらも後に横綱にまで昇進しています。

山崎勲は福祉の功績が認められてこの年に第5回吉川英治文化賞を受賞。同時に競輪選手でもありました。

・特別審査員と一般審査員を分け隔てなく紹介したのは、後にも先にもこの回のみでした。翌年以降紹介されるのはしばらく特別審査員のみ、一般審査員が再び個別に紹介されるのは第32回(1981年)以降となります。

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