紅白歌合戦・鈴木健二の軌跡・2 ~放送史に残る大演説~

 紅白歌合戦の白組司会を3度務めた鈴木健二アナウンサー。テレビ以降が少なくなった平成以降も長く健在でしたが、このたび95歳で大往生となりました。あらためてご冥福をお祈りします。

 『歴史への招待』『クイズ面白ゼミナール』など司会者としての実績名高い方ですが、NHK紅白歌合戦の司会は第34回(1983年)~第36回(1985年)まで計3回。高橋圭三(9回)・宮田輝(15回)・山川静夫(13回)と比べれば担当した回数は少ないですが、お茶の間に残した強烈なインパクトはこの3人以上だったかもしれません。

 本記事は1983年・1984年・1985年の3回に分けて、放送時における鈴木アナの動きや出来事を振り返っていきます。今回は1984年・第35回。

 

第35回(1984年)…白組司会

放送前の背景

 前回の司会は賛否両論こそあるものの実績は確か、2年連続起用は早々に決まりました。紅組司会は黒柳さんが5年連続を辞退、鈴木アナよりも年上の森光子が紫綬褒章受章の流れから起用決定。ただこの回の焦点は何と言っても都はるみの引退。そこから逆算するかのように、番組を進めていく形となりました。

 

オープニング

 両司会による出場歌手紹介は1年限り。この年は対戦カードごとに出場歌手が1組ずつ入場、その最後に司会者2人が舞台袖から登場。先に呼ばれたのが鈴木アナ、赤いジャケットと白いズボンの紅白仕様。「さぁ森さんね、去年私どもは圧勝したんですね。ですから今年はそちらに頑張って頂こうと思いまして、私は着る物も紅白、メガネも紅白。この赤い部分はですね、女性に示す男心の優しさと思ってください」、やはり前回と違って多少森さんに気を遣っている様子です。

 「サブちゃん必ず持って帰ろう」「では一時預かって頂きましょう」、優勝旗返還でこういったセリフが出るのは過去にないことでした。その後3分間にわたって審査員紹介、森さんが男性・鈴木さんが女性と握手。前回行商姿でビックリさせた松坂慶子と一緒のシーンもありました。金杯銀杯の紹介、「あれ生方さんこれ私の方と決まってるんじゃないですか、光ってるんだから」とまた茶々を入れますが、総合司会の生方惠一アナウンサーは「これはなかなか、デザインも優秀でございますけれども」と軽く受け流してます。

 

まだまだおとなしめの前半

 この年も白組後攻、まずはシブがき隊「アッパレ!フジヤマ」をオープニング衣装のままで紹介。「さあ皆さん両手を出してくださーい。それを叩いてください。それを膝で打ってください。そして軽くバンザイをしてください。これを繰り返しますとシブがき隊の歌が楽しめます。「アッパレ!フジヤマ」!」。イントロでサビの振り付けを教授する新しいスタイルです。

 2組目、初出場の舘ひろしでは早くも縞模様のスーツ・マフラー・帽子という二枚目スタイルに着替えています。さすがに女性人気の高い舘さんということで、会話する場面が設けられました。「さあ、女性の皆さんしびれてください。石原裕次郎さん、渡哲也さんの線に繋がる第三の男・舘ひろしさんの登場であります」「裕ちゃんや、渡さんは何て言ってましたか?」とインタビュー。「あなたの魅力で女性からたくさんの点を奪ってください」、もっともマイクオフで「無理でしょう」と呟く舘さんにはさすがの鈴木アナも「無理?そんなこと言わないで」と若干慌て気味。その後はイントロで曲紹介。「舘さんはお祖母ちゃんが作ったおしるこが大好きです。だけども紅白を楽しみにしていたそのお祖母ちゃんは、突然8日前に亡くなられました。お祖母ちゃんのために歌います。「泣かないで」」

 その後は再び赤いジャケットに着直して千昌夫を紹介。「千昌夫さんの登場です。千さんは子どもの頃、お父さんからよく出稼ぎの話を聞いたと言います。この4月津軽を訪れた時、津軽は酷い風でした。(中略)千昌夫さん「津軽平野」」。次に歌う河合奈保子の曲紹介は舞台真ん中、森さんを交えて3人でトークする場面もありました(内容はこちらの記事を参照)。

 「自分の内側を充実させることが、歌手として生きる最高の道だということを今年知りました。西城秀樹さん「抱きしめてジルバ」」西城秀樹のステージはソロショット無し。その次は黒いジャケットに白シャツというやけに地味な格好山本譲二とトーク。「譲二さんこれからあなたに「奥州路」を歌って頂きますが、今年は雪国は雪が深くて、いまも青森県の弘前から電話があって積雪が60センチ、いつもの冬よりもずっと寒いそうですよ」、視聴者に譲二さんがメッセージを伝えた後に演奏開始、これは前回の紅白で見られなかった光景でした。「今まで私は歌を絶唱していました。しかしこの歌に巡り合って、人の愛を優しく歌い上げることを知りました。山本譲二さん「奥州路」」

 

見たことのないメガネで登場

「何がおめでたいと申しますと、今年はお米の大豊作でございます」
「全国の農家の皆様、ご苦労さまでございました」
「予想によりますと作付面積は232万5200ヘクタール。そして予想されるお米の取れ高は1157万トンでございまるね」

「さすがお見事でございますね~」「いえいえいえいえ、ほんの一端で」
 …お公家姿の森さんに農家姿の鈴木さん、鈴木さんは喋りながらずっと鼓を叩いています。出場歌手総出でパフォーマンスする「豊年こいこい節」のステージ紹介、1分40秒にわたるやり取りはかなり密度の濃い内容でした。ただ対決ムードバチバチの前年と比べると、この年は随分仲睦まじい様子を見せています。コーナー終了後も登場、「何と言ったって仲が良いというのは、世の中一番結構でございましてね」「そう思いましたが…」「だけどもですね、時々はですね、まあ家の中で諍いもございましょうけれどもですね、だけどもこう、雪がチラチラチラチラ降ってまいりまして、雪国ではいま雪が大変でございます。あの真っ白いですね、心になりまして。みんな仲良くしましょう。おっ、考えたら敵なんだ!」「敵味方ですよ、もうやだなぁもう」川中美幸「ふたりの春」の演奏が始まってそのまま森さんが紹介、ただ威勢の良い「さあ次へ参りましょう!」の声は森さんのセリフと被っています。

 新沼謙治の曲紹介は2曲連続なので司会者ショット無し。「旅に出ると近くの野や山を歩きます。そこに故郷によく似た自然を見つける時、その後新沼謙治さんはこう言いました。「懐かしさに僕は震えるのです」。新沼謙治さん「旅先の雨に」」

 その後は紅白史上もっとも下世話と言われる噂のカップルコーナー、中森明菜近藤真彦松田聖子郷ひろみの4連続ステージ。冒頭に登場した鈴木アナは金色のジャケット、それよりなんとメガネの縁に白い鳩の飾りを施しています。「これから出てくるですね4人の人が、2組ずつそれぞれ仲が良いことを表しまして、苦心して揃えたんでございますよこれ、ハハハ…」。何でもお似合いになるという森さんの言葉に、「生まれて初めて人に褒められまして」という言葉も残していました。「さあマッチの登場です!去年会った時はスターになりたいと言いました。今年会ったらスターで常にいたいと言いました。マッチ今日も輝いているね、それが一番好きな言葉です」「郷ひろみさんが登場します。このくらい青年という言葉がピッタリくる人を私は他に知りません。いま歌の世界が新しく開けます。それがこの「2億4千万の瞳」という歌です」。白組2人とも紹介を担当しますが、近藤真彦は終盤が歌い出しと被り郷ひろみは冒頭の億千万コールとモロ被り。司会としてあまり良い内容とは言えませんでした。「あなたの年代で自分の気持ちというものを非常に論理的に説明できる人ですよね。多分ファンの方あまりその点ご存知ないと思いますが、去年あなたが心の世界はどういうものですか?一言で説明してください」、ステージ後の郷さんへ質問します。「自分が歩いていく上で古いものがあったら少しでも盗取して、新しい物に向けてそこで接点を持っていつも仕事をしていこうと思っているんですけどもでもそんなことばかり気を取られてて、人間が本来必要なヒューマニズムみたいなものを少しずつ失いかけてたんですね。だからやっぱり…愛の本質っていうのはもう一度ここできちんとここで考えたいななんて思ってますけども。もっともっと」、やや意味深な答えは、年が明けた1月中旬に破局という形で証明される形となっています。

 引き続き「浪花節だよ人生は」対決で司会者2人の歌前トーク。「17人歌ったというんですからね。この中でどう勝ち抜くかですよね」「しかもですねこの紅白の大舞台におきまして、2人がですね対決するというムードが高まってまいりました」水前寺清子細川たかしの対決です。細川さんの方はイントロで曲紹介あり、「浪花節的な言い方かもしれませんが、人に巡り合うとフワーっと人生が開けていく時があります。そういう人に沢山めぐり逢いたいものです。細川たかしさん「浪花節だよ人生は」」

 各20組中9組ずつ終わり、黒い袴姿で審査員席の前に登場。ノーマルなメガネから紅白メガネに替え、翌年に團十郎を襲名する市川海老蔵森光子に手伝ってもらう形でなんと衣装の早替え。おめでたい赤と白のチェック模様の和服で、「さあそれでは攻守ところを替えます。我が方からの攻撃になります!チェッカーズ!なーみだのリクエーストー!」とテンション高く紹介。

 

大トリの前にもちょっとしたハプニングが…

 初出場のチェッカーズ小泉今日子にインタビュー。もう既に時間が押しているのでしょうか、「さあ、チェッカーズ!センターへ出て、センターへ出て。急いで出て!。演奏終わってテンション高い彼らは所定の立ち位置を超えて滑りまくり、「そんな方まで行かなくてと大変そう。ここでのやり取りはチェッカーズについて書いたこの記事を参照してください。

 インタビュー終了後すぐに次の曲が演奏開始。「さて、15歳の春に初めて…」と森さんが喋り始めますが、次のステージは牧村三枝子ではなく村田英雄「冬の海」。段取りの間違いが発生しています。ただ演奏は始まっていて歌手も入場、訂正する余裕はありません。「海の歌をお送りしましょうと、森さんの喋りが続く中とっさに被せて喋り始めます。「村田英雄さんです。さあ、「冬の海」をお願い致します。。おそらくこの場での即時判断、曲紹介の文言は大半がカットされたものと思われます。

 早替え前とはまた異なる紫の和服姿でしたが、次の出番は黄土色のスーツ「しかし森さん素敵ですねぇ。あそこからここまでお歩きになる間に、森さんのこの可愛らしい色気ってのは舞台の上で余計出ますねぇ」「私なんかそんなこと言われたことございません。あなたを見ると吐き気がするということは言われたことございますが」。気遣いと自虐を交えた後で次の4組、大人の色気を身に着けた歌手という触れ込みで紹介。まずは沢田研二「なにしろ私どもケンジが3人おりましてですね。沢田研二さん、新沼謙治さん、はい鈴木健二さん3人いるんですね」「さあそして沢田研二さん、「AMAPOLA」!」。「桃色吐息」を歌う髙橋真梨子を挟んで「さあトシちゃんです。田原俊彦さん「チャールストンはまだ早い」。毎日大人になる自分を感じているそうです。しかし紅白では常に華やかに歌い華やかに踊りたいと言っています」、さらに小柳ルミ子と続くコーナーでした。

 4組ステージが続きましたが、意外にもこの次の出番は衣装替え無し。石川さゆり芦屋雁之助の対決は両司会・歌手の4人が舞台中央に揃ってトークする演出でした。「さあ、全国のお父さん、お嬢さんの結婚式には元気に出てください。そう願っている芦屋雁之助さんです。「娘よ」」、この時のさゆりさんは母親になって2年ぶりの紅白復帰です。

 今度は白いスーツに黒ズボン、前年と異なり歌舞伎の早替え以外で目立つ衣装は少なめです。両司会に縁のある土地、弘前のリンゴと京都の簪を番組にプレゼント。森さんに贈られた簪については「お母さんにはお似合いですわね、鈴木さ…あら鈴木さんには無理だわ」水前寺清子がしっかり往年の仕事をしています。「わたくし林檎を頂きました。わたくしは先祖代々東京の下町の生まれでございますが、戦争中どうせ死んでしまうんだから、どうせそれまでは静かなところで本を読んでおきたいと思いまして、旧制高校を津軽の弘前に選びました。そこで終戦を挟む3年間を過ごしました。それは失敗だらけの私の人生の中のたった1つの成功でございました」。同じように森さんも自身のエピソードを話そうとしますが、間髪入れず「それでは我が津軽の応援から始めます、どうぞ」とコーナー進行。あたかも森さんに喋らせないという状況でしたが、ほぼ間違いなく時間が押していて仕方のない判断だったことは言うまでもありません。

 

伝説のステージに向かって

 「ついに出ました、ついに出ました。昨年の紅白冒頭のスタイルであります。皆さんのご要望に答えて、また出てまいりました。白組は今年も昨年に続いて連勝をするつもりでございます。しかしながら人間には常に過去を思う懐かしさがあります。わたしには弘前、そして森さんには京都という懐かしい自分の故郷があります。そしてこれからご紹介致しますその曲も懐かしい歌です。菅原洋一さんが登場なさります。どうぞ全国のお母さん、菅原さんはいつも美しい詩で綴られた歌は常に新しい色だ、このように言っていらっしゃいます。さあ、それでは菅原さんが115人のお母さんと一緒に歌います。「忘れな草をあなたに」。イントロでの曲紹介が当時の定石だった中で、このステージは喋り終えてから演奏が始まる進行でした。メガネも含めた白づくめの衣装は確かに前回の紅白冒頭と同じですが、当時でもそれを待っていた視聴者はほとんどいなかったのではないかと個人的には思います。

 「去年の「さざんかの宿」では人妻の愛を優しく歌いましたが、この歌では冷たく突き放して歌い、そこに愛の一つの形を見つけたいと思います。大川栄策さん「盛り場おんな酒」」、司会者ショット無しのステージを1つ挟んで三波春夫の曲紹介ではまた黒い柄付きの着流し姿。「さあ、演歌の大御所三波春夫さんが今日の三波さんを作り、そして浪曲調演歌の原点となりました「大利根無情」を引っ提げて登場します」「さあ、それでは待ってました!」

 北島三郎の「まつり」では上に白い半被を着用。「紅白を問わず全ての歌手の方がこの方に心を寄せています。歌謡界の心の中心・北島三郎さんです。さあここで、サブちゃん頑張って!」「サブちゃんと話しておりました。「まつり」とは何ですか、そう聞いたらサブちゃんは「土の匂い・火の香り、そこにまつりがあります。それは日本人の原点です、日本人の血が騒ぐから日本人として歌いたいからこの曲を作りました」。北島三郎さん、「まつり」!」

 五木ひろしの曲紹介も半被以外は同様の和服姿です。「歌謡界の若きリーダー、五木ひろしさんの登場です。今まで自分の内側にあった世界が、この歌の艶っぽさとめぐり逢って花と開きました。演歌は艶歌(つやうた)の時代に入りました。それは日本人特有の心の世界です。五木ひろしさん、「長良川艶歌」」、日本レコード大賞を受賞しましたが、当時の紅白では珍しくその旨がアナウンスされていません。

 トリは真っ黒なタキシードに黒渕のメガネ姿で登場。この次のステージを考えると喪服に近いスタイルですが、その前に白組トリ・森進一の曲紹介。「この歌は、これまでの自分に逆戻りしたような感じがします。しかしそれだけに、自分の良さが全て表れていると思います。最近ものが見えてきました、森進一さん「北の螢」」

 

紅白史に残る大演説

 都はるみの引退ステージについては紅白歌合戦・都はるみの軌跡~ステージ編(1977~1984)~紅白名言集解説・35~ミソラ事件~でも既に詳しく触れていますが、あらためて全やり取りを掲載します。まずは白組トリのステージ終了後、舞台中央で司会者2人のやり取り。

「森さん…。来てほしくない時がとうとう来てしまいましたね。わたくし森さんにお願いがあります。もう司会者としての言葉はこの後いりません。森さんの長い間の人生経験から、人生の先輩として、都はるみさんに言葉を贈ってください。そして森さん、今夜の森さんとても素敵でした。ありがとう、ありがとう、とても素敵でした…。さあ、都はるみさんに、贈る言葉をお願いします!どうぞ」

「デビューして20年、満開のまま散りたいという都はるみさん。都はるみさんは、デビュー20年そして紅白出場も20回です。そして今夜のこの紅白を、最後の花道として、歌手生活に別れを告げます。あと…(ここで演奏開始)10何分間で北村春美さんです。20年間ありがとう、さよなら。全国の皆さん、「夫婦坂」です!」

 本番のステージ終了後、舞台前方に出て会場に響き渡るアンコールの声に反応します。「皆さん、皆さん!ご静粛に願います!皆さん、ご静粛に願います!私の話を聞いてください!」「はるみさんのために拍手と涙をありがとうございました。全国の家庭でも、おそらくこういう光景があろうかと思います。その拍手と涙は、はるみさんのアンコールを期待している声だと私は理解いたしました。しかしです皆さん、皆さん。私どもは一度そのことをはるみさんにお願いしました、しかしはるみさんは今の夫婦坂で燃え尽きたいとそうおっしゃって、全てを拒否なさりました。練習もしてません。キーも合わせてありません。ということはプロ歌手としては歌わないということです。しかしです、私に1分間時間を下さい!今交渉してみます!交渉してみます!ちょっと待ってください!」

 はるみさんの元に駆け寄り、「はるみさん!はるみさん!あなたが燃え尽きたのはよく分かる!だけどもこういう状態です。1曲歌う気力がありますか?1曲歌う気力がありますか?お願いします、お願いします…」。交渉開始してわずか10秒後、オーケストラ陣によって「好きになった人」演奏開始。「お待たせしました。これが都はるみさんの最後の曲です!皆さんどうぞ一緒に歌ってあげてください。練習も何もしてない、その点ご容赦願います。お許しください、どうぞ!さあ、はるみちゃんいこう!」

 『紅白50回 栄光と感動の全記録』ではインタビューで詳しい裏話が記載されています。1分間は本来両組キャプテンの水前寺清子北島三郎、バンドマスターのダン池田に交渉する時間を想定。「私に1分間時間をください」という言葉は事前に頭の中で用意していたようですが、実際にはこの3人ではなくはるみさん本人への説得に向かったとのこと。また1分間の交渉を切り出すのはどのスタッフにとっても想定外だったようで、結果はるみさんの了承を得る前にスタッフがダンさんにキューを出して演奏を始めたという形のようです。

 アンコールが終わった後、生方アナがはるみさんの名前を間違えるという痛恨のミス。年明けの週刊誌で大きく騒がれましたが、これについても鈴木アナは責任を大きく感じていたようでした。

 エンディングは言うまでもなく紅組圧勝、ボール投げで31対2という記録的な大差でした。もちろん悔しがるような素振りは全くなく、笑顔で森光子と何度も握手を交わして祝福しています。

 

放送後の反響

 「私に1分間時間をください」という言葉は年明けおおいに話題になり、1985年の流行語にもなりました。視聴率は関東地区で78.1%、これは第23回(1972年)の80.6%に次ぐ数字で当時としても尋常ではなく高い記録です。当時のスタッフは次は80%だと怪気炎を上げたそうですが、鈴木アナは「この数字は社会が異常だ」という評価。あまりにも反響が大きすぎたこの年の紅白は、結果的に翌年以降の急速な視聴率低下のきっかけともなっています。

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