NHKも変わったなぁ、という声は平成以降ずっと耳にします。紅白歌合戦は特に顕著で、今では民放テレビ局から生まれたキャラクターが当たり前のように出演します。NHKらしさという点で考えると意見は分かれるかもしれませんが、ほとんどの国民も当たり前のようにそれを受け入れています。

 ですが昭和の時代、特に1960年代後半は移り変わりいく世相とのせめぎ合いがいくつも見られました。

 

・長髪ダメ、ため息ダメの紅白歌合戦

 1968年、時はグループサウンズブームの真っ只中。前年にジャッキー吉川とブルー・コメッツが「ブルー・シャトー」で日本レコード大賞を受賞しましたが、彼らの勢いは年をまたいでも落ちません。ザ・タイガースザ・スパイダースザ・テンプターズザ・カーナビーツオックスザ・ジャガーズにザ・ゴールデン・カップスにヴィレッジ・シンガーズ。こんな具合にヒットしているグループは山ほどいましたが、当時紅白に出られたのはブルー・コメッツのみでした。

 これは1967年11月、ザ・タイガースのコンサートでファンの転倒事故が起きたことがキッカケとされているようです。当時の若者ファンの熱狂っぷりは相当なものでしたが、一方で大人からの顰蹙もかなりあったようです。”男性で長髪というのはNHK的ではない””グループサウンズはブルコメ1組で十分”という声もあったとかなかったとか…。今ならばそれこそ抗議が殺到しそうな理由ですが、当時は戦争からまだ20年近くしか経っていない時代。”男性が長髪というのはケシカラン”という風潮は、確かに中高年以上にあったらしく…。決してNHKのみが頑迷だった訳ではないようです。

 さてこの年は長髪もそうですが、ため息も認められなかったようです。「恍惚のブルース」で1966年紅白に初出場以降、ヒットが続かなかった青江三奈。翌年の紅白も出られずじまいでしたが、年が明けて1968年1月に発売された「伊勢佐木町ブルース」が大ヒットします。

 作詞者・川内康範の発案で取り入れたというため息スキャットは、これまで全く前例のないものでした。一部分が擬音だけで構成されるヒット曲はこれ以降も出ていますが、当時の青江さんほどパンチの効いた歌声は50年以上経った現在までほとんど聴かれません。

 ただ、そのため息は明らかに色気が強く、思春期の男性にとっては大変刺激的なものでした。アダルトビデオどころか、ポルノという単語でさえ日本で定着していなかった時代なので、お茶の間に感じたエロティシズムは相当なものがあったと推察されます。

 よく考えると「恍惚のブルース」の歌詞の時点でまあまあ官能的ですが、さすがに字面での表現とはワケが違います。とは言え文句なしの国民的大ヒット曲で、紅白としても外すことは出来ません。無事2年ぶりに復帰となりますが、ステージはなかなか大変でした。

 

・苦心した結果のステージは…

 紅組23組中14番目、やや後半での登場です。前後のステージは「別れのバラード」(アイ・ジョージ)と「釧路の夜」(美川憲一)、照明が暗転して歌手のみにスポットライトを当てる演出でした。

 比較として論ずることではないと思いますが、男性の長髪程度でNGなら女性のお色気はもっとNGです。というわけで、NHKの上層部からため息の部分はNGが入りました。一応「伊勢佐木町ブルース」以外にも「札幌ブルース」「長崎ブルース」などもヒットしていましたが、売上・世相的には「伊勢佐木町ブルース」がぶっちぎりで替えはききません。「長崎ブルース」も一応当時絶賛ヒット中ではあったのですが…。

 イントロが流れ、ため息の代わりに用いられたのがアフリカの民族楽器・カズー佐良直美九重佑三子などの紅組歌手が暗がりの中で、必死にブーブーブーブー吹いて演奏しています。その音は本来の楽曲と大きくかけ離れていて、色気の”い”の字さえも全く感じさせません。色気を消すことが目的だったとしても、楽器を選ぶにしてももう少しマシな物がなかったのかと思えるくらいに、音楽と全く合っていない酷い状況でした。終始笑顔で歌ってはいますが、調子がまるで違うのでかなり歌いにくかったのではないかとも思えます。なお歌唱後に白組司会・坂本九さんはこの音を「ダチョウのため息」と表現。これが原因だったかどうかは不明ですが、この年の紅白は白組勝利でした。

 なおNHKクロニクルで検索する限り、この年12月1日放送の『歌の祭典』でも「伊勢佐木町ブルース」は歌われているようです。おそらく当時の映像はNHKに残っていないと思われますが、リアルタイムで見た方はいらっしゃるのでしょうか。ここでカズーが実験されたか、はたまた紅白でないからため息だったのか少し気になるところですが…。

 

・おわりに

 この14年後、1982年の紅白歌合戦は過去曲メインの選曲が多く行われた年でした。15年連続出場で常連歌手になっていた青江さんが歌った曲は、本人の希望かスタッフの配慮かは分かりませんが、14年前本来の形で歌えなかった「伊勢佐木町ブルース」。この頃になるとため息くらいのお色気は特に何も言われる程度でもなく、「ため息紅白初登場です」という曲紹介の元で2コーラスバッチリ歌い上げました。

 伊勢佐木町といえば今はゆずの聖地というイメージが強いですが、昭和~1990年代後半までは間違いなく青江三奈さんの代名詞でした。2000年に若くして亡くなったのが本当に惜しまれます。本来なら今でも元気に歌手活動を続けていてもおかしくないはずで…。