紅白名言集解説・73~小林亜星氏追悼・北の宿から~


 日本を代表する作曲家・小林亜星氏の訃報が本日報道されました。謹んでご冥福をお祈りします。

 作曲家としての小林氏はCMソングやアニメソングでの実績が主で、歌謡曲に関して言うと多くはありません。紅白で出場歌手の歌唱曲として歌われたのは水前寺清子「昭和放浪記」都はるみ「北の宿から」「なんで女に」の3曲のみ(他に企画コーナーでアニメソングが何曲か歌われています)。ですが「北の宿から」のヒットは、大変絶大なものがありました。

・1976年最大級のヒット曲「北の宿から」

 この曲の発売は1975年の12月。当時のはるみさんは売上的にいうと低迷期で、1972年の「おんなの海峡」以来オリコンTOP100にも入らない状況でした。この年発売されたシングル「お願いします」「みれん節」「泣き笑い」はいずれも全くヒットせず。ですが人気は健在で、その年の紅白歌合戦にも順当に歌手として選ばれます。歌唱曲は、当時の最新曲であった「北の宿から」でした。

 導入部分の歌詞を全て三・四・五の文字数で綺麗に揃えて、サビも同じフレーズで極めて分かりやすい構成。そこに阿久悠氏が書いた叙情的な歌詞に、はるみ節と呼ばれるコブシが加わります。情景が大変伝わる歌詞も印象的ですが、それはシンプルなメロディーがあるからこそ余計に聴衆に伝わります。他の曲を思い浮かべましょう、「地平を駈ける獅子を見た」「野に咲く花のように」「ひみつのアッコちゃん」「ガッチャマンの歌」「日立の樹」…。小林亜星氏が作ったメロディーは、多くが平易で耳に残る、世代を超えた作品です。

 発売開始時点ではまだヒットしていなかったですが、この紅白をきっかけに大ロングセラーを記録。当時のオリコンチャートでは、翌年7月頃にトップ10にランクインして、12月になるとついに1位を獲得。1976年の賞レースではほとんど全て「北の宿から」が大賞になるという状況でした。賞レースでバンバン歌われることが、レコード売上増加に繋がった面もあったかもしれません(当時あまりそういうチャートアクションを残した曲はありませんでしたが…)。

 紅白歌合戦でも、当然のように大トリを飾ります…と書きましたが、前年までの紅組トリは第8回(1957年)以降19年間にわたって美空ひばり島倉千代子の寡占状態でした。この慣例を破って、しかもトリではなく大トリとして選出したのは、当時の紅白史でも非常に大きな意味を持ちます。

 紅組歌手全員が後ろで見守る中で、はるみさんは全身全霊を込めての大熱唱。特に半音上がるラストサビは鬼気迫る物がありました。ただシンプルな状況の中で歌われた前年の方が、かえって楽曲本来の味が出て良いという声もあったのではないかと思います。ちなみに紅白で歌った2コーラス目の歌詞は、1975年が”吹雪まじりの…”で始まる2番、翌年は”あなた死んでも…”で始まる3番でした。

・「北の宿から」の元になった曲も紅白歌唱曲

 さて、国民的大ヒットとなった「北の宿から」ですが、これを語るには4年前の紅白で歌われた水前寺清子「昭和放浪記」を外すわけにいきません。

 この曲は阿久悠先生自身が特に手応えを感じたと著書でも記しているほどで、この歌詞が書けたから小林亜星氏に作曲を依頼したというエピソードがあります。チータは男歌を歌うことが多いですが、この曲は流れ者と娼婦の一夜限りの恋情を歌った楽曲。異例とも言える短い1コーラスが4回繰り返し、最後にラストサビで総括するような構成もまた、当時だと小林亜星氏にしか書けないような内容。ただどれだけ手応えがあってもヒットという意味では別のようで、レコード売上はオリコンで最高66位止まりでした。

 紅白では1972年の紅組トリ前での歌唱、この年のトリは9年連続美空ひばりで不動だったので実質トリです。紅組応援団長でもあったので、舞台袖で紅組歌手が総立ちで見守る内容でした。3コーラスとラストサビ繰り返し、2コーラス後盟友の青江三奈がチータの頬にキス。頑張れチータ!と書かれた横断幕を、僅かな間奏の間に紅組歌手がステージ後ろに広げるステージでした。情感伝わるチータの歌唱も大変素晴らしく、「涙を抱いた渡り鳥」「いっぽんどっこの唄」「三百六十五歩のマーチ」などとも違う新境地を見せていました。

 同じ紅組歌手として、舞台袖にいたはるみさんもこの曲に魅了されたのでしょうか。3年後に「昭和放浪記」みたいな楽曲を歌いたいと阿久悠氏に依頼します。それが1976年の大ヒット曲・「北の宿から」に繋がります。はるみさんはこれをきっかけに演歌界トップの位置を築きます。また、小林亜星氏はCMソングだけでなく『寺内貫太郎一家』でも既に広く知られていましたが、この曲の大ヒットで歌謡界にも燦然と輝く実績を残す形になりました。

 今後も小林亜星氏が残した多くの曲は、更に世代を超えて伝わっていくことでしょう。あらためてお疲れ様でした、そしてありがとうございました。

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