取り上げる歌手についてはこの記事を準拠しています。米米CLUBについてはこちらを参照してください。出場の多いDREAMS COME TRUE、X JAPAN、TOKIOもいずれ別記事として作る予定にしているので、今回はリストから省いています。
たま
第41回(1990年)「さよなら人類」
作詞・作曲:柳原幼一郎
前歌手:忍者、ピンク・レディー
後歌手:B.B.クィーンズ、植木 等
曲紹介:西田敏行(白組司会)、吉田栄作
西田「今年はさ、空前のバンドブームだったんですよね。」
吉田「そうですね。プロだけでもものすごい数だったんですけど、アマチュアまぜたら数え切れないんじゃないすかね」
西田「数え切れないくらいだね。その中でもね、やっぱりあの、言葉をこうきっちり伝えようとしたのは、やっぱりあの…ポチというバンド」
吉田「ポチじゃない。たま!」
西田「…外しました?すみません。そうだ、たまだ!曲は何でしたっけね?」
吉田「さよなら人類!」
曲紹介では女性の黄色い声が目立ちます。「心の旅」で初出場を果たした吉田栄作に向けての可能性もありますが、途中から入ったのでおそらくたまに向けてだと思います。脇の方に光GENJIのメンバーがいた可能性もありますが…。ちなみに栄作さんはこの年、こんな形で曲紹介に絡む場面が特に前半幾度もありました。
やり取りにもあるようにこの年は、『三宅裕司のいかすバンド天国』きっかけに空前のバンドブームの年でした。たまはこの番組の出演をきっかけに大ブレイクします。番組から多くのバンドがメジャーデビューしましたが、長年にわたって活躍したのはBEGIN、JITTERIN’ JINN、FLYING KIDS、BLANKEY JET CITYなどその中でもほんの一部です。
「さよなら人類」はシングルバージョンとオリジナルヴァージョンが存在しています。”さるーさるー”と連呼する方がオリジナルヴァージョンですが、紅白歌合戦はこのアレンジでほぼフルコーラスでした。演奏時間4分46秒はメジャーデビューしたばかりの新人としては極めて異例、それだけ反響の大きいバンドであったことが伺えます。冒頭は柳原さんのピアノ演奏&歌唱で入るのでイントロ無し、歌い始めるタイミングがやや早くマイクの調整がほんの少しだけ遅れます。
オリジナルヴァージョン特有のセッションは前半がカット、”さるーさるー”だけ残す形になりました。ランニング姿の石川浩司が咆哮をあげる場面は、他の年の紅白歌合戦ではまず見られないパフォーマンスだと思います。ドラムではなくパーカッション、しまいにはリコーダーを演奏する彼の姿は視聴者に大きなインパクトを与えました。
その石川さんは、2018年にnoteで当時の思い出を綴っています。文章にもある通りこの年は日本レコード大賞にも出演のためオープニングは出ず(ポップス・ロック部門最優秀新人賞を受賞)、応援合戦も無いのでステージ以外どうしても出演する必要のある場面はありません。曲紹介や中間審査などで出てくるのが主流の中、会場を抜け出してこっそり観劇に行ったのは彼らくらいしかいないと思われます。ちなみにエンディングは一応いたと思われますが、姿は全く映らずでした。俗に一発屋と呼ばれることの多い彼らですが、音楽性の高さは現在もおおいに評価されています。
なお前半ではオール阪神・巨人、宮川大助・花子、今いくよ・くるよの6名が登場して女3対男3で応援合戦するシーンがあります。郷ひろみと中山美穂の名前を出してそれぞれ呼び寄せますが、巨人師匠がたまの名前を出した途端紅組応援陣が退散するという酷い扱いをされていました。
B.B.クィーンズ
第41回(1990年)「おどるポンポコリン」
作詞:さくらももこ 作曲:織田哲郎
前歌手:ピンク・レディー、たま
後歌手:植木 等、郷ひろみ
曲紹介:三田佳子(紅組司会)、森口博子
ファジーというこの年の流行語を使って紅組優勢を強調する司会の三田さん。前半に応援で出演した森口博子とテンポの良いやり取りを展開します。紅組歌手陣も大勢集まっています。「流行と言えば、大流行したものがありますよね~。ちびまる子ちゃんです。お待たせしました。B.B.クィーンズでーす!おどるポンポコリン!」。三田さんが紹介する横で、森口さんは「いけず~」とまる子ちゃんのモノマネをしています。ちなみに応援出演の森口さんは、奇しくも翌年ガンダムシリーズの主題歌がヒットして紅組から歌手として初出場を果たしています。
ドライアイスが大量に噴出する中で演奏開始。セット転換はギリギリで、引きの画面には大勢のスタッフが急いで退場します。バンドメンバーのうち楽器を担当する3人は既にいますが、ボーカル2人・コーラス3人は入れ替わるように駆け足で入場します。たまの演奏終了後10秒でセット移動開始、曲紹介の時間は30秒。紅組歌手陣の後ろでは、先ほどのセットが舞台裏にはける場面も映っています。
ボーカル・坪倉唯子はお姫様をイメージしたカラフルな和服姿、横にいる近藤房之助はお馴染みの怪しげな服装です。楽器担当の3人は白スーツ、後にMi-Keと呼ばれるコーラス隊3人は赤・紫・水色の衣装です。
舞台袖で応援していた紅組歌手陣は、2番からステージ上に移動します。先陣を切って目の前を横切るのは、白いボールのような飾りをいっぱいつけた変な衣装の今くるよ師匠。そのあまりにもコミカルな動きには、まず近藤さんが指を差して大笑い。後ろの楽器隊も思わず笑う状況で、坪倉さんも堪えきれず歌詞を飛ばしてしまいます。もっとも”お笑い芸人登場”の歌詞なので、シチュエーションにはよく合っています。この年吉本興業から応援で出演した漫才師3組は必要以上に目立っていて、エンディングの「蛍の光」は出場歌手より多く映るほどでした。
今いくよ・くるよ、宮川花子、森口博子、司会の三田佳子、瀬川瑛子、福士りつ、加藤登紀子、小林幸子、都はるみ、佐藤しのぶ、和田アキ子、八代亜紀、荻野目洋子、松原のぶえ、大津美子、ケー・ウンスク、内藤やす子など多くの出場歌手が応援、サビでは一緒に手を動かしています。幸子さんはくるよさんの衣装から取れた白いボールを終始投げ上げる自由っぷり、普段オペラなので全く畑が違うしのぶさんはこの状況に全く笑い堪えられずという状況でした。
しまいには大竹まことと高田純次が近藤さんの格好をして突如乱入。これにはステージ終了後、バラエティ番組で多く共演していると思われる森口さんが全力でツッコミ。「今わたしは人生の中で一番恥ずかしいんだから」「ここまで来て偽物に決まってるじゃないか」と、2人とも衣装とは違って実にまっとうなコメントを返してます。
たまと同様、こちらもステージ以外での出番はありませんでした。オープニングも日本レコード大賞出演のため不参加(この年ポップス・ロック部門大賞受賞)、エンディングにも映っている様子がありません。たまとは同じ年のブレイクだけでなく、Mi-Keというグループ名のモチーフになったり後に「あっけにとられた時のうた」で『ちびまる子ちゃん』EDテーマを担当するようになるなど妙に因縁深い部分があります。また次に歌う植木等も後に「針切じいさんのロケン・ロール」がEDテーマに起用、縁があるというよりさくら先生がこの時の紅白によほど衝撃を受けたという可能性も高そうです。
「ギンギラパラダイス」「ぼくらの七日間戦争」などもヒットしているので一発屋では決してないのですが、やはり「おどるポンポコリン」のインパクトが強烈ということもあって紅白出場はこの年のみでした。一方コーラスのMi-Keは翌年2月にデビューして大ヒット、第42回ではこの3人がめでたく歌手として紅白歌合戦初出場を果たします。バンドメンバーはいずれもビーイングの精鋭で多くのヒット曲に参加、特にベースの栗林誠一郎は作曲で名前を見る機会も非常に多いです(紅白で歌われる機会はなかったですが…)。
G-クレフ
第41回(1990年)「WE ARE G-CLEF」
前歌手:細川たかし、伍代夏子
後歌手:八代亜紀、布施 明
曲紹介:西田敏行(白組司会)
バンドというにはかなり微妙ですが、一応「インストゥルメンタル・バンド」と称されていたのでここで記しす形とします。アメリカや韓国どころかフィリピン・ソ連・モンゴルなど日本にあまり馴染みのないアーティスト出演もあったり、何十年ぶりの紅白出演もあったり民謡や洋楽カバーもあったりでとにかくゴチャゴチャした顔ぶれの1990年紅白歌合戦ですが、ついには歌わない出場歌手まで登場するという形になりました。当然紅白歌合戦史上初…と言いたい所ですが、1945年大晦日の前身番組『紅白音楽試合』にはヴァイオリンや尺八・木琴など演奏のみで出演した方々も存在しています。また後年にも、第54回(2003年)にアルバムが大ヒットした女子十二楽坊の出場がありました。
時期ごとにメンバーは違うようですが、この紅白に出場したのは落合徹也(バイオリン)、渡辺 剛(バイオリン)、柏木広樹(チェロ)、榊原 大(ピアノ)の4名。ドラムとコントラバスがサポートメンバーとして加わっています。
バイオリン隊2人は縦横無尽にステージを駆け回ります。客席通路・ピアノを弾く榊原さんの目の前・客席の肘置きの上などまさに縦横無尽。座り演奏のチェロも中盤で、審査員席の目の前に移動して立ち演奏を披露。ラストはバイオリン2人が前後に並んで演奏した後に帽子を投げるなど、音を除けばクラシックよりロックに近い熱狂的なステージ内容でした。
メンバーは東京藝術大学音楽学部の学生で、1989年にメジャーデビュー。1990年にリリースされたアルバム『伊右衛門』が日本レコード大賞アルバム企画賞受賞、一般的には分からないですが当時の音楽界の中では非常に高く評価されていたグループでした。
1994年に解散後も個々の音楽活動は継続中、多数の実績を残しています。落合徹也は弦一徹の名前でグループ主宰、第69回(2018年)の島津亜矢「時代」の演奏にも参加。柏木広樹は映画音楽などで多く実績を残し、榊原大も朝ドラ『ファイト!』をはじめとして多くのテレビ番組テーマソングを担当。そう考えると、G-クレフの紅白出場はいまや英断かつ極めて貴重なステージと言えるのではないでしょうか。なおステージ以外の出番は、こちらも発見できずでした。
ザ・ベンチャーズ
第42回(1991年)「十番街の殺人」「ダイアモンド・ヘッド」「パイプライン」
作曲(十番街の殺人):Richard Rodgers
作曲(ダイアモンド・ヘッド):Danny Hamilton
作曲(パイプライン):Bob Spickard, Brian Carmen
前歌手:スモーキー・マウンテン、森口博子
後歌手:欧陽菲菲、前川 清
曲紹介:堺 正章(白組司会)
演奏前に、この年『青春デンデケデケデケ』で直木賞を受賞した作家・芦原すなおとのやり取りが入ります。「中学校の終わり頃から高校入る頃でしたかね、ベンチャーズのデンデケデケデケを聴きまして、一発でノックアウトされて。人生が燃え上がったと言うとあれですけども、本当に夢中になりました」「いまだにその炎が燃え盛っているという感じで」と、ベンチャーズとの出会いを語ります。
1960年代の大ヒットと来日公演で、日本にエレキブームが巻き起こりました。また1970年前後には奥村チヨや渚ゆう子など、日本の歌謡曲にもメロディーを提供して大ヒット曲に発展させています。1991年までに何度かメンバー交替もありましたが、この年の紅白歌合戦のステージはドン・ウィルソン、ボブ・ボーグル、ジェリー・マギー、メル・テイラーの4名。リードギターだけノーキー・エドワーズからジェリー・マギーに交代した以外は、全盛期のメンバーです。
楽曲は「十番街の殺人」が1964年、「ダイヤモンド・ヘッド」「パイプライン」が1965年の発表でした。特に後者の2曲は、アメリカよりも日本で人気が高かった楽曲のようです。「十番街の殺人」はジェリーさんのリードギター、「ダイヤモンド・ヘッド」はドンさんのデケデケデケデケ、「パイプライン」はリズム隊の細かい指捌きが特に大きな聴きどころになっていました。
彼らクラスだとステージのみの出演で全く問題ありませんが、オープニング・エンディングにもしっかり出演。アンディさんは桂三枝師匠とまさかのコント披露もあって、豪華だけでなくノリの良さも存分に見せつけていました。なお海外で活動するバンドが紅白歌合戦のメイン会場で生演奏を披露したのは、現在もザ・ベンチャーズただ1組のみです。
LINDBERG
第43回(1992年)「恋をしようよYeah! Yeah!」
作詞:渡瀬マキ 作曲:川添智久
前歌手:森口博子、SMAP
後歌手:小野正利、香西かおり
曲紹介:石田ひかり(紅組司会)
「今すぐKiss Me」「だってしょうがないじゃない!?」「every little thing every precious thing」など、1990年代に毎年ヒット曲を残したLINDBERGも紅白出場は意外なことに1回しかありません。
初めて司会を担当する石田ひかりが和田アキ子他から応援を受ける流れの後、「私と同じように初めての紅白に張り切っています。ロックファンの皆さん、いきますよ!LINDBERG、「恋をしようよYeah! Yeah!」と紹介する流れから演奏開始。この時期になるとバンドでも生演奏は決してマストで無いですが、ギター・ベース・ドラムともしっかり生音演奏になっています。カメラマンが舞台上に昇って360度から渡瀬さんを映すカメラワーク、抜群の臨場感です。客席からの声援も大きいですが、こちらは通路に陣取るチアリーダーの声である可能性が高そうです。
1コーラス半、全力で演奏するステージはまさにワンマンライブさながらの迫力でした。フェイドアウトの音源と違い、ガッツリ3人のアンサンブルで締める部分が生演奏の証です。
小柳さんが演奏するバスドラムに、青黄赤の3色に彩られた旗が描かれています。俗説ではそれが翌年以降紅白に出場しなくなった理由とも言われていますが、NHKの番組にはその後も普通に出演しています。1980年代以降のバンドの歴史を考えると、個人的にはそれではなく生演奏のステージが出場に際する条件だったのではないかと考えています。また、その条件で出すにはもう少しCD売上が欲しい(この曲もヒットはしていましたが当時連発していたミリオンではありませんでした)、というNHKの見解もあったかもしれません。実際この年、ステージでの演奏以降は全員合唱・エンディングに至るまで一切出演無しでした。
J-WALK
第44回(1993年)「何も言えなくて…夏」
作詞・作曲:宇崎竜童
前歌手:高山 厳、GAO
後歌手:八代亜紀、小林 旭
曲紹介:堺 正章(白組司会)、武田鉄矢、細川たかし、谷村新司
この年の白組司会は堺正章ですが、偶然にも4年前の司会・武田鉄矢が海援隊として出場歌手に選ばれています。「さてカラオケと言えば今年も大変カラオケボックスが大流行致しましたけども、さあそのカラオケボックスの人気者の登場でございますね。J-WALKの皆さんどうぞ!」と勝手に曲紹介する武田さんに堺さんがクレーム。細川さんが「まあまあ喧嘩しないで。私が演歌の歌手です」と言いながら喧嘩を止めたところで演奏開始、「結成13年目、J-WALKをお聴きください。「何も言えなくて…夏」」と曲紹介したのは谷村新司でした。
この年前半は苦節◯年の初出場が多いです。天童よしみと高山厳、さらに彼らが同じような時間帯が固まりました。「何も言えなくて…夏」は1991年7月にシングル発売でしたが、1992年夏頃からのロングセラーを経て大ヒットするという推移を経て紅白出場に至りました。1993年は紅白不出場組でもTHE虎舞竜、大事MANブラザーズバンド、classにVoiceなど、ビーイングのWANDSやT-BOLANにDEENとZYYGを除いてもバンド・ユニット系のヒットが非常に多い年でもあります。CD売上は「ロード」「それが大事」「夏の日の1993」の方が上ですが、ロングセラーと広い世代に親しまれやすい楽曲が評価された結果が彼ら3組ではなくJ-WALKの紅白出場だったと推測できます。
J-WALKのメンバーは髭を蓄えた外見が特徴的です。ボーカルの中村耕一、キーボードの杉田裕、ギターの知久光康他2人も皆さん髭面で、髭がないのはベースの中内助六のみです。そのワイルドな風貌とは裏腹に、歌声・メロディーライン・歌詞はいずれも優しさと美しさを兼ね備えていて、発表から30年経った現在でも夏の名曲の代表として親しまれる結果となっています(もっとも、元は冬の歌でもあるのですが)。生演奏ステージ、応援の出演は一切無しですが、さすがに前半ラストの全員合唱やエンディングには参加していました。
ただ大ヒットはこの曲のみで、紅白も残念ながらこの年限りとなりました。ボーカルの中村さんが覚せい剤取締法で2010年に逮捕・脱退になったのが非常に残念ですが、バンドは4人で現在も継続中となっています。中村さんもソロで無事に復帰、ライブ活動中心の音楽活動で昨年は杉田さんとの共演も実現しています。
オルケスタ・デ・ラ・ルス
第44回(1993年)「サルサに国境はない」
作詞・作曲:NORA
前歌手:Dreams Come True、美川憲一
後歌手:(ショーコーナー)、前川 清、長山洋子
曲紹介:石田ひかり(紅組司会)、由紀さおり、研ナオコ
「紅組は今年日本人で初めて国連平和賞を受賞したサルサバンド、オルケスタ・デ・ラ・ルスの登場です」。石田さんが簡単に紹介後、大学教授姿の由紀さんがサルサについて、研さんがオルケスタ・デ・ラ・ルスの意味について解説。それぞれ小ボケを入れますが、会場のウケはゼロでした。
「サルサとは、ラテンのリズムにジャズやロックの要素を取り入れた音楽のことを言います。ちなみに、「さのさ」とは関係ございません」
「スペイン語でですね、オルケスタというのは楽団、ラ・ルスというのは光です。ですからあなたは、石田ラ・ルス」
1分間丁寧な説明を入れたのは、当然舞台転換の時間確保が目的です。ステージに立つメンバーは12人、手持ちの管楽器も5人いますがやはり多少時間はかかります。全編スペイン語の歌唱、歌詞テロップは斜体ではなく通常通り日本語の訳詞が表示されています。
メインボーカルのNORAさんは肩や背中を出した赤いファー付きの衣装、スタンドからハンドマイクを持って前に出たり観客に手拍子やコールを促したりするなど非常にテンション高いです。そもそもこの曲がラテンのリズム全開でノリが良く、自然にそうなるという側面もあります。後半ではステージ上から降りて盛り上げるシーンもありました。首に巻いたファーもとって、下半身も丈の短いホットパンツなのでかなり肌を露出させた服装になっています。
中盤以降は紅組・白組歌手の多数が舞台上に合流、終盤にはスタッフの手引きで20人いる特別審査員を舞台上に招待しています。演奏終了後すぐにオール阪神・巨人師匠が登場、この2人の進行で審査員全員参加のハンス&モーリーン・パンターのマジックショーが6分近くにわたって繰り広げられました。
ステージ以外では前半ラストの全員合唱、小林幸子の曲紹介に参加しています。10人を超えるメンバーが積極的に参加していました。エンディングではゴリラの被り物を顔につけたメンバーもいるほどで、基本的にノリノリです。
ちなみにバンドは現在も継続中ですが、NORAさん以外は既にメンバーが入れ替わっているようです。ピアノを担当した塩谷哲は、第58回(2007年)絢香「peace loving people」のゲストミュージシャンとして再び紅白に出演しています。
TUBE
第44回(1993年)「夏を待ちきれなくて」
作詞:前田亘輝 作曲:春畑道哉
前歌手:吉 幾三、(ショーコーナー)、伍代夏子
後歌手:ケー・ウンスク、堀内孝雄
曲紹介:堺 正章(白組司会)
TUBEもヒット曲の多さに反して紅白歌合戦出場は僅か2回のみですが、夏メインの彼らが冬の紅白に出ること自体が異例という見方もあります。それくらい当時から、”夏と言えばチューブ”という格言が定着していました。白組歌手(少年隊、五木ひろし、山川豊、SMAP)が一斉に登場する曲紹介も司会の堺さん以外全員アロハシャツ着用、そこに浴衣姿の南こうせつが合流。「夏ですからね、パーッといきましょう!」。「…似合ってますよね。ニューミュージック系とは思えない格好でございます」。ちなみにかなり後ろの方で、サングラスまでかけている福山雅治の顔も見えました。
白いシャツにGパン、衣装はやはり夏を思いっきり体現しています。パワフルな前田さんのボーカルは、当時男性J-POPでもトップクラスの歌唱力と言われていました。1コーラス半、1993年のTUBEを代表するヒット曲を見事に歌い上げます。演奏は生でなく、どちらかというと紅白というより通常の音楽番組出演の延長線上にあるステージに見えました。
他の年にほとんど出演していないデータを見る限り、ステージ以外の出演は出来る限り少なくという希望があっても不思議はなさそうです。応援での出演は全体を見渡す限り全くなし、ただ前田さんは「山に抱かれて」の全員合唱で堀内孝雄と一緒に歌う場面が用意されています。
第49回(1998年)「きっと どこかで」
作詞:前田亘輝 作曲:春畑道哉
前歌手:TOKIO、(審査員紹介)、田川寿美
後歌手:中村美律子、鳥羽一郎
曲紹介:中居正広(白組司会)
この年フジテレビ系のドラマ『世界で一番パパが好き』主題歌としてヒット。ドラマ自体が名作だったので個人的にも思い入れの強い曲ですが、ヒットはオリコン年間57位。正直このタイミングで紅白歌合戦に復帰するとは予想していなかったので、非常に嬉しいサプライズでした。SMAPのメンバーが中居さんをねぎらう台本上のやり取り後に曲紹介。「続いて歌って頂くのはですね、音楽と海が大好きなグループ・TUBEの皆さんです。TUBEの皆さんは結成されて14年が経ちました。熱い歌声がこの紅白に帰ってきました。それでは紹介しましょう、TUBEの皆さん、「きっと どこかで」、どうぞ!」
原曲にはないストリングスから演奏が始まります。弦楽器隊4名にキーボードのサポートも加わって、5年前より確実にアレンジが進化しています。カメラワークも太陽にように前田さんを照らす照明のアングルが素晴らしく、楽曲も言うまでもなく名曲で素晴らしい内容でした。なお歌手名テロップと歌い出しの歌詞テロップが被るハプニング、歌手名は間奏時にあらためて挿入される形になっています。
こういった国民的大ヒットやNHKタイアップとも違う形でバンドが紅白に再出場した例は、当時はおろか後年でも非常に少ないです。本来ならもっと当たり前のようにあっても良いように思うのですが、なかなかそうもいかないでしょうか。なお一括編でも記した通り、この年のバンド系9組(海援隊も含む)出場は翌第50回(こちらは昭和組が3組存在)と並んで史上最多記録となっています。
5年前と同様応援出演は原則無しですが、オープニングは出演。赤と白をテーマにした服装で、春畑さんはフードみたいな物を着用していた状態でした。
THE BOOM
第44回(1993年)「島唄」
作詞・作曲:宮沢和史
前歌手:堀内孝雄、中村美律子
後歌手:工藤静香、藤井フミヤ
曲紹介:堺 正章(白組司会)、谷村新司
曲紹介に、沖縄ミュージック評論家と称される谷村新司が登場。「沖縄はじめアジアの音楽ってのはかつてワールドミュージックと呼ばれておりましたけども、最近ではエスニックと呼ばれるようになりまして、世界中でとってもメジャーになってしまいました…」普通の講義みたいな話で、堺さんには理解ができなかったようです。沖縄の言葉・ウチナーグチで歌うという情報を加えて、そのまま曲フリ。なお谷村さんはこの年沖縄をテーマにした大河ドラマ『琉球の風』主題歌「階-きざはし-」を担当、同年の紅白でも歌唱しています。そして現在は中国・上海音楽学院の教授になっているので、完全に評論家を超えた存在となりました。
バンド4名にキーボードのサポートを加えた体制、宮沢さんは三線を弾きながらウチナーグチで歌います。沖縄ミュージックが紅白歌合戦で披露されたのは第42回(1991年)の喜納昌吉「花~すべての人の心に花を~」が初ですが、沖縄をテーマにした楽曲が全国で大ヒットした例はこの「島唄」が初めてでした。ゆったりしたリズムですが、生演奏なので音はやや重め。その音がステージに大きな説得力を持たせています。ただコーラスは後年と違い、まだブレイクしたばかりということもあって事前録りです。
2コーラス半ほぼフルコーラス、ただラストの”ラララ…”は無しでした。宮沢さんが歌い上げ、サングラスをかけたギターの小林さんは右手を掲げたポーズ。最後の最後まで、本当に絵になるステージでした。なお応援などで出演するシーンは無し、裏番組にあたるレコード大賞のノミネート曲なので前半ラストの全員合唱にも参加していません(エンディングで僅かに映るシーンがあるのみ)。
第53回(2002年)「島唄」
作詞・作曲:宮沢和史
前歌手:ゴスペラーズ、夏川りみ
後歌手:Every Little Thing、(ショーコーナー)、前川 清
曲紹介:阿部 渉(白組司会)、小澤征悦(白組応援サポーター)
FIFAワールドカップ日韓大会が開催されたこの年、アルゼンチンでマルチタレント、アルフレド・カセーロが歌う「島唄」日本語カバーが大ヒット。それをきっかけにTHE BOOMとの交流が始まり、新たなアレンジを加えたシングルもヒットします。紅白歌合戦にも、アルフレッド・カセーロ&THE BOOMのユニットという形で出演することになりました。
「(ここまでの感想を聞かれて)紅組優勢かなと思います。でもですね、これからこの後に僕の好きな「島唄」が聴けるので、そこで形勢が逆転するんじゃないかと思います」。ゲスト審査員のW杯日本代表・宮本恒靖選手の言葉を受けて曲紹介に入ります。阿部アナと小澤征悦が間に立つカセーロさんについて説明後、日本語でメッセージ。「音楽に、国境はありません!」力強い言葉に、早くも会場から大拍手。「ではその海を超えた熱い想いをこの紅白のステージで熱唱して頂きましょう!アルフレド・カセーロ&THE BOOM、「島唄」!」と紹介する阿部アナの口ぶりも、心なしか熱めです。
ギターソロと飛行機の音をイメージしたSE、最初の一音だけで力の入った生演奏ステージであることがよく分かります。メンバーもカセーロさんや元々の4人だけでなく、キーボードを筆頭とするサポートや女性コーラスなども加えて総勢13名。三線を演奏後、宮沢さんの歌い出しは無伴奏の披露でした。
カセーロさんの歌声は決して上手くはないですが、尋常ならざる言葉の強さと熱さが共存しています。それが聴く人の心を揺さぶることが、非常によく分かるパフォーマンスです。標準語バージョンの1コーラス半ですが、コーラス含め7人で歌う”ラララララ…”の歌声は筆舌に尽くしがたい物がありました。「ありがとう島唄、ありがとうニッポン、ありがとう宮沢和史さん!」と、高いテンションのまま最後は日本語で挨拶するカセーロさん。三線を挙げてポーズを取る宮沢さんに小林さんのギターで締めるラスト、審査員席で笑顔を見せる宮本さんやステージを見て思わずうなずく米倉涼子の表情も印象的でした。
カセーロさんは30分後に行われた中間審査にも出演。オンエアバトル形式のボールの入ったカゴを持つ彼に、進行の高山哲哉アナが「俺にまかせーろ、というね表情をされてますけれど」と非常にくだらないギャグを飛ばしています。声援を受けてすぐに手を振る姿は、万人に国を超えて広く愛される人柄であることを身をもって証明していました。なおTHE BOOMの4名含め他の時間帯は基本不参加、仮に参加していたとしてもカメラにほとんど捉えられない状況でした。
第59回(2008年)「足跡のない道」「島唄」
作詞:宮沢和史 作曲:宮沢和史、高野 寛(「足跡のない道」のみ)
前歌手:前川 清、川中美幸
後歌手:藤あや子、WaT
曲紹介:仲間由紀恵(紅組司会)、中居正広(白組司会)
第44回は沖縄、第53回はアルゼンチンとの繋がりがメインでしたが、この年は移民100周年記念のブラジルとの関わりが深いステージになりました。紅組とも白組とも違う、宮沢和史 in ガンガ・ズンバ&ザ・ブームのユニット名での出演となっています。このステージについては本編レビューで既に解説含めて書いているので、そちらを見てください。
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