紅白歌合戦・布施明の軌跡~ステージ編(1975~1990)~

第26回(1975年)「シクラメンのかほり」

ステージ

作詞・作曲:小椋 佳
前歌手:北島三郎、都はるみ
後歌手:ちあきなおみ、五木ひろし
曲紹介:山川静夫(白組司会)
ギター:笛吹利明 ヴァイオリン:篠崎正嗣

 「えー、心強いただいま電話が入りましてですね。もう白組の優勝間違いなし全員見てるというのを頂きました。ありがたいですね。うぐいすだにミュージックホールより、やて」。白組応援団長・笑福亭鶴光がメッセージを読み上げます。言うまでもなくうぐいすだにミュージックホールは架空の劇場で、鶴光師匠はこの年同名の歌が大ヒット。全日本有線放送大賞新人賞まで受賞しましたが、さすがに当時のNHKでは歌えなかったらしいです。両脇にいた山川アナと宮路おさむ(殿さまキングス)も、うぐいすだにミュージックホールの名前が出た瞬間にズッコケるリアクションを見せていました。

 「ところで、レコード大賞は布施明さんが受賞されたそうでございます。本当におめでとうございます。シクラメン(この部分聴こえず)そして冷たい心を慰める花です。このシクラメンを今年一年大切に育てた、布施明さんの「シクラメンのかほり」をお聴き頂きましょう」。レコ大受賞のアナウンスに沸き立ちますが、思わず横で鶴光師匠が「フレーフレー布施!」と大声で応援したおかげで肝心の曲紹介が聞き取れなくなってしまいました。仕方のない部分ではありますが、結果的に言うと鶴光師匠に最大の聴きどころを邪魔された形です。

 舞台には3段の小さなセットが置かれ、そこにシクラメンが植えられています。布施さんはギターを弾きながら真ん中に、画面から見て右側にはギタリストとヴァイオリニストが配置。イントロで舞台についての説明がテレビ実況から入りました。「宮城県亘理郡亘理町・大熊農協青年部が丹精込めて作りましたシクラメン30鉢が、ステージに並んでおります」、途中そのシクラメンの花がアップになるショットも挟まれています。

 「シクラメンのかほり」は100万枚以上の売上を記録する大ヒット、レコ大の他に日本歌謡大賞・FNS歌謡祭グランプリ・日本作詩大賞も受賞しました。楽曲提供した小椋佳は当時銀行員としてアメリカに滞在、帰国した翌年にNHKのコンサートでテレビに初出演となります。前年のレコ大は吉田拓郎が提供した森進一「襟裳岬」、フォーク・ニューミュージック系が歌謡界へ楽曲提供したことが話題を呼んで大ヒットになったのは同様でした。

 その大ヒットに演出側も応える形になります。1つのステージのために花のセットが用意されたのは紅白始まって以来のことでした。ゲストミュージシャンとして参加したギター・笛吹利明は当時22歳、ヴァイオリンの篠崎正嗣は当時25歳。2人ともその後演奏者として多大なる実績を残しています。

 大晦日の時点でもう幾度となく歌っている曲なので、2番歌い出しの時点で早くも若干リズムを変えています。とは言えレコ大受賞直後、1975年ラストとなるステージはやはり気合いが乗っていました。ギターをこれだけガンガンかき鳴らしながら一心不乱に歌う場面は、他の番組でもなかなか見られなかったのではないかと思われます。3分13秒、これは第26回紅白の48ステージで最も長い演奏時間です。

応援など

 レコード大賞受賞歌手は帝国劇場からの移動が一番最後、したがってオープニングに布施さんの顔はありません。もっともこの年は入場行進で白組歌手のショットがほとんど無く、「は」行なのでどちらにしても映っていなかった気もしますが…。

 布施さんがこの年の紅白で最初に登場したのは白組4番手・ずうとるびの応援。他の白組歌手と一緒に、1メートル近くある「必勝」と書かれた団扇を持って登場します。鈴木ヒロミツが先導しますが、「宇崎(竜童)くんレコード大賞おめでとうございます」と受賞者本人が間近にいる状況で間違えた祝福コメントをしていました。

 この当時の紅白で必ずある中間審査は、両軍出場歌手全員が集まります。各6組終了後の審査は紅組優勢、これを受けてコメントする両軍司会の後ろで布施さんが水前寺清子と小競り合いしています。布施さんがチータに体当たりして横にいる三波伸介が止めますが、もちろん本気ではなく一種の余興なので喧嘩後はチータから布施さんへ握手しに行っていました。

 ステージの応援は村田英雄「無法松の一生」で太鼓を担当。堺正章森進一五木ひろしと一緒に力の入った演舞を披露しています。

第27回(1976年)「落葉が雪に」

ステージ

作詞・作曲:布施 明
前歌手:北島三郎、青江三奈
後歌手:ちあきなおみ、五木ひろし
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 「もし歌に香りがあるなら、この人の歌は文学の香りです。もし歌に色があるなら、この人の歌は雪の色です。自作自演の「落葉が雪に」、布施明さん」

 「落葉が雪に」はサントリー・ゴールドラベルCMで起用、「積木の部屋」「シクラメンのかほり」と同様大ヒットを記録しました。集計期間をまたぐため年間ランキングはそれほど高くありませんが、オリコン週間1位を記録しています。当時ではフォーク系以外まだ珍しかった完全自作自演の楽曲、紅白の連続出場歌手では前年の三波春夫「おまんた囃子」以来まだ2例目です(ただこの年は村田英雄「男の土俵」も自作自演でした)。

 ほとんど暗転状態の照明にスポットライト、降り注ぐ雪は照明で表現しています。第32回(1981年)でステージ演出が大掛かりになるまで、雪は紙吹雪でなく照明で表現するのが常でした。

 黒いジャンパーを着てギターを弾きながら歌うステージが、大変絵になっています。そのギターの色は黒で、白いカモメが1匹描かれているようです。テロップはありませんでしたが、この年もギターでゲストミュージシャンが参加しています。さすがにレコ大受賞の前年と比べればややあっさりした内容ですが、素晴らしい歌声で美しく聴かせるステージであることは共通でした。

応援など

 白組4番手・堺正章の曲紹介は競馬を模した内容でした。出走馬はハナノハナオー(北島三郎)・ムラノイッポンスギ(春日八郎)・オウショウ(村田英雄)・ツガルジャミセン(三橋美智也)・ギンギラギンキャクハカミサマ(三波春夫)でしたが、布施さんも解説・予想師として登場します。その際、司会の山川静夫アナにはダックスフンド協会会長と紹介されました。予想をツラツラと述べる段取りのところ時間がないようでいきなり結論、競馬新聞を手にしながら「ズバリですね、そうですね、1-5だと思いますね」と予想。そのまま「苺の季節」の演奏が始まる…というオチになっています。

 その後は真っ白な服を着て郷ひろみ「あなたがいたから僕がいた」のステージに参加。新御三家の2人や新沼謙治田中星児加山雄三と一緒に簡単なダンス・手拍子と「ゴーゴー!」のコールをしています。6人いた中でも、布施さんはとびっきりの笑顔を終始見せていました。あとは殿さまキングス「恋は紅いバラ」で、白組全出場歌手の1人してマンボダンスも披露しています。

第28回(1977年)「旅愁~斑鳩にて」

ステージ

作詞:松本 隆 作曲:川口 真
前歌手:三波春夫、ちあきなおみ
後歌手:
森 昌子、春日八郎
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 布施さんの直前は、かの有名なちあきなおみ「夜へ急ぐ人」です。真っ暗な舞台でおどろおどろしいステージが終わった直後、合間もなく演奏と曲紹介に移ります。

 なんとも気持ちの悪い歌ですねぇ。聖徳太子は斑鳩宮でこう言いました。日出る処の白組、日没する処の紅組に致す、恙なきや。「旅愁~斑鳩にて~」、布施明さんがあなたのために歌います」、舞台は先ほどとは真逆の明るい照明演出、衣装も真っ白で楽曲も全然異なるテイストです。文学的な歌詞が多い松本隆の中でも、この曲は特に叙情的な表現が目立ちます。なお奈良県のご当地ソングはこの記事でも書いた通り紅白史上初、その後も白組で歌われる機会は訪れていません。

 演出や楽曲だけでなく、歌声も大変爽やかです。左手を中心に多少情熱が入った特徴的な動きもありますが、先ほどの「夜へ急ぐ人」と比べれば微々たる物です。「夜へ急ぐ人」の前が明るく「ヨイヤサーヨイヤサー」をやたら連呼する三波春夫「三波のハンヤ節 西郷隆盛」、その前が暗めの演歌である島倉千代子「京都 北嵯峨 別れ寺」。終盤に次々と落差の激しいステージを持ってくる曲順は、歴代の紅白でもそう多くはありません。

応援など

 昭和の紅白歌合戦オープニングはあ行の歌手から入場するので、青江三奈五木ひろしばかり真ん中で目立つのが常です。そのため「は」行以降はほとんど割を食う形になるのですが、この年は客席からステージへの階段を端ではなく中央に設置。そのため例年とは違い五十音順の遅い歌手が真ん中で、布施さんも司会者の後ろで映る場面が他の年と比べても多めです。

 ステージ応援はまず白組4番手・細川たかし「ひとり旅」に出演。沢田研二森進一五木ひろしと一緒にお揃いの白いタキシードで、曲に合わせて変な踊りを披露しています。

 曲紹介では内山田洋とクール・ファイブ「おもいで橋」の応援で登場。彼ら宛てに届いた電報を紹介します。「清 前川 ガンバレ!!」と大きく書かれた文字、どこから来たのかを尋ねられて「名前が先になってるでしょ、長崎(”な”がさき)でしょう」と答えるテンポの良いやり取りでした。

第29回(1978年)「めぐり逢い紡いで」

ステージ

作詞:るい 作曲:大塚博堂
前歌手:三波春夫、由紀さおり
後歌手:島倉千代子、村田英雄

曲紹介:山川静夫(白組司会)

 「さて、白組は今年タカラジェンヌの人気投票第1位に選ばれた布施明さん。ナイーブな魅力で女性軍に迫ります、「めぐり逢い紡いで」」。

 タカラジェンヌの人気投票については、この年男性歌手で初の宝塚大劇場コンサートを開催しています。それ以降も布施さんは宝塚と縁が深く、29年後には紅白歌合戦でOGとも共演しますが、それはまたその時に書く予定です。

 布施さんが歌う「めぐり逢い紡いで」のレコードがリリースされたのは、まさにこの時期でした。もっとも最初の発表はその年2月、作曲した大塚博堂のボーカルによるものです。「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」「過ぎ去りし想い出は」など多くの名曲を残しますが、1981年に37歳の若さで急逝します。なお大塚さんは布施さんと同じ渡辺プロダクション所属でした。

 この曲は語るように聴かせるバラードです。紅白に限らず、歌番組やコンサートの終盤で歌うには実にしっくり来る楽曲でした。6/8リズムで刻まれるアルペジオのギター演奏が中心、2番ではそこに弦楽器の演奏が加わります。1970年代前半の紅白で散見された太鼓・管楽器のけたたましさは全く無く、歌声を最大限に盛り立てる静かな演奏も素晴らしい出来でした。

応援など

 この年も開始早々、トップバッター・郷ひろみのステージにダンスで参加します。ただド派手な衣装にセリが盛り上がる演出も入ったので、あまり目立ってはいません。参加したのは6人で布施さんは画面左から4人目の位置、その動きは他の5人よりも大きくやはりノリノリの様子です。アップで映る場面もありました。

 組体操など全員参加型の応援は不参加が多いですが、少人数制の応援にはよく登場するので結果的に他の歌手より目立っています。もう1つの登場シーンは「秋田音頭」ベースの民謡歌合戦、白組歌手からは沢田研二野口五郎と一緒の参加でした(他の出演者は野口五郎の記事を参照)。

第30回(1979年)「君は薔薇より美しい」

ステージ

作詞:門谷憲二 作曲:ミッキー吉野
前歌手:加山雄三、サーカス
後歌手:小柳ルミ子、沢田研二

曲紹介:山川静夫(白組司会)

 布施さんには多くのヒット曲・名曲があります。ただ2022年現在最も全世代に知られているのは、この曲ではないかと思われます。カネボウのコマーシャルソングとして起用、資生堂やポーラなど化粧品メーカーのCMソングが多くヒットし始めるようになったのもこの時期でした。

 この年にセリーグ本塁打王を獲得した阪神タイガース・掛布雅之選手が直前に応援で出演、彼は当時結婚したばかりでした。彼へのインタビューから、そのまま曲紹介に繋がります。「それではですね、えーまぁ、奥様との愛はですね永遠だと思います。布施明さんでひとつ「君は薔薇より美しい」、今夜も素敵な布施明さんですよ~」、その布施さんは奇しくも翌年、タイアップとなったCMに出演のオリビア・ハッセーと結婚を果たします。

 チアリーダー風のダンサーがポンポンで赤から白への変化を表現、彼女たちが横に移動した所でギターを持つ布施さんが登場します。「シクラメンのかほり」以降は衣装で目立つシーンが少なくなった布施さんですが、この年は金色の衣装とグラサンで目立ちまくっています。ギターの板まで金色、ここまで金づくめの衣装は白組だとおそらく初めてです(紅組は少なくとも1963年・第14回の畠山みどりが白黒映像でも分かるほどの金色でした)。

 このステージで一番珍しいのは演奏です。紅白歌合戦は時間が押すため、特にアップテンポはリズムが速くなるのが常です。ところがここではなんと原曲より遅いリズムで刻んでいます。平成以降ならともかく、昭和の紅白でこういった例は非常に稀ではないかと思われます。

 後年の紅白では間奏を長くした1コーラス半構成でしたが、この年は2コーラス歌唱でした(2番Aメロ前半はカット)。締めのロングトーンは長くありませんが、裏声で「アーォ!」と決める部分はやはりノリノリです。唯一惜しまれるのは、1番の”確かに”を”静かに”と歌った歌詞間違いでしょうか…。

応援など

 この年はステージだけでなく、歌手席等での応援も終始サングラスをかけています。そのため他の年と比較しても、遠目で映るシーンで彼の存在が非常に目立ちます。

 紅白各2組後、紅組応援団を務める『マー姉ちゃん』の女優陣に白組歌手代表として参戦。足は短いんですけど、とても女の人にモテる方がいるんですね」と言われて「はーい、僕です」と手を挙げる布施さん、またまた体型がネタにされています。ちなみにやり取りの詳細は紅白名言集解説・5~はーい、僕です~で記事にしているのでそちらを参照してください。

 その後は応援合戦で、白組歌手の御諏訪太鼓に参加。黒いシャツに白い鉢巻をつけた衣装、この時ばかりはサングラスを外している様子でした。

 自身のステージ終了後はグレーのセーターに黒ジャンパーというカジュアルな格好で番組に参加します。スーツやタキシードとはひと味違うオシャレな布施さんを、紅白歌合戦で久々に堪能できた回でした。

第31回(1980年)「愛よその日まで」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:布施 明
前歌手:新沼謙治、太田裕美
後歌手:桜田淳子、加山雄三

曲紹介:山川静夫(白組司会)

 映画『ヤマトよ永遠に』主題歌、データ&エピソード編でも記した通り紅白史上初めて歌われたアニメソングです。もっとも現在の紅白のように作品が大々的に紹介されることもなく、大型ビジョンなんかは存在さえもしていない時代です。

 「あの布施明さんが「愛は不死鳥」でビックリするような衣装で度肝を抜いたのは、今から10年前の昭和45年のことでした。今年はあの10年前の衣装よりもっと素敵な、オリビア夫人の温かい眼差しを感じての登場です。「愛よその日まで」布施明さん」、曲紹介の中心になった話題はやはりCMからの縁で結婚したオリビア・ハッセーとの結婚でした。

 「シクラメンのかほり」以降ギターを弾きながらのステージは4回目、もう見慣れた光景になりました。前年の衣装は金色でしたが、この年は灰色とも銀色とも取れる上着と蝶ネクタイがポイントとなっています。大ヒットではないこと、さらに番組中盤の曲順ということもあるでしょうか、1コーラス半で2分前後の演奏時間はここ5, 6年と比較するとかなり短い印象でした。前後も直前がセントルイスの漫才、直後が春風亭小朝の謎掛けから桜田淳子の曲紹介でかなり慌ただしいです。

応援など

 この年のオープニングは標準的な白タキシードでの参加です。ただ白組3番手・野口五郎「コーラス・ライン」の応援ではメガネをかけている姿が確認できます。白組歌手が全員ステージに上がって肩を組む演出、1人ひとりの姿がはっきり映るカメラワークでした。

 その後は沢田研二「TOKIO」の曲紹介で登場。電飾メガネを使っての応援で、結果的にここ2年で4種類(前年もステージ用と応援用で分けていました)のメガネ姿を披露する形になっています。黒タキシード・赤い蝶ネクタイに着替えた歌唱後の応援もメガネをかけての参加でした。

第38回(1987年)「そして今は Et Maintenant」

ステージ

英語詞:C. Sigman 訳詞:布施 明 作曲:G. Bécaud
前歌手:森 進一、八代亜紀
後歌手:岩崎宏美、尾形大作
曲紹介:加山雄三(白組司会)

 結婚後に布施さんはアメリカに移住。7年前の紅白も実は移住してからの出演で、それ以前から決定していたディナーショーと合わせて紅白にも出演するという形でした。そのため翌年以降は歌手活動をセーブ。紅白歌合戦の出場も一旦お休みという形になります。

 7年ぶりの復帰は歌唱力重視・多ジャンル化と大幅に方針変更となった最初の年、歌唱曲も往年の持ち歌やその年発売の新曲ではなくジルベール・ベコーが1961年に歌った「そして今は」でした。1960年代には越路吹雪岸洋子がたびたび紅白でシャンソンを歌っていましたが、この頃に外国のポピュラーソングを歌う常連歌手は既に菅原洋一のみとなっています。

 この年は歌う直前に白組司会・加山雄三とのトークが入ります。20年以上にわたるつき合いで、「海が見える加山さんの家に居候してたことがありますからね僕は」と話します。「そして今は、あの時希望に燃えて見つめていた海の向こうにあなたの家族がいて、そしてあなたの大きな夢が…。頑張っていこう!布施明くん、「そして今は」!」。押しているというスタッフからの指示があったのでしょうか、やや不自然な曲紹介の文面になりました。

 紅白で久しぶりに披露されるシャンソンですが、歌詞はフランス語ではなく英語のようです。テロップは日本語訳でなく英語がそのまま表記、ただありふれた単語がほとんどなので意味は理解しやすいです。アクションを交えた歌唱、”I walk the night”という歌詞では自ら歩くジェスチャーもしていました。

 中盤からは布施さん本人の日本語詞で歌唱、少しだけ照明が明るくなります。演奏のテンポが徐々に速くなり、布施さんの声量も少しずつ大きくなっていきます。再び英語になり、歌詞テロップが表示されなくなると舞台はさらにヒートアップ、アクションも大きいので1人ミュージカルショーを展開しているような状況になります。一通り盛り上がってラストはアカペラ、尋常ならざる声量の歌唱で舞台は終幕。会場から大拍手、これを白組2番手で見られるというのは歴代の紅白歌合戦でも大変に贅沢な内容と考えて良さそうです。ミュージカルと言えば紅組の2番手・岩崎宏美も『レ・ミゼラブル』の「夢やぶれて」を歌唱、既に記事にして書きましたがこちらも紅白の歴史に残る名演でした。

応援など

 客席からの入場行進は第31回まで、この年のオープニングはもう1組ずつアナウンサーが紹介する形になっています。光沢の入ったジャケットの衣装、司会の加山雄三とガッチリ握手。「歌の上手さと雰囲気と、見事なエンターテイナー」と総合司会の吉川精一アナに紹介されます。

 ただ連続出場していた頃の歌手席は演歌の一部ステージに入る程度で、合間のハーフタイムショーもこの年の白組は5人しか参加していません。歌手席で扇子を持ちながら応援する場面もあるものの、歌以外で映るシーンは『連想ゲーム』の余興とエンディング程度。布施さんに限った話ではありませんが、非常に少なめです。

第41回(1990年)「シクラメンのかほり」

ステージ

作詞・作曲:小椋 佳
前歌手:G-クレフ、八代亜紀
後歌手:坂本冬美、鳥羽一郎
曲紹介:西田敏行(白組司会)

 海の向こうの結婚生活は残念ながら続かず、前年の1989年に離婚となります。億単位の慰謝料を請求されたと報道されましたが、実際のところはよく分かりません。ただこの年はレコード会社を変えて3年ぶりにCDシングルを発売、過去曲ではありますが紅白歌合戦にも3年ぶりの出場となりました。この時期の布施さんはレーベル移籍が非常に多く、翌年は古巣のキングレコードに復帰、さらにキティ・レコード→ポリドール→Zetima→ユニバーサルという具合で安定していません。『仮面ライダー響鬼』関連はエイベックスからのリリースで、サブスク全曲解禁するにしてもなかなか足並みが揃わない状況です(主要曲は概ね解禁されていますが…)。

 この年も短めですが司会者とのトークがありました。直前のステージは八代亜紀「花束(ブーケ)」、花をテーマにした曲同士の対決です。

西田「いやー、八代さんがこのステージを花いっぱいにしてくれました、ねえ。白組を応援してくださってる皆さん安心してください。ねえ布施さん、やっぱり目には目を」
布施「花には花を、ですか?(右の人差し指で自分の鼻を指す)」
西田「ハハハハハハ…。まあどうぞ、歌のご準備を。皆さんも大好きだと思います。この花でいっぱいにしましょう。「シクラメンのかほり」、布施明さんです」

 「花には花を」のくだりは会場からの笑いが全く起きなかったですが、ステージはやはり流石の出来でした。自ら演奏するギターの音から演奏開始、15年前の紅白と比べてもイントロでは一音一音がしっかりテレビに入っています。ただ歌に入ると、布施さんが弾くギターの音は小さめに調節された様子ですが…。花をバックに歌うシチュエーションも15年前と同様、もっともこれは先ほどの八代さんのステージと同じです。

 まだ15年しか経っていないので、聴かせる歌唱という点では何一つ変わりありません。間奏で拍手が入ることでも分かる通り、全く間違いのない素晴らしいステージです。オーケストラの演奏がややボリューム大きめなのも、15年前と少し異なる部分でしょうか。

 トリ5つ前、23時ちょうどという終盤での登場ですが、この年のラスト各9組くらいは演歌中心に慌ただしく過ぎていく構成。そのため22時前に出演した青江三奈植木等辺りと比べると、1組1組のステージをじっくりという演出でない分やや損な役回りになっていました。

応援など

 ハーフタイムショーなど出場歌手総出の演出がほとんどないので、歌以外で布施さんが目立つ場面は少なめです。前半では白組2番手・吉田栄作の曲紹介に登場。彼を指して「何しろ女性にモテるんです」というセリフを担当しています。

 本来の明るさを発揮していた場面は、やはり植木等が歌う「スーダラ伝説」のステージです。白組歌手総出で応援していますが、植木さんの真後ろという立ち位置だったので笑顔で大騒ぎする様子が他の人以上に多く映っていました。布施さんにとって植木さんは同じ渡辺プロダクションの大先輩、単純な応援以上の気持ちが間違いなく入っていたようにも見えます。

 

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