今日取り上げるのは、1966年にジャッキー吉川とブルー・コメッツが「青い瞳」で紅白初出場した時の曲紹介。

 エレキという単語が浸透し始めたのがこの前年、1965年のこと。海外からベンチャーズやモンキーズ、ビートルズが来日して日本ではザ・スパイダースが「フリフリ」でデビュー。『エレキの若大将』たる映画が上映されたのがこの年の12月、挿入歌「君といつまでも」「夜空の星」は年をまたいで大ヒット。同じ1966年の紅白歌合戦にも、「君といつまでも」で初出場を果たしています。

 紅白で一番最初にエレキの音を取り入れたのは、おそらくその前の年・1964年橋幸夫の「恋をするなら」。吉田正が海外の音楽事情を視察してレコードに取り入れて大ヒット、リズム歌謡という新しい潮流を日本に持ち込んだ記念すべき楽曲です。おそらく、とは書きましたが全編映像で残っている1963年の紅白では何一つエレキの要素が見当たらないので、ほぼ間違いないと思います。

 グループサウンズの代表として初出場を果たしたジャッキー吉川とブルー・コメッツですが、紅白出演自体は前の年にバックバンドとして果たしています。そのステージはザ・ピーナッツの「ロック・アンド・ロール・ミュージック」。これはオリジナルではなく、1957年にチャック・ベリーが歌った曲をビートルズがカバーしてこの年大ヒットに至った作品。当時のブルコメはフジテレビの『ザ・ヒットパレード』でザ・ピーナッツのバックを務めることが多く、その流れで紅白にも起用された形だと思われます。この映像は非公式ですがYoutubeでもあるので、興味のある方は是非検索してください。ちなみに2020年の紅白歌合戦に出場した鈴木雅之さんが、自身の思い出に残る紅白のステージとしてこれを取り上げています。

 バックバンドとして活動していたブルコメですが、自ら歌うバンドを志して翌年「青い瞳」でレコードデビュー、大ヒットして1966年の紅白に満を持して初出場を果たしました。

 またフォーク・ロックという言葉も曲紹介で使われています。これもまた当時米英で流行りだした音楽で、ボブ・ディランやニール・ヤングなどがこれに該当するようです。一般的にはグループサウンズと呼ばれた彼らですが、この曲紹介ではまだ用いられていません。ザ・タイガースがデビューして、一気にGSブームに火がつくのは翌年になります。

 自ら歌いながら演奏するグループの出場はこの当時で既に和田弘とマヒナスターズ、ダニー飯田とパラダイスキングの例はありますが、アンプを自ら持ち込むようなステージはこれが初めて。マイクはまだ固定の集音マイクのみが基本で、1人ずつスタンドマイクを用意できる状況ではなかったようです。井上忠夫(サックス)・三原綱木(ギター)・高橋健二(ベース)がそれぞれ担当の楽器を弾きながら1本のマイクに集まって歌う状況は、今だとどんな小さなライブハウスでも有り得ないような光景です。ただこれは、技術進歩と急速なGSブームで一気に改善され、翌年はしっかり1人ずつスタンドマイクが用意されていました。

 50年以上経った現在、バンドロック自体に目新しさは全くなく当たり前の存在になっていますが、時を遡ればバンド形態そのものが目新しい音楽という認識になっています。当時を知らない人でも(かくいう自分自身がそうなのですが)、その雰囲気を少しでも感じることが出来れば幸いです。