紅白名言集解説・79~記念すべき石川さゆりの紅白初出場~


 6月25日にアップした第78弾以降、13年分の紅白本編レビューと今年の紅白予想記事作成のためすっかりご無沙汰になった紅白歌合戦名言集ですが、本来のシーズンになった12月もいよいよ近づいたということで更新再開します。アーティスト別の再生ランキングもストックが多数残っているので、それと並行しての更新でしばらくはいきたいと考えています。

 これまで取り上げた記事には非常にニッチでマニアックな所からのピックアップもいくつかありましたが、12月更新分は本当にリクエストが多そうな名場面を中心に執筆していきたいと考えています。今回は現役の紅白歌合戦最多出場歌手、石川さゆりの初出場シーンをピックアップしました。

尊敬する島倉千代子に祝福される

 冒頭の曲紹介・完全版は次の通りです。進行は当時の紅組司会・佐良直美

さて、ここにダルマがございます。片っぽの方はデビューした時に石川さゆりさんが入れました。そしてもう片っぽは、紅白歌合戦に出たら入れよう、それがやっと念願が叶いました。

(さゆりさんがダルマのもう片方の目に筆を入れる)

(イントロに乗せて)辛く、悲しい時にも涙を見せず、じっと絶えてきた5年間。その歳月が旅情演歌の花を咲かせました。いま、彼女の目に光る涙は喜びの涙です。おめでとう、さゆりちゃん。「津軽海峡・冬景色」、初出場・石川さゆりさんです。

 紅組出場歌手の温かい拍手に祝福される中、大きなダルマを持っていたのは島倉千代子。さゆりさんが歌手になるきっかけとなった存在で、終始尊敬している人物として挙げていたのがお千代さんでした。当時紅白出場最多の21年連続出場で、最終的に通算35回まで出場回数を伸ばしたお千代さん。ずっと尊敬し続けていたさゆりさんが現在紅組最多出場歌手になっているのは、いま考えると運命的な物を感じずにはいられません。19歳での初出場も、第8回(1957年)で初出場した当時の島倉さんと同じ年齢でした。

白いドレスで涙を浮かべながらの熱唱

 円熟味抜群の近年のステージと比べると、やはり19歳で初出場した時のステージは力が入っています。

 着物ではなくドレス姿の衣装が一番分かりやすいですが、それ以上に体全体で歌うアクションがとても印象的です。左手を動かしながら歌うのは近年も同様ですが、腕の広がり方・力の入り方は現在と全く違います。歌唱で”引き”を感じさせる場面も多くなく、初出場の緊張と喜びが合わさってとにかく”押し”の声・表情の印象が強いです。涙を流す場面はなかったですが、目の奥には大粒の涙が浮かんでいるように見えます。1973年デビュー、同時期にデビューした森昌子山口百恵桜田淳子に遅れること数年、ようやく手にした紅白歌合戦の出場切符。それは上野発青森行き夜行列車の切符以上に、大きな価値のある一枚でした。

その後の「津軽海峡・冬景色」

 青函連絡船は1988年に青函トンネル開通に伴い廃止。上野発青森行きの夜行列車は2014年に定期運行終了、臨時も含めると2016年1月4日が最終になりました。作詞した阿久悠氏、作曲の三木たかし氏も既に亡くなり、楽曲の風景も完全に遠い昔のことになっています。

 それでも「津軽海峡・冬景色」は平成を超えて令和になった現在まで歌い継がれ、紅白歌合戦では「天城越え」に次ぐ史上最多の11回歌唱となっています。2年おきに歌っている近年、今年再び歌われるとまた「天城越え」に並ぶ12回目となります。

 「津軽海峡・冬景色」が紅白歌合戦で残した記録は紅白名言集解説・12~津軽海峡・冬景色の紅白史~で既にまとめました。そこで書いた通り、もし今年の紅白歌合戦で選曲されると史上初・1970年代~2020年代まで6年代にわたる歌唱曲になります。既に2年前の紅白で10代~60代・各年代での歌唱は達成されました。この2曲以外のステージもそろそろ見たい気持ちはありますが、とは言えやはり「津軽海峡・冬景色」の支持は圧倒的です。

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