紅組が哀しみ本線を突っ走るなら、白組は風雪の果てに勝利をつかみ取ります。歌謡生活20年の北島三郎さんに、白組を締めくくってもらいます。(第32回・山川静夫)
— 昭和の紅白名言集 (@kouhakumeigen1) May 30, 2021
20年の風雪に揉まれ続けた歌手生活の全身全霊を打ち込んで、泣いても笑ってもこの1曲。今年の歌い納めはこの人この歌、北島三郎さん「風雪ながれ旅」!(第32回・山川静夫)
— 昭和の紅白名言集 (@kouhakumeigen1) December 6, 2021
紅白歌合戦といえば北島三郎、北島三郎といえば紙吹雪。そのイメージが一般化したきっかけは、1981年・第32回NHK紅白歌合戦の大トリで披露された「風雪ながれ旅」のステージで間違いないと思います。以降も第47回(1996年)・第54回(2003年)・第56回(2005年)・第61回(2010年)・第63回(2012年)で歌われていますが、そのたびに大量の紙吹雪が舞う始末でした。
「風雪ながれ旅」について
「風雪ながれ旅」のレコードが発売されたのは1980年9月15日。冬の時期のヒットを見越したタイミングでのリリースでした。発売当初から評価が高く、この年初めて開催された古賀政男記念音楽大賞の第1回大賞曲として選ばれています。紅白歌合戦でも第32回の前に、第31回の時点で既に選曲されていました。
1980年の紅白歌合戦ではヒット演歌対決で、紅組の対戦相手は翌年にミリオンセラーを記録する都はるみ「大阪しぐれ」。ただ曲順はトリ5つ前。直後に中間発表がある曲順は比較的重要度高い部類に入りますが、それでもトリと比べると大きな扱いではありません。
1981年の紅白歌合戦~新しい演出の導入
さて、年が変わった1981年の紅白歌合戦は、前年までと比べてステージの作り方が大きく変わった年になりました。
これまでの紅白は終始固定のセットをバックに歌う展開で、派手な演出は衣装とダンサーに頼るしかない状況でした。西城秀樹が歌う際によく用いられたドライアイスや紙テープが、ほとんど唯一のステージ演出と言って良かったかもしれません。紙吹雪もエンディングの結果発表で用いられる程度です。
それがこの年は大掛かりな美術セットが作られ、曲間のセット転換が本格的に導入され始めます。常設の歌手席も撤廃になり、ステージを広く使うことが可能になりました。新しい紅白歌合戦の大トリは、演出側にとっても張り切りどころ。この年のサブちゃんが大トリとして選ばれた理由は、「風雪ながれ旅」がロングセラーになっただけでなく、演出的に考えても今までと違う内容が期待出来たからという面もあったのかもしれません(実際、他の候補である森進一「命あたえて」と五木ひろし「人生かくれんぼ」は徹底的に聴かせる、演出が邪魔になるような楽曲でした)。
「風雪ながれ旅」を紅白で初めて披露した1980年は紙吹雪演出など念頭になく、ただただサブちゃんがどっしり歌うステージでした。照明もスポットライトが用意されるくらいに暗めで他に演出は何もなく、後年のステージを見た後だと逆に新鮮だと思えるくらいの内容です。
迎えた大トリのステージ
森昌子が「哀しみ本線日本海」で初の紅組トリを立派に務めた直後にイントロ演奏開始。山川アナの曲紹介が始まります。津軽三味線の演奏を挟んでイントロが2つ存在しているような構成なので、曲紹介の文面も2つに分かれます。これは第32回に限らず、第47回などの曲紹介でも同様でした。サブちゃんは1回目の曲紹介でステージ上段中央に入場、2回目の曲紹介が始まるタイミングで階段を降りて舞台に向かいます。
前のステージから続けてドライアイスが舞い、このステージから白色の紙吹雪演出が加わります。紅白歌合戦の歌のステージで紙吹雪が用いられるのはこれが初めて、ということを重ねて書いておきます。
1番は歌う北島さんをバックにチラホラ紙吹雪が舞う程度です。これは間違いなく風雪と呼べるくらいの量で、違和感はありません。アイヤーアイヤーと歌う表情も笑顔です。
間奏に入り、明らかに紙吹雪の量が多くなり始めます。その雪は舞台上手側からも、舞台下手側からも吹きつけてセットが見えなくなるほどです。間奏の引きの絵、紙吹雪が顔に直撃して払い除ける場面が映ります。2番が始まると顔がアップになりますが、明らかに口の中にまで紙吹雪が入っています。ついでに言うとドライアイスまで多くなって、サブちゃんの姿を演出によって隠すような状況でした。この4年前、沢田研二が「勝手にしやがれ」を歌った時にドライアイスで全く姿が見えなくなったことが『夜のヒットスタジオ』でありましたが、もしかするとそれを思い出した視聴者もいたかもしれません。
ここまで来ると間違いなく風雪ではなくドカ雪、北海道や新潟の内陸で列車が動かなくなるくらいのレベルです。紙吹雪はステージ上でなく、客席にまで入り込む状況でした。ラストサビ、サブちゃんの顔には何十枚も紙吹雪が張り付いています。紅白で通算6回この曲を紙吹雪まみれで歌っていますが、これだけ顔にまとわりつきながら歌ったのはこの時のみです。
繰り返し書きますが、紅白のステージで紙吹雪演出を本格的に導入したのはこれが初めてです。リハーサルもしたとは思いますが、おそらく当時の演出が加減を知らないか間違えたかという推測も出来るほどにあり得ない量でした。ただこれが結局は、サブちゃんの足跡としても紅白の歴史的にも欠かすことの出来ない伝説のパフォーマンスとなります。
歌唱後にも見事にネタに
歌唱後、ファンファーレが鳴る中でサブちゃんは白組司会・山川静夫アナと握手しながら大笑い。この年は白組チームリーダーを務めたサブちゃん、紅組チームリーダーの水前寺清子も彼を労うとともに彼の和服についた紙吹雪を落とす仕草を見せています。
最終審査は圧倒的な差をつける形で白組勝利でした。優勝旗をもらった後の白組司会・山川静夫アナウンサーのコメントは次の通り。
もうね、最後ね、「風雪ながれ旅」の時にね、北島三郎さんの鼻の中にね、あの雪が入るんじゃないかと心配してました。それだけ心配でした。(第32回・山川静夫)
— 昭和の紅白名言集 (@kouhakumeigen1) December 4, 2021
現場で見ている側にとっても、やはりステージのインパクトは相当なものがあったそうです。紅組司会の黒柳徹子も、このステージを見て今年は紅組が負けたと思ったとかなんとか…。
翌年の紅白で、徹子さんは「去年は北島三郎さんの雪のシーンで真っ白になって負けましたので、今年は是非最後に夕焼けかなんか欲しいと思っておりますけれども」とオープニングで引き合いに出しています。それを意識したかどうかは分かりませんがトリの都はるみ「涙の連絡船」で本当に真っ赤な照明をバックにしたステージを実現、最終結果も接戦ではありましたが紅組勝利でした。
北島三郎=紙吹雪は後年すっかり定着
「風雪ながれ旅」だけでなく「まつり」「年輪」「夜汽車」「山」など、北島さんのトリでは紙吹雪演出がすっかり風物詩になりました。この後に紙吹雪無しでトリを務めた例は、第43回(1992年)の「帰ろかな」しかありません。
近年は砲台を用いて紙吹雪を噴射する演出、あるいは赤や青などカラフルな色やハート型にするなどのアレンジも加わりました。降らせる雪も21世紀以降はパウダー状の物が多くなり、演出技術は40年間で大きく進展していることがうかがえます。ただその一方で妙な寂しさを感じる部分もあります。80歳を超えた以上サブちゃんが紅白にいないのは仕方がない所ですが、白い紙吹雪が舞台上に乱舞するような光景はもう紅白で見られないのでしょうか。前回の純烈は大量の紙吹雪で頑張っていましたが、あれはやはり企画の一環と考えるべきでしょう。出来れば冬をテーマにした演歌で、「風雪ながれ旅」を超えるような凄まじい演出をいつか紅白で見られることを期待したいです。
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