紅白名言集解説・23~よくご本人にいいね!を頂いてます~


 今回紹介するのは第40回・1989年。白組には次男坊が多い、色々やり取りした結果、多喜雄さんが12人兄弟で一番多い、ということでオチをつけた内容です。Wikipediaによると次男ではなく、末っ子の一卵性双生児らしいのですが。場面はこのやり取りに登場している吉幾三さんが、「港」を歌いにステージへ行く前です。白組ラストから4番目で、だいぶ遅い時間帯でした。吉さんらしく軽妙に喋っているようにも見えましたが、実はこの時かなりの体調不良で本番後病院に直行したのだそうです。

 さて、この1989年の紅白歌合戦は出場歌手が非常に多角的に選ばれた年でした。一昨年から民謡・ロック・オペラ・シャンソン・ミュージカルなど多ジャンル化を志向していた頃で、更にこの年はアジア音楽祭を見据えて韓国だけでなく香港からも出場歌手が選ばれました。その背景には当時のJ-POP組が軒並み出場辞退したこともあります。プリンセスプリンセス、久保田利伸、米米CLUB、浜田麻里にTM NETWORK(彼らは前年に出場)など、アイドル系以外はテレビにそこそこ積極的に出ていた人でもほぼ断っていた状況でした。爆風スランプ、聖飢魔Ⅱ、杏里、小比類巻かほるの各2組が本当に精一杯、これでは当時初めて視聴率が50%を割ったのは無理もなかったでしょうか…。


 そんな状況の中民謡代表としてこの年初出場を果たしたのが多喜雄さん。1986年アルバム『TAKIO JINC』でCDデビュー、その2年後に『TAKIO』が大きな話題になりました。民謡とロックの融合、これは紅白でも1987年に竜童組が「八木節イントロデュース」を一足先に披露していましたが、多喜雄さんも新たな形の民謡を当時発表していました。1989年の紅白歌合戦、TAKiO BANDを引き連れての初出場は前半をヴァイオリン演奏と歌声中心に聴かせ、中盤以降は太鼓の演奏が目立つ力強いステージを展開。1989年の紅白では、トップクラスに印象的なステージだったように思います。

 TAKIOのソーラン節はその後、稚内南中学校が「南中ソーラン」を作り上げて再び脚光を浴びます。1999年の『3年B組金八先生』第5シリーズで全国に知られ、14年後となる2003年に再び紅白歌合戦で披露されました。稚内南中学校へスタッフが足を運び、同時中継で白組歌手ともども一緒に踊るシーンが非常に印象深かったです。そういえば1989年の紅白歌合戦、白組司会は武田鉄矢さんで歌手としても第3シリーズの主題歌「声援」を歌っていました。これが時を経て金八先生で扱われたのも何かの縁なんでしょうか、もしくは取り上げたこと自体が鉄矢さん自身の発案でもあったのでしょうか…。

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