紅白歌合戦出場歌手の特集、今回は2023年5月で引退を表明する橋幸夫について、データ編とステージ編に分けて書きたいと思います。
近年は話題になる年でも出場はなく、1998年に作曲家・吉田正追悼で「いつでも夢を」を歌った時が最後の出演になっています。ただ来年引退という重要なトピックスがあるので、もしかすると2022年の紅白歌合戦で特別出演もあるのではないかと考えています。
美空ひばりほど鮮烈ではないですが、橋さんも歌謡史・紅白史における重要な記録をいくつか持っています。今回はそれについて触れていきます。
橋幸夫の紅白データ
橋さんは第11回(1960年)~第27回(1976年)まで、17年連続紅白出場を達成しています。また平成の紅白では第41回(1990年)・第49回(1998年)で現在19回出場、あと1回で20回となります。
1960年、第11回の紅白出場は17歳の時でした。歌唱曲は「潮来笠」、この年7月に発売されたデビュー曲です。
第5回(1954年)に11歳で初出場した河野ヨシユキがいるので、年齢に関してはそこまで重要な要素ではありません。ただこの年の出場歌手で河野さんより生年月日が遅いのは、橋さんのみでした。また河野さんを除くと、白組から17歳で登場するのは当時史上初。舟木一夫や西郷輝彦の3人で御三家と呼ばれるのは1964年ですが、デビューした年は橋さんが2人と比較してかなり早めです。
デビュー年から17年連続出場も当時の新記録でした。現在は細川たかしの32年連続・TOKIOの24年連続・氷川きよしの22年連続といった例があります。1年早い第10回(1959年)初出場のザ・ピーナッツが16年連続を達成していますが、第27回で橋さんがその記録を抜く形になっています。
1962年は大ヒット曲の「いつでも夢を」で出場しています。吉永小百合とのデュエット曲ですが、紅白で計4回歌唱した際は全てソロ歌唱でした(第49回は他の紅組歌手と歌うシーンあり)。マニアックな記録ではありますが、デュエット曲をソロで4回歌われた唯一の曲になっています。第21回(1970年)では事前に歌う予定だった曲が本番でこの曲に切り替わる、紅白史上唯一のシーンにもなっています。
第15回(1964年)には「恋をするなら」を歌唱していますが、この時にエレキギターを含むバックバンドを引き連れています。これは現存確認できる限り、紅白で初めてバックバンドを引き連れたステージになっています。
第16回(1965年)は白組トリに選ばれていますが、22歳での抜擢は当時白組史上最年少です。第20回(1969年)の森進一も当時22歳で、細かくいうと11月生まれの森さんが5月生まれの橋さんを半年下回っていますが、白組トリで22歳を下回る歌手が選ばれるケースはそれ以降一度もありません。現在若いと言われている藤井風でさえも24歳なので、今後も余程のことがない限り更新される可能性は低いと思われます。
第19回(1968年)からはステージに殺陣を導入し始めました。これは当時史上初であるとともに、1970年代以降は繰り返し行われる恒例となっています。
1970年代中盤に選曲された「沓掛時次郎」「木曾ぶし三度笠」「俺ら次郎長」は、いずれも当時紅白初歌唱となった過去曲です。楽曲発表当時に紅白出場していたという注釈をつけると、3年連続紅白初歌唱の選曲になった例はこの時のみです。
国際色強い演出になった第41回(1990年)では、マルシアとともにBラジル・サンパウロの劇場から中継が入ります。ブラジルから紅白のステージが披露されるのは、この時が唯一です。
ラストの紅白になった第49回(1998年)は他の紅組歌手とのデュエットですが、紅組歌手が白組のステージにゲストボーカルで参加したのはこの時が初めてでした。
橋幸夫の紅白データ~19回分のまとめ
最後は歌唱曲データです。現在まで約60年間ずっとビクター専属、特に1960年代の楽曲は当時のヒットメーカー・佐伯孝夫と吉田正の提供が大半を占めています。細かくはまたステージ編で振り返る予定です。
出場回 年齢 | 歌唱曲 | 作詞者 作曲者 | 発売日 | 曲順 | 主なデータ | 主な受賞 | 他の発売曲 |
第11回 (1960年) 17歳 | 潮来笠 | 佐伯孝夫 吉田 正 | 1960/7/5 | 白組3番手/27組中 | ・日本レコード大賞新人賞 | ・おけさ唄えば ・木曾ぶし三度笠 | |
第12回 (1961年) 18歳 | 南海の美少年 | 佐伯孝夫 吉田 正 | 1961/5/5 | 白組14番手/25組中 | ・磯ぶし源太 ・沓掛時次郎 ・俺ら次郎長 | ||
第13回 (1962年) 19歳 | いつでも夢を | 佐伯孝夫 吉田 正 | 1962/9/20 | 白組14番手/25組中 | ・日本レコード大賞受賞 | ・江梨子 ・中山七里 ・若いやつ | |
第14回 (1963年) 20歳 | お嬢吉三 | 佐伯孝夫 吉田 正 | 1963/10/20 | 白組15番手/25組中 | ・舞妓はん ・若い東京の屋根の下 | ||
第15回 (1964年) 21歳 | 恋をするなら | 佐伯孝夫 吉田 正 | 1964/8/5 | 白組トリ2つ前 | ・そこは青い空だった ・大利根仁義 ・チェッ・チェッ・チェッ | ||
第16回 (1965年) 22歳 | あの娘と僕 | 佐伯孝夫 吉田 正 | 1965/6/5 | 白組トリ | ・日本レコード大賞企画賞 | ・さすらい者 ・すっ飛び野郎 | |
第17回 (1966年) 23歳 | 霧氷 | 宮川哲夫 利根一郎 | 1966/10/15 | 白組13番手/25組中 | ・日本レコード大賞受賞 | ・雨の中の二人 ・恋と涙の太陽 | |
第18回 (1967年) 24歳 | 若者の子守唄 | サトウハチロー 鈴木邦彦 | 1967/8/15 | 白組12番手/23組中 | ・恋のメキシカン・ロック ・佐久の鯉太郎 | ||
第19回 (1968年) 25歳 | 赤い夕陽の三度笠 | 佐伯孝夫 吉田 正 | 1968/8/5 | 白組トリ | オリコン週間最高41位 | ・思い出のカテリーナ ・夜明けの二人 | |
第20回 (1969年) 26歳 | 京都・神戸・銀座 | 橋本 淳 筒美京平 | 1969/3/5 | 白組12番手/23組中 | オリコン週間最高10位 | ・東京-パリ |
出場回 年齢 | 歌唱曲 | 作詞者 作曲者 | 発売日 | 曲順 | 主なデータ | 主な受賞 | 他の発売曲 |
第21回 (1970年) 27歳 | いつでも夢を | 佐伯孝夫 吉田 正 | (2回目) | 白組6番手/24組中 | ・俺たちの花 ・浮巣の半次郎 | ||
第22回 (1971年) 28歳 | 次郎長笠 | 藤田まさと 吉田 正 | 1971/2/5 | 白組21番手/25組中 | ・新山男の唄 | ||
第23回 (1972年) 29歳 | 子連れ狼 | 小池一雄 吉田 正 | 1971/12/5 | 白組19番手/23組中 | 1972年オリコン年間23位 | ・日本レコード大賞大衆賞 ・日本歌謡大賞特別賞 | ・三途の川の乳母車 |
第24回 (1973年) 30歳 | 潮来笠 | 佐伯孝夫 吉田 正 | (2回目) | 白組6番手/22組中 | ・帰って来た潮来笠 ・日本のこころ | ||
第25回 (1974年) 31歳 | 沓掛時次郎 | 佐伯孝夫 吉田 正 | 1961/4/5 | 白組12番手/25組中 | ・京ごよみ-沖田総司- ・噂の金四郎 | ||
第26回 (1975年) 32歳 | 木曾ぶし三度笠 | 佐伯孝夫 吉田 正 | 1960/12/10 | 白組15番手/24組中 | ・花の喧嘩旅 ・傘 | ||
第27回 (1976年) 33歳 | 俺ら次郎長 | 佐伯孝夫 吉田 正 | 1961/10/20 | 白組12番手/24組中 | ・おとこ酒 ・人生はまだ語れない | ||
第41回 (1990年) 47歳 | いつでも夢を | 佐伯孝夫 吉田 正 | (3回目) | 白組後半8番手/20組中 | ・暖春 ・荒野をひとり | ||
第49回 (1998年) 55歳 | いつでも夢を | 佐伯孝夫 吉田 正 | (4回目) | 前半大トリ |
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