紅白歌合戦・桜田淳子の軌跡~データ&エピソード編~

 今日から2日間は、桜田淳子の紅白歌合戦を特集します。

 『スター誕生!』でグランプリに輝いたのが1972年、「天使も夢みる」でデビューしたのが1973年2月25日。したがって今年でデビュー50周年・歌手生活50年目という非常にキリが良い年となります。

 第25回(1974年)~第33回(1982年)まで9回連続紅白歌合戦に出場、これは歌手として活動した期間とほぼ重なります。花の中3(高1)トリオと呼ばれたアイドル時代から、中島みゆきの楽曲提供が印象的だった後期まで、そんな淳子さんの紅白歌合戦をエピソード&データ編、ステージ&応援編の2つに分けて紹介します。

桜田淳子の紅白歌合戦エピソード

初出場は高1トリオ揃い踏み

 紅白歌合戦に初出場を果たしたのは1974年・第25回。同時に山口百恵も「ひと夏の経験」で初出場、1年早い森昌子とともにこの年は”花の高1トリオ”と呼ばれます。同時に白組も西城秀樹が初出場で、郷ひろみ野口五郎と一緒の”新御三家”が紅白で揃う年になりました。

 このアイドル対決は第25回(1974年)前半で大きく扱われ、「黄色いリボン」で歌うステージは昌子・百恵が一緒に後ろで踊る内容となります。直後に組まれたのが郷ひろみ「花とみつばち」、内容もヒデキとゴローが後ろで踊るという和やかかつバチバチの対決モードでした。

 百恵さんが結婚引退したことで3人揃っての紅白は第30回(1979年)が最後となりますが、その時期のみならずトリオとして解散した後も3人勢揃いするシーンは多数あります。次の記事であらためて紹介する予定です。

秋田県出身で初の紅組歌手

 秋田の女性は秋田美人、とよく呼ばれますが、秋田県出身の女性歌手が紅白に出場したのは淳子さんが初めてです。

 白組は第1回にも出場した東海林太郎が秋田県出身です。他に鶴岡雅義と東京ロマンチカの鶴岡さんや黒沢明とロス・プリモスのコーラス担当・村上章が該当します。

 もっとも淳子さん以降に紅白出場した歌手は全員女性、紅組からの出場です。藤あや子岩本公水、あとは乃木坂46生駒里奈鈴木絢音も秋田県出身です。ただいずれも出身自治体は違うようで、秋田市出身の紅組歌手は現在も桜田淳子が唯一となっています。

白組歌手を紅組ステージに迎え入れる

 第32回(1981年)で披露した「This is a “Boogie”」では、当時としては非常に画期的な試みである演出が展開されました。

 この年「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒットした西田敏行が歌手として白組から初出場。淳子さんのステージはその直後に組まれますが、イントロが始まっても西田さんがステージで居残ります。そのまま1コーラス一緒に踊るという内容は、まだまだ対決ムードが強かった当時としてはかなり異例の演出でした。詳しくはステージ編でまたじっくり書く予定です。

名曲紅白・まさかのカバー

 いまだに紅白歌合戦ファンのみならず鮮烈な印象を視聴者に残したステージといえば、第33回(1982年)の「セーラー服と機関銃」が挙げられます。

 この年は中堅~ベテラン歌手に名曲を歌ってもらうといういわゆる「名曲紅白」でしたが、中には意図が分からないカバーの選曲も多く発生しました。「セーラー服と機関銃」は言うまでもなく薬師丸ひろ子のデビュー曲ですが、当時は学業優先のため紅白も辞退。そのため歌手より女優活動の方が顕著になりつつあった淳子さんに歌ってもらう、という形になったようです。

 カバー曲の選曲は平成以降でも多々ありますが、その年のヒット曲が別の歌手によって歌われるのは極めてレアケース。2021年に置き換えると「ドライフラワー」や「うっせぇわ」を他の歌手に歌ってもらうような物です。鬼束ちひろに提供した「いい日旅立ち・西へ」を谷村新司が披露した例もありますが、外国曲以外で全く接点もないその年のヒット曲のカバーはあらためて調べてもこの時以外全く例なしでした。なお「セーラー服と機関銃」の淳子さんボーカルはいまだに音源化されていません。

歌手引退後にも1度紅白歌合戦に出演

 歌手活動は1983年を最後に停止となりますが、女優としては引き続き活躍。その中で、第36回(1985年)にゲスト出演します。

 この年は連続テレビ小説『澪つくし』に主演・沢口靖子の異母姉として出演。平均視聴率44.3%を記録した国民的ヒットということもあって、「めでたづくしの澪つくし」という企画コーナーが作られましたが、その出演者として登場しました。

 淳子さんは歌手活動の実績があるとともに、紅組司会を務めたのが森昌子という偶然もありました。そのため他の出演者よりもひと足早く、昌子さんに花束を贈るシーンが用意されています。

桜田淳子の紅白データ~9回分のまとめ

 最後は歌唱曲データです。細かくはまたステージ編で振り返る予定です。なおセーラー服と機関銃」は、薬師丸ひろ子が歌った原曲の発売日を記載しました。

出場回
年齢
歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主なデータ主な受賞他の発売曲
第25回
(1974年)
16歳
黄色いリボン阿久 悠
森田公一
1974/5/25紅組5番手/25組中1974年オリコン年間80位・三色すみれ
・花占い
第26回
(1975年)
17歳
はじめての出来事阿久 悠
森田公一
1974/12/5紅組7番手/24組中1975年オリコン年間11位・日本レコード大賞大衆賞
・日本テレビ音楽祭トップアイドル賞
・ひとり歩き
・白い風よ
・十七の夏
・天使のくちびる
第27回
(1976年)
18歳
夏にご用心阿久 悠
森田公一
1976/5/25紅組8番手/24組中1976年オリコン年間22位・日本歌謡大賞放送音楽プロデューサー連盟賞・ゆれてる私
・泣かないわ
・ねえ!気がついてよ
第28回
(1977年)
19歳
気まぐれヴィーナス阿久 悠
森田公一
1977/5/15紅組トップバッター1977年オリコン年間65位・あなたのすべて
・もう戻れない
第29回
(1978年)
20歳
しあわせ芝居中島みゆき
中島みゆき
1977/11/5紅組6番手/24組中1978年オリコン年間44位・日本レコード大賞金賞・追いかけてヨコハマ
・リップスティック
第30回
(1979年)
21歳
サンタモニカの風阿久 悠
萩田光雄
1979/2/25紅組5番手/23組中1979年オリコン年間99位・MISS KISS
・LADY
第31回
(1980年)
22歳
美しい夏康 珍化
馬飼野康二
1980/4/21紅組12番手/23組中1980年オリコン年間255位・日本レコード大賞金賞・夕暮れはラブ・ソング
・神戸で逢えたら
第32回
(1981年)
23歳
This is a “Boogie”実川 俊
小田裕一郎
1981/9/21紅組13番手/22組中・化粧
・ミスティー
第33回
(1982年)
24歳
セーラー服と機関銃来生えつこ
来生たかお
1981/11/21紅組15番手/22組中(1982年オリコン年間2位)・窓

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