紅白歌合戦・西郷輝彦の軌跡

 白組歌手として10回、ゲストとしても1回紅白歌合戦に出場した西郷さんの訃報が入りました。これに際して桜田さんのステージ記事作成前ですが、急遽記事を作ることにします。

 歌手として出場したのは第15回(1964年)~第24回(1973年)の10回、その中には映像が確認できないステージもあります。そのため今回は1回1回のステージ中心に、その都度エピソードを紹介する形でいきます。まずは10回分のデータを表にして、その後に各ステージについて振り返ります。

西郷輝彦の紅白データ~10回分のまとめ

 まずは歌唱曲データです。多くのヒット曲がありますが、意外と紅白で披露されていない名曲も多くあります。同じ曲が歌唱された例は「星のフラメンコ」のみでした。平成前半で1度くらい出場があっても不思議ではない実績でしたが、当時は時代劇を中心とした俳優活動中心。第38回(1987年)の応援ゲストのみに留まっています(NHKには大河ドラマの出演が4作あり)。

出場回
年齢
歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主なデータ主な受賞他の発売曲
第15回
(1964年)
17歳
十七才のこの胸に水島 哲
北原じゅん
1964/8/1白組17番手/25組中・日本レコード大賞新人賞・君だけを
・星空のあいつ
第16回
(1965年)
18歳
星娘浜口庫之助
浜口庫之助
1965/9/10白組トリ2つ前・から松林の別れ道
・恋人ならば
第17回
(1966年)
19歳
星のフラメンコ浜口庫之助
浜口庫之助
1966/7/1トップバッター・日本レコード大賞作曲賞・涙になりたい
・傷だらけの天使
第18回
(1967年)
20歳
願い星叶い星浜口庫之助
浜口庫之助
1967/5/1白組13番手/23組中・世界の国からこんにちは
・潮風が吹きぬける町
第19回
(1968年)
21歳
友達の恋人銀川晶子
R. Carlos
1968/10/1白組6番手/23組中オリコン週間最高32位・月のしずく
・若鷲の歌
第20回
(1969年)
22歳
海はふりむかない田谷静恵
中川博之
1969/9/10白組3番手/23組中オリコン週間最高58位・涙は眠れない
・三日月のバロック
第21回
(1970年)
23歳
真夏のあらし阿久 悠
川口 真
1970/8/1白組13番手/24組中オリコン週間最高12位・日本レコード大賞作曲賞・静かに静かに
・情熱
第22回
(1971年)
24歳
掠奪阿久 悠
都倉俊一
1971/7/10白組5番手/25組中オリコン週間最高51位・雪が降る
・魅惑
第23回
(1972年)
25歳
愛したいなら今阿久 悠
都倉俊一
1972/7/20白組12番手/23組中オリコン週間最高67位・哀しみの終るとき
・気まぐれな日曜日
第24回
(1973年)
26歳
星のフラメンコ浜口庫之助
浜口庫之助
(2回目)白組2番手/22組中・ローリング・ストーンズは来なかった
・どてらい男

第15回(1964年)「十七歳のこの胸に」

作詞:水島 哲 作曲:北原じゅん
前歌手:植木 等、青山和子
後歌手:
倍賞千恵子、舟木一夫
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 前年に創立されたばかりのクラウンレコード(現・日本クラウン)専属第1弾として、この年「君だけを」でデビュー。早々に大ヒットして、当時の紅白ではまだ数少ない新人の初出場となりました。いわゆる御三家は橋幸夫舟木一夫もデビュー年に紅白初出場を達成しますが、デビュー曲を歌っていないのは西郷さんだけです。また「君だけを」は残念ながら、紅白歌合戦で一度も歌われていない名曲の一つに数えられる結果となりました。なお同レーベルからはコロムビアから移籍した北島三郎が前年に初出場となりますが、同社から発売された楽曲が紅白歌合戦で披露されるのはこの年からでした。

 作曲家の北原じゅんは当時クラウンレコード専属で、同年に「兄弟仁義」、後年に「命くれない」を提供した人です。「君だけを」は青春歌謡でしたが、初紅白で選曲された「十七歳のこの胸に」は演歌の色がやや強い内容です。「高校三年生」とは対照的、「潮来笠」とはまた異なるテイストの内容になっています。ちなみに同タイトルの映画が、西郷さんのスクリーンデビュー作でもありました(ドラマはそれ以前に出演あり)。

 なお第15回紅白は映像が残っていません。NHKから発行した紅白歌合戦の特集雑誌にもこのステージの写真は無く、紅白歌合戦に関する文献でも内容は書かれていません。当然この年の日本レコード大賞では新人賞を受賞、さすがに自伝をチェックすれば少しは記述あるのではないかと思いますが…。

第16回(1965年)「星娘」

作詞・作曲:浜口庫之助
前歌手:フランク永井、坂本スミ子
後歌手:中尾ミエ、北島三郎
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 ”星娘 イェイイェイイェイ”の歌詞でお馴染み、北原じゅんや米山正夫といったクラウン専属作曲家と全く違うテイストの明るいポップな楽曲です。「愛して愛して愛しちゃったのよ」「涙くんさよなら」と同時に、浜口庫之助が本格的にヒットメーカーと言われ始めたのはこの1965年からでした。

 鹿児島弁の電報が読み上げられる形で曲紹介。笑顔でリズミカルに2コーラス歌い上げるステージでした。アップテンポな楽曲なのでもう少し後の紅白だと前半配置になるところですが、この年はトリ2つ前。白組トリがリズム歌謡の橋幸夫「あの娘と僕」(当時のステージレビュー)なので、終盤はかなり意図的かつ積極的な人選だったことが伺えます。

 ステージ以外では、翌年放送される大河ドラマ『源義経』の応援で舟木一夫山田太郎三田明とともに牛若丸に扮して登場するシーンがありました。衣を上げて「我こそは◯◯(名前)牛若丸なり」と自ら名乗り、いずれも若い女性から人気の大スターでしたが、観客の黄色い声が一番大きかったのは西郷さんでした。なお静御前に扮する藤純子(現・富司純子)が出演するこのシーンは、紅白歌合戦史上初の大河ドラマに絡めた応援となっています。

第17回(1966年)「星のフラメンコ」

作詞・作曲:浜口庫之助
前歌手:(オープニング)
後歌手:中尾ミエ、島 和彦

曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 この年は紅白歌合戦全体のトップバッターとして抜擢されました。宮田輝ペギー葉山による司会者同士のやり取り後に曲紹介。内容は白組司会に際してひとしきり挨拶を終えた後「さあ最初に、西郷輝彦さんです。どうぞ!」、曲名の紹介も無く至ってシンプル。

 舞台上手(白組)下段ではなく上段から階段を降りての登場です。高らかに鳴り響くオープニングのファンファーレで演奏開始。本人がスペインで見たフラメンコをきっかけに生まれた楽曲は、自身最大のヒット曲となりました。リアルタイムでなくても、コマーシャルや歌番組などで耳にした人は非常に多いのではないかと思われます。

 イントロに乗せて早速フラメンコのポーズで手拍子、”好きなんだけど~”の後の手拍子は観客だけでなく白組演奏オーケストラの面々も参加しています。1コーラス半、ラストの”オーレ!”の後にもジャーンという演奏が加わりました。会場大拍手。

 紅組司会を担当するペギー葉山も、直後の曲紹介でこの曲を引用。「”♪好きなんだけど~”なんて言ってますけど、好きなら好きってはっきり言ってくださりゃいいんですよ、そうすりゃ”♪わかるんだけど~”とこう来ちゃうんですよね~。どうもこの頃の男性てのはハッキリしなくて困りますね」とネチネチ反撃する内容でした。

 ステージ以外では、坂本九「レッツ・キッス」のジェシカダンスに参加しているシーンが確認できます。ただそれ以外は歌手席・OP・EDくらいで特筆すべきシーンはありません。

第18回(1967年)「願い星叶い星」

作詞・作曲:浜口庫之助
前歌手:島倉千代子、橋 幸夫、(中間発表)
後歌手:江利チエミ、坂本 九
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 3年連続ハマクラ作品、「星娘」「星のフラメンコ」「願い星叶い星」で”夏の星3部作”とも呼ばれています。ただ他のシングルは当時もやはり北原じゅん・米山正夫・星野哲郎といった専属作家が主体でした。ハマクラさんみたいなフリーの作詞家・作曲家が少しずつ増え始める時期ではありましたが…。したがって1960年代の西郷さんを振り返る場合、紅白&ヒット曲のみと全シングルでは聴こえ方がかなり変わるのではないかと思われます。

 中間発表前後の曲順は、当時トリ・トップバッターに次いで重要な曲順でした。橋幸夫舟木一夫島倉千代子江利チエミなどがよく任されていましたが、この年後半トップバッターに初めて選ばれます。

 「星娘」「星のフラメンコ」と比べると、ムーディーな雰囲気の楽曲です。それゆえに曲調と”イェイイェイイェイ”のギャップが癖になる内容になっています。2コーラスの歌唱でした。ただ後年の特集番組も含めて、映像でのステージは1度も確認できていません。

 

第19回(1968年)「友達の恋人」

作詞:銀川晶子 作曲:R. Carlos
前歌手:ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、ザ・ピーナッツ
後歌手:三沢あけみ、フランク永井

曲紹介:坂本 九(白組司会)

 西郷さんが外国曲をシングル表題曲で歌うのは珍しく、デビュー5年目にしてこの曲が初でした。作詞の銀川晶子は彼自身のペンネームです。

 ザ・ピーナッツが「ガラスの城」でダンサブルなステージを披露後、坂本九「いってみるかね?」という言葉を合図に2人揃って華麗なステップ。軽快なテンポの曲紹介ですが、こちらのステージは特にダンサーも無しで熱唱。ただ間奏でリズムを取る場面は見られます。

 この年の紅白歌合戦はカラー放送ですが、BSでの再放送はリマスタリングして2003年にようやく白黒でという状況でした。オープニングから前半まではそこまで低い画質ではありませんが、このステージ辺りから画面が波打ち始めます。以降は激しいノイズがかかる場面もあり、酷い場合は静止画処理で音声のみというステージも見られました。

第20回(1969年)「海はふりむかない」

作詞:田谷静恵 補作詞:水沢圭吾 作曲:中川博之
前歌手:千 昌夫、小川知子
後歌手:カルメン・マキ、アイ・ジョージ
曲紹介:坂本 九(白組司会)、宮田 輝(総合司会)

 直前に「初恋のひと」を歌った小川知子の髪型を「おせち料理のくわいですよ」とイジる宮田輝アナ。紅組司会の伊東ゆかりとともに3人でのやり取り後、九ちゃんが西郷さんに話しかけようとしますが全く振り向かずにステージに逃げます。「振り向いてよ!でもこれでいいんです。もっとはっきり言いましょう、「海はふりむかない」。西郷輝彦くんの登場です」、前年同様九ちゃんとのコンビネーションが光る曲紹介でした。

 楽曲は青春歌謡風のややポップな内容で、いわゆる歌謡曲調の楽曲です。あまりヒットはしませんでしたが比較的憶えやすい内容で、”パパヤ”と歌う女性コーラスが耳に残ります。2コーラス、間奏で見せるステップは前回の曲紹介と似た動きでした。

 映像は白黒ですが当時はカラー放送、写真もカラーで残っているようです。白組歌手の大半がタキシード姿の中でこの年はオレンジ色のスーツ、歌手集合のシーンでは一際目立っています。白黒で見ても、白や黒ではないことは容易に分かる色でした。

 

第21回(1970年)「真夏のあらし」

作詞:阿久 悠 作曲:川口 真
前歌手:島倉千代子、三波春夫、(中間発表)
後歌手:藤 圭子、内山田洋とクール・ファイブ
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 オリコンのチャート集計が始まった1968年以降、大ヒット曲が出ない状態が続いていましたが、この曲はヒットしました。日本レコード大賞作曲賞受賞、年間100位以内に入るレコード売上を記録しています。これに伴い、曲順も3年ぶりに攻守交代後の後半トップバッターという形になりました。川口真が作曲した激しい曲調が印象的で、この年以降ロックの要素が入った楽曲が紅白で続きます。

 ダーク・ダックスデューク・エイセスがコーラスで加わる超強力布陣、迫力が倍増しています。テンポも紅白歌合戦らしく?速くなっていて、原曲と比べると1.5倍かそれ以上というくらいの状況です。元々が2コーラスで3分ほどの演奏時間ですが、これをイントロ間奏を若干カットしながら2分25秒くらいに収めています。1970年代は原曲よりテンポの早い演奏のステージが頻出しますが、これがそのきっかけだったかもしれません。少なくとも前年まではここまで露骨に速くなるステージはありませんでした。全編映像は残っていませんが、この年はまるまるカットされた応援があるほど時間が押した紅白だと言われています。

 なおこの年に「私生活」で辺見マリが初出場しますが、西郷さんは2年後に彼女と結婚します。ただ1981年に残念ながら離婚。2人のお子さんは長男がミュージシャン、長女がタレントとして主に1990年代以降活躍。また再婚した相手の娘もモデルとして芸能界入りしています。

第22回(1971年)「掠奪」

作詞:阿久 悠 作曲:都倉俊一
前歌手:坂本 九、ちあきなおみ
後歌手:岸 洋子、(中間発表)、加藤登紀子
曲紹介:宮田 輝(白組司会)
踊り:ワールドダンサーズ

 この年は前年以上にタイトな内容で、前半から全く余裕のない進行でした。そんな中でステージが始まります。一応合間は設けられていますが、映像はステージ全体の引きの状態のままでした。

 ピアノ演奏のみをバックに歌い上げるオープニングですが、当時の歌謡曲でこういった構成の楽曲は稀でした。阿久悠・都倉俊一コンビは翌年の山本リンダ、さらにフィンガー5やピンク・レディーで一時代を築き上げますが、最初に組んだのは井上順「昨日・今日・明日」とこの曲です。衣装は真っ白、そのため画面下部中央に入る歌手名テロップがこのステージだけ左端配置でした。

 ダンディーかつ声量たっぷりの歌声を披露した後は、ダンサブルなステージになります。激しい曲調ということで、女性ダンサーもバックに加わります。1分35秒近く経ったところで一旦演奏終了、観客からパラパラ拍手。ただこれは休符演出で、「ワン、ツー、スリー、フォー」の掛け声で再び演奏が始まる合図です。それに指揮者かディレクターが惑わされたのでしょうか、思わず紅組側のオーケストラが岸洋子「希望」の演奏を始めてしまうハプニングが発生。白組側の音に気づいてすぐに音は鳴り止みますが、非常に珍しい場面でした。

 この年は歌唱時間も2分50秒近く、当時の紅白歌合戦ではかなり長い部類に入ります。また前年と違い、誰もが知っているヒット曲ではありません。それらの要素もハプニングが起こる原因になったと思われます。さすがにこれ以降、同様のハプニングは一切発生しませんでした。なお紅組側と白組側のオーケストラが統一されたのは第34回(1983年)以降です。

第23回(1972年)「愛したいなら今」

作詞:阿久 悠 作曲:都倉俊一
前歌手:ビリー・バンバン、本田路津子
後歌手:森山良子
、菅原洋一
曲紹介:宮田 輝(白組司会)
踊り:ワールドダンサーズ

 この年もダンサーが入る演出でした。「激しいフォーリーブスの踊りがございます」とテレビ実況で入りますが、どう見ても4人ではなく5人参加している様子。真ん中にいるのは女性、この年なぜか白組から出場となった青い三角定規の西口久美子が参加している様子です。ちなみに西口さんは結成前にティーンズというダンスグループに参加していた経験があります。5人は1番を踊っただけで退場、間奏以降はワールドダンサーズの男女ダンサーがステージを盛り上げます。

 前年は変則的な構成でしたが、この年は普通に2コーラス歌唱。これがフルコーラスですが、2年前ほど速い演奏ではありません。迫力ある歌声と楽曲は共通、ラストはシャウトで締めました。

第24回(1973年)「星のフラメンコ」

作詞・作曲:浜口庫之助
前歌手:布施 明、いしだあゆみ
後歌手:森 昌子、野口五郎
曲紹介:宮田 輝(白組司会)
踊り:鹿島とも子、日劇ダンシング・チーム

 NHKホール初年度の紅白、中堅~ベテラン勢はほぼ全員が過去曲の歌唱です。特に目立ったヒット曲がない歌手は、一桁の出場回数でも過去曲に回るケースが目立った年でした。10年連続出場を果たした西郷さんも例外ではなく、代表曲「星のフラメンコ」を再び歌唱する形になっています。

 フィジー(宮田アナはフィージーと読み上げてます)からの電報を読み上げる間に演奏開始。横にいるにしきのあきらがトランペットを演奏しますが、明らかに音が出ていません。鶴岡雅義もフラメンコギターで参加、こちらも演奏は間違いなくしていますが音が入っているのかどうか…。ちなみに集音マイクは用意されていました。

 西郷さんは7年前より華麗な姿で、多少スペインに寄せた黒い帽子を被っています。間奏では鹿島とも子と日劇ダンシング・チームが参加、鹿島さんとペアになってカルメン風のダンスを披露する場面もありました。ステージの奥行きが東京宝塚劇場と比べて広くなり、舞台がアップデートされています。ラストのロングトーンもアカペラ編曲で、ジャンプした後に決めポーズもバッチリ。「カッコいいですね」と、次に紅組側で曲紹介する水前寺清子も思わず呟く素晴らしい内容でした。

 この年フジテレビでドラマ『どてらい男』に主演、これがヒット作となりました。以降歌手活動を縮小して俳優活動に主軸を置く形になったこともあって、紅白歌合戦の白組歌手としての出場はこの年が最後となっています。

それ以降の活躍

 紅白歌合戦にはその後第38回(1987年)にゲスト出演します。渡辺謙、三浦友和と一緒にこの年放送された大河ドラマ『独眼竜政宗』の片倉小十郎役として出演、白組司会で直後に「海、その愛」を歌う加山雄三にエールを贈る形の登場でした。『独眼竜政宗』は今なお語り継がれる名作中で名作で、平均視聴率39.7%は大河ドラマ歴代1位の記録となっています。私も2度この作品を見ましたが、片倉小十郎役は実直な役柄がまさに西郷さんに合っているはまり役でした。

 時代劇には大河ドラマに4作出演、その他『江戸を斬る』主演など数多くの役柄を演じています。現代劇では『どてらい男』『新幹線公安官』などで主演、刑事ドラマや2時間ドラマの出演も多かったようです。近年は『ノーサイド・ゲーム』の島本社長役が話題になっていました。

 1974年以降もヒットこそありませんが、2013年までは何年かに1作のペースで新曲発表もありました。ただ残念ながらストリーミングで聴けるのは東芝EMI時代のアルバム『SOUTHER』(1983年)のみです。ようやく今年に入って北島三郎が解禁されましたが、コロムビア辺りと比べるとまだ日本クラウンは遅れている印象があります。あらためて早期解禁を希望します。

 大病の報道は数年前から耳にしていましたが、歌手としても俳優としても生きていて当たり前くらいの存在感だったので、75歳とはいえショックはやはりあります。小田和正や井上陽水など同年代でバリバリ現役の歌手も多くいるので、余計にその思いは強いです。あらためてご冥福をお祈りします。

 

 

 

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