紅白歌合戦・華原朋美の軌跡

 ここまで取り上げてきた歌手は昭和期がメインで、平成J-POPはここまでモーニング娘。藤井フミヤくらいしか書いていません。というわけで今回は平成期のJ-POPから、華原朋美について書きたいと思います。

 1990年代以降にデビューしたミュージシャンは安定した音楽活動を続ける人が昭和と比べても多くなっていますが、華原さんは現在まで波乱万丈の歌手生活となっています。昭和でもここまでジェットコースター的な人生を送っている人は、あまりいないような気がします。紅白歌合戦は1996年~1998年、2002年~2003年と2期にわたって5回出場していますが、その5回とも全く状況の異なるステージでした。今回は冒頭に表をまとめた後、それぞれの紅白歌合戦出演時の様子を振り返っていきます。

華原朋美の紅白データ~5回分のまとめ

出場回
年齢
歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主なデータ主な受賞他の発売曲
第47回
(1996年)
22歳
I’m proudTETSUYA KOMURO
TETSUYA KOMURO
1996/3/6紅組後半2番手/15組中1996年オリコン年間8位日本レコード大賞優秀作品賞・LOVE BRACE
・save your dream
第48回
(1997年)
23歳
Hate tell a lieTetsuya Komuro
Tetsuya Komuro
1997/4/23紅組後半1番手/15組中1997年オリコン年間14位・LOVE IS ALL MUSIC
・たのしく たのしく やさしくね
第49回
(1998年)
24歳
daily newsTetsuya Komuro
Tetsuya Komuro
1998/10/21紅組後半3番手/15組中1998年オリコン年間299位・tumblin’ dice
・here we are
第53回
(2002年)
28歳
あきらめましょうTomomi Kahala & Gu Suyeon
Atsuki Kimura
2002/4/24紅組前半7番手/13組中2002年オリコン年間444位
第54回
(2003年)
29歳
ありがとね!歌凛
馬飼野康二
2003/10/22紅組前半12番手/14組中オリコン週間最高145位・PLEASURE

第47回(1996年)「I’m proud」

ステージ

作詞・作曲:TETSUYA KOMURO
前歌手:安室奈美恵、藤井フミヤ
後歌手:玉置浩二、松田聖子

曲紹介:松たか子(紅組司会)
ピアノ演奏:小室哲哉

 デビュー2年目で記念すべき初出場。曲前にトークあり。

松「紅白初出場の華原朋美さんです。えーと…この、これから歌って頂く曲には、いろんな思い出があるそうですけれども」
華原「はい。ビデオの撮影で、ロサンゼルスの撮影に行きました」
松「そうですか、高いビルの上で、歌っていらっしゃった…」
華原「そうです」
松「すごいですね…じゃあ、スタンバイお願いします」

 紅組司会の松さんは当時19歳。司会初経験で全く慣れていない上に、2010年代以降の内村光良のようななサポート役もいない状況は見返すと紅白史上でも極めて過酷な状況です。白組司会の古舘伊知郎は経験豊富でしたが、当時は両組の司会が常時一緒に曲紹介というシチュエーションではありません。華原さんは決められた内容を笑顔で答えていましたが、紅白以前に個人同士での交流はおそらくなく、会話をしているやり取りには全く見えなかったです。

 オリジナルのRadio Editとは異なるオーケストラ・アレンジ、プロデューサーの小室哲哉がピアノ演奏とコーラスを担当します。直前に小室さんの方向に振り向いてからサビの歌唱をスタート。音程はやや不安定ですが、声量と高音域の発声は当時のJ-POP歌手だと間違いなく上位に入る存在でした。NHKホールを揺るがすような歌声は、1コーラス歌唱後に観客席から拍手が起こるほどの内容です。

 ピアノを弾く小室さんは、実質的にこのステージのバンドマスターも兼ねているように見えます。1番サビが終わってからの間奏は、ピアニストにとっては山場とも言える部分でした。その演奏で少しずつ雰囲気を盛り上げて、「ワン、トゥー、スリー、フォー」のコールとともにラストサビに入ります。

 転調してからのラストサビは前半が短縮されていて、原曲とは違う”つなぎとめる何か”の歌詞で音程を上げる構成になっています。ここは新鮮と感じたか違和感を憶えたか見解が分かれる部分です。個人的にはこの曲は何十回も歌詞全コピするくらい聴いていて、他の番組でも無かった構成だったと記憶しているので新鮮より違和感の部分の方が大きかったです。とは言えこれが紅白、とある意味では呼べる構成だったのかもしれません。

 畳み掛けるような最後のパートはやはり見事な内容でした。小室さんのピアノも、華原さんの歌声に乗せられたかのような名演奏となっています。大舞台の緊張から解放されて、うつむき加減に笑顔を見せる姿も印象的でした。

 前年「keep yourself alive」でデビュー、2ndシングル「I BELIEVE」がミリオンセラーになりましたが11月くらいからのヒットのため紅白歌合戦の選出には間に合わず。その中でさらに結果を残したのが「I’m proud」でした。同年3月はこの曲だけでなく安室奈美恵「Don’t wanna cry」(レコード大賞受賞)やTRFの新曲、さらに当時日本記録を樹立したglobe『globe』に新しいユニット・dosのデビューもありました。同じプロデューサーの作品でここまでリリースが集中した例もあまり多くありません。

 華原さんのデビューに際してはパイオニアLDC内にORUMOK RECORDSという個人レーベルを設立するほどの力の入れようで、いつしか2人はラブラブな恋人関係となります。『HEY! HEY! HEY!』出演に華原さんが出演した際にも、小室さんが好きであることを全く隠さずどころか堂々とアピールしていました。

 ちなみにこの年小室さんはglobeのメンバーとして初出場していますが、第39回(1988年)や第46回(1995年)にもそれぞれTM NETWORKH jungle with tの1人として紅白に出場。3名義での初出場および紅組と白組両方から歌手として出場した男性は、この年の小室哲哉が初めてです(女性はサザンオールスターズ原由子の例があり)。

その他

 当日は日本レコード大賞にも出演、優秀作品賞にも選ばれていたはずですが前半でも20時オープニング~20時半くらいまで登場。JUDY AND MARYの応援でこの時期流行した「チョベリバ」の解説する台本のセリフを任されましたが、かなりグダグダの喋りでした。

 その後紅組4番手・長山洋子「ヨコハマ・シルエット」のステージにも傘を持った貴婦人のような姿で登場。藤あや子伍代夏子坂本冬美森口博子と一緒に後ろでダンスを踊ります。アイドルヒット空白期のこの当時紅組J-POP歌手が他のステージのバックに参加するシーンはほぼ無かったので、その点で考えると異例の人選と言えます(翌年以降はMAXSPEEDモーニング娘。の出場で一気に状況が変わりましたが)。

 小室ファミリーは第45回(1994年)以降2組→3組→4組とこの年全盛期を迎えました。そのトリとして登場するglobeのステージには安室奈美恵trfと一緒に曲紹介に登場します。

松「ファミリーを代表して華原さん、一言で言うと小室さんはどんな方なんでしょうか?」
華原「おしゃれで、カッコ良くて、センスが良くて…」
安室「朋ちゃん朋ちゃん、一言だよ一言」
華原「(笑いながら)一言では言えないすごい人なんです」

 明らかにこういう台本が好きでなさそうな安室さんが苦笑い、小室さんラブの華原さんが素で笑顔、TRFの5人が何とも言えない真顔という中で行われた珍妙なやり取りでした。それ以外でも小林幸子の曲紹介~「男はつらいよ」全員合唱もあって出番は非常に多かったですが、エンディングはテレビ中継もされた『TK Gateway CountDown Live』出演のため不参加でした。

第48回(1997年)「Hate tell a lie」

ステージ

作詞・作曲:TETSUYA KOMURO
前歌手:(ニュース)、SMAP
後歌手:GLAY、MAX
曲紹介:和田アキ子(紅組司会)

 後半第2部トップバッター、SMAPに対抗する形の曲順。両側にお団子状に髪を巻いている、当時ブレイクした篠原ともえに近いヘアースタイルです。安室奈美恵「朋ちゃん頑張ってください」と直接メッセージを送った後に「白組なんてぶっ飛ばすぞ!」とテンション高くアピール。ここまでは当時の紅白だとよくある光景です。問題はここから。

 「朋ちゃん実は、内緒だったんだけどたった今!たった今よ!小室哲哉さんが応援に駆けつけてくれました!」。

 アッコさんがテンション高くサプライズ出演を紹介する横で、華原さんが「本当ですか?」と笑顔を浮かべながらも少し顔をうつむかせています。一般的にはまだ交際中として認識されていた時期ですが、1年前と同じ状況でないのは翌年以降の楽曲、いやこの年9月のシングル「たのしく たのしく やさしくね」を聴いていた人なら既に想像ついていた物と思われます。シングル売上も、「Hate tell a lie」から完全に低下傾向に入っていました。

 小室さん出演がサプライズであることは間違いなく、実際この年のglobeはスケジュールの都合で紅白辞退と報道もされています。ギター演奏を担当する小室さん、ステージに向かった華原さんは少し小室さんと目を合わせますがすぐに客席方向に首を動かしています。

 とは言え2コーラスの歌唱中はたびたび小室さんがいる後方に首を向け、間奏のハーモニカ演奏では小室さんの横に駆け寄ってラブラブっぷりをアピールしています。小室さんの方はともかく、少なくとも華原さんにとってはまだ愛情が継続しているように見えました。1997年のステージとしてはリアルタイム感があって良いですが、やはり後年大体の状況が分かっている中だとちょっと見ていて辛い部分はあります。

 「Hate tell a lie」はミリオンセラーを記録した大ヒット曲で、歌詞の内容や表現には賛否が分かれましたが、個人的にはJ-POPの常識を根底から覆すような楽曲構成がユニークで好きな曲の一つでした。ただバラードの「LOVE IS ALL MUSIC」はともかく、「たのしく たのしく やさしくね」はまさかの日本語タイトル・小室さんにしては凝った部分をあまり感じさせない楽曲・フルコーラスさえも作られないMVなど聴いていて相当な違和感を感じたことは事実です。先述したORUMOK RECORDSからのリリースはアルバム『storytelling』とそこからのシングルカットが最後で、翌年からはワーナーミュージック・ジャパンからの発売になりました。

その他

 前半では紅組4番手、中村美律子「人生桜」のステージでSPEEDの4人と一緒に着物姿の踊りを披露。前年に続いて演歌歌手のバックで踊る形になりました。後半は出場歌手全員集合のショーコーナー、小林幸子の曲紹介などで顔を見せています。前年と違い、この年はエンディングにも参加していました。

第49回(1998年)「daily news」

ステージ

作詞・作曲:Tetsuya Komuro
前歌手:MAX、LUNA SEA
後歌手:美川憲一、globe
曲紹介:久保純子(紅組司会)
踊り:KMSダンサーズ 振付:山田 卓

 この年はすぐ後にglobeのステージが組まれていたこともあって、小室さんはステージに不参加。対戦相手も当時プリンセス・テンコーのイリュージョンが名物になっていた美川憲一。随分扱いが違います。歌う前の応援も、豪華装置の準備中で動けない小林幸子からのメッセージでした。この関係性は、4年後の紅白歌合戦にも思わぬ形で活きることになります。

 一応この曲も小室哲哉のプロデュース曲ですが、曲紹介やステージでそれを感じさせる場面は全くありません。フラフープを使った踊りは、1980年代のアイドルのステージに近い雰囲気です。1番は暗転の中フラフープだけが光っているステージ、2番はエアロビクスのような服装のダンサーが途中一斉に組体操でいうアンテナをするという珍妙な振付が非常に印象的です。華原さんをダンサー全員で囲むラスト、皆さん笑顔で手を振っていました。

 この年はJTが発売した清涼飲料水『桃の天然水』CMに出演、”ヒューヒュー”というセリフは流行語にもなりました。「daily news」はそのCMでも起用された親しみやすいメロディーの楽曲ですが、CDとして発売されたトラックはなぜかボーカルに全編エフェクトを施すという不可思議な編曲。紅白歌合戦のステージは、明らかに音源よりも落ち着いた雰囲気で安定した歌声でした。コマーシャルの好評とは裏腹にCDはこの年売上が激減、紅白も正直CMの話題性が無ければ難しい状況だったかもしれません。特にアルバム『nine cubes』はかなりの音楽サイトで酷評が目立つ内容となっています。

 なお翌年は年明けになんと自宅でのガス中毒で倒れて入院、そこから小室さんとの破局が報道されています。その後の復帰作「as A person」はそれなりにヒットしましたが紅白は落選、心身ともに良くない状況が続きますが、2000年の番組企画による渡米を経て復活。帰国後は1990年代と違った形で活躍、これが4年後の紅白歌合戦復帰にも繋がる結果になりました。

その他

 前半は紅組3番手の曲紹介に登場。和田アキ子坂本冬美とともに、3年ぶり紅白復帰の田川寿美を盛り上げます。

 その直後前年に続いて中村美律子「河内おとこ節」の応援にも登場。笑顔で鳴子を振る際に、横にいた工藤静香に何かしら話しかけられて「はい!」と笑顔で返事するシーンが映ります。

 さらにスポーツヒーローショーにも登場。小林幸子美川憲一西田ひかると一緒に、当時ジュビロ磐田所属の日本代表・中山雅史選手をエスコート。前半だけで大きな出番が3回もある忙しさでした。

 後半も伍代夏子田川寿美と一緒に、和服姿で坂本冬美の曲紹介に参加。こういった自身のステージ以外で積極的に参加してくれるかどうかも、当時の紅白選出においてはポイントの一つだったような気がします。

第53回(2002年)「あきらめましょう」

ステージ

作詞:Tomomi Kahala & Gu Suyeon 作曲:Atsuki Kimura
前歌手:松浦亜弥、KICK THE CAN CREW
後歌手:DA PUMP、hitomi
曲紹介:有働由美子(紅組司会)、小林幸子、美川憲一
振付:菊池ヒロユキ

 様々な経験を経て紅白歌合戦に復帰、曲紹介で一緒に登場したのは4年前に多く共演した小林幸子美川憲一でした。この年4月からコロッケと一緒に『にっぽん愉快家族』の司会を担当、これも紅白復帰に際して大きな追い風になっています。歌う前には番組への感謝を述べる華原さん、有働さんの曲紹介後は「朋ちゃん、頑張ってー」と2人揃って優しいエールを贈ります。

 1990年代はカジュアルな衣装が目立ちましたが、この年は白いドレスで目のメイクがやや濃くなっています。左目の下の飾りや、毛皮の大きな帽子も大きなアクセントになっています。

 憂歌団の木村充揮作曲のメロディーは柔らかい雰囲気で、タイトルとは裏腹にどこか前向きな歌詞が非常にマッチしています。そこには1990年代とは違う新たな良さが存在しています。CD売上は高くなかったですが、自身が出演した缶コーヒーのコマーシャルでお茶の間には広く親しまれていた曲でした。高音域はありつつも限界に近いような音程は無く終始笑顔での歌唱、最後は笑顔でピースする決めポーズを見せています。

 ZONEのメンバーがバックで応援しています。楽器を持っているので一応演奏という体ですが、全く音を出している様子はありません。間奏のギターソロでは華原さんとドラムを除く3人が手を振って客席に挨拶、そのドラム・MIZUHOは最終的に叩くことさえも放棄とするという状況でした。ご丁寧に振付担当のテロップもありましたので、さすがに生演奏してないからクレームするという人はいなかったと思いますが…(ZONEに限らずこの時期既に音楽番組のアテブリは完全に定着しています)。

その他

 オープニングは赤いファーをかけていてやや派手な衣装です。ただ隣りにいるhitomiは和服を崩したような目立つ衣装、さらにその横にいた小林幸子は言うに及ばず。画面上でのインパクトがなかなか凄い状況でした。ちなみにもう片方の隣は真っ黒で地味な衣装のEvery Little Thingで、なかなかの好対照っぷりです。

 ステージではZONEが演奏、いやダンサーとして参加していましたが、彼女たちのステージでも曲紹介を担当。元女子高生集合というテーマで、島谷ひとみ(歌手を夢見ていた)→華原さん(乗馬の先生を目指していた)→天童よしみ(モデルを夢見ていた)という三段落ちの2番目を担当しています。

 島谷さんとは後半の紅白Ring Showでもペアを組んで、「静かな湖畔」演歌バージョンの輪唱6番手で一緒に歌いました。また終盤この時期の紅白恒例だった司会をねぎらう台本のやり取りも島谷さんと一緒にセリフを担当、「勝利を信じて、ヒューヒュー!」と4年前の流行語を流用しています。エンディングの「蛍の光」でも藤あや子と仲良くマイクを共用して歌うシーンあり、歌以外の出番の多さは1990年代と同様でした。

第54回(2003年)「ありがとね!」

ステージ

作詞:歌凛 作曲:馬飼野康二
前歌手:伊藤多喜雄、綾戸智絵
後歌手:谷村新司、ZONE
曲紹介:有働由美子(紅組司会)、膳場貴子(同)、美川憲一
踊り:さんきゅうず 振付:夏目&non

 『にっぽん愉快家族』は引き続き好評で、番組は2005年3月まで放送されました。「ありがとね!」はこの番組きっかけで作られたデュエットソングで、華原さんの作品では唯一徳間ジャパンからの発売となっています。そのため後のベストアルバムには収録されず、ストリーミング配信もないので歴代の紅白歌唱曲では平成トップクラスに入手しづらい楽曲となっています。なお作詞の歌凛は第34回(1983年)に「氷雨」で歌手として出場した日野美歌のペンネーム、デュエット歌手としては葵司朗との「男と女のラブゲーム」を大ヒットさせた偉大な先人でもあります。

 歌う前の曲紹介ではコロッケも一緒に登場、さっそく加護亜依辻希美松浦亜弥からモノマネをリクエストされます。古畑任三郎(田村正和)や美川憲一のモノマネを披露しますが、「さそり座の女」を例のごとくアーン!と言ってたら本人が登場するお決まりの展開。怒っている美川さんを華原さんがなだめてスタンバイ、そのまま「じゃあ、いくわよ!「ありがとね!」」と曲紹介まで担当するやり取りでした。

 華原さんは真っ赤なドレスで、スカートは丈短め面積広め。コロッケは騎士をイメージしたような真っ白な衣装ですが、間奏で2人とも早替え演出あり。コロッケは祭りをイメージしたような紫のハッピ姿、華原さんは脚どころか胸の谷間まではっきり見える露出度が非常に高いピンクのドレスです。華原さんが主旋律担当、コロッケがハモリ担当で、目立っていたのは衣装が華原さん・歌がコロッケという印象でした。様々な職業のコスプレで踊るダンサーは30人ほど、振付はそれなりに激しい様子ですが、どうしても必要だったかどうかは微妙なところです。

その他

 歌唱後は再び早替えの衣装を身に着けたようで、中間審査では笑顔でオンエアバトル方式のボールが入ったカゴを持つ姿が映っています。

 後半の紅白Ring Showでは童謡「雪」ラップバージョンの輪唱の5番手として登場。自己アピールが過ぎる木村拓哉に全くリズムについていけない天童よしみ、ラップなのに終始眉をひそめている前川清に入りを間違える氷川きよしといったカオスな状況でしたが、華原さんも進行役の中居正広に「ウキウキし過ぎ」とツッコミを入れられていました(個人的には割と普通だと思いましたが、あえて無理やり名前を出した彼の司会術と考えた方が良さそうです)。

おわりに

 2004年は紅白落選となりましたが、それ以降も2006年までは安定した活動を見せていました。ただその後また体調不良をきっかけにした活動休止、さらに心身の不調による契約解除なども報じられます。2010年代前半は一旦復活してカバーアルバム発売などもありましたがまた活動休止、そのたびに様々な憶測含めた報道もあって安定しない状況が続いています。ただ近年は出産・結婚といった明るいニュースもあり、一時期よりは持ち直している印象もあります。

 6回目の紅白歌合戦出場は現状だとかなり厳しそうですが、歌唱力の高さはやはり確かなようで衰えはあまりありません。ストリーミング配信はまさに紅白出場期を除いた時期のみという印象ですが、セルフカバーのアルバムは当時とはまた違う魅力が備わった内容でした。

 あらためて振り返るとやはり精神状態が他の人と比べても仕事面への影響がかなり大きいようで、紅白でも1990年代はその影響が動きにも相当出ていました。ただもっとも悪い状態だったと思われる1998年は、見返すと意外に見ていられないような状況ではありません。2002年の紅白と続けて見返すと、この時に小林幸子美川憲一から相当優しくしてもらったのかもしれない、と推測出来ます。

 なお5回出場した紅白歌合戦では、全ての回で歌う前にトークする場面が存在しています。J-POPに限らず演歌でも曲紹介されてから初めて本人が登場する演出が紅白だと多くを占めていますが、5回全て曲前に本人が登場するのはなかなか珍しいことではないかと思います。

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